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私の憂鬱。

第五話




目の前の光景に思わず目を疑ってしまう。
えーと。
勘違いではないのだとすれば、というかこれが現実なら勘違いじゃないわよね?
新と、あっちは佐倉だ。なんでいるんだろう。
茶の間の、ちゃぶだいで。シチュエーションはちょっと雰囲気ないけれど端正な顔の男ふたりが熱く見つめ合っている。
なんだろう、そのテの趣味がある女性ならば喜んで写真とか撮りそう。
 
『…業界仲間の誰かに高く売りつけられないかしら』
 
よからぬ考えがもやっと浮かんだけれど、やめた。
佐倉からの報復が怖そうだし。
そもそも佐倉にそっちのケはないはずだ。
新がどっちもいける人間なのはまあ別にかまわないんだけれど。
さすがに家の中ではやめてほしい。
というか、私はそろそろ声をかけてもいいのかしら、どうしよう。
 
私に先に気がついたのは新だった。
視界にこっちをうつしたとたん、ぱ、と新の顔が満面の笑みになって尻尾をふったわんこのようにこちらへと駆け寄って抱きついてきたのだ。
 
「深咲さーん!お仕事一段落したの?もうすぐご飯だからねって呼びに行こうとしてたんだー!寂しかった!」
「大げさねえ…たかだか四時間くらいこもってただけじゃないの」
「もう、またそんな冷たい事言う!深咲さんたらつれないんだから」
 
ぷぅ、と頬を膨らまして新が拗ねたような口調で言う。
まったくどこの甘えん坊なのやら。
ちゅ、という額へのキス付きで、もうすぐ出来るから待っててね、なんて。
どこぞの新婚家庭じゃないんだから。男女逆だけど。
 
「お腹がすいたから集中力途切れちゃったのよ。新のご飯がとっても美味しかったから腹時計が正確になったかしら」
「本当?だったらすっごく嬉しいな。あ、そうそう。お客さんの分も作る?」
「ん?ああ、そういやなんでいるのか知らないけど…佐倉どうする、食べていく?美味しいわよ、新のごはん」
 
言われてみれば、すっかり存在忘れてたわね。
新がずっと抱きついてるもんだから視界にうつってなかったけど、新から解放されてやっとそこに座る佐倉へと視線を移したら、驚愕して固まる奴の姿が確認できた。…なに?
 
「………ああ、昼もまだだし進藤君が手間でなければ頼もうか」
「手間だなんて。お仕事ですから。じゃあすぐ用意しますね。深咲さんもコーヒー飲む?」
「あ、自分でやるからいいわよ。注ぐだけなんだし。新はごはんを頼むわ。お腹ぺこぺこなのよ」
 
悪戯っぽく笑いながらそういえば、新は嬉しそうに了解、といって作業に取り掛かった。
この子の仕事っぷりは気持ちが良い。
自分のしていることに誇りをもってやっているというのが感じられて私はなんだか家事労働の尊さに気付かされる気分になるんだ。
 
コーヒーに少し多めのミルクを入れて砂糖なしのカフェオレぽくしてみた。
マグカップを手に佐倉のむかいへと腰掛ける。
 
「佐倉、急に来るなんて珍しいわね、なんかあったの?まさか新しい仕事の依頼を急遽とかじゃないでしょうね」
「いや、個人的な用事だ」
「ふぅん?…さっき新と見つめ合ってたのは?」
「…っ気持ちが悪いことを言うな」
「あら、ものすごく画になってたわよ」
「俺にも奴にもそんな趣味はない」
 
心底嫌そうに呻くような声をあげて否定する佐倉がなんだかおかしかった。
しかし、そうではないとするならば個人的な用事というのは、十中八九、彼の事だろう。
ちらりと新をみたあと、佐倉へとまた視線を戻せば、彼は無言でこちらをみつめる。やはりそうらしい。
 
「…なによ、ガラにもなく心配でもしてくれてるの?」
「というか興味のがでかいかもしれん」
「ふぅん?」
「ひとつ訊かせろ」
「なによ」
 
す、と顔を寄せ小声で佐倉が話しかけてくるので同じように私も顔を近付けた。
 
「お前、あれを信用してるのか」
 
その一言に、私はどこかが冷え込む感覚がした。
きっと、私の表情は今酷く無表情になっているだろう。
酷薄に笑うその顔に、佐倉がため息を吐く。
 
「じゃあ何故」
「別に困る事がなかったからよ。彼がどんな心積もりでも私は構わないわ」
「知らんぞ、もしも本気になったらお前は傷付くかもしれない」
「それこそありえないと思うけど?」
「どうだか」
「まあ、そうなったらなったでいいじゃないの。私が人間であったという証拠になるんだから」
 
そう言う私に、何を思ったか佐倉がデコピンをする。
なにするのよ痛いわね。
 
「阿呆。お前はもっと自分を大切にしろ、腹の立つ」
「それは僕も同感だよ、深咲さん」
「!新…」
 
にっこりと微笑みながら、新が料理の入った皿を並べていく。
見るとそこにあるのはサンドイッチだった。…美味しそう。
 
「佐倉さん。僕を信用できないっていうのはわかるし深咲さんにだって警戒されているのは充分わかってるよ。でも僕は、それでも今ここで約束したい。彼女を傷付ける事はしないって」
 
真剣な表情で、新はきゅ、と私の手を握る。
その様子に、私も佐倉も目を見開いた。
先程の会話が聞こえていたんだろう。
それなのに彼は堂々とそんなことを言うんだから、どれだけ強い人間なのだろうか、と心底驚く。
 
「このコーヒー、美味いな」
 
ぽつ、と呟く佐倉の言葉に、新はにっこりと微笑む。
なんともまぶしい笑顔だ。
 
「サンドイッチも食べてください。深咲さんも、お腹すいたんでしょ?」
「う、うん、ありがとう」
 
ぱく、と食べた瞬間、私は目を見開いた。
なにこれ、美味しい!
 
「これ、具にごぼう入ってるのね?ごぼうサラダみたい!あと鶏肉?すっごい美味しい!!新ってば天才ね!」
「片手間で食べられるものっておにぎりとこれくらいしか浮かばなくて。もし集中している真っ最中だったんならそのほうがいいと思ったから。
でもおにぎりだと野菜がどうしても不足するし…具だけでも和風にしようかな、と思って。気に入ったなら良かった。でもこっちで食べてくれるんなら、もうちょっときちんとしたもの作れば良かったね」
「そんな、充分美味しいわよ。ありがとう新。それに、私は洋食も全然嫌いじゃないからそんなに気を遣わなくてもいいのよ?
確かにこれはあなたのお仕事ではあるけれど、新が作ったものならなんでも美味しいわ。今確信持てた!」
「そんなに喜んでもらえると家事冥利に尽きるよ、嬉しいな」
 
笑う新の顔が可愛くて、なんだか撫でたくなってしまう。
癒されたがる女性の気持ちがすごく良くわかる気がする。
家事の一切をやってくれる旦那様ならいても悪くないかもしれないわね。
今まで結婚なんて誰がするかと思ってたけれど。
まあでも、新はいつかここを出て行く身だし。
私はあくまでも立ち直る機会を与えただけに過ぎないんだもの。
それすら、嘘なのか本当なのかわかりゃしないけれど。
詐欺だったとしてもここまでしてくれたんならまあ構わないと思ってしまう。
だってそれだけの対価はもらった気がするから。
うーん、これも自分を大切にしてない、に部類するのかしら。
 
「…確かに、美味いな」
「ありがとうございます」
「うん。君の言葉、信じてみるのも悪くはない」
 
多少固かった態度が軟化して、心から佐倉が微笑む。
その様子に、どこか満足したかのように新は頭を下げた。
なにかしらね、男同士の会話って感じで。若干うっとおしわ。
 
細目でふたりを冷ややかにみつめていると、しばらくして新が何事かに気が付いたかのように、そうそう、と声を上げた。
 
「佐倉さん。そういう対象に見てないっていうのはわかるんだけどあんまり近付きすぎないでもらえないかな。妬けるから。僕はね、独占欲は強いほうなんだ」
 
ちゅ、と頬に唇の感触がして、私はサンドイッチを喉に詰まらせそうになる。
その様子に慌てた新がマグカップを手に持って私の背中を優しく叩いた。
 
「深咲さん大丈夫?ほら、これ飲んで。…もう、変なところで初心なんだから、かーわいいなぁ」
 
ふふふ、なんて笑いながらさらっとそんなことを言わないでいただきたい。
自慢じゃないけど今まで生きてきて可愛いなんて言われた事子どもの頃くらいしかありゃしないわよ。
どちらかといえば綺麗だとか、凛としてて好きだとか、評された事はけっこうあったけれど。
こんな風に扱われた事があまりにも皆無だからふいうちを食らうと弱い。
ああ、なんか情けないわ。
 
目の前の佐倉が私をみてにやにやしているのがわかる。
くっそう、むかつく。
それでも私は何も反論できなくて、ぎろりと奴を睨むに留める。悔しい。
 
「だから、それも。目と目で会話とかかなりむかつくんだけど」
「痛っ」
 
ぐき、と首が鳴る音がした。
急に関節を動かされると痛めそうで怖いからやめてほしい。
ああ、若くないって哀しいもんね。
両頬を包んで無理やり新と見つめ合う形をとらせている私。
目の前には不機嫌な顔をした彼がいてなんとも居心地が悪い。
 
「深咲さん、僕のことちゃーんと見てよね。いい?僕は深咲さんが外で何をするかしっかりばっちり気にするし、その都度、嫉妬だってしっかりするから。面倒臭いと思ってもいいけど、それだけは心に留めておいて、わかった?」
「はあ。…ってなんかそれ理不尽じゃないの?私はあなたが外で何をしようが気にしないって言ったはずでしょう。なのに私の行動は制限するつもりなの?」
「それは違うよ。悔しいけど今の僕にその権限はないからね。ただ、どこでなにしてたのかとか、誰といたのかとか、そういう事は訊くし、気にもするって話。僕だって、あなた以外をそれこそ外で抱くかもしれないけど。あなたが嫌だと言うならやめる。そのかわり、僕だって深咲さんを独占するから。もしも僕のものになってくれるっていうんなら、僕はあなたに全部あげる。でも僕も全部もらわないと嫌なんだ。これも、きちんと覚えておいてね、深咲さん?」
 
ものすごく情熱的な告白に、私はどう答えたらいいかわからずに、間抜けにもこくこくと頭を縦に動かしただけだった。な、情けない。
顔赤くなってないかしら、ああ、嫌だ。
横から、またもからかうようなくつくつという笑い声がきこえて、新と私は同時にそちらへ振り向いた。もう新は私の顔を拘束してはいない。
 
「羨ましいな、そんな風に大胆告白できるなんて。俺もそんな殺し文句言ってみたいもんだ」
「言えばいいじゃないですか。あなただって充分かっこいいんだし、落ちない女なんてそれこそほぼいないでしょ?」
「それは君もそうなんじゃないのか?本当に綺麗な顔してるもんだな」
「深咲さんが落ちてくれないんじゃ意味ないですけどね」
「それはそれは。ま、俺もまったくもって同感だ。好きな女ひとつどうにもできないんじゃこんな顔くっついてても邪魔なだけさ」
 
煙草を取り出して火を付ければ、佐倉はふうっと煙を吐き出す。
 
「…なに、槇村先生となにかあったの?」
「まきむら先生?」
「佐倉の想い人よ。こいつもね、出版社に勤めているんだけど、槇村直子なおこ先生って私の作家仲間…担当やってる先生に恋しちゃってるのよ、こいつは」
「へー…それはまた。大人のしがらみとか色々とありそうですね」
「そうそう。色々と難しいんだよ。だからちょっと君が羨ましいな。若さって強いからなー…。ま、いい励ましにはなった」
 
じゃり、と灰皿に押しつぶされた煙草をぼんやりと見つめていたけれど、佐倉が立ち上がったので慌てて私もそれにならった。
 
「もう帰るの?」
「ああ、話はもう終わったからな、邪魔をした。精々愛を育んでくれや」
「ちょ、佐倉!」
「そうそう、新、ちょっと来い」
「はい?」
 
『いつの間に新呼びよ…』
 
どうやら佐倉は新の事を気に入ったらしい。
なんだかな、男って言うのはよくわからんわ。
顔寄せ合って内緒話してるわよ、なんか耳打ちしてるわよ佐倉が。
だから雰囲気が怪しいっつーの。写真撮ってマジでばら撒いてやりたい。
さっき笑った罪は重いわよ。
 
「外堀から…って手もある。本気なら尚のことそっちのが早いかもしれん。あいつけっこう頑なだからな、頑張れ」
「ありがと、佐倉さん!わー、すごく良い事聞いちゃった」
 
私は首を傾げて何の話?とふたりにお伺いを立ててみたけど、案の定というかなんというか。内緒、の一言で済まされてしまった。
妙ーに、にこにこしている新がなんだか怖い。
けれどもそんなに長い事かまってもいられない。
時間は有限、〆切はいつだってやってくるのだ。
ごちそうさま、とお礼を言って、私はまた閉じこもった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「…0時か。随分長い事こもってたわね」
 
のびをして、目の前にある時計に視線をうつせば、針が12を示していた。
今日は12に縁があるのだろうか。
お昼にも覚醒したし、私の時計は一体どうなっているのだろう。
ぼんやりと記憶を手繰り寄せようとするがどうもひどく曖昧だ。
一回だけ新がこの部屋に入ってきた気がするがおぼろげにしか思い出せない。
 
「…お腹すいた」
 
ぼんやりとした頭のまま、私は書斎から茶の間へと歩を進めた。
のろのろとした足取りはなんともだらしがなくて、きっと恋人でもいよう人間ならばこんな姿はみせられない、と思うだろう。
 
執筆中は髪をうしろに一本でしばっているし、乱視の為、度は低いが眼鏡をかける。この姿もまた、なんとも色気がない。
この家に住むようになってからそんな事を気にかける機会もなかったが、歳若い男と一緒に暮らしているというこの状況のせいだろう。
しかし頭の中にそれがひっかかったとて、改善する気はない。
というか、改善という考えも憎たらしい。
仕事をしているわけであって、そこに色気なぞいらないし、だらしがなくともやるべき事を全うできればそれで十分なはずだ。
 
彼がどういう感情で自分に接しているのか、悩まないではない。
だからこそこんなことを考えるのだから。
けれどもこれは、恋愛の機微という心躍る種類の物ではなくて、どちらかといえば腹の探りあいによるものだ。至極疲れる。
 
だって、ねえ?
私は魅力がない。小説家としての自分には多少、自信はある。誇りも。
けれど、女としては?と訊かれれば、そんなもん皆無だばーか、と、相手を嗤って一蹴してくれる、などと思うのだ。
 
私はもう若くない。
かといって大人の女性としての輝く魅力もない。
地味で、疲れ切った27歳のおひとりさまだ。
正直こんな自分に一目惚れというのはありえない。
究極のリアリストである私はご都合主義のような彼の言葉を信じない。
恋をするにも年齢が年齢だし慎重になるのは当然だ。
結婚とイコールになる歳なわけだし、今の私は一生独身でも別にいいんじゃないか、と思っている。
だからというわけではないが、彼をそういう対象として受け入れるには色々と問題がありすぎるし、彼自身、私とそうなりたいと思っているはずがないのだ。
 
いずれにせよ、彼がどういうつもりであるにせよ、迷い猫を道案内してやりたい、という心はどこかにある。
だからこそ優しく接してあげたいと思うし、可愛い男とも思う。
いつか彼はここを去る。それだけは覚えておかなくてはならない。
 
彼の言葉も全部信じているし、全部信じていない。
相反する感情の中で、私はさてどうしたものかしら、と、ずっと考えあぐねている。
 
拾ったそれを、飼い殺す気はないのだし、真っ当な大人の対応をしてあげようというんであれば、さっさと彼の素性を調べるべきなのだろう。
 
「…私もお人好しなんだかそうじゃないんだか良くわかんないわね」
 
自分で呟いた言葉に、妙に納得したとき。
冷蔵庫にはラップがかかったごはんが用意されていた。
ぼんやりと出かけているのか、と考える。
そういえば、そんな事言っていたかしら。
それにしてもこんな時間になっても帰ってこないなんて、やっぱり拾った猫はきまぐれな野良猫なのねぇ。
今夜はどんな女性と一夜を共にするのやら。
 
「…って別にそうと決まったわけではないけどね」
 
でもどうしてもそっちに考えがいってしまう。
大概の女性ならば、彼にときめいて委ねてしまうんじゃないだろうか。
特に年上の女性をたらしこむのは本当にうまそうだ。
…ヒモとかものすっごくむいてそうよね。
 
でも、それをするには多分あの子自身の血統が良すぎる。
憶測でしかないが、あれは優秀だ。
だからこそ思う。ここでこんな事をさせるべきではないと。
 
「って、世の家事労働者に失礼よね」
 
電子レンジで晩ご飯を温めながら、自嘲するように言葉を紡いだ。
原稿はめどが立ったから、よほどさぼらない限り大丈夫そう。
 
…今夜は呑もうかしら。


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