私の憂鬱。第十三話




私は27歳だ。
生まれてきて27年経ったのだ。

年配のお方々からしてみれば、若造もいいところであろう。

しかし、若い女性という枠からはもうはみ出る年齢なのだ。

結婚をしろとうるさい両親。

親戚からたくさんの見合いがあるとひっきりなしに言ってくる。

何度断っても断っても、駄目で。

 

突き出された甘やかな条件はなんとも魅力的。

好きだ愛してるだけで突っ走れる立場ではない今日この頃。

周りの女性達は結婚相手を品定めしては色々と打算する。

ひとりでずっと、過ごして行こうと思っていたんだけどなあ。

…確かに認めよう、最近疲れていたことは。

 

だけれども。

 

理性と打算で結婚して、幸せになれるんだろうか。

本当に大切なものは手に入らないのに。

…情は湧くかもしれないけれどさ。

ああ、でも、夫婦になるんだったらそれでいいのかしら。

 

自分の気持ちに、気が付いたばかりなのに?

 

新が結婚すると言ってくれたら、私はどうするかしら。

…ってだから。

前提としてまず無理なんだってば!

 

私は彼が好きだと気が付いたけれども。

あいつの言う事はなにひとつだって信じちゃいない。

彼は猫。手負いの野良猫。

 

傷が癒えればまたフラリとどこかへ行ってしまうのよ。

 

 

 

 

 

 

 

「…冴島さん。私は、そういった事を今考えられません。申し訳ないけれど、結婚もお付き合いもできない」

 

キスをされ、熱っぽくみつめられた彼の腕から抜け出せば、私はなんの感情もない声で言い放つ。

 

本当にいいの?迷ってるくせに?

…いいのよ。

 

心の中で響く声。それにまた自分が返事をする。

そこまで卑怯な女になりたくない。

一度は、ひとりで生きて死んでやるって、決めたんだもの。

 

「俺の事が嫌い?」

「好きとか嫌いとか、そういう感情を今のあなたに抱いてないわ。なにもないのよ。過去でしかないの」

「…昔を思い出して、特別な感情が生まれたりとかは?」

 

なおも食い下がる彼に私は無言で首を振る。

 

「あなたがいつまでもそういう事を言うのであれば、申し訳ないけれど担当を外れてもらうわ。もちろん、あなたの立場が悪くならないようにフォローするから…」

「待って、わかった。…もう、こんな事はしないから」

「…一哉?」

 

ふう、と下を向いて息を吐いた彼は、次にはもう真っ直ぐと顔をあげて私を見据えていた。

なにかを決意したかのような瞳。

 

「出逢った今は、少なくとも俺の事をひとりの人間として認識してるよな?今は、君の担当編集者だと、そう思ってくれているよな?」

「え?…ええ」

「なら今はそれでいい。俺を排除しないでくれ。また、一からでかまわないから…今の俺と君が新しい関係を築くチャンスだけでもくれないか?成島さんと、まず一緒に仕事がしたい」

「……冴島さんとして接してくれるなら、私は別に不満はないわ」

「ありがとう。もう、無理矢理こんなことはしないから。これからよろしくお願いします、成島先生」

「こちらこそ、冴島さん」

 

ほ、と安堵して私は笑う彼に同じように笑顔を向けた。

まさか、彼がこれほど情熱的に口説いたりするとは思わなかった。

ずっと私を忘れられなかったというのはさすがに信じてないけど、当時、思っていたよりもずっと大きい気持ちで私の事を好きでいてくれたのかもしれない。

そう考えたら、なんだか過去に戻って謝りたくなってしまった。

でも、そんなことはできるはずもないから目の前の彼に微笑むくらいしかできない。

 

…出来る事なら、彼が早々に見切りをつけてくれればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

ああ、いつも通りの朝。なんにもかわらないはずの、朝。

それなのに、私の心臓は大きく鼓動する。

 

自分のではない寝息が隣からきこえてきて、私はゆっくりと後ろを振り返る。

 

…新、昨日の夜も例に漏れず潜り込んできたのね。

すぐ目の前にある端正な顔にもういちど私の心臓が跳ねた。

 

ひょっとしたら、今の私ならば恋愛物語が書けるかもしれない。

前々から本格的なものを一本やってみませんか、と言われていたけれど、ずっと断ってきた。

どう書いたらいいのかがわからなかったから。

 

でも、今は、なんとなくだけれど書けそうな気が…

 

「…………ってどこの乙女よ」

 

ため息と共に呟いた言葉はなんだか恥ずかしい。

居た堪れなくて声にしてみたのに余計に羞恥心が増すだけだった。

…心の中に留めておけばよかったわね。

 

それにしても、まずいなあ。

一応、拒否はしたけれどああ言われてしまうとこっちも無理とは…だって担当を作家から外されるって結構なことだと思うし。

どんなに言い訳したって彼にはマイナスにしかならない。

社会人としての冴島の立場が危うくなるのはやはり怖い。

学生のアルバイトならば、冷たい事を言うようだけれど私は冴島に暇を出す事も厭わないだろう。

けれども彼は27歳。

最悪、解雇処分にでもなったらそれこそ私は罪悪感で潰れてしまう。

 

新と向かい合って横向きにしていた身体にもう一度寝返りをうたせて、私はあおむけになる。 

 

「…どうしたものかしらね」

「なにが?」

 

その言葉に、私は声にならない悲鳴をあげた。

天井しかうつしていなかった視界は、今や新の顔だけになっていて、それはつまり、新が私の顔を上から覗き込んでいるということだ。

 

それならば退けばいい。

そう思って私はベッドから落ちてしまおうと、身体を右側に転がそうとする。

が、しかし。

 

覗き込んでいるだけだったはずの新が固まっている数秒の間に覆いかぶさるように完全に私の上に乗っかりながら両手は新のそれによって私の顔横に手首を掴んで固定され、どういう体勢なのか、両足も私のそれに新のものが絡みつき全く動かない。

それなのに重さを感じないのは何故なのだろう。

 

…ただ足の上に足を置いているのではないんだな、きっと。

ってそうではなくて。

なんだろう、朝からこの状況。

もしかしなくても押し倒されちゃってるよねー?

ご丁寧にベッドの上だねー?

 

「深咲さん、現実逃避してる場合じゃないよ」

「…え、なんでわかったのよ」

「焦点が合ってない目で口元は笑ってるんだもん、怖いよ」

「いやだって。私なんでこんなことされてるのかしら?」

「質問に答えてくれないからだけど?」

 

そんなあなた。

さも当然のようにさらりと言わないでよ。

むしろなんでそんなことを訊くの?といわんばかりの顔だわ。

目を丸くして小首を傾げる例のあれ!やめろと言ったはずなのに!

 

「別に答えなかったわけではないわよ。ちょっとびっくりして固まってただけ。はなしてくれる?」

「ねえ、ひょっとして告白されちゃったの?」

 

なんでわかったのよ!?

思わず言いそうになって口を噤み、私は笑う。

にしても顔に出ない人間で良かった。

正直、心臓ばくばくいってるわよ。まずいなあ…。

次に手を出されても完全に拒否をする自信がない。今もまさにそうだけど。

 

「されるわけないでしょ?新ってば随分と想像力が豊かね」

「じゃあどうしたものかしらね、ってなんに対しての台詞?」

「え?えーと、」

「その前はどこの乙女だってツッコミ入れてたよね、自分に」

「ちょ、あんたいつから起きてたのよ!!?」

 

新の言葉に私はさすがに狼狽して、大声をあげる。

ひょっとして、最初に向き合う前から起きてたの?

 

「深咲さんが寝返りうってからかな。なんか動く気配がして…なにか独り言いってる、と思って」

「…なんでその時点で起きた素振りをみせないのよ」

「他にもなにか呟くかなあ、と思って」

「…っ」

 

一人暮らしが長いと独り言がどうしたって多くなる。

新がまだ寝ているものだと決め付けて油断してしまった。

私としたことが、なんたる不覚!

 

「どうしたもんかってさぁ、ひょっとして深咲さん、好きになっちゃったの?」

「は?」

「乙女かってツッコミとどうしたもんかって言葉を合わせて推理してみると、俺にはそういう結論しか導き出せないんだけど。告白される前から、再会して初めての男に昔の想いが再燃しちゃった?」

「な、なにを言ってるの」

「俺との約束を破るんだ。やっぱり、バージンを捧げた男ってトクベツ?」

 

新の顔がどんどん不機嫌に歪んでいく。更には妄想爆発。

ひょっとしてこいつ、小説家にむいてるかも?…なんてね。

言ってる場合ですかっつーのよ。

 

「新、いいかげんにしなさい、そうじゃないわ。もう一度言うけど、私にとって冴島は過去でしかない。今はなんとも思ってないわ」

「じゃあ、なにを隠してるの?教えてよ!」

「別に隠してないわよ。どうしたもんかって言うのは、次の仕事のときに新が冴島さんに変な態度取ったりしないかと、ふと心配になっただけで」

「嘘吐き!言わなきゃこのまま襲う」

「新、それは契約違反よ!わかってるでしょう?」

「ずるいよ、深咲さん。ただでさえ僕は不安なんだ。教えてもらったところでアイツに嫌がらせとか、そんな子どもっぽい事しない。深咲さんに迷惑がかかるような真似は絶対にしないから!教えてよ…」

「あ、新…」

 

そんな、傷付いたような顔しないで。

なんなのこれは。胸がずきずき痛む。こんなの初めてだ。

ああ、好きな人のこういう顔ってこんなにせつなくなるものなのか。

新鮮だけど、心臓の予備がもう二、三個ほしい。

 

…言いたくないだけどなあ。

さっき新が言ったみたいに応対するときに敵意剥き出しとかされてしまうと、私が立場上、困ってしまうし。

そうじゃなくとも新が住む場所を確保したくて、私に今まで以上に迫ったりするかもしれないし。

だって彼と付き合うようになったら新は邪魔になるものねえ。

というか、おいておくの無理よね。

 

でも、このまま本気でされてしまうのならば状況的には一緒なのだろうか。

それとも、傷付く前にここで思い出として一回抱かれてしまう?

そうすれば契約違反で追い出す口実ができる。

私はずっと拒否しているわけだし…新だってきっと今実力行使に出れば家を出るのを了承するだろう。

 

ああ、駄目だ、ぐるぐると考えすぎてしまう。

 

「言っておくけど、ここで抱いたとしたって僕は出て行かないからね」

「え!?」

 

まるで心の中を読んだかのように新が声を発した。

私はそれに驚いて思わず過剰に反応してしまう。

 

「僕は言ったよね。待っててって。深咲さんも頷いた。あなたがどう思ったかしらないけれど、あれも立派な契約だよ。今、深咲さんは契約違反の疑いがある。だから真実を話す義務があるはずだ」

「…っだからってなんで襲われても出て行かないってなるのよ!?」

「僕にそうさせたのは先に違反したあなただからだよ。破ったのは深咲さんが先なんだから、僕が追い出されるいわれはないね」

「…滅茶苦茶な主張だと思うわよ」

「なんとでも。で、どうするの?言うの、言わないの?」

 

鋭い視線を向けられると、猫だと思っていた可愛い男の子は、みるみるうちに獣へと変貌を遂げる。

焼き切れてしまいそうな熱い双眸は確かに私を捕らえ、獲物を放すまいとその獰猛さを強めていく。

 

こんな瞳をむけられて、奇妙な事に私の胸は高鳴った。

彼が執着しているのは私ではなくこの家のはず。

わかっているのに、何度も言い聞かせるのに、ひょっとして本当に嫉妬してくれているのかな、なんて淡い期待を抱いてしまうのだ。

 

…いい大人が馬鹿みたいよねえ。

はあ、と自身に呆れて吐いたため息は、しかし新には違うものとして伝わっただろう。

彼の顔が先程よりも不機嫌になっているから間違いない。

 

「別に、私の気持ちが傾かないんだから訊く必要ないでしょ?」

「そんなのわかんないじゃないか。ただでさえ僕は不利なんだし、相手の手管を教えてもらうくらいのハンデはもらっても良くない?」

「でも一哉は一緒に暮らしてないから会える時間がずっと少ないじゃない。それに担当編集者と絶対にそういう関係にならないって私は考えてるから、あの人が私の担当である以上、進展はないわよ?それってむこうにとったら最大のハンデだと思うんだけど」

 

うんうん、とひとり納得して言葉を紡ぐ。

すると目の前の新が最大限の迫力を持って私を睨みつけてきた。

急に禍々しくなったどす黒いオーラに私は思わず震える。

ついでに悲鳴もあげてしまいそうになった。

な、なんなの!?

 

「昔の男をなんで今、一哉なんて呼んでんの?」

 

地を這うような低い声で質問をされて私はあろうことか、5歳年下の男に組み敷かれて泣きそうになってしまう。

ああ、なんとも情けない…。

 

「あ、あの、昔そう呼んでた癖と、いう、か…」

「ずっと冴島さんって言っていたのに?」

「深い意味なんてないわよ、無意識というか」

「昨日、僕がいない間にコーヒー飲んだでしょ。マグカップがふたつあったけど、もうひとつは誰?」

「な、なんで…」

「並びが違ってたから。コーヒーも、入れた形跡あったし。ねえ、昨日、冴島を家にいれたんでしょう?」

 

こいつ、記憶力良いなあ。

コーヒーも入れた形跡ってなんだ…?ああ、粉ミルク新しく開けたんだった。

くっそ、随分と目ざといわね。

 

「…確かに、昨日冴島さんが来たけど。仕事の用事だって」

「僕の所に連絡いってないし、出かけるまで深咲さんの携帯鳴らなかった。そんな突然に用事なんてなんだったの?例えば誰かの穴埋めで原稿を、とかだったら僕が帰ってきたとき書斎で仕事をしているはずだよねえ?でもあなたはとっくに眠ってた」

 

新の言葉に、どんどん私は逃げ場を失っていく。

ああもう、観念するしかないのか。

 

「……言われたわ、昨日。好きだって」

「…やっぱり。付き合ってくれって?」

 

その言葉に私は昨日の彼の言葉を反芻する。

 

「付き合ってくれとは言われてないけど、君がイエスと言うなら今すぐ籍を入れても良いとは言われたわね」

「はあ!!?なんだよそれ!!」

「いや、だから断ったから」

 

新の声に目を丸くしつつも、私は淡々と答える。

それに新は盛大なため息を吐けば、のろのろと私の上から移動した。

起き上がって、ベッドの上にあぐらをかく新を視界に留めつつ、手首をさすりながら私も上体を起こした。

 

「…あのさ、深咲さんの事どうでも良くなって別れたんじゃないの?」

「どころか私、二股されたと思っていたんだけどねえ」

「は?」

「別れて二週間弱くらいで彼に新しい恋人が出来たって佐倉から聞いたのよ。だからひょっとしてそうだったのかしら、って」

「二股の末に深咲さんを切った奴がなんだってそんな都合良くプロポーズ紛いの事を言ってくるわけ?」

「んー…」

 

私は昨日思い起こした彼との過去を新に話した。

出会いから別れの経緯。

そして真実かはわからないけれど、昨日の彼が口にした言葉。

それらをすべて話し終えると、新はどんどん不機嫌になった。

 

「なんだよそれ…それが本当なら深咲さんが振ったようなものじゃんか」

「…一哉も同じ事言ってたわね」

 

その言葉に新がまたも私をぎろ、と睨みつけると有無を言わさず私をひっぱって唇を重ねてきた。

驚いて固まる私をよそに、新はしばらく唇を吸い上げて離れた。

 

「次に冴島の名前を呼んだらもっと長いキスするからね。いつでもどこでもするからね」

「そ、そんな理不尽な」

「…冴島さんから始めるんでしょ?名前呼び禁止」

「わ、わかったわよ」

「深咲さん、なんかいつもより赤いね。…可愛い」

 

新の言葉に心臓がどきー!っと跳ねる。

まずい、そうだこいつそういうの絶対鋭い。

自分の気持ちがバレるのは絶対に嫌だ。

とにかく顔に出さないように気をつけなきゃ…。

 

「突然だったからかしらね。…にしても、いいかげんその可愛いってやめてよ。嫌味?」

「えー、素直な気持ちなのに!」

「だって新のが可愛いじゃないの。なんか惨めだわ」

「どうせならかっこいいって言われたい」

 

口を尖らせて言う新に私は苦笑する。

その反応がもうすでに可愛いと思ってしまうから重症だ。

 

「新は年下だしどうしたって可愛いと思っちゃうわよ」

「…冴島はかっこいい?」

「は?……まあ、二択しかないならかっこいいになるかしらね」

「…深咲さん、告白の言葉けっこうグラっときたんじゃないの?」

 

新の言葉に私は少しどきりとする。

けれども、そんなことないわよ、と呟いて、いいかげんここにいると危ないと思えば私はベッドからおりて立ち上がる。

 

新が同じように立ち上がると、私の手をとって彼のそれを絡ませれば恋人のように手と手を繋ぎ合わせた。

 

「…僕のがあなたの事を好きだから」

「あ、新?」

「好きだよ…僕だって今すぐにでも結婚したい。できないのが、すっごく辛い。予想外な手強いライバルみたいだね、焦るな…」

「……冴島さんは、対象外よ」

「とりあえず、僕がいないときは彼を家にあげないでね」

「…そうね、そうするわ」

 

もうしないって言ったけど信用出来ないし。

私がうなずいて沈黙すると、新は怪訝な顔を私にむければ、繋いでた手をぐい、とひっぱって私を後ろから抱き込んだ。

 

「告白のときに、なにかされたでしょ?」

「え」

「正直に言えば、襲わないであげる」

 

耳元で囁かれれば、私はくすぐったいやら心臓が痛いやらで

真っ赤になりそうになる。

そんな自分を叱咤しつつ、私は肩を竦めて言葉を紡いだ。

 

「き、キスをされただけ」

「………」

「あ、新?」

 

無言になった彼が怖くて首だけ後ろに動かす。

すると彼が上から覆いかぶさるように口付けてきた。

キス、というよりも咬みつく、と言ったほうがしっくりくる。

 

荒々しく重ねられたそれは容赦なく私の唇を割って中へ侵入してきた。

新の舌が性急な動きで私のそれを捕らえると激しく吸い上げる。

あまりの刺激にくらくらして、腰砕けになりそうだった私を

新の腕がしっかりと支えていた。

 

「ふ、う、ん、んんっ…」

 

唾液が混じる生々しい音が私の羞恥を煽ってしかしそれ以上に走る快感が理性をすべて流してしまいそうだった。

このまま、抱かれてしまってもかまわない。

 

確かにそう思った胸中を、どうか彼が気付きませんように。

願いながら、離れていく唇を名残惜しいと感じてしまう自身に呆れた。

 

「…僕と、どっちがうまい?」

「……とりあえず冴島のキスは触れただけだったから比べようがないわね」

「だったらそれこそいつも僕としてるじゃないか。ね、どっちが気持ちイイ?」

 

私はどうしたものかと逡巡する。

けれどもまた答えなければ面倒だろうか、と考えた。

 

「新とキスするのは嫌いじゃないけれど、冴島とするのは抵抗あるかしら。…なんというかしっくりこないわ」

「僕とはしっくりくるの?」

「うーん、わかんないけど、冴島としたときなんか切り取ったみたいに、ちぐはぐだなと思ったのよね。新とは日常になってるというか最初からそういう違和感みたいのは覚えなかったかなあ」

「……深咲さんて」

「ん?」

 

身体の拘束がほどけたので私は一歩距離をとりつつ後ろを振り返る。

すると新が真っ赤になって口元を自身の手の平で覆っていた。

なんだ?

 

「どうして時々そういう殺し文句をさらっと言うかなあ。心臓に悪いよ」

「え、今のってそんなすごいこと言ってたかしら?」

「僕とずっといっしょにいても大丈夫って事でしょう?あなたの日常に僕はもう完全に溶け込んだって事じゃない」

「あ」

 

そうか、今のってそういう意味合いになるのか。

 

「それだけなら身内になったと同義で家族扱いというか対象外なのかと思うけど弟みたいに思う奴にキスされて顔赤くなったりそれ以上されて喘いだりとかそんな反応しないだろうしね?」

 

……あれ、なんか、それって。

はからずも告白をしたようになってしまった?

 

「でも一歩間違えると完全に家族になっちゃいそうだよなあ。油断できない。ちょいちょい男を出していかなきゃね」

「え、なによその不穏な発言は」

「悪いけれど、僕もそう余裕がないみたいだからね。…覚悟しておいてね深咲さん」

 

新の不敵な笑みに背筋がぞくり、と粟立ったそのときだ。

 

『ぐううううう』

 

盛大な腹の虫に、私は赤くなり、新は大笑いをした。

普段なら朝ごはんの時間なんだししょうがないじゃないか、と、怒鳴る私に、そうだね、と言って新がなだめるかのように、私の頭を笑いながら撫でる。

 

…なんだこの情けない状況。

 

「とりあえず、胃袋はがっちり掴んでおかないとね。結婚するなら絶対に僕のがお得だよ?ね、深咲さん」

 

頭を撫でていた右手は、気が付けばするり、と頬へと移動する。

私の頬に新が手を添えれば、蕩けるような笑顔でみつめてきた。

 

「毎日愛情たーっぷりのごはんを作ってあげる。今は朝ごはんだね。急いで用意するから深咲さんはゆっくり朝の支度して」

 

ちゅ、とまた唇に軽いキスを落として、新は部屋をあとにした。

私はといえば、新がいない部屋で顔を赤くしたり青くしたりと、表情をそんなに出さない自分には珍しく百面相をしていた。

 

これから、今までの口説き文句をかつてと同じように流さなければならない。

そんな地獄なのやら天国なのやらわからない明日からを思えば私の心は複雑だった。

 

…とりあえず新の朝ごはん早く食べたい。

そんなことを思えるうちは、まだ大丈夫だろうか?

 

空腹のおなかを右手でさすりつつ、私はため息を吐いて着替える事にした。

 

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