もう15年くらい前になるが、私は詩を書いていた。
特に国語の授業以外で文章を習ったことはなかったが
高校の時、英語の学内エッセイコンテストで商品目当てに応募したら1位を取って、それを国語の先生に褒められ投稿を勧められた。
たまたま母が詩の雑誌を購読していたので、適当に書いて投稿したら掲載された。
調子に乗って適当に書き続けてたら毎号掲載されるようになった。
ただ私は小さい頃から絵が描きたくて絵のことしか頭になかったので、詩で褒められるのは嬉しい半面、微妙な気持ちもあった。
もう一つ苦しかったのは、詩は自分の考えをコンテンツにしなければならないことだった。
いつも明るくて強くてちょっとお茶目な若い女の子を装って10代後半から20代前半を過ごしてきた。
結果、メンタルが壊れた。
詩を書くのをやめてしまった。
というか書けなくなった。
ごく最近、ちょっとした調べ物があり検索していたらあるブログに行き着いた。
そこの管理人の名前に見覚えがあった。
私が投稿していた雑誌に同じ時期常連だった人のペンネームと同姓同名だったのだ。
まぁ偶然の一致で赤の他人だと思うし、万が一その人だったとしても私のHN変わってるからバレないだろう、とTwitterをフォローしたら秒でDMが来た。
「もしかして〇〇(私の昔のペンネーム)さんですか?」
トップ画の画風でバレたらしい。
私は神戸に住んでいるのだが、その人は今は赤穂でお店をやっているという。
「まぁ、いつか会えたらいいですねー」的な言葉を交わしてその時のDMは終わった。
だが、その夜世間話程度にダンナさんにその話をしたら「え?赤穂?行こうよ。ちょうど三木露風の聖地巡礼もしたいって言ってたじゃん」
めっちゃ軽いノリで言われて、二週間も経たないうちに赤穂に行くことになった。
15年ぶりに会ったその人は変わることなく、私の詩を褒めてくれた。
何となくむず痒いような申し訳ないような気持ちになった。
話が一区切りしたところでその人は言った。
「今は詩は書いてないのですか?」
私は正直に答えた。
「もう出し尽くしました」
怒られるかと思った。
呆れられるかと思った。
でもその人は「安心しました」と言った。
「〇〇さん(私の昔のペンネーム)の詩は魂がこもりすぎてて、こんなのを長いこと書いてたら死んでしまうんじゃないかと心配してました」
と言ってくれた。
実際、死ぬ瀬戸際だった。
死ぬか詩をやめるかで、私は詩をやめる方を取った。
自分をコンテンツにするのもやめた。
結果、ほとんどお金にならない絵を描くただのおばちゃんになったのだが、後悔はない。
キラキラしたままコンテンツを消費されて死んでても何も残らなかっただろう。
それより小さい頃からずっとやりたかった絵や漫画を描けている。
今がどうしようもなく楽しいのだ。
コメント