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あとりえ透明2

「ハーブゼリー」




 別に娘を監視しようというわけじゃない。
 そんな父親にだけはなるまいと心に決めていたのだ。
 だが、心配ではないか。娘がメイド喫茶でバイトをするなんて。
 メイドを見たいなどという下心があるだろうか、いやない。
 と、反語を使って否定するくらいに微塵もない。
 そもそも、そんな猥褻な店ではないことは確認しているし、同窓生を信頼している。
 
 
 
「あ、澤くん。久しぶり」
 「あとりえ透明」に行く道すがら、サングラスに帽子コートと完璧な変装は一瞬で見破られた。しかも1年以上会っていなかった知り合いに。
「何?今日暑いのにその格好。もう7月だよ。どう見ても不審者」
 うるさい。お前の店に行く途中だったんだよ。
「あとりえ透明に?今日、和泉ちゃんいるよ」
「だからだよ」
 松島朋は半袖のブラウスに黒のスカートというカジュアルスーツだ。恐らく仕事であとりえ透明に行くのだろう。
 相変わらずのさっぱりしたショートカットの黒髪に眼鏡。いや、ここ数年で少し髪は伸びたように思う。
 彼女に前にあったのは娘のアルバイト面接……と言っても合格は決まっているただの打ち合わせだったが……に付き添って以来だ。
 そもそも自分はアルバイトには反対だった。家はむしろ裕福な方だ。そんな暇があるのなら大学受験に向けた勉強をしてほしい。
「和泉ちゃんね、最近ようやくもう一人のバイトの子と仲良くなったみたいで楽しそうなの。小さい頃から見てきた身としては嬉しいなー」
「もう一人?」
「うん、和泉ちゃんの2つ下でね。イギリス帰りの子。あの店の紅茶は全部その子仕込み」
「へぇ」
「和泉ちゃんって家でお店の話しないの?学校の話は?」
「全然。口を開けば大学はどうするんだで親子喧嘩の流れ。京子がいる時とかもう修羅場。刃物飛ぶぜ」
「美大行かせてあげればいいのに。和泉ちゃん、器量よしだからやっていけるわよ」
「京子がそんな隙与えねーの。医学部以外は認めない、最低でも薬学部って」
「澤夫妻がそんな教育親子になるとは思わなかったわー」
 松島は呑気に背を伸ばす。
「でさ」
「ん?」
「お前、いつになったらウチの相談所卒業してくれんの?もう最古参なんだけど」
「したいわよ!させてよ!させるのが仕事でしょ!」
「もう俺の担当じゃねーもん」
「じゃあ、所長!なんで、私の担当が私より一回りも年下の既婚女性なのよ!当て付け!?もう敗北感しか感じないわよ!」
「44歳と同い年の担当つけろっていう方が無理難題だって……」
 言い合ううちに店に着いた。
「そのコート脱ぎなさいよ。和泉ちゃんに恥ずかしいわよ」
 言われて、俺は渋々コートと帽子を脱いで小脇に抱える。
「いらっしゃいませ、ご主人様。ご無沙汰しております、松島様」
 迎えたのは一花ちゃんだった。思えばこの子とも長い付き合いになる。
「えっと……和泉は?」
「『澤和泉なんて従業員はこの店にいない』という伝言を、澤和泉より承っております」
「ちょっとー!一花さん!何言ってくれてるのよ!」
 店の奥から黒いエプロンドレスにヘッドセットをつけた和泉が飛び出してきた。
「お父さんもなんで来るのよ!」
「……そりゃ、お前がちゃんと仕事してるかを……」
「してるわよ!平日に休みのお父さんよりよっぽど真面目に仕事してるわよ!帰れ!ハゲ!加齢臭!」
 ふむふむ、ロングスカートメイド姿の娘に罵られるというのは意外と悪い気がしないものだ。
「ほら、和泉ちゃん。ほかのお客様の迷惑になるわよ。騒がないで」
 二階からお盆を持った和泉と同じくらいの年頃のメイドさんが降りてきた。これがさっき松島が言っていた「最近仲良くなった友達」なのだろう。
「失礼致しました。和泉ちゃんのお父様でしょうか?」
 少女は穏やかな笑顔を浮かべる。
「あ、ああ……はじめまして……えっと……」
「せつなと申します。成瀬せつなです。和泉さんにはいつもお世話になっております」
 深々と頭を下げ、俺を二階へと案内する。
「ここまで厚着でいらしたなら、さぞ汗をかかれたでしょう。アイスティーはいかがでしょうか。男性にはあまりハーブの香りが強くないエキナセアというレモンティーで作る手作りゼリーがお薦めです」
 二階は数人の客が入っていた。客足は悪くないらしい。
 椅子を下げてもらうままに座り、薦められるままにアイスティーをオーダーする。松島はその向かいに座って、一本指を立てた。せつな、という少女は一礼して、踵を返そうとした。
「君、成瀬さんといったかな」
「はい?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「えっと……和泉さん、ブレンドティーとエキナセア・レモン一つ、あと店長にアイスコーヒーお願いできますか?」
「分かりました」
 俺は、手仕草で席を勧める。成瀬せつなは頭を下げて、静かにそこに座った。
「何でしょうか」
「別に尋問しようというわけじゃない。ただ、君が知り合いにあまりに似ていて気になってね」
「はい……」
 俺の言わんとすることが分かったらしい。少女の小柄な体がキュッと萎縮する。
 松島も薄々察しがついていたらしい。
「成瀬拓馬、君の父親だね?」
「はい、間違いなく私の父の名前です。で、でも……騙そうとか……そういうのじゃなくて……私はただお父さんにっ……」
「分かってるわ」
 初めて松島が口を開いた。
「全部言わなくてもいいから。最初から分かってたから。あなた以上にあなたのことは分かってるから」
 その表情があまりに痛々しくて、分かってるから痛々しくて、俺はもう何も言えなかった。
 そうか、松島は彼女を雇った一年半近く前からそのことに勘づいていたのか。
 全部知っていながら誰にも言わずに一人で抱え込んでいたのか。
「大丈夫。あなたのことは一花ちゃんや和泉ちゃんには言わないから。どうせ知らせてないんでしょ」
 成瀬せつなはゆっくりと立ち上がる。それに合わせたように和泉がしずしずとお盆に載せたグラス2つとゼリー皿を持って上がってきた。
「大変お待たせいたしました」
 どこか憮然とした態度で、自分の前にアイスティーとゼリーを、松島の前にアイスコーヒーを置く。
「季節のブレンドティーと当店特製エキナセアレモンの紅茶ゼリーでございます。ごゆっくりお楽しみください」
「このゼリーは初めて見るわね。新メニュー?」
 松島がミントの乗ったオレンジ色のクラッシュゼリーを珍しげに見る。
「はい、せつなさんの考案なんです。夏は冷たいデザートが要るだろうと言うことで。アイスクリームやシャーベットだと冷え過ぎますが、エキナセアは夏風邪予防と疲れを取る効果があるそうです」
「へぇ、すごいわね。さすがせつなさん」
 えへへ、と成瀬せつな……いや、せつなちゃんは笑う。
「でも、このゼリー作ったの、和泉ちゃんですよ。紅茶を入れたのも」
 彼女は年上のはずの和泉を妹を見守るような目で見た。
「アイスティーを濁りなく淹れるのも、ゼリーの甘みを調整するのもすごく難しいのに一度で覚えちゃわれましたっ」
 ふわふわした茶色の髪が揺れる。
「和泉ちゃんのお父さんは、和泉ちゃんの作ったものを食べたことがありますか?描いた絵を見たことがありますか?」
「……それは……」
「和泉ちゃんの顔を最後に真っ直ぐ見たのは何年前ですか?」
「…………」
「なんてね」
 せつなちゃんは舌を出して笑った。
「え?」
「全部、私が自分のお父さんに言いたいことです」
 そして、壁際に行き……以前は油彩の絵の具が並んでいた辺りだろうか……そこから小さな赤い額を一つ取り出す。
「この店にある絵、全部同じ人が描いたらしいんですが、私、知ってるんです。これだけ違うんですよ。和泉ちゃんの絵です。和泉ちゃんがこっそり紛れ込ませてるんです」
 俺は目を丸くした。
 この店にある絵が一人の女性の絵だというのは知っている。
 知っている人はだれでも知っている。
 しかし、その絵には見覚えがあった。
 もう、どのくらい前になるだろうか。
「あー!!」
 叫び声が割り込んでくる。
「せつなさん!何してくれてんの!?てか、なんで知ってんの!?」
「画風で分かりますよ。ていうか、お・し・ず・か・に。お客様の御迷惑ですっ!」
「せつなさんが余計なことしなけりゃ、静かに覗いてたわよ!」
 和泉が顔を真っ赤にしながら、両手で大事に抱え、元の場所に戻す。
「それから、この絵は私の絵じゃないです!私の憧れの人との合作なんだから!」
 その絵はいつ頃描かれたものだろうか。
 ほとんど見えなくなった目でそれでも手詰から教えてくれたのだ。彼女が。
 そこには栗色のウェーブした髪と、ショートカットの眼鏡の、二人の女性に挟まれた笑顔の子供の姿があった。
「懐かしいなぁ……」
 すっかりほうれい線の目立つ顔立ちになってしまった絵のモデルの片方に向かって呟く。
「懐かしいわねぇ」
「会いたいなぁ……」
「会わせたいわねぇ」
 ゼリーをゆっくりと口に運ぶ。
 奥歯でしっかりと噛みしめる。
「ちょっと甘すぎないか、これ」
「一花ちゃんに言っておくわ」
「あとさ」
「ん?」
「京子と和泉とここで家族会議開いていいか?ここなら刃物飛ばなそうだし」
「ここ、貸切料金高いわよ」
 松島朋は眼鏡をギラリと光らせ笑った。


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