海物語




 生まれる前は、タコ、だった。



 そんなことを思っていたのは
 もうずっと昔のこと。
 どうしても手が足りなかった。
 八本もあった手が
 突然、二本になったのだから
 ままごとしてても
 おえかきしてても
 「手がせめてもう一本あれば」



 いつも思ってたタコ娘も
 大人になって
 手が少ない哺乳類に
 すっかり慣れて
 前世の記憶も
 むかしの想いも
 すっかり忘れて
 普通の人生を歩む



 はずだった。
 君に会うまでは。
 大人になっても
 まだ言っていた君
 「手がせめてもう一本あれば」



 前世の記憶は
 王子様と出会い劇的に蘇るもの。
 そう決まっている。



 未だ二本の手に
 慣れない君はきっと
 タコよりも手の多い
 生まれる前はイカだった。



 私達は遥か昔
 深い海の一番深いところの
 タコのお姫さまと
 イカの王子様で
 敵対する一族の運命に
 引き裂かれ
 生まれ変わって一緒になろうと
 固く誓いあったのだ。
 たぶん。



 こんなにもゆっくりゆっくり
 穏やかな時間が流れるのは
 神様が前世の分まで
 幸せを与えてくれているのだろう。
 そう思っていよう。
 そうすれば全てうまくいく。



 暮れる部屋で
 君は色白の顔で目を細める。
 私は丸顔の頬を赤く染めてうつむく。
 二人で作る夕食
 今日はシ-フ-ドフライ。



 これ以上の幸せなどあり得ない。
 神様に見守られながら
 私達はきっとずっと
 寄り添い続ける。
 二人この命が果て
 再びあの海に帰るその時まで
 
 
 

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