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私の憂鬱。

第七話




伸びをして、いつものように朝を迎える。
それが日常であるはずなのに、なんだか今日はいつもよりも清々しい気分。なぜだろう。
 
…ああ、そうか。
 
私はその事実に気が付いて、ふ、と微笑んだ。
 
「やっぱ部屋に鍵かけて正解だったわね。意識はなくとも、ひとりで寝るほうが確実に体力が回復するわ」
 
こきこき、と首をまわす。
あー、なんだか筋肉が軋むみたいな音も歳を感じさせて嫌ね。
…今度なんか運動とかしようかしら?
いや、面倒くさいかな。
 
結局、結論としてなにもしない。
こんなだから寄る年並みには勝てない、とか思っちゃうのだ。
だったらせめてそれに抗う努力くらいはしたら?とも
思わないではないけれど。
しかし磨いた所で誰にみせるでもないので、私は最後にはいつものように開き直ってしまう。
大体、仕事が忙しいんだしそんな暇あるはずがないのよね。
息を吐いて私は立ち上がりもういちど伸びをした。
とにかく、もう起きよう。
 
そう思ってがちゃ、と部屋の扉を開く。
そのときだ。
 
本来なら開いた扉の音しかしないはずなのに、ごとん、という鈍い音が室内に響き渡り、内開きの扉が部屋側に動いたと同時に、なにかがなだれこんでくる。
ひえ、と悲鳴をあげて飛びのいたものの、その正体はすぐにわかった。
 
「あ、新…!?」
 
驚きに目を見開けば、そこにいるのはすっかり見慣れた同居人。
なぜ彼がここにいるんだろう、と思ったけれど、ひょっとして廊下で眠ったんだろうか。
それとも、なにかの発作が起きて倒れたとか!?
 
私は慌てて彼に近寄り、ゆすってもいいものか悩みつつも、とりあえず呼吸を確認してほ、と息を吐く。
 
「なんでこんなところにいるのかしら…?寝ぼけ癖とかあるのかしらね、この子」
 
とりあえず、このままほっておくわけにもいかないので起こそうと思ったが、どうしてもゆするのがためらわれてしまい、私は寝そべる彼の耳に最大限顔を近づけた。
 
「新、起きて。眠るんならベッドで寝ないと身体をおかしくするわ。ねえ、新!私じゃ運べないんだから起きて!?」
 
半ば叫ぶように新の耳元で話しかける。
すると、ぴくり、と新が眉を寄せて反応したので、起きたか?と私が身を起こそうとしたそのときだ。
 
真横にぴったりと寄る姿勢だったのが災いしたのか、新の腕がぐん、と私を引き寄せてあっというまに新の上に重なるように倒れこんでしまった。
 
驚いてうわあ、という声をあげつつ、重いだろうしさっさとどこうと思うも新の腕が背中までがっちりと回されていてそれがかなわない。
 
「ちょ、新、寝ぼけてないで起きてよお!もうっ昨日の相手と間違えてるの!?私は深咲だってば!!」
 
慌ててそんな事を言えば、背中に回されている新の手が怪しくゆっくりと動き始めた。
私の背中を、撫でるように上から下へと二本の腕が這ってゆく。
徐々に下へと下がるその動きが、無邪気なそれではなくどう考えても色気を含んだ雰囲気があって私はさすがに狼狽した。
 
「ちょ、新、いいかげんにしなさい!違うってば!!」
「…深咲さんでしょ?わかってるよそんなこと…。好きこのんであなた以外を抱こうなんて思わないもの…ああ良い匂い」
「ななななななにを!!!」
「深咲さんの身体やーらかいなぁ…だーいすき」
 
ふふふ、と笑って新の手が危ないゾーンまで侵入してきたので、さすがに私は全力で待ったをかけた。
 
「起きてるのも間違えてないのもわかったのならどきなさい。追い出されたくないんなら!」
「……ちぇ。それを出されると僕はなにも出来ないって知ってるくせに。ずるいなぁ、深咲さんは」
 
そう言ってぱ、と新が身体から腕をはなしたので私はすかさず新の上から飛びのいた。
せっかく朝から体力を使わずに済んだと思っていたのに、またしてもとんだハードなものになってしまった。
 
「新、なんだってあなたこんな所にいるのよ?まさか廊下で眠ったんじゃないでしょうね」
「だって、昨日も深咲さんのベッドに潜り込もうと思ったのに深咲さんてば部屋に鍵をかけてるんだもの」
「警戒しろって言ったのあんたでしょうが」
「そういう警戒の仕方は望んでないよ。昨日みたいな日は…なにもしなくても僕は深咲さんの傍で寝たい。だからせめて、部屋の扉にぴったりくっついていようと思って…」
 
その言葉に、私はぎょっとする。
ということは、この子やっぱり廊下で一晩過ごしたの!?
 
「馬鹿ね、身体をおかしくするわよ!」
「でも…そばで寝たかったんだ。」
「新?」
 
昨日もそうだと思ったけど、どうにも様子がおかしい。
一体どうしたっていうんだろう。
私はしばらく額に手を当てて考えたが、やがてふう、と息を吐いた。
この結論が果たしていいものなのか。
いや、駄目に決まっているんだけれども、なんだか。
 
「…わかったわよ」
「深咲さん?」
「いっしょに眠りたいというのは、変な意味ではなくてそのまま、隣で睡眠できればいい、という事よね?」
「え…」
「どうなの?それともあんたはヤりたいだけなの?」
「違うよ!深咲さんの存在を感じて眠ったら…安心できるんだ、すごく」
 
その言葉に私は頷いた。
 
「なら、いいわよ。ただし、この前みたいに私の身体に変な事をしたら、あんたには即刻出て行ってもらうわ」
「え、それって…」
「また廊下で眠られるなんて冗談じゃないわ。私だって人間なんだから心が痛まないわけじゃないのよ。もしも約束出来ないんなら私はやっぱり鍵をかけるけれど、触れないって言うんなら、私は部屋に鍵をかけたりしない」
「深咲さん!」
「うわっ」
 
飛びついて思い切り抱きしめられて、私は体重を支えきれずによろめいた。
けれども尻餅をつくことなく済んだのは、新がすんでのところで私ごと状態を支えたからだ。
…感情表現が相変わらず激しい子だわ。
 
「言っておくけど!いつもじゃないわよ。どうしようもないときよ!?眠れないときとか!」
「わかってるよう。あんまり念押しされると逆なことしたくなっちゃうから、それ以上言わないで」
「新、あんたね…」
「深咲さんは優しいね。僕を拾ってくれたのがあなたで嬉しい。大好きだよ」
「…はいはい」
 
呆れてこれ以上なにも言う気が起きなくて、私はべりっと新をひきはがした。
 
「私、今日本格的にこもるから。一日中書斎から出てこないと思うわ。悪いんだけど食べやすいもの用意して書斎に運んでくれる?電話番を出来れば今日もお願いしてもかまわないかしら」
「それはもちろん良いけど。朝・昼・夜とも僕と食べてくれないってこと?寂しいよ」
「あのねえ。私はこういう職業なのよ、仕方ないでしょう。修羅場になったらこんなもんじゃないわよ?ま、私はあまりギリギリな仕事をするほうではないけど」
 
少し不機嫌になった新にひらひらと手を振って、朝起きてからの一連の動作を済ませれば私は書斎へとこもる。
執筆作業に入る直前、いつものように眼鏡をかけ、ぎゅっと髪を後ろ一本にしばる。
すると私の集中のスイッチが簡単に入るから不思議だ。
もう、目の前のもの以外なにも見えない。
 
この瞬間、思うのだ。
たとえ今世界がどうにかなってしまって自分ひとり生き残っても、私はきっと寂しくない。孤独でもない。
 
それだけ目の前の世界に入り込んでしまうこの瞬間が私は好きだしなによりもこの為に自分は肉体を与えられたのだと感じてた。
だからこそ、欠陥品であっても生きている事を許されてると思う。
 
私は、いいのだ。
愛することを知らなくたって。
 
きっと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「新!」
 
駅前で手を振る女性は年齢でいえば深咲とそう変わらない様子だったが、随分と種類は違うように思えた。
深咲の髪はまっすぐなストレートで、肩より少し下の黒髪であるが、女性は明るく染め上げた茶色い毛をくるりと巻いて
短いスカートを翻しながら小走りで目当ての青年へと近付いた。
新、と呼ばれた男はその綺麗な顔に笑みを作り優しい声音で女性の名を呼ぶ。
 
「奈津美さん、ごはんはもう食べた?」
「忙しくてタイミング逃しちゃったの」
「あらら。それじゃあ何か食べていく?」
「いいわよ、ルームサービスを頼むわ」
「そう?」
 
新が可愛らしい仕草で首を傾げると、奈津美と呼ばれた女性はぽ、と頬を染め上げる。
にっこりと笑いながら新の腕にするりと自身のそれを絡ませて甘えた声を出しながら先へと促した。
 
慣れた様子でホテルの一室を借り切ったふたりは、睦言を囁きあいながら、行為へと没頭してゆく。
 
あるいは、没頭しているのはどちら一方なのかもしれない。
どこか冷静な顔をする新を、奈津美は薄れ行く景色の中でみつめれば不安に駆り立てられるかのように抱きしめた。
 
新は、にっこりと笑う。
まるですべてを魅了するかのような輝きを放って。
 
 
 
 
 
 
 
 
シャワーを浴びて、バスローブ姿になった奈津美が、ベッドから降りてぼんやりと窓の外をながめる新の背中にすり寄った。
 
「ねぇ、新。最近会えなくて寂しいわ」
「僕もだよ。ごめんね、ちょっと仕事が忙しくて」
「一年目ですものね、精神的に参っちゃうでしょう?社長も、武者修行なんてさせないでウチの会社に入れればいいのに。そうしたら私だってもっと新と頻繁に会えるのに」
「そんな事言っていいの?婚約者殿との付き合いだってあるんだろう?」
「もう、意地悪言わないで、新ってば!」
 
赤くなる奈津美の顔に、する、と新は手を這わせる。
つるりと頬を撫でている彼の表情からは、何を考えているのかはわからない。
 
「あのひとは、仕事が恋人みたいなものだもの。私の事なんてほぼどうでもいいんだわ」
「そんなこと言ったら、彼が悲しむよ。そのうち旦那様になるんだろう?」
「そうだけど…今は、新の方が私は大事だもの」
「…奈津美さん、嬉しいよ」
「新…」
 
熱っぽく見つめあうふたりは、どちらかともなくキスをして、自然な流れでベッドへとなだれこんでいく。
 
「新、好きよ」
 
ベッドで翻弄されながら、奈津美が吐息混じりに言葉をぶつける。
それを耳にした瞬間、新は目を細め口端だけで微笑めば、先程のように嬉しいよ、と応えるように呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真夜中になり、新はいつものように家へと帰れば、身体を清めに成島家の浴室へと向かった。
 
「香水の匂いで鼻がおかしくなりそう…」
 
嫌そうに顔を顰めながら、新はごしごしと身体を洗う。
まるでその残り香を忌々しいとでも言いたげに必死になって先程の行為の名残を洗い落としていった。
 
風呂から出れば新たは台所へと直行し、冷蔵庫を開ける。
特に空腹というわけではなく、あることを確認する為だ。
 
「よし、ちゃんと食べたな」
 
作っておいた晩ご飯がきちんとなくなっていることに
新は安堵の息を吐く。
気付けば先程までの貼り付けたかのような笑顔はなりをひそめなにかを愛しむような優しい笑顔が顔中に広がっていた。
 
「明日のご飯はなにがいいかなぁ。あ、晴れるから洗濯物一気に片付けちゃおう。」
 
ふふ、と笑いながら明日一日のスケジュールを確認する。
その顔は本当に楽しそうで、深咲が見たら変な子ね、などとツッコミをいれられてしまいそうだ。
 
歯を磨き終え、あとはもう眠るだけだ。
そろそろと廊下を移動し、ひとつの扉の前で足を止めればゆっくりとドアノブを回す。
がちゃり、と音がして部屋への入り口が開いたのがわかれば、新はにんまりと笑んだ。
 
本当に、深咲はお人好しすぎる。
心の中をのぞかなくとも、呆れたような嬉しそうなその顔は如実にその言葉を表情によって浮き彫りにしていた。
 
今日も何故だか左側に寄って寝ている。彼女の癖なのだろうか。
 
「…彼氏が最近まで居た名残じゃないだろうな」
 
まるで隣に居場所を確保するかのようなその寝相に、少々、不機嫌になりながらも新は深咲をまたぎこの前の晩のように懐へとすべりこんだ。
文句を言いながらも、結局は深咲のその癖の恩恵をちゃっかりと受けている。
新は満足したように微笑めば、駄目だと言われたにも関わらず、うしろからぎゅ、とその身体を抱きしめた。
 
「はー…超いい匂い」
 
ふやけたような声でぼそりと呟いて、新は深咲の後ろ髪に顔を埋める。
しばらくそれを堪能すれば、今度は顔を少しずらして、深咲の耳元へと口を寄せた。
 
「ねえ、深咲さん?僕なんかに好かれたら、あなたは迷惑?優しさにつけこむ卑怯な男だって、思う?」
 
耳元で囁いているにも関わらず、まったく起きる気配のない深咲に新は呆れたようにため息を吐いた。
 
「…深咲さん、大好き」
 
その言葉を最後に、深咲と新の寝息が部屋全体に響いた。
夜は、ただ穏やかにふたりを包み込んでいく。


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