あとりえ透明2
「大吟醸」
「はーい、では皆さん。今月の売上報告を致します」
閉店後の店内で私含め4人の女性が集まっていた。月末の一度の定例会議。全員固唾を呑んでいる。
端末を手に私はニッコリと笑った。
「売上前月比23%増。暑い季節に頑張ってくれたわね。今年は残暑が厳しいらしいから来月も大変だろうけど頑張ってね」
3人がほっと胸を撫で下ろす。
本当はここで給料袋を手渡したいところなのだが、現在あとりえ透明の給与は電子マネーでの振込になっている。単にそれが一番管理が楽だからなのだが。
「それで、松島さん。相談ってのは……?」
「最近ここ、ネットの口コミも多くなっててね。2学期も始まるし、受験生の学生バイト含めて3人で店を回すのはキツくなってきたんじゃないかなと。よかったら私も戻るわよ。表に出なくても厨房とか掃除くらいならできるから」
「本音は?」
「…………婚活パーティーで『44歳、無職です』って言うとドン引かれる」
「ああ……」
「お気の毒に……」
「私はこうはならないようにしないと……」
「一花さん、もう片足突っ込んでますよ……」
「うっさい、クビにするわよ……」
3人が私から目をそらし口を覆う。
「あんたらねぇ」
「でも、向こうは大丈夫なんですか?」
一花ちゃんの問いかけの意味がせつなちゃんには分かっていないようだったが、私は頷く。
「別に24時間拘束なわけじゃないしね」
「そういえば、前から聞きたかったんですけどっ!」
せつなちゃんが手を挙げた。
「この店って一花さんが店長代理じゃないですか。で、松嶋さんが経営管理者」
「そうよ」
「いやね、この前お客様に『この店の店長って誰なの?』って聞かれましてねっ。そのくらいならいいんですけど、もし『店長を呼べー!』ってなったらどうすればいいのかなって」
もっともだ。
むしろ今までそういう場面に出くわさなかったのが幸運なくらいだ。
でも……。
「うーん、そういう時はとりあえず一花ちゃんか、いたら私を呼んでちょうだい」
「ウチの店は名誉店長っていうか、そういう感じだから……」
「えー、なんですか、それっ。気になるじゃないですかっ」
「まぁ、そのうちね。そのうち」
そして、追い出されるように和泉ちゃんに更衣室に押し込まれて行った。
「というわけで、カフェ経営管理者兼店員になりました」
「はい、よかったですね。それで、今日のご用件はなんでしょう」
「経過報告よ。三上くんには笑さんのいた時にずいぶんお世話になったから」
行きつけの小洒落た居酒屋で三上翔に日本酒を注ぎながら私は言った。
あとりえ透明開店直後からちょくちょく来てくれていた彼には、実は結構な恩がある。
有名な画家の孫で文学部だった彼は卒業後、美術系雑誌の出版社に勤め、そこであとりえ透明を紹介するコラムを一年に渡り連載してくれたのだ。
そこを経由してのお客さんも少なくなく、売上にかなり貢献してくれた。
彼の祖母も長い間、店に通ってくれたが、2年程前に他界した。その時の葬儀には参列させてもらった。
大学の後輩の一花ちゃんとは彼女の進路を心配するところもあり時々交流があったようで、彼女曰く、そもそもメイドカフェを提案したのが彼だというのだが、私ときちんと話すのは葬儀以来になる。
それで店がおかげさまでうまく行ってます、という近況報告を兼ね奢ってやろうと呼び出したというのに、どうやら彼は再びあとりえ透明を売り込みに来たと思ったらしい。
失礼なことだ。
まぁ、実際用事が全くなかったわけではない。世間話をするような間柄でもない。
「調べてほしいことがあるの」
「俺、探偵じゃないですよ」
「でも、素人よりは情報網とか持ってるでしょ」
「まぁ、それは……」
三上くんは不承不承頭を掻きながら頷く。
私はあるデータを彼の端末に送った。
「成瀬……せつな?」
「彼女の素性……まぁ、察しはついてるんだけど、確定証拠がないと動いてあげることもできないから」
「動いてあげるって、誰のために?」
「せつなちゃん自身のために」
「まぁ、学校が分かってるなら、すぐ調べられますよ。ここ商業系の二部制高校ですよね。の、夜間コースと。でも17歳の女の子の素行調査は些か良心がとがめるなぁ」
言って、彼はちらりと私の方に視線を向けた。
私は眉を顰めながら、鞄から封筒を差し出す。元々、多少の礼金はするつもりだったが、こういう求められ方は好きじゃない。私が可愛げがないとよく澤くんに怒られるところだ。
「商品券よ。現金だと後々面倒なことになりかねないから」
そして、店備え付けのタッチパネルで、この店で一番高い大吟醸を注文する。
「さすが松島さん」
嬉々と彼はその封筒をスーツの内ポケットに収める。
全く可愛げのない男だ。
「じゃあ、よろしくね。言っておくけど証拠がないと意味が無いからね」
三上翔は分かってますよ。と何度も頷いた。
翌日から、私は久々に現場復帰した。
和泉ちゃんの学校が始まる前に、勘を取り戻しておかないと。
だが、思っていた以上にせつなちゃんはよく働いた。食料の補充手配から接客まで完璧だ。
何より雑多なこの職場で次の仕事を見つけるのが早い。お客さんのテーブルから厨房の隅まで千里眼でも付いているかのようだ。
私が厨房にいた時、二階にいるはずのせつなちゃんがインカムで「フォークの数が足りなくなるので食洗機から出しておいた方がいいと思います」と言ってきた時は怖ささえ覚えた。
後でどういうことか聞くと、二階にいても食洗機の乾燥に切り替わった音は聞こえるらしい。
ノイズキャンセリングをつけてこれだ。素の耳は一体どれほどのものか。
高校も行かず会計を学んでどんな仕事に就きたいのか知らないが、今のこれが天職なのではないだろうか。
「せつなちゃんは音楽家とか目指さなかったの?」
土曜日の夜。閉店後の片付けをしながら、私はたまらず聞いてしまった。
「へ?何でです?」
彼女はそんなこと考えたこともない、といったふうに目をクルクルさせる。
「だって、それだけ耳がいいのに」
「無理ですよっ、私、手先がすっごい不器用なんですっ。一回、ピアノを触ったことありますけど、全然ダメっ。右手と左手が別々に動くとかありえないですっ」
「じゃあ、指揮者とか、調律師とか」
私の再度の問いかけにブンブンと首を横に振る。
「私同じ音を繰り返し聞くのがすっごく苦手なんですっ。同じフレーズ何回も聞かされて、それが不協和音のことがあるとか、もう考えただけで鳥肌ですっ!」
「それじゃ、専門学校行ってまで何になりたいの?」
最後にしようと思った問いに彼女は顔を真っ赤にして俯いた。
「…………ん……」
「え?」
「ただのっ、何でもないっ、平凡なっ、事務員か公務員になってっ、適当な歳になったらっ、普通の男の人と結婚してっ、平凡な人生をですねっ!」
せつなちゃんは赤い顔でこちらを睨み上げて一気にまくし立てる。
「す、すみません……興奮しました……」
再びうつむき、呟くように言う。
「えっと……つまりですね……普通のお嫁さんになりたいわけですよ……私こんな耳だから……いつも人から外れてばっかりで……だから平々凡々な人生に憧れてるっていうか……」
「それなら普通に高校行って就職するのが一番じゃない?」
平凡な事務員になってこの歳まで結婚できずにいる私が心底実感を込めて言う。
「早く自立したかったんです。でも普通の商業高校は市内の在籍年数が短いと行けないし、普通科だと流されて大学に行かされそうだし。それで調べたら私立だけど帰国子女の奨学生を募集してる夜間高校があって、それなら昼バイトしながらなら通えるかな、と……」
なるほど、そういう流れか。確かに最近外交的な問題が多発して公立の学校は帰国子女を受け入れない傾向にある。
「でも、父に話したら反対されて、何故かここでならバイトしていいって言われてですねっ」
私は目を丸くする。
「どうしてうちの店ならよかったの?」
「聞いたんですが、知り合いがいるから、としか。その時、高校行くかどうかでケンカしてましたし。あ、今は仲直りしてますよっ!ここでの話もよくしてますしっ!」
「ここでの話ってお父さんは普通に聞いてるの?」
「はい」
せつなちゃんは事も無げに、むしろそれのどこがおかしいの?と聞きたげな表情で返す。
あの成瀬拓馬が?
笑さんを……いや、絵美さんに不倫を誘い、挙句の果てにこんな顛末まで引き起こしたあの男が?
何を考えているんだ?
何を企んでいるんだ?
その時、端末の着信音が鳴った。
三上くんからだ。
数分、それを熟読して私は掃除機を置いた。
「せつなちゃん、今日学校休みよね。これから時間ある?」
「え、ハニトー……あ、いやいや、大丈夫ですっ」
一瞬言いかけたのが何か分からないが、せつなちゃんは慌てて食器を置いた。
「一緒に来て欲しい場所があるの」
とりあえずの片付けと着替えを終えて、私とせつなちゃんが向かったのはあるマンションだった。
築20年弱の平凡なマンション。
その最上階へエレベーターで向かう。
「な、なんですか?朋さん……顔怖いですよっ!」
自分でも何とかしたい。でも気持ちが塞いて仕方ない。
最上階の一室に鞄から鍵を出し、開ける。
「こんばんは。夜分遅くにごめんなさい」
「あー、朋ちゃんー。お店はもう終わったのー?お疲れ様ー」
そこにいたのは友さんと同年代の栗色のふわふわした髪の女性。
「あれ?もう一人いるー?」
「朋さん……この人って……侑那絵美……?」
険しい表情のまま私は声を絞り出した。
「いえ、進藤笑……」
言いたくなかった。
でも言わなければならない。
「あなたの母親よ」