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私の憂鬱。

第六話




あー…眩しい。もう朝みたいね。小鳥のちゅんちゅんて声が聴こえる。
カーテンひいてもけっこう光がもれるから、なんかいつも一回は朝に目が覚めちゃうのよねぇ…。
昼まで寝たい日とかもあるんだけど。7時とか8時とかかな。
 
ぼんやりとした頭で私は開けたくない目をゆっくりとあける。
サイドボードにある携帯電話をまさぐると、すぐに目当てのものにこつん、と指先がぶつかった。
赤い携帯電話は常に電源を切らずに傍らに置いてある重要なものだ。
ともすればプライベート用のが失くしても困らない。
 
私は小さい画面が表示している時間を確認してやっぱりな、とうなずいた。
現在時刻は朝の7時20分。
いつも時差はあるけれど1~2時間ずれる程度で、大体この時間帯に起きてしまう。年寄りかと思わなくもない。
 
「あー…シャワーでも浴びようかしら…」
「いいね、いっしょに入ろうか?」
「!?」
 
かえってくるはずもない声に驚いて、私はぐりんっと横を向く。
気付けば横向きに寝転がっている新がこちらをみているではないか。
なぜ今まで存在に気付かない。いっそすごいな私。
あまりにもひとり生活に慣れすぎててどうにも他人がいる感覚が鈍い。
いやいや、それよりも。どういう事だろう、これは?
私は頭を抱えて昨日の夜を反芻しようとした。
 
「…私、普通に寝たはずよね?」
 
そう、昨夜はごはんを食べて、洗い物をして…お風呂は明日でいいかと思って着替えてそのまま寝たはずだ。
酒だって缶ビール一本しか呑んでいない。記憶ははっきりしてる。
 
しかし、新が夜に忍び込んだとしたら不可解だ。
何故かって私は手前に寝ていたからこそサイドボードに手をのばせたのだ。
壁と仲良く寝ているのが新だから、私が招きいれたんじゃない限り、彼がいっしょにベッドに入っているこの状況は考えにくい。
 
「深咲さんとすると夢中になりすぎてすっごい疲れるんだよねぇ。おかげでよく眠れたけど」
「ちょっと、なにさらっと嘘吐いてんのよ」
 
即答すれば新が面白くなさそうな顔をする。
そう、この状況は不可解ではあるけれども、さすがに騙されない。
身体がどうともなってないんだもの、いくらんでもありえない。
記憶がなくとも具体的にやったかやってないかくらいわかるわよ。生娘でもあるまいし。ちょっと下品な表現ではあるけれど!
 
「ちぇー、さすがに無理か」
「にしたってなんで新が隣で寝てるの?私、寝ぼけた?」
 
夢遊病の気はないはずなんだけど。どういうことだろうか。
それに新が呆れたようにため息をつく。なにかしら、この反応。
 
「深咲さん、すっごい眠り深いでしょ」
「え?ええ、まあ…その時々にもよるけれど」
 
言われてうなずく。確かに私はけっこう熟睡するタイプだ。
 
「本当は手前に寝ようと思ったんだけどさ、深咲さん左側に寄ってるもんだからまたいで奥に寝たの。全然気付かないからびっくりしたけどねー。僕は壁と深咲さんに挟まれてるから、落っことされる心配もないじゃない?おかげですっごく良い夜を過ごせたよ、ありがとう」
「はあ…それは良かった…?」
 
ん?ちょっと待て。どういう意味だ。
こいつは、隣でおとなしく天使の寝顔ですやすやと眠っていたのではないとすれば、おのずとなにをしたかなんて察しがつくってもんだけど…。
 
そろり、とTシャツの襟口をつまんで中を確認してみる。
新がベッドでにやにやと笑っているのにも気付かずに、あるものを確認して私は固まった。
 
「…ちょっと新。あんたね、人が寝てる間になにやってんのよ!」
「もー言ったじゃないか、もっと警戒したほうがいいって。そりゃ最後までする程、僕だって鬼畜じゃないけどさ。隣で可愛い顔して寝てるんだからそそられないわけないじゃない」
「隣で寝なければいいでしょうがあ!」
「だって深咲さんてば、無防備に可愛い顔で熟睡してるんだもん。据え膳食わぬはなんとやらって言うじゃない」
「それを言うなら、武士は食わねど高楊枝よ!」
「僕、武士じゃないし」
「あーらたあああああ!!!」
 
ああ言えばこういう精神なのか、まったくもって腹立たしい。
うがー!と私が新に襲い掛かっても、彼にはどうせ力ではかなわない。
笑いながら一応の謝罪はするけれどまったく悪びれた様子もなくて、さすがに私は部屋の鍵くらいはかけよう、と心に誓った。
 
…なんだって寝ている間に無数のキスマークをつけられなきゃならん。
返してくれ、私の安眠ライフを。
 
「マーキングだよ、マーキング。それがある間はとりあえず他の男は深咲さんの事、抱く気にならないかと思って」
「誰が私みたいなのを抱くか!そんなのここ数年ありゃしないわよ!」
「えー、その割りにあの夜は感度良かったけど…あ、久しぶりだったからか」
「新!!」
「あははは、ごめんってば。すぐ朝食作るからその間にシャワー浴びておいでよ。そうすれば僕にのぞかれる心配ないでしょ?」
「あんたは、まったくちっとも反省してないわね!?」
「だって隙あらばくっついてたいんだもーん」
「もーん。じゃない!可愛こぶるな!猫の皮をかぶった狼が!!」
「えーなにそれ」
 
まったく本当に、これさえなければとってもいい拾い物だったのに。
なんだってこうなのかしら、この子。
…朝から疲れるから勘弁してほしいわ。まったくもって。ああ…。
 
大きいため息をついてシャワーを浴びに風呂場へ行ったはいいけれど、さすがに悲鳴をあげそうになった。
上半身はまだ許せなくもないけど(嫌は嫌だけど)、さすがに…太腿の内側にキスマークがついているのにはびっくりした。
マジであいつ、ひとが眠ってる間になにしてくれやがる。
…発散する為に外へ出たんじゃないのかしら?
まったくもってわかんない子だわ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「新、あんた何考えてんのよ…」
 
朝食の支度をちょうど終えてエプロンを外していた新は、ちゃぶ台にごはんをセッティングすると出入り口に突っ立っている私に視線を向けた。
 
一瞬、首を傾げた(相変わらずその仕草腹立つな)新だったけど、私の言いたい事をすぐに察したのだろう。
ああ、と短く返事をして天使のように微笑む。
…中身は悪魔みたいな子だけどね。詐欺みたいな男だわ。
 
「ん?だってやっぱりやる気を失くさせるような場所じゃなきゃね。今現在、僕は深咲さんが誰かとそうなっても文句を言える立場じゃないけど、かといって何もせず指くわえてみてるのは主義に反するんだ」
「だーかーらぁ、私に男の影なんて心配せずともありゃしないっての。それに、万一そういう存在が出来たとしたって、あんたが落ち着くまでここから追い出したりなんかしないから安心しなさいって」
 
その私の言葉が気に食わなかったのだろう。新は口を尖らせる。
 
「まだそんなこと言うの?まったく深咲さんは…まあいいや、ごはんが冷めちゃうから先に食べよう」
 
そう言って目の前の食卓に目をやる。
見るとそこにあるのはザ・日本の朝だった。
輝く白いご飯、焼き鮭、卵焼き、豆腐とわかめのお味噌汁。
漬物はきゅうりで、昨日具財にした残りなのだろう、ごぼうサラダも添えてある。
 
「うっきゃー美味しそう!新が家にきてくれて良かったと思わずにはいられない瞬間ね!いただきまーす!」
 
先程の不機嫌はどこへいったのか、私は顔を輝かせ目の前に鎮座まします素敵な朝食に両手を合わせて挨拶をした。
そうしてまず、卵焼きへと箸をのばしてぱくついた。お、美味しいいいい!だし、だしが入っている!
 
幸せいっぱいで咀嚼していると、新は半ば呆れたようなため息をついて、すっ、と緑茶の入った湯呑みを差し出してくれる。さすが。
 
「ありがとう、新も食べないの?」
「うん、食べるけど…なんというかふやけた顔だよねぇ…。毎日この顔見れたら幸せだって本気で思ってるんだけどなぁ」
 
ん?後半部分なんて言ったか聞き取れなかったけど、まあいいか。
いただきます、と言って新もご飯を食べ始める。
前も思ったけれど、新はなんというか食べ方が丁寧だ。
綺麗というか、お上品というか。
これだけでも育ちのよさがなんとなーく、うかがえるんだけど。
かといって作るものの味は庶民的なのよね。
金銭感覚もズレてるわけではないし。
最近は野菜がどれもこれも底上げ価格になっているから新は特に葉物を前にしてぶつぶつ高い…とか呟いてたし。
レタスとかキャベツとかいっこいっこ検分して軽いな…とか言ってる様子もなんというか、どこの主婦?と思ったものだし。
 
私はそこらへん無頓着であまり気にしないのよね。
大体あまりまとめ買いをしないものだから、あったら買う、みたいな事ばかりしている。
不経済だとわかってるんだけど、どうにもあまり節約しようとか思わない。
私はとことん家庭的って言葉とは無縁だわ。
 
もくもくとご飯を食べ終わって満足した私は、ごちそうさま、と言って食器を下げた。いくらなんでもこれくらいはしないとね。
新はまた食後のお茶を足してくれてる。うーん、気が利く…。
ありがとう、と言ってまた一口お茶を飲む。
新って料理だけじゃなくてお茶を入れるのもすっごく上手なのよね。
そうして頭がぼんやり溶けかけた所で、私ははっと気が付いた。
 
「そうだわ新。給料の事なんだけど。月末払いとかにしたほうがいいのか、週払いがいいのか、日払いがいいのか。ちょっと悩んでるのよ。ていうか正式雇用をするんなら色々と手続きしないといけないし、どうしたもんかしらね」
「僕は特に気にしないけど…いっそ、給料なんてなくても良いんだけどな」
「そういうわけにもいかないわよ。雇うって決めた以上、そこはしっかりと線を引いときたいわ。新だって外に働きに出られないから困るでしょう?」
「うーん、まあそうだけど…なんか仕事上の関係っていうのは嫌だな」
「私だっていいかげんな仕事に賃金を払おうとは思わないわ。新の仕事にそれだけ価値があると思うからこそ無報酬なんていけないと私は思ってたりするんだけど」
「…そう言ってもらえるのはすごく嬉しいよ。ありがとう、深咲さん」
 
少し不機嫌になりそうだった新が微笑む。
私もその様子が嬉しくて、つられて笑った。
これは本当に私の本心。大人である以上、それこそ労働の意味をわかっていない人間にお金を払おうなどと思わない。
 
「でもやっぱり…雇ってくれと言ったのは僕なんだけどさ、正式に給料いくら、とか決められちゃうとなんだか居辛いんだ」
「あら、そう?でも無収入な状態でいるわけにもいかないでしょう。それに新には家事やら電話番やらやってもらってるんだし私も心苦しいわよ」
「うーん、それじゃあさ、生活費とか食費とかは免除してもらってもいい?家事とか全部引き受けるかわりに、僕は生活する上でのお金は深咲さんに負担してもらうの。ここにいる間はそれこそ光熱費も水道代も僕は払ってないし。でも僕がたとえばどこか行くのとか、なにか外でするときのお金は僕自身が外で稼いでくる。それじゃあ、駄目かな?」
「かまわないけど…じゃあ家を空けるって事よね?」
「日払いの派遣の仕事とかにするよ、それなら負担も少ないでしょ?それか、週に2日とかしか働かないようにしたり」
「新…本当にそれでいいの?あなたばかりが大変じゃないの」
「そんなことないよ。食べたり寝たりがタダで出来るんだから、すっごくありがたいもの」
「うーん…本当にいいの?せめて電話番はナシにしようか?」
「駄目だよ、それは。僕雇われてる人間だって言っちゃったもの。それも続けるから。大丈夫」
「そう…?うん、わかった。新がそれでいいんなら、いいわ。でも疲れた時は無理せずに家の仕事は手を抜きなさいね。私だってまったくできないってわけじゃないんだから」
「ありがとう。…深咲さん、好きだよ」
 
そう言って、新は私の唇に軽いキスをした。
相変わらずこういう事は抜け目ない奴。
 
自分でも、こんな優しい言葉をかけた事は以外だったけれど、きっと思った以上に彼との生活は馬が合っているのだと感じる。
なんだか気を遣わないで自然体でいられるのはすごく楽なのだ。
 
新が言ったら怒りそうだけれど、男として意識している部分がほぼ皆無だからなんだと思う。
ことあるごとに彼はスキンシップと称して色々なものを求めてきては、私の身体に悪戯を仕掛けてくるけれど、あまりそれにたいして色気も危機感も覚えないのだ。
 
なんでかって言ったら、…多分だけど、新は手加減していると思う。
本当に本気になれば多分あれは完全な雄になるのは造作ないことで、きっと私を固くするのも簡単なのだ。
 
でも今は懐に入ることを最優先にして警戒心を解くその時を、彼はずっと慎重に狙っているのだ。
 
狼は獲物が堕ちて来るのを今か今かと待っている。
そうして完全に私が綻びをみせたとき、彼の中にある男が姿を現すのだろう。
…そこまでわかっちゃってるのが私の可愛くない所なんだけどもさ。
どうしたものかしら。
狐と狸の化かし合いよろしく、ずっと牽制しあって。
それも疲れるし受け入れるふりでもなんでもしてみる?
 
でもそれって、物質的に言ってしまえば抱かれるっつうことよね。
それはちょっと嫌だわ。
…正直、子どもができるのだけは勘弁してほしい。
私は生まれてこのかた、女に生まれた以上は子どもを産みたいとかそういう概念を抱いたことがない。
私はどっかしらが欠陥してるんじゃないかと思うのだ。
それは両親をみてきたからそう思うのかわからないけれど、とにかく、本当に好きになった人間が出来たら…
そんなことも思うのかもしれないけれど。
避妊って100%じゃないし、そのパーセンテージを高めるやり方は色々とあるけれども。
そこをやってまで誰かと交わりたいのかと言われたら…
 
面倒だからやらないにこしたことはない。
というのが本音。
 
だから新には、ずっと臨戦態勢になる前の状態を保ってもらおうかな、なんて、随分とずるい事を考えている。
もしくは、目的を早いところ探るほうが楽なのかしら。
せめてあの子の心が治ってからとも思ったけれど…そもそも壊れてたとしてどうやって治せばいいのかしら。
ふぅむ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今とりかかってる原稿は、両方とも短編作品だから書くのにそれ程の時間はかからない。
さすがに長編を一気にふたつも書き上げるのは無理だ。
頭がパンクするだろう。
 
このままいけば週末にはなんとかなりそうだし、かなりの余裕があるから気が楽になる。明後日あたりには一本上がるだろう。
 
時計をみると20時をまわったところだった。
少し休むか。
そう思って書斎の扉を開けたそのとき。
 
玄関から物音がきこえてふりかえってみれば、そこには靴を履こうとしている新が立っていた。
 
「あら、出かけるの?」
 
近寄って後ろから声をかければ、新の肩がびくりと揺れる。
緩慢な動作でこちらに振り向いた新はなんだか無理に微笑んでいるような顔をしていて私はわけがわからなかった。
 
「深咲さん…原稿、ひと段落したの?」
「え、ええ。ちょっと休憩しようかしら、って」
「晩ご飯、冷蔵庫に入っているから横着しないで温めてね」
「わかってるわよ。冷めたごはんは美味しくないもの」
「ふふ、そうだね、深咲さんが面倒くさがりでもそこはちゃんとやるか」
「えーえー、人一倍、食い意地はってるもの」
 
どうせね、と言いつつ苦笑すると、新が声を上げて笑う。
…いつもの彼に見えるけれどやっぱりどこか緊張している?
私はなんとなく気になって、新の頭に手をのばす。
本当にほぼ無意識に、気付けば彼の頭を撫でていた。
 
「み、さき、さん?」
「新は、とーってもいい子よ」
「…なにそれ。僕もう成人男子だよ?」
「そうねぇ、じゃあ、とってもいい男よ」
「そんなとってつけたような」
 
ぶす、と口を尖らせる新にふ、と微笑んで私は腕をのばしすっぽりと頭を抱え込んだ。
玄関の段差のおかげで、今の私は新よりも少し身長が高い。
 
「今はここがあなたのおうち。疲れたらすぐに帰っていらっしゃい」
 
頭を抱え込み、微笑みながらそう言ってやる。
なぜだか、言ってあげたくなったのだ。
大丈夫だからねって。傷付いても癒せる場所が、今はあるんだからねって。
とても儚げに笑う彼が、消えてしまいそうで怖かったのかもしれない。
 
いつまでもそうしていても仕方ないので、私はゆるゆると拘束を解いた。新は少し驚いたような顔をしている。
それがなんだかおかしくて、私はくす、と笑った。
 
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」
 
そのとき。新が泣きそうな顔をして笑った。
今度はその表情に私が息を呑んでいれば、新がそっと唇にキスをする。
そうして惜しむかのように、私の頬にすり、と手を這わす。
それがなんだかくすぐったくて身を捩れば新が手をどかして頬にもキスをした。
 
「…深咲さん、僕ね、本当に深咲さんが大好き」
 
ふわり、と花が咲くように微笑んで新はいってきます、と家を出て行く。
足音が消えてもしばらく呆然と立ちすくんでいた。
 
…胸騒ぎがするのは、何故なのだろう。
彼が外でなにをしていても私はかまわない。
けれどもそれがなんらかの形で彼が傷を付ける行為なのだとしたら、私は見送って良かったのだろうか。
 
けれども他人の自分に、これ以上彼の中へ介入する権利などない。
いや、そうじゃない。わかっている。今、私は逃げた。
よくないことだとわかっていつつ、彼と私に線を引きずるい大人の言い訳をしたのだ。
 
しん、と静まり返った我が城は、いつもの慣れ親しんだ日常であったはずなのに、すっかり私を落ち着かない気分にさせていた。


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