私の憂鬱。
第二十八話
とある大きな屋敷のはなれ、ぽつんと造られたすこし小さなその場所にとあるひとりの年老いた男が住んでいた。
その老人は、生まれてから数年ほど前まで、とても淡々と毎日を過ごし、特段それに不満を抱いた事もなかった。
しかし妻に先立たれ、実の娘が侮蔑の表情を浮かべて自らの元を去ってしまうと老人はかつてないほどの恐怖に、孤独感に包み込まれた。
ひとを愛し損ねてしまった老人はいまだそのすべを知らず、どうしたらよいのかもわからない。唯一自分にあるものはお金と地位だけ。
とてもとても不器用で、とてもとても孤独な老人が、そこには住んでいる。
――――――――――――――
「会長、旦那様!」
扉を開け放ってやってきた男に、会長と呼ばれた老人は眉間に深い皺を刻み込んでいた。
常より全幅の信頼を寄せている彼はこのように礼儀知らずな振る舞いをしない。
一体全体どういうことなのかと老人は彼を問いただしたい衝動に駆られた。
最近はホテルを転々としている生活のせいか、ただでさえ疲れがとれないというのに老人はまたも疲労を蓄積してしまったような気分になる。
「伊達、どうした」
「申し訳ございません、明臣あきおみ様。それが……聡様より言伝がございまして」
「なんだ、そんなことか。血相を変えて飛び込んでくるから一体何事かと思ったが」
「明臣様、その言伝なのですが……」
「ああ、どうした?」
明臣が安心したように短い息を吐き出したあと、言い辛そうにしながらも伊達がひそり、と耳元に口を寄せる。
その信じられない内容に、明臣は体を強張らせた。
「……早急に場を設ける。聡と奈津美さんを明日、ここに呼ぶように」
「かしこまりました」
退出する伊達の後姿を見送り、まだ眠るには早いこの中途半端な時間に、なにをどうしたらよいだろうと明臣は心底疲れたかのようなため息を吐き出していた。
「……どういうことだ」
明日にこの場に来るように、と確かに伝えろと言ったのは明臣だ。
広々としたホテルの一室にてソファに腰を下ろしていた彼は登場したふたりの人物を認めれば驚愕に固まってしまう。
「聡、なぜ新を同行させた?」
唸るように呟かれた言葉に、聡と新は悪戯が成功した子どものような顔をする。
「申し訳ございません、御祖父さん。昨日伊達に伝えた言葉は、嘘です」
聡が肩を竦めて紡いだ言葉に、明臣は今度こそなにも言えずに間抜けな顔で呆けるだけだった。
新がそんな彼を面白いものをみるかのように指差した。
「超まぬけ面ー!やーい一本取られてやんの」
けらけら笑う新を、聡がこら、とたしなめる。
いつまでも突っ立っているのもなんだと思ったのか、ふたりは親しそうに小突きあいをしながら、
明臣が座っている向かいのソファへと隣り合って腰かける。
自分の正面に座った聡の顔を、明臣は凝視した。
「お前……じゃあ、昨日の話は」
「菅原の名を背負う事に疲れたと言ったのはすべて嘘です」
「しかし、伊達が私に伝えた言葉だぞ?」
明臣が驚愕しているのには、理由があった。
伊達はとても優秀な秘書で物事を精査する事に非常に長けている。
だからこそ彼を傍に置いているといっても過言ではない。
そんな伊達が、単なる子どもの嘘に騙されたなどとは到底考えにくく、明臣は内心の動揺を隠す事ができなかった。
「下準備してあったんだよ」
「……なに?」
新の言葉に訝るように眉を吊り上げた明臣は、剣呑な雰囲気そのままに声をあげる。
新はそれをまるで意に介することもなく、微笑みながら続きを話した。
「僕と奈津美さんが不貞関係にあるって思わせるに足る証拠をでっちあげたの。伊達さんは、まああんたもだろうけどさ、聡さんが奈津美さんに惚れてるのは知ってるんでしょ?だから、本格的に僕と何かあったから聡さんはそんな事を言い出したんじゃないかって半信半疑でもそう思わせて、今日の席が設けられるように仕向けたってわけ」
少しでも信じれば聡さんとあんたを引き合わせるでしょ?と、新がにんまりと笑いながら言った言葉に明臣は身体中の力が抜けていくのを感じた。
よもや彼にそんな頭があったとは彼は思っていなかったのだ。
「……それで」
何かを諦めたのか、それとも覚悟を決めたのか。
明臣は彼の言葉を受け止める態勢をとって深く長い息を吐く。
新はゆっくりと足を組んだ。
「僕を、自由にしてほしいんだ。その為にはどうしたらいいのかを聞きたい。そもそも、あんた何考えてんの?僕がどうして引き取られたのか。屋敷を抜けると何故連れ戻すのか。そこんとこいい加減理由が知りたいんだ」
新の言葉に、明臣は暫し逡巡する。
とても言い難い事があるように俯きながらもやがてぽつり、と呟いた。
「新は……何故家をでるんだ」
その言葉に、新は首を傾げながらもあっけらかん、とした口調で答える。
「いっしょに居たいひとがいるから。僕の居場所はそこであってあの大屋敷じゃないからだけど?」
「……屋敷が嫌か」
「嫌ってわけではないよ。働いているひと皆いいひとだし。でも僕は基本的に一般庶民だからさ、傅かれるのは落ち着かないしあんなに広い家も落ち着かないんだよね」
「…………」
そうか、と小さく呟いただけで明臣は黙り込んでしまう。
新は暫く祖父をみつめていたが、やがて頬を掻いて質問を重ねた。
「ねえ、結局なんでなの?単に孫可愛さに、とかじゃないんでしょ?」
そのとき明臣の体がびくり、と揺れた。
新だけではなく聡までもがその反応に驚き目を見開く。
思わず新が前のめりになりながら声を上げた。
「え、ちょっと待ってよ……マジで?」
「いや。……贖罪を、したいのかもしれん」
苦笑してゆるゆると首を振る明臣に、贖罪、と聡が繰り返す。
明臣は頷いた。
「志乃……お前の母親だが、あれが男と連れたって家を出たとき、私は追おうとも思わなかった。どうせすぐうまくいかずに戻るとたかをくくっていたのかもしれん。しかしそれは一生起こる事なく、志乃は亡くなってしまった。今まで、私は家族というものに何の感慨もなく生きてきた。愛情などというものを注いだ事もない。しかし、志乃が死んだとわかったときの衝撃はいまでも忘れられない」
「……母さんが死んで、あなたは悲しんでくれてたの?」
「そうだな、案外親らしい感情もあったのかもしれん。その生涯は幸せであったのか、夫とはうまくいっていたのか、色々な事が気に掛かった。特に忘れ形見である新、お前を引き取る事で……私は何かを満たしたかったのかもしれん」
「…………」
「荒れた生活をしているのを知って、何もせずにはおれんかった。この歳になって情けないが、私に与えられるものは金くらいのものだ。飢えないよう、住む所に困らないよう、取り計らうくらいしかできん。それでも、やがてお前が健やかに生活するのを見届けられればと思っていた」
そこまで聞き終えたところで、新が勢い良く挙手をした。
「じゃあ今まで会ってくれなかったのは?理由を話してくれなかったのは?」
ふ、と明臣が目を逸らす。
「怖かったのだよ。恨まれているかもしれない、と思ったらな。志乃から、私の事をそういう対象として幼い頃から話されているかもしれない。娘自身、きっと私を許す事はないのだろうと思っていた」
「なんでじーさんのこと恨まないといけないわけ?」
「…………駆け落ちまでしでかさなければならないほど追い詰めたのは私だ。恨まれて当然だろう」
「いやまあ、母さんはそうかもしれないけど。でも別にあなたのことを特にどうこう言ってはいなかったよ?僕を将来的に会わせたほうがいいのかどうなのか、とかは悩んでたけど。母さん自身も顔を出すべきか悩んでたっぽかったし。そもそも探し出して無理矢理見合いさせることも出来たろうに、そうしなかったのはきっとお父様なりの優しさだ、とか母さん言ってたけど」
その新の言葉を聞き終えた後、明臣は口をぽっかりと開き新の顔を凝視した。
信じられない、といわんばかりに首を横に振れば、どか、とソファの背もたれへ多少乱暴に背中をあずける。
「あの娘は……死んでも私を驚かせるんだな。家を飛び出した時が最後だろうと思ったが……そう、か。貴生君は、君にとって良い父親だったかい?」
質問に、新は微笑んで頷く。
「幸せな家庭でした。御祖父さん、進藤家はあなたを憎みも恨みもしてません」
ついに明臣は、その瞳に涙を滲ませていた。
「あれ、奈津美さん!来てたんだ」
祖父と仕事の話があるから、と聡を残して新は先にホテルの一室を出た。
すると出入り口で待ち受けていた奈津美に新は気が付く。
新を確認した奈津美が、心配顔をしつつ小走りで彼の元へ駆け寄ってきた。
「心配になって。……どうだった?」
奈津美の言葉に、新はにっこりと微笑む。
そうしてす、と右手を差し出した。
「奈津美さん、今まで本当にありがとう。今日でコンビ解散だね」
「え、じゃあ……!」
ぱ、と瞳を輝かせる奈津美に、新が微笑んだまま頷く。
奈津美はてっきり新の右手を取るのかと思えばそれでは足りなかったのか、体当たりする勢いで新へ飛びついてきた。
「うわ、奈津美さ……」
「よかったよおおおおお!!!!」
新くーん!と叫びながら奈津美が新を抱きしめるので、くす、と笑って新も彼女の身体を包み込んだ。
「……奈津美さん、ちょっと遠回りだったけど、良かったね」
「うん、うん!」
「僕も奈津美さんも、幸せになれそう」
「うんっ……!」
最早声が震えている。きっと奈津美は泣き出しているのだろう。
しかしそんな感動の抱擁に水を差すように、氷塊をひとつ落としたかのような寒々しい静かな声がふたりに直撃する。
「何をしている」
「あれ、聡さん早かったね」
眉間に皺を寄せながら不機嫌を隠そうともしない聡が、新と奈津美の横に立ってふたりを睨みつけていた。
奈津美はまだ態度が変わった後の聡に慣れないのか、その不機嫌の理由がわからずに頭に疑問符を浮かべている。
いまだ抱き合ったままの新と奈津美をそれぞれ視界に留めれば、聡は無理矢理、奈津美を自身の腕の中へと引っ張った。
思わず奈津美がうひゃ、と間抜けな声をあげる。
「我が婚約者殿は浮気性のようだ」
「……はあ!?聡さん、なにを」
「今度また男に抱きついてみろ、俺の部屋に鎖で繋いでくれる」
あまりの物言いに奈津美が目を見開いて固まっていると、聡はその様子がおかしいのか、目を細めて笑った。
「まだ自覚が足りないみたいだな?言ったはずだよ、奈津美。愛される覚悟をきちんとしておくように、と」
「いや、まあ、そうですけど、」
「独占欲も人一倍だ、とも言ったはずだ」
「でも、新君はあなたの従兄弟で」
「だからなんだ?男には変わりないし君にとっては赤の他人だ」
聡のあまりの態度に呆れてため息を吐きながら、新はまあまあ、と声を上げる。
「それくらいにしておいてあげなよ聡さん。他意はないんだから」
「新、わかっていないな。こういうのは初めが肝心だぞ。そもそも奈津美はあまりに男の機微に鈍感すぎる。もっと警戒心を持たせないことには危なっかしすぎてみてられない」
「ああ……あるかもね」
聡の言葉に、どこか納得して頷いてしまった新は、それから顔を真っ赤にした奈津美に散々怒鳴られたのだが、最終的に聡に引き摺られる彼女をみて、どこか不憫に思ってしまう自分がいて新は内心複雑であった。
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「で、細々とじいさんと話し合って来たんだ。連絡は定期的に取るとか、こまめに屋敷に顔を出すとか、色々と」
「そうだったの。……なんか十分凄い話だったけれど?」
コーヒーも二杯目に差し掛かった頃、私は話を聞きつつ新に苦笑しながら頬杖をついている。
目の前の新は、何を思ったかそう?と呟いて、急に不機嫌顔を作れば口を尖らせた。……一体なんだというのか。
「僕にとってはこんな話よりも今日さっきみた光景のがよっぽど衝撃だよ。全部片付けて帰ってきてみればよりにもよって……、」
そこで言葉を切った新は、続きを話すのも汚らわしいとでも言いたげに、眉を顰めてこちらを睨み付けて来る。……だからそれ怖いです。
「じゃ、じゃあ、新はまたここで働いてくれるってことなの?」
誤魔化すようになんとか私が切り出すと新が深いため息を吐いた。
「なんでそうなるのさ。僕はここで一緒に暮らしたいんだよ?ここで働きたいんじゃない。深咲さんのたったひとりになりたいんだ。好きだよ、僕と一生一緒にいるのは嫌?」
向かいに座っていたはずの新が気付けば目の前に迫っていた。
すぐ横に腰かけ、私の左手を取り握り締めてくる。
真っ直ぐと見つめられているこの状況。
きっと言うなら今このときだとわかっているんだけど、言葉が出ない。
いまだに私は、一哉の事も引っ掛かってたし、そうじゃなくとも彼とはっきりしないまま新にどうこう言うのは憚られて。
でもいいかげん。このうだうだ悩むのが面倒になってきた。
「だあーっっ!もう!!」
新の手を振り切ってその場の雰囲気をぶち壊すかのように叫んだ。
そうして勢い良く立ち上がった私に新はさすがに面食らったのか驚いて固まっている。
「新、ちょっとそこに座ってなさい!」
びし!と仁王立ちしながら新を指差して叫ぶと、新は何故かびし、と姿勢を正して正座しつつはい、と返事をする。
……別に正座はしなくていいんだけどね。
私はポケットに仕舞ったシルバーの携帯電話を取り出せば、操作して電話帳から相手の名前を探し通話ボタンを押した。
おそらく、まだ眠ってはいないだろう。
そう思ったのだけれど、コール音が7回を過ぎた頃に若干自信がなくなってくる。
しかし。
9回目で、コール音が止んだ。
『……もしもし?』
「ごめんなさい、もう寝てた?」
『いや、起きてたよ』
ふう、と吐き出した息と共に耳元で困ったような声が聞こえてくる。
それだけでどこかがとても苦しくなった。
再会した意味は、一体なんだったのだろうか。
単に私が成長する為に彼に出会ったのだとしたら、私にとってはプラスだったろうけれど、彼にとっては本当になんの意味があったというのか。
それを考えると居た堪れない気分になる。
「結論を言うと、ごめんなさい。どう間違ったのか、賭けは負けていなかったらしいわ」
『……どういうこと?』
「私と彼とで齟齬があったみたい。照らし合わせたら私は負けていなかった。勝ったかどうかは……よくわかんないんだけど。とにかく、残酷な言葉を吐くけれど、」
一気に言いたくなったけれど、そこで言葉が一瞬続かなかった。
けれどさすがに、今度は彼から言わせるわけにはいかない。
「……ごめんなさい。あなたとは、お付き合いできません。これからも、作家成島深咲をよろしくお願いします」
『…………深咲』
「直接会って言わなくちゃいけないのはわかってるんだけど……とにかく今言っておかないとなんだか卑怯な気がして」
電話口で、力無く笑う彼の声が聞こえた。
『わかってたよ、本当は、覚悟してたから。……しばらくはちょっと他人行儀になるかもしれないけれど、ごめん』
「……うん」
『深咲』
その声に、私は息を呑む。
『愛していたよ』
ぷつり、と電話が切れた。
唇を噛みながら、耐える。
ここで泣くのは相当駄目な女だ。絶対に駄目。
「新」
「は、はい?」
「今日はもう寝ましょう」
「はっ!?」
「あんたの部屋、そのまま使えるから。私はもうこのまんま寝る。おやすみ」
「いやいやいやいや!!」
さすがに言われるだろうと思ってたけどやっぱりか。
そのまま部屋に行こうと思ったけれど駄目だった。
だってなんか。
断ってすっきりさせたから、じゃあはい、みたいな。
せめて一日待ってくれ、と言いたいんだけれど。
新が立ち上がって私の肩を掴むと、少し屈んで顔を覗き込んできた。
「深咲さん?放置プレイなんて随分高度な技を使おうとするね」
「そういうわけじゃないけど」
「ねえ、さっきの。冴島のこと断ったんだよね?」
「そうよ」
「……なんでそんな仏頂面なの」
「地顔よ」
「…………嘘吐き」
ふ、と微笑んで、次には新が私を抱きしめた。
「泣きそうなの我慢しちゃってるくせに、嘘吐き」
「!!」
「深咲さん、今日は言葉にしたくないんだってわかってるよ。でもさ、罪悪感で苦しむんなら僕も一緒に苦しむから。我儘言ってるってわかってるけど、お願い」
「新……」
「もう、限界」
苦しみに耐えかねるように吐き出された彼の言葉に私は目を見開いた。
思わず抱きしめられた身体をずらして、新の表情を確認してしまう。
泣き出しそうなその顔に、私はまた間違えたのだ、と気が付いた。
新は、いつもつかみどころがなくて、ひょうひょうとしていて。
だから、きっとそんなに苦しまないだろうと思ってた。
でも、そうじゃない。
信じなければ、私達はじまらないじゃない。
好きでいてくれている。
そんなに苦しそうな顔をするほどに、好きだと思ってくれている。
まずそこから受け入れないと、私達はふたりでどこにもいけない。
「……賭けをしたわ」
「深咲さん?」
唐突に呟いた言葉に、新は探るような視線を向ける。
私は、落ち着かせるために小さく呼吸を一回した。
「二週間以内に帰って来なかったら、新を忘れる。探すこともしないし、最初から夢だったんだと思うことにしたの」
「……僕、戻ってきたよ?」
「ええ、そうね。戻ってきた時の内容ももちろん考えてるわよ」
くす、と笑って新の瞳を見ると、彼のそれが揺れていた。
不安と期待が入り混じったような、複雑な色をしている。
情けない、震えそうだわ。
「好きよ、新」
「!!!」
「私はきっと、今まで恋をしたことがなかったと思うの。所謂、お付き合いはしてきたけれど……ひとをきちんと好きになったのは、初めて。新、あなたは私の初恋のひとよ」
「深咲さん……って待って。い、いつから、とか、訊いても?」
……なんだか新の方が震えているような。だ、大丈夫かしら。
そしてその質問は、答えなければ駄目だろうか。
すごく嫌なんだけど、正直。
「……か、」
「か?」
「一哉と、ここでふたりきりになったときよ。キスされたときに、ああ、新の事が好きなんだなって」
「え、ちょっと待ってそんな前!!?」
なんで言ってくれないの!?と叫ばれる。
そんなことを言われても。私だって色々と葛藤があったのだ。
「落ち着きなさいよ、ちょっと。いや、まあ、だからね?私は新の事情も知らなかったから。いずれ出て行くんだろうな、と思っていたからこそ言えなかったというか」
「……そんな前から、深咲さんは僕の事好きだと思ってくれてたわけ?なんだよそれ~……」
ずるずるずる、と力が抜けたのか新が足元からくずれおちてゆく。
すっかり膝をついてしまい、がっくりと項垂れるその様子は、なんだかかの有名な顔文字のようだ。
で、まあ、これで一応。
確認作業は終了……したんだろうけどね。
ちらり、と足元の新を目に留める。
このままゆっくり後退して、自分の部屋に閉じこもっちゃえば……今日は無事でいられる、わよね?
いや、あのですよ?
さっきまではなんというか気持ちが盛り上がっていたから、なんかけっこうそういう気になったりもしててね。
ああ、このまま流されそうー、なんて思ったりもしていたんだけれど。
なんか、言ったらすっきりして。そんでもって冷静になったら。
なんでしょう、この異様なまでの気恥ずかしさは!
出来れば今日一日猶予をいただきたい、そっとしておいていただきたい。
わかってますよ、中学生じゃあるまいしっていうのはさあ!
でも前したのだって私は記憶がないわけで。
だから新とそうなるのっていうなれば初めて感覚なわけなのよ。
そして初めて両思いじゃないけどさ?そういう相手とそうなるわけ、でしょ?
……うん、なんか居た堪れない。
私はそうっと新の傍を離れようとすり足気味に一歩後退した。
が、しかし。
『がっ!』
まさしくそんな効果音がするような勢いで
新が素早く私の左足首をつかんだ。
「ひぃっ!?」
思わず上げてしまった悲鳴に、私は驚愕して固まる。
見下ろすと、やっぱり私を見上げる彼と目が合った。
「なにその声、超失礼」
不機嫌な声で新が私を睨みつける。
いやだって。怖いじゃない!
「両思いだってわかったんだよ?今お互いに好きだって言い合ったばっかりだよね?」
「…………」
無言になった私に腹が立ったのかなんなのか。新は私の足を突然引っ張った。
そんなことをすれば当然私はバランスを崩して倒れる。
頭か腰を打つだろうと覚悟したけれどそこはさすがと言っていいのかなんなのか。
新が素早く起き上がり、私の腰を支えた。
そうして中途半端な状態になった私を改めて新の身体に組み敷かれる。
……前もあったような。ここ茶の間なんですけども。
「新?あ、あの、」
「冴島にお断りの連絡もいれたし、我慢しなくていいじゃない」
「そうかもしれないけど、私がいっぱいいっぱいというか」
「ああ、初めて気持ちが通じ合ったひととだから気分は処女、みたいな?」
「そうそ……って言わすなっつうの!」
「あはは、ノリツッコミみたいー」
「ちょっと新、ふざけないでよ!」
笑っていた顔がその言葉を発した瞬間す、と真顔になる。
しまった、スイッチ押した。
「……我慢なんてとうに限界だったんだ。もう待てない」
「新、」
「何も考えられないくらい、夢中にしてあげるから大丈夫」
ガキが言うわね、くらい普通の精神だったら言い返せたかもしれない。
でも今の私は本当に十代の初々しい女の子みたいで。
ただ顔を真っ赤に染め上げるくらいしかできなかった。
「耳まで真っ赤。かぁわいい」
ふふ、と笑って囁いた新が、私をすべて食べ尽くすかのようなキスをした。