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私の憂鬱。

第八話




「深咲さん、ここは?」
「んん…すっごい気持ち良い」
「本当?でも、こっちも…すごくかたくなってるよ」
「もう、両方してくれたら良いじゃないの。あ、そこ…」
「ここも?すごいな、深咲さんの身体」
「ああ…」
 
驚きに目を見開く新に、私は再度ふやけたような間が抜けたような、なんとも情けない声をあげた。
 
「だって万年肩こりなんだものー。ガッチガチなのは職業病よ!新ってば上手ー!」
「そ?喜んでくれたなら良かった。これで許してくれる?」
 
朝ご飯を食べていつものように仕事を始める前、私は美味しいごはんをたらふく食べたにも関わらず不機嫌だった。
理由は、朝のせいだ。
 
早速というかなんというか。
許可を出した途端に新がまたも隣に寝ていた。
それは、まあ、いい。私が了承したことなのだから。
問題は、新の腕が、がっちりと私の身体をホールドしていたという事実だ。
 
正直私はそんなに身持ちが固い人間でもないので、触られることにそれ程までに抵抗があるわけじゃない。
ただ、がっちりと抱きしめられては身動きがとれないので、新を起こさない限り朝の身支度ができない。
そのせいで朝から新のくどき文句を聞かされるわ、ずっと抱きしめられたせいなのか身体が凝ってだるいわで、今日の目覚めは散々なものだった。
 
確かに変な事をしたわけではないから許容範囲内かもしれないが身体がバキバキ鳴ってしかたない。
それでずっと不機嫌な状態であった私に、新がマッサージすると申し出たのだ。
そうして現在に至る。
 
「もう、私は抱き枕じゃないのよ。そんなに一人寝が寂しいなら外で女でもひっかけたらいいじゃないの」
「ひどいな、深咲さん。僕が隣で眠りたいのは深咲さんだけだよ」
「だったらもうちょっと丁寧に扱ってよ。布団に潜られる毎に毎回身体を痛めてたらたまったもんじゃないわ!」
「ごめん。だってそんなに強く抱きしめてるつもりなかったから…」
「やっぱり鍵をかけようかしら…」
「そ、それだけは!お願い、もうしないから!」
 
後ろにいた新が慌てて前に回りこんできたと思えば半泣き状態で私の手を握り締めてきた。
…まーたこいつは。自分の可愛さを存分に使うなんて卑怯な男だ。
 
「そこらの女よりも可愛い顔で泣くんじゃないわよ、馬鹿新」
 
ぴんっと額を思い切り弾いてやれば、痛い!と新が呻いた。
当たり前だ、痛くしてやったのだから。
 
「ううー…どうしても駄目ぇ?僕、深咲さんと一緒に寝たいよう」
「あんたは…その可愛さを武器におねだりするのはやめなさい!前から思ってたけど腹立つのよ!!」
「えー、だって使えるものはつかわないと…」
「本当、可愛い顔して毒たっぷりなんだから」
 
脱力して私はがく、とうなだれた。
目の前に座る新は、ずっとこちらの様子をうかがっている。
がしがし、と頭をかいて、私が顔をあげれば、当然ながらこっちをみている新とばっちり目が合う。
ああ、なんて憎たらしい綺麗なお顔なんでしょう。
 
「あんたの仕事欄にマッサージも追加するわ。いいわね」
「深咲さん?」
「もう二度とやらないでよ?夜にも肩揉んでよ、軽く二時間くらい」
「え、それけっこうきつい「なにか文句でも?」
 
ぎろ、と睨みつけてやれば新は姿勢を正して、いえ、ありません!と声をあげた。
…よろしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
書斎に戻って、携帯電話の電源を入れる。
プライベート用のシルバーのほうだ。
原稿はもう余裕が出来たので電源を落とす必要はないだろう。
今日には終わる。
 
そう思って久しぶりに電源を入れれば、
メールを検分し、それぞれに返信する。
頭を抱えるのは、着信履歴のほうだ。
確認すればあるひとりの人物からびっしりと着信がはいっている。
ああ、憂鬱。
 
大きく息を吐いたとき、タイミング悪く携帯電話が鳴った。
うう…と呻き声をあげれば、私は仕方なく通話ボタンを押す。
 
「も、もしもし?」
『やっと出た!深咲!!4日も繋がらないってどういう事なの!!』
「いつも言ってるじゃないの、本格的に原稿に取り掛かってるときは電源を切ってるって」
『それにしたって一日の終わりくらいには確認して、そっちから連絡くらいできるでしょう!?』
「そんな暇ないわよ。その間は本当に忙しいし、なるべくならそれ以外の事を考えたくないの。集中しているから。」
『またそんな言い訳をして!そんな仕事辞めてしまえばいいじゃないの』
 
出たよ、十八番。
うんざりと息を吐き出して、私は書斎から抜け出す。
正直、この部屋で親と会話をしたくないのだ。
気分的な問題だけど、その雰囲気が纏わりつく感じがして嫌。
私にとって、仕事場はそれ以外のものの侵入を赦さない
不可侵的な聖域のようなものなのだ。
 
歩いて、私は自室へと足を運ぶと床に座って背中をベッド横にあずけた。
 
「今どれくらいの仕事を抱えているか、お母さんにはわからないかもしれないけど。私はね、おいそれと今の状態を放棄できるほど無責任じゃないのよ」
『そんなの、請け負ったものだけ片付けてしまえばいいじゃない』
 
その言葉に私はびきり、と額に青筋を立てた。
何故この母は、いつもいつも同じ会話を繰り返そうとするのだろうか。
 
「替えの利く仕事ならそれこそいつだって辞められるかもしれないけれど私は小説家なのよ。私の作品は私にしか作れないの。仕事はたくさんもらえているし、私の小説を好きだと言ってくれるひともいる。そういう人たちをみんな裏切れっていうの?」
『それは…でも、小説家ならあなた以外にもたくさんいるでしょう?芥川賞をとった偉い作家先生ってわけでもないんだから別に辞めてしまってもそんなに惜しまれたりしないわよ』
「悪かったわね、偉い作家先生でもなんでもなくて!!」
 
あああもう、腹の立つ。
この女は、本当に毎回毎回話しになりゃあしないわ!!
 
『深咲。いつまでそう意地を張るつもりだ。強がっていないでこっちに帰ってきなさい』
 
電話から聴こえる声が、女性から男性へと代わったのがわかり、私は一瞬驚いた。
 
「!お父さん…?金曜日なのに、仕事は?」
『今日は有休をとったんだ。久しぶりにのんびりしようと思ってな』
「あらそう。じゃ、邪魔しちゃ悪いから切るわね」
『待ちなさい、深咲。いいかげんにしろ、いつまで我儘を言うつもりだ?27歳にもなって結婚もせずに恥ずかしい。ここらへんの娘さんは皆それぞれ家庭に入って立派に暮らしてるんだぞ』
「お父さん。私はきちんと自分の家を持って地に足をつけて生活してるわ。あなた達になにひとつ頼らずに生きていけるのよ。それなのになにが恥ずかしいっていうの?」
『女の幸せは、堅実な男性と結婚して子どもを産み育てることだろう。お前はなにひとつそれが出来ていないじゃないか。それなのに偉そうに一人前などと主張するんじゃない』
 
傍で聞いているのだろう。そうよ、という合いの手が電話から聴こえてくる。
朝から両親のダブルパンチ攻撃に頭はぐちゃぐちゃだ。
時代錯誤な言葉の数々にくらくらする。
 
女の幸せってなんだ?何故に決め付けられなければなるまい。
本来、人間の幸せなんてもんは個人の自由だ。
それこそ、結婚したって離婚する人間だっているのに何故この両親は幸せが永遠に続くと決め付けるのだろう。
 
「私は今の生活が幸せなのよ。私にしか出来ない仕事をしてご飯を食べている。これほど素晴らしい人生はないと思っているわ」
『そんな不安定な仕事をずっと続けるつもりか?もしも人気が落ちて無収入になったって私達は助けるつもりはないぞ!』
「もしも野垂れ死ぬことになったって頼らないわよ。話したい事はそれだけよね?切るわ」
『深咲、待ちなさい!みさ…』
 
私は無視してぶつ、と電源ボタンを押すと、ぽいっと電話をベッドに捨て置いて部屋をあとにした。
ああああなんなのよ、本当に!
毎回、毎回!どうしてああ偏向的な考えしか出来ないのかしら。
 
心配してくれてる部分をなんとか抜き出して昔は健気に受け答えする時期もあったけど、
説得もむなしくなって今ではほぼ諦めている。
いっそ縁を切ってくれればと思うほどに、両親は私の嫌悪の対象になっていた。
彼らにとって私の仕事は不安定でくだらない職業。
それしかない。
 
私は、今の仕事に誇りを持っているのに。
生きる意味だと思えるほどに。
それなのに、あの言葉の数々。赦せるものではない。
 
「新!!甘いもの食べたい!!!」
 
大声で怒鳴りながら茶の間へと入ってきた私に洗い物をし終えて食器棚へと食器をしまう新が目を丸くした。
 
「どうしたの?深咲さん、すごい顔になってるけど」
「どうもこうも!朝から最悪よもう!今日は原稿なんてやらないんだからあああ!!」
 
うがあ!と苛立ちを抑えられない私に新が首を傾げてこちらへと近寄ってくる。
 
「深咲さん落ち着いて。そんな風に怒ったら可愛い顔が台無しだよ、笑ってわらって」
「なに言ってるのよ。新みたいに可愛い顔なんかしてないわよ私」
「深咲さんはわかってないんだから。あなたはすっごく魅力的だよ。僕にとっては世界一。」
 
にっこりと微笑んで、新は私の頭を撫でる。
なだめるように、よしよし、と右手を動かし続けられて、私はなんだか恥ずかしくなった。
5歳も年下の男の子に、こんな風に甘やかされるのはなんともいえず複雑だ。
 
「……ごめんね。見苦しい所みせちゃったわ」
「全然。どんな深咲さんだって僕はみたいよ?こんな風に頭を撫でる口実ができてむしろ嬉しいな」
「相変わらず、ホストでもやってたのかっていう口の巧さね…」
「えー?やったことないけど…むいてるかな、僕」
「うん、きっと新ならナンバーワンになれるよ」
「でも深咲さんにしかこんなこと言えないからきっと無理だよ」
 
ふふ、と笑って、新がぎゅ、と私を抱きしめる。
…この男は。嘘をつけ、まったくもう。
ゆるゆると身体をはなせば、新たは私の頬を包み込んで、綺麗な顔を私のそれに近づければ、ちゅ、と唇にひとつキスを落とした。
 
「言いたくないなら良いんだけど…どうしたの?」
「んー、両親からね、電話がかかってきたのよ」
 
それが何故こんなに怒りになるかわからないのだろう。
新はわからない、というように首を傾げるので、私は苦笑いして事情を説明した。
 
「上京してきたときも、私は半ば家出するかのように飛び出してきたの。あのまま地元に居れば、無理矢理にでも見合い結婚させられてしまいそうだったから」
「はー…色んな親がいるもんだねぇ」
「ほんとね。…昔はね。それでも、娘可愛さってやつかしら、なんて思えた時期もあったんだけれど。さすがにねぇ。どうしてそこまで頑ななのか。そんなに認めたくないのかしら、私の事」
「うーん…どうなんだろうね?深咲さんとご両親の間の話だからわからないけど…でも、僕は深咲さんがしてきたことを否定されるのは哀しいな」
 
微笑みながらそう言う新を、私はまじまじとみつめてしまった。
そんな事を言われるなんて、思いもしなかった。
 
「だってこんなに頑張ってるんだもの。僕は普段、深咲さんがすっごく可愛いなって思うけれど…仕事をしているあなたは別だよ。誇りを持ってモニターをみつめる姿は、凛としてすごく綺麗だ。そういう仕事をする深咲さんを、否定する権利は誰にもないよ」
「新…」
「ご両親も、それを実感すれば考えも変わるかもよ?」
「…そういうものかしら?」
 
あの両親が、そんな簡単に納得するとも思えない。
首を傾げる私に、新がふっと微笑んだ。
悪戯っぽいその表情に少し嫌な予感がする。
 
「それか、結婚でもしちゃう?」
「はあ?」
「だって結婚すれば一人前なんでしょう?だったら僕と結婚したらいいんじゃない」
「そういう意味じゃないでしょう。あくまでも専業主婦になれって言ってるのよ、あのふたりは」
「えー、そうかなあ。わからないじゃないか。僕が専業主夫になったって、意味合いは変わらないんじゃないの?」
「新…あのね」
「深咲さんが世帯主で、僕が家の主。すっごく良いと思わない?」
「…新は、やりたい仕事とか、ないの?」
 
私の言葉に、新は一瞬目を細めた。しかしそれだけで否定も肯定もしない。
つっこんで訊いても、こりゃ無駄だなー。
 
そう思って私は座り込んでいた座布団からゆっくりと腰をあげた。
 
「…深咲さん、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも。仕事するのよ」
「…今日はもうしないって言ってなかった?」
「時間は有限、〆切はいつだってやってくるのよ」
 
私の言葉に、新はくす、と笑う。
 
「深咲さん、なにが食べたい?」
「え?」
「甘いもの。欲しいんでしょ?材料がないから手作りは無理だけど、買ってくるよ」
「え、いいの!?じゃあ財布持ってくる!」
 
部屋に行こうとした私の手をとって、新が止める。
その行為の意味がわからずに振り向くと新が笑った。
 
「今日は僕のおごり。だから高いものはやめてね?」
 
悪戯っぽく微笑む彼に、私はじわじわと胸が温かくなる。
両親と会話したあとはいつもどす黒いものが心に渦巻いて、頭を切り替えるのがとても大変なのに。
こんなに簡単に、私は心が浮上していて。
嬉しいけれど、同時にどこかが危険信号を告げていた。
 
「じゃあ、コンビニでアイス買ってきて。チョコがいい」
「了解。お昼も気合い入れて作るね。いってきます」
 
ちゅ、と額に唇を落として、新は家をあとにした。
新が去ったのを確認した後、額の名残にそっと触れてみる。
 
なぜだろう。
抱いた事のないどこかの感情が妙に揺さぶられている気がする。
彼は、いずれここを去る人間なのに。
少しでも依存してしまってはいけないのに。
 
安心をどこかで求めてしまうのは、危険だ。
それなのに。
 
ゆるむ頬をおさえられないのは、何故なんだろう。
 
頭を切り替える為にも、私はそそくさと書斎へ向かえば集中のスイッチを押した。
なにがとは思わずとも、大丈夫だ、と自分に繰り返して。
 
 
 
 
 
 
―――――――――――――――――――――――
 
 
 
 
土日は日払いのバイトをしたい、と新が申し出たので、それならば、と自分も出かける事にした。
ちょうど〆切が迫っていた原稿は終えたし、息抜きするのは問題ない。
 
メールが入っていた友人と連絡をとって、久しぶりに会うこととなった。
 
 
 
 
「にしても、会えば呑んでばっかよね私達は」
「なに、不満なの?」
 
乾杯を終えてお互いにビールを一口含んだところで作家仲間である森崎もりさきに訊ねれば、まさか、と笑う。
だったら言うなよ。私以上の酒豪が。
 
森崎は私よりもひとつ年下だけれど、偶然にも同じ大学出身だと知ってから随分と気安い関係になった。
作家といっても、彼女は小説家ではなくエッセイなどを扱う人間で、その絶妙な皮肉はサブカル業界においてちょっとした人気を博している。
さっぱりとした性格も、私としては付き合いやすい要因のひとつだ。
 
「にしてもさー。電話に出た男の子って誰なわけ?」
「………」
 
ええ、くると思いました、その質問。
新に電話番を頼んでいたここ一週間、こいつも仕事用携帯電話にかけてきた友人のひとりだ。
何日目だったかしら。
 
「だからぁ、電話で言ってたでしょ?」
「『成島から事務処理の一切を任されております進藤と申します。』?」
「そ」
 
目の前にあるたこわさをお箸でつまんで口に入れる。
ぴり、と刺すような辛さが口いっぱいに広がった。
ここの、美味しいわね。
 
「その進藤とやらは何者なのよ?男でしょう?」
「さあ、どうかしらね」
「電話口の声は男だったわよ」
「だったらそうなんじゃないの?」
「あんたね、のらりくらりとかわそうとしてんじゃない!」
「お酒追加しない?私次ポン酒のーもう」
「成島」
 
呆れたような怒ったような声を無視して、私は店員を呼ぶと追加のお酒を頼む。
 
「…別に、どうもこうもしないわよ。前から身の回りの事を自分でするのは面倒になってきたなって思ってたの」
「まあ、あんた今売れっ子だもんねぇ」
「仕事量は森崎にはかなわないわよ」
「そら、小説家と私みたいなのじゃ年間にこなす数は違うけど。書いてる文字数はそんなに変わらないんじゃないの?」
「はあ、そんなもんかねぇ…」
「そーれーよーりー!なんで男なのよ?」
「んー?」
 
森崎が枝豆をつまんで口に含みつつ、殻をぶんぶんと振る。
…ちょっとマナーが悪い。
 
「雇うなら女の人のが色々とトラブルにならなくて良いじゃない。気を遣わないで済むしさあ」
「…トラブル、ねえ」
「そうよ。だってあんたが執筆してるときは家に居るんでしょ?どのくらいのペースで居座ってるんだか知らないけどさ」
 
森崎の言葉に私はそろそろと目を泳がせる。
…通いでもなんでもなく住み込みだと言えば、彼女はどんな反応をするのだろうか。
 
追加したお酒がきたので、お互いに勢い良く酒を流す。
あんまり呑みすぎるとまた新になんか言われそうだし気をつけないとな。
さすがに意識がなくなるまで呑む気ないけど。
 
「歳はいくつなの?」
「新の事?」
 
彼の事を考えていたからだろう。
思わず素で名前呼びしてしまい、私は慌てて口を噤むがもう遅かった。
その言葉に、森崎がなんともいやらしい笑いを浮かべる。
うわあ、最悪だ。
 
「なーによ、そういう事ぉ?」
「はあ?」
「誰にもみせたくないくらいお気に入りなんだあ」
「な!ちがっ!新はそういうんじゃないわよ!大体、22歳なのよ!向こうからしたら私なんて対象外でしょうが!!」
「へーえ、年下なんだ!…5歳差かあ。なによ別に問題ないじゃない?」
「だーからあ、私にも新にもそんな気はないんだってば。第一、恋仲になったところでどうだっていうのよ。未来がともなわない非生産的な事をこの年齢でやるつもりないわ」
 
めちゃくちゃ口説かれてはいますけど。
どうせあの軽口は冗談しか言わないのだ。
 
「結婚する気がないってこと?彼からそう言われたわけ?」
「だからそんな話題も出ないって。そんな色気のあるような関係じゃないのよ。弟みたいっていうか」
「…でも、この前会ったときよりも随分と雰囲気が変わったけどなあ。なんというか、艶々してるわよ」
 
じっと私の顔をみつめる森崎の目が怖い。
真顔でそんなことを言われるとどうしたらいいかわからないじゃない。
にしても、思った以上に食いつくわね、この話題。
 
「新は、確かに安心を与えてくれる子ではあるけれど男を感じたりする事はないわ」
「安心ねぇ…上々じゃないの。この歳でそれを与えてもらえる相手を、みすみす逃す馬鹿はいないわよ。手篭めにでもしてしまえ!」
「あーのねぇ。もしそうなったとしたって責任取れもないでしょう。箱入り娘でもないんだから」
「メロメロにしちゃえばいいじゃない、年上のお姉さまとして」
「そんな技持ってないわよ!」
「まあ、あんた淡白そーだもんねー」
 
けらけらと笑いながら酒を含む森崎が憎い。
なんだってそうあけすけと言うかなこいつは。
こういうところが好きだと思った先程の心を早くも撤回してしまいたくなった。
 
「…っとごめん、電話。………ちょっとトイレ行って来る」
「なによ、ここで出れば良いじゃない」
「でも」
「大丈夫よ、別に電話駄目なお店じゃないんだし。ほらほら」
「………」
 
だって、新からなんだもの。こいつの前で出たくないよおおお!
でもヘタに勘繰られても嫌だし、しょうがないか。
観念して、私は通話ボタンを押す。
 
「…もしもし?」
『あ、深咲さん!やっと出たー。10コールしても出ないんだもん酔っ払ってふらふらなのかと思った』
「何言ってんのよ、まだ宵の口だっつーの」
『そこまでしっかりしてれば大丈夫か…あのさ、なんか夜食とか用意する?呑んだあとってなにか食べたくなったりするでしょう?』
「そんな事で電話してくれたの?いいわよ、帰り遅くなるだろうし。明日だって仕事なんでしょう?気にしないで早く寝なさい」
『大丈夫だよ、明日は夜から朝にかけての仕事だもん。むしろ中途半端な時間に寝ると辛いから、起きて待ってる』
「はいはい、好きにしなさい。でも用意はいいわよ」
『そう?わかった。あんまり遅くなるようだったら僕、迎えに行こうか』
「いいってば、朝帰りだってザラだし。って、ああ!ちょ、森崎!?」
 
話していた途中なのに、なにを思ったのか森崎が電話を取り上げると勝手に話し始めた。
 
「はじめまして、成島の友人の森崎です。ひょっとして、新クン?」
 
弾んだ声で話しかける森崎に、私は狼狽する。
ちょっと、なんで会話してんのよ!
というか電話口で新がなにを話すのかが心配でたまらない。
大丈夫なんだろうか。余計な事言わないといいんだけど。
 
なんとか電話をとりあげようとするけれど、あまりうるさく騒ぐと店の迷惑になるし、私はどうしても大きな抵抗ができない。
 
そうこうしてるあいだに、森崎がピっと電話を切った。
ちょっと、勝手に切らないでよ!
 
「成島、出るわよ」
「は?なんでよ、まだ21時…」
「いいから。二次会には少し遅いくらいでしょ」
「二次会って…お店移動するの?」
 
私が首を傾げて疑問を口にすると、森崎はにやーと笑った。
 
「あんたの家よ。泊まらせてもらうわ、今晩」
「は!?」
「さ、いくわよ」
「ちょ、ちょっと待って、森崎っ!」
「ここは私がもつから。ほらほらさっさとしなさいよ」
 
目の前の友はなにを言っているのだろうか。
家って、家って!
普段なら抵抗しないけど、今はまずい!!
だって新が私の家に住んでいるし、許可だってとってないのに!
 
「駄目よ、私の家は!」
「新クンになら許可取ったわよ。是非どうぞって。良い子ねぇ」
「はあああ!?」
「洗いざらい吐いてもらうわよ。さ、来なさい!」
 
会計を済ませて店を出た森崎は、嫌がる私をひきずって駅への道を歩きだした。
 
誰か、この女をとめてええええ!!


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