天球儀 ep.13 三月「魚座の手紙」




「取石さん!」
 深夜の病院にも構わずロビーで声を上げた。ロビーの一番奥の椅子に滋は黙って座っていた。
「……まゆりさん」
「詳しい話聞かせて!」
「…詳しいことなんて……わかんないわよ……私……」
「金城くんは?」
「ご両親と一緒に取石さんについてるよ、まゆり」
 声をかけられ振り返ると意外な人物が立っていた。
「館林先輩?どうしてここに?」
「ここ、俺の親が院長してる病院。十二宮…と、今は生徒会だっけ?まぁいいや、そこの生徒が運ばれて来たって聞いたから慌てて来たんだ。他の生徒会のメンバーも呼んだんだろ?揃ったら状況説明するから」
「ずいぶんと冷静なんですね」
「俺が騒いでもしょうがないだろ。冷静でいる人間も必要だ。できるか、まゆり?」
 館林の問いかけにまゆりはゆっくりと頷いた。
(私がしっかりしないでどうするのよ)
 確か以前同じことを思ったことがある。あれは…そうだ。椿が妊娠し、学校を辞めると言ったときだ。
「皮肉なものね…」
 まゆりはポツリと呟いた。







 全員が揃うまで三十分ほどかかった。
「八人?ああ…そうか、伊賀くんは来ないだろうね」
 事情は全て知っているのだろう。館林は頭をかいて、深夜の診察室に明かりをつけて皆を通した。
「まず始めに言っておきたいのは、俺がこれから話すのは父から説明されたことそのままということだ。俺も医学部だが所詮まだ一年で医学に関しては素人と思ってほしい。だから、もっと詳しく言え、と、何とかしろ、だけは勘弁してくれ」
 前置きをし、一呼吸してから手帳を取り出した。
「取石さんは今は意識不明だが何とか薬と機械で体を維持している状態だ。いわゆる脳死だと思ってくれていい。単刀直入に言おう。目を覚ます可能性はない」
「なっ…何それ!」
 ナルが立ち上がった。
「嘘でしょ!だって…!」
「ただ…」
 ナルには構わず館林は続ける。
「こんな言い方はあまりしたくないが、打ち所が…いや、悪かったのだが…最悪の事態は避けられた。お腹の子供だけは手術で取り出すことができる」
「……子供だけ助かって、どうしろっていうのよ…そんな終わり方絶対に認めない!」
 桂子が冷静さを失って机を叩く。
「永戸さんも同じことを言ったよ」
 館林は首を横に振る。
「でも俺は聞いたままを伝えているだけだ。どうにもできない」
 それきり声を上げる者はいなかった。







 椿の病室に行くと病室の前に辰弥が立っていた。
「金城くん…」
 辰弥がゆっくりとまゆり達の方を見てポツポツ話し始めた。
「子供がね…子供が車道に飛び出したのを…助けようとして跳ねられたらしいんだ…。こいつらしいでしょ。最期の最期まで優しかった…。バカみたいに…」
 辰弥は静かに笑った。
「冷たい奴って思われるかもだけど何か実感なくて涙が出ないんだ…ただあの時、俺が買い物に行けばよかったとか、近くのコンビニにさせとけばよかったとか、後悔ばかり押し寄せてきて気が狂いそうになる」
 辰弥は両手で髪を掻き乱す。
「分かんねーんだよ!何が何だかもう分かんねーんだ!椿がいねーってどういうことだよ!だってあいつ『行ってきます』って出かけたんだぜ!何で帰って来ねーんだよ!もう…俺…」
「子供はどうするのよ!」
 まゆりの言葉に辰也は俯く。
「取石さんのお腹でまだ生きてるのよ!どうするの?あなた父親でしょ!」
「父…親…?」
 尋ね返して首を横に振った。
「無理だ…俺には…結局俺は…椿がいなきゃ何にもできねーんだよ!ああ、笑えよ!俺は所詮その程度の人間だよ!一人じゃ何もできないんだよ!俺は…俺は…」
 ズルズル床に座り込む。
「こんなにも椿が好きだった…」
 それきり誰も何も言わなかった 言えなかった。







 帰り際、館林がまゆりの腕をつかんで呼び止めた。
「まゆり、取石さんの子供の件なんだけどさ、取石さんのご両親が産む方向で話を進めてくれって言ってるんだ。金城君に面倒見きれなくても自分たちが世話するからって。いいかな?」
「いいも何も…そんなの金城くんに…」
「その金城くんが産ませたくないって言ってるから聞いてる」
「金城くんが?」
「自分じゃ子供を育てられないからって。まゆりはどう思う?」
「わたし…私は…」
 ためらいながらも口を開いた。
「産んでほしい。そうじゃなきゃ、金城くん絶対後悔するから」
「そうか、分かった。伝えておくよ」
 館林は手を振った。







「…ウチ、死ぬことを甘く見とった」
 まゆりと帰路についた祐歌が自分の左手首を見ながらつぶやいた。手首には無数の傷跡が痣のようになって残っている。
「死ぬことって周りの人間も殺すことになるんやな。考えなしやったって今なら分かる…」
 祐歌は夜空を仰いだ。
「淋しいなぁ…」







 生徒会室は静まり返っていた。
 辰弥と滋は病院に泊り込んでいるらしく学校には来なかった。八人だけの閑散とした部屋で夏希だけは冷静にプリントを整理していた。
「まゆり これに はんこを くれ」
 選挙のための講堂の使用許可書を向けてきた夏希の手をまゆりは思わず振り払った。
「よく平然としていられるわね!どんな状況か分かってるの?」
「わかっている りっこうほしゃ えんぜつの ぜんじつだ」
「選挙なんて…!」
 言いかけてまゆりは口をつぐんだ。選挙は自分の言い出したことではないか。それを他人事のように扱うなど無責任な八つ当たりもいいところだ。
「…ごめん、会長印でいいのね」
 夏希は気にする様子もなく頷いた。
「たいへん なのは わかるが それと これは はなしが ちがう きりかえろ」
 夏希は辺りを一瞥した。
「ぜんいんだ かんしょうに ひたるのは やることを やってからだ」
「夏希ちゃんは悲しくないの!今この瞬間にも椿ちゃんは!」
「ならば おまえに なにが できる おまえたちが めそめそして なにが かわる かわらないなら じぶんに できることを やれ」
 そして一時ためらい口を開いた。
「わたしだって かなしくないわけ ない」
 そうだ、何を間違えていたのだろう。全員がゆっくりと立ち上がる。
 今、自分にできることを…。
 そんな簡単なことも見失っていた。
「ありがとう、辻さん」
「れいには およばない」







 翌日は立候補者と推薦者の演説そして投開票が行われた。しかし
「三好さんが不信任多数?」
 まゆりは思わぬ結果に足を止めた。
 亮良が困り顔で頷く。
「しかもかなりの割合で」
「どういうこと?」
 ナルがキョトンと大きな目を丸くする。
「星占い信奉派には魚座ってところが引っかかるし、十二宮反対派だった人間にはが蛇遣座だった人間に会長やられたらたまらないってことでしょう」
 問いに桂子が答えた。
「あと、冗談半分で不信任にした奴も多いだろな。三好、気ぃ弱いから」
「じゃあ、選挙やり直し?」
「三好さんはこのことを…」
「知っています。開票と集計したの蛇遣座でしたから」
「そんな…」
 頭が痛い問題が増えた。まゆりは髪を掻く。少し考えて口を開いた。
「三好さんに会ってくる」
 蛇遣座の使っている会議室には南となずなだけが残っていた。扉の開く音になずなは慌てて顔を拭うが、目が赤く腫れているのは隠せなかった。
「中務会長…私……私…」
 なずなはか細い声で呟く。まゆりが両肩を両手で押さえた。
「三好さんはよく頑張った。でも、どうしても会長やりたいならもうちょっと頑張って」
 まゆりは厳しい口調で言った。
「会長、助け舟を出してあげてくださいよ!三好さんは」
 南が叫んで助けを請う。
「私たちはもうすぐいなくなるのよ。自分で何とかできるようにならないでどうするの?」
 その言葉に二の句が継げなくなる。
「…それじゃ…会長…」
 なずなが涙をこらえながらポツリと言った。
「明日のお昼の放送で、もう一度スピーチさせてもらうことはできますか?」
 なずなの言葉にまゆりは頷いた。







 亮良が手早く放送部にかけ合ってくれたおかげで、翌日の昼休みの放送を借りることはできた。各教室に設置された液晶テレビでのライブ中継だ。昼食を広げていた生徒たちの視線が自動でついた画面に一斉に集まる。
「み…皆さん、こんにちは。三好なずなです。昨日は選挙にご参加ありがとうございました。まず結果から申し上げます。私は不信任多数ということで落選・再選挙となりました。それに際して、皆さんに伝えたいことがあります」
 なずなは唾を飲んだ。
「私の人間性や性格に問題があると思って不信任にされたのなら仕方ありません。でも…でも蛇遣座だとか魚座だとかそんな理由なら、もうやめてください!」
 体が小刻みに震えている。
「確かに私は二年近く蛇遣座にいました。先輩たちも尊敬していました。でもその先輩たちが『十二宮は必要ない』と判断されたんです。ならば私はそれに同意します。星占いは好きです。毎朝、テレビで必ず見てから登校しています。一位だと嬉しいし、十二位だとちょっと凹みます。でもそれで全てが決まるんですか?人格や将来まで決まってしまうのですか?そんなの…悲しすぎます。魚座だからリーダーシップがないとか…そんな悲しいこと言わないでください。そんなものに縛られず、もっと私は自分自身の可能性を試したいのです。中務会長が仰っていました『自分は牡羊座、なんて名前じゃない』って。そう思います。私は『魚座』なんて名前じゃありません」
 胸に左手を当てる。
「だから星座とか経歴じゃなくて私を…私自身を見てください。私は私です。この学校は今、岐路に立たされています。きっと来年度からは大きく変わって行くと思います。私はこの学校を優しい学校にしたいと思ってます。成績や所属…ましてや星座なんてもので争ったり妬んだり権力を振りかざすことのない、公正で優しい学校。土台作りは先輩たちがしてくれました。それを受け継ぐためなら私は何でもするつもりです」
 すぅっと息を吸った。
「もう一度言います。どうか私自身を見て考え直してください。それでもダメなら諦めます。よろしくお願いします」
 長いスピーチが終わり、なずなは頭を下げた。
「ありがとうございました」





 放送が終わるのを待って、カメラの死角にいた南がなずなの肩を抱く。
「三好さんはすごい、あんなに喋れると思わなかった」
「私…頑張れましたか?」
「うん…すごく頑張った。これ以上ないくらい頑張った」
「届きましたか…私の言葉…」
「うん。これで届かなかったら、ここの生徒が馬鹿なんだ」
 南の言葉になずなは堪えていた涙を止めどなく流した。
 そして後日行われた再選挙で三宅なずなは次期会長となった。







「あとは…取石さんたちか…」
「お腹の子の摘出手術、今日だそうだよ。金城くんが反対して延ばし延ばしになってたんだけど今日が限界らしくて、ご両親が無理に…」
 呟くまゆりに真人が答えた。
「とりあえず、今から病院に行ってみる?」
「そうですね、できれば皆で」







「やめろ!俺は認めない!」
 集中治療室の扉越しに辰弥は怒声が聞こえた。
「椿はまだ生きてるんだ!手術なんかしたらそれこそ死んじまう!お前ら、みんな揃って椿を殺す気か!」
「金城くん!」
 まゆりは慌てて扉を開ける。
 そこには数人の医者と看護士、椿と辰弥の両親、顔を紅潮させ叫ぶ辰弥とその場に泣き崩れる滋、そして無数のチューブやコードに繋がれた椿がいた。
「落ち着け金城!このまま死んだ様に寝かせといてどうなる!」
「だからって殺していいのか?ガキなんかいらない!俺がほしいのは椿だけだ!」
 椿をストレッチャーに移す看護士たちを止めようとする辰弥を稔が羽交い締めにして押さえつけた。
「もう…やめて……」
 床に座り込んで顔を覆う滋は随分痩せ衰えて血色の悪いように見える。あれほど見た目を気にしていたというのに。
「もう…やだ…こんなの……」
 力なく漏らした。
「みんな椿が死んでもいいのかよ!」
  パン
 辰弥の頬を叩いたのは真人だった。目に涙を浮かべ口を開く。
「いいわけない…でも金城くん勘違いしています。俺たちは万能じゃない。今まで俺たちは十二宮で、チヤホヤされて何でもできる気になっていた。でもそれは小さな小さな…世界から見れば芥子粒ほどのコミュニティでしかない。そんななかで偉ぶって調子に乗っていた。でもこの先俺たちが出て行く社会っていうものは、きっと想像もつかないほど深くて広い。学校は社会の縮図なんていうけど、そうじゃない。小学校に入る前の幼稚園みたいなものです。不条理に自分の意見が通らないことなんて、きっと当たり前のようにあって、その度に落ち込んだり挫折したりするけど…それでも生きて行かなきゃいけない。なのにその程度の覚悟で取石さんと子供養う気だったんですか?」
 真人が息を吸う。
「世の中甘く見てんじゃねぇ!」
 腹の底から出した声が谺する。そこにいた全員が目を丸くした。真人はぜぇぜぇと肩で息をしながら辰弥を睨んでいた。
「か…香我美くん…?」
 まゆりの呼びかけにも真人は答えなかった。
「俺はあんたが羨ましかった。好きな人にあんなに想われて…。羨ましくて妬ましくて、あんたみたいになりたかった。でも今のあんたは何だ?身勝手で周りの迷惑も考えないただのこどもだ!フザけんな!」
「ねぇ…辰弥…もう認めてあげようよ。椿は死んだって…」
「勝手にしろ!」
 滋の呟きに、辰弥は稔の手を乱暴に振り払い部屋から出て行った。







 翌日の放課後。産科で赤ん坊の姿を見ようとまゆりは病院へと急いだ。ガラス越しに赤ん坊の姿をじっと見つける少年の姿が目に入った。
「金城くん!」
 まゆりは声を上げる。辰弥はゆっくりとこちらを向いた。
「会長…」
 他よりも一回りも二周りも小さい、保育器に入れられた胎児のような赤子は何も知らずに安らかに眠っている。
「……何でかな…憎らしいはずなのに、見れば見るほど可愛くて仕方ないんだよ」
 辰弥は口の端から漏らした。
「本当は文句言って帰るつもりだったのに…どうしたんだろ、俺」
 辰弥は苦笑して目を覆う。
「こんなガキですらないようなものが愛しいなんて…」
 保育器には『取石』という名札がかけられていた。親権を放棄したのだろう。
「どうかしてる…」
「桜ちゃん…か。取石さんに似てるね…」
「ずっと言わないでおこうかと思ってたんだけどね…私のお母さんも私を産んで死んだの」
「え?」
「産まれてきたことに罪悪感を覚えることがなかったって言ったら嘘になる。でもお母さんに感謝しない時はない。何度も何度でも繰り返す。産んでくれてありがとうって。お母さんの分まで一秒でも長く生きなきゃって。絶対に私は幸せにならなきゃって。何百回でも何千回でもきっと一生繰り返す。お母さんありがとう」
 そして辰弥の方に向き直った。
「お父さんありがとうって」
「…そんな…の…」
 まゆりの言葉に辰弥はその場に泣き崩れた。
「椿!」
 場もわきまえず叫び声をあげる。
「椿!椿!」
 初めて辰弥が涙を見せた。
「帰って来いよ!椿!あんなに楽しみにしてたじゃねぇか!椿!」
 床を何度も叩く。
「まだまだ言いたいこともいっぱいあった!行きたい所だって!したいことだって!あんなに話してたじゃねぇかよ……つば…き…ぃ」
 かける言葉が見つからない。
「……ば…き…」
 まゆりは黙って見つめることしかできなかった。







 もういない
 彼女はもうここにはいない
 彼女はもうどこにもいない
 でも 確かにここにいた
 その証拠を残して







「会長…」
 どのくらいの時間が流れただろう。辰弥がヨロヨロと立ち上がるとポケットからいろんな色やサイズの封筒の束を差し出した。
「昨日、アパート引き払おうと思って整理してたら見つけたんだ。椿から」
 まゆりが返答に困っていると辰弥はそのまま歩き去る。大きな背中を向けて。
 辰弥の背を黙って見送ると、まゆりは渡された封筒の束を見直した。数えてみると十枚ある。生徒会の一人一人の名前が宛名欄に書かれていた。小さいが丁寧な椿の字だ。
 椅子に座り、自分宛の封筒を開く。白い縦長の封筒で、右下に小さく花の絵が描かれている。便箋も揃いのものだった。





『中務まゆり様
 会長には本当にいろいろとご迷惑をかけてしまいましたね。申し訳ありませんでした。でも後悔だけはしていないのを分かってください。
 この一年、いろんなことがありすぎて思い出すと遠い昔のようなことのように思えます。悲しいことも苦しいこともありましたが全て会長のおかげで乗り切って来られました。会長は十二宮最後で最高の会長です。凛とした会長に見惚れたことも救われたこともどれほどあったか分かりません。
(ケンカ早いのはちょっと感心しませんけどね・笑)
 こうやって無事に卒業式を迎えられて本当に嬉しいです。
 大学でも格好いいまゆりさんでいてください。あまり会えなくなるかもしれませんが、よろしければ時々、一緒にお茶でもしましょうね。
 生徒会メンバーで女子会とかしても楽しいかもしれませんね。その時は辰弥の愚痴も聞いてください。
 館林先輩にもよろしくお伝えください。これからは男を見る目も養って素敵な彼氏を見つけてキャンパスライフを楽しんでくださいね。
                            金城 椿』





「バカ…取石さんのバカ…卒業式…迎えられてないよ…迎えられなかったじゃない…」
 便箋にこぼれ落ちる涙で、奇麗な字がにじむ。恐らく卒業式に全員に渡すつもりで書いていたのだろう。







 もういない
 彼女はもうここにはいない
 彼女はもうどこにもいない
 でも 確かにここにいた
 その証拠を残して
 こんなに確かな証拠を残して







 半月後、私立楷明大附属高等学校卒業式。
 三好なずなのそつない送辞を終え、まゆりが壇上に上がる。
 そして深く頭を下げる。
「すみませんでした」
 生徒たちがざわめく。
「一年前の約束、守れませんでした。私は無力で傲慢で皆さんを引っ掻き回しただけでした。申し訳ありませんでした」
「そんなことない!」
 見知らぬ下級生が叫んだ。
「会長はこの学校を変えてくれました。私達の目を覚まさせてくれました!」
「そうだ!会長が会長でよかった!」
「この一年、本当に楽しかった!」
 別の生徒も口々に言う。
「でも…いや…ここで言うことではありませんね。ありがとうございます。皆さん。私達はこれで卒業しますが、これからもこの学校をよろしくお願いします。私は星占いは信じませんが、自分が牡羊座で本当によかったと思っています」
 もう一度頭を下げた。







 卒業式を終え、生徒会室に集まったのは八人。
「結局、金城はあれ以来、行方不明のままか?」
「…うん、親御さんにも連絡ないみたい。気づいたら取り急ぎの荷物だけなくなってたって」
 稔の問いに滋が答える。
「それよりさ〜まゆり、なんだろ?式が終わったら生徒会室に集合って」
 ナルが落ち着かない様子で辺りをキョロキョロ見渡す。程なくして、まゆりが入って来た。
「えっと…みんな揃ってるわね。みんなに渡すものがあるから」
 封筒の束を見せる。
「今から配るから。香我美真人くん」
 真人の前に置かれたのは空色に雲の写真をあしらったもの。
「酒本ナル」
 ナルの封筒は流行のキャラクターがちりばめられた賑やかな模様。
「妹尾亮良くん」
 シンプルなモノクロのストライプの封筒。
「観月祐歌さん」
 さすがにソフトボールの模様は見つからなかったのだろう。野球少年とボールとバットのイラストが描かれた可愛いもの。
「矢井田桂子さん」
 淡い紫の菖蒲をあしらった和紙の封筒だ。
「永戸滋さん」
 この春流行るとテレビがしきりに伝えている派手なドット柄。
「加藤稔くん」
 髪やシャツと同じ真っ赤な無地。彼のトレードマーク。
「辻夏希さん」
 こちらは彼女の絵をプリントした手作りの封筒だった。
「…取石…いや、金城椿さんから。中は開けてないからそれぞれで読んで」
 まゆりは言って自分の封筒も見せた。開ける前からナルは涙ぐんでいる。
 めいめいにゆっくり封を切る。
 押し黙る者、嗚咽を漏らす者、途中で読むのをやめる者、反応もそれぞれだ。
「ズルいよ…こんなの…椿ちゃん」
「ホンマに…こんなもん遺して」
「ふざけている」
「優しすぎますよ…」
「奇麗すぎるよなぁ」
「それがあの人なんだよ」
「今更後悔しても遅いのに…」
「なんでもっと優しくできなかったんだろ。辰弥にも椿にも」







 マンションの入口に据えられた宅配ボックスに自分宛の大きめの茶封筒が入っているのに気がついた。宛名は自分。差出人を見て表情が陰る。
(中務…まゆり…今さら何を…?)
 配達日指定された封筒を開ける。中には赤ん坊の写真と一回り小さなチェック柄の封筒が入っていた。封筒の宛名欄には住所は書かれていない。ただ『伊賀リョウスケ様』と書かれているだけ。渋々開けるとそこには見覚えのある、しかしまゆりのものではない字が書かれていた。
 エレベーターを上る間に封筒と揃いの模様の便箋に書かれた内容は読み終えられた。口の端だけで笑うと、家に入り、携帯電話を手に取る。
「父さんの番組で赤ちゃんの写真を取り上げるコーナーありましたよね?あれに載せてほしい子がいるんです。取石…いや金城桜という」
 そして足早に兄の部屋に向かう。ドアを軽くノックした。
「兄さん、今日はとても暖かくていい天気ですよ。ちょっと試しに近所の公園まで散歩に出かけてみませんか?」







 金城辰弥は田舎の喫茶店で、ぼんやりと手紙を見つめた。皮を模した分厚い封筒に、羊皮紙風の便箋。何度も何度も読み返した。そこに書かれた丁寧な文字も覚えてしまうほどに。
『次のウチの子自慢は産まれたばかりの女の子』
 店の奥にある小型のテレビの音が不意に耳に入った。
『金城桜ちゃんです』
 そこにいたのは間違いなく椿によく似た赤ん坊だった。椿と自分の両親に囲まれ、安らかに眠っている。笑顔をただ思い出す。
「椿」
 ポツリと口にした言葉はテレビの笑い声にかき消される。手紙を両手で強く握りしめた。
「俺も愛してる」







「ねぇ、記念にこの天球儀、もらっていい?」
 生徒会室を出る時にまゆりは皆に向かって尋ねた。
「それ、四、五万はするやつだぜ」
 稔の言葉にまゆりは思わず手を放した。
「いいと思いますよ。どうせもうここは『十二宮』ではないんですから」
 亮良が優しく笑う。
「まゆりならいいに決まってるよ〜」
 ナルも笑って言う。
「ありがとう」
まゆりは大切に両手で抱えながら、十二宮室…いや、生徒会室を後にした。





 さようなら
 ありがとう
 さようなら
十二宮





 私達は星だった。
 宇宙をただ回ることしかできない
 愚かしくて ちっぽけな 星だった。
 でも 星は 自分で 輝ける。
 それだけが 私達の誇り。
 たとえ それが 天球儀に
 描かれているように
 無数の中の 点のような
 一つで あったとしても
 それはきっと 途方もなく尊いもの。





 そしてまた新しい世界が始まる。





四月一日





 紺のスーツ姿で『私立楷明大学』と書かれた校門をゆっくりと胸を張ってくぐった。





 もう戻らない大切だったものをありったけ抱えて





 中務まゆりは足を進めた。





 今までも
 これからも
 そう これは
 引き継がれる物語。



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