かむがたりうた
第拾玖章 「バンノウ」
「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「どういうわけで」
「桜の森の下へ行ってみなければならないからだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」
「花が咲くから、なぜさ」
「花の下は冷めたい風がはりつめているからだよ」
「花の下にかえ」
「花の下は涯がないからだよ」
「花の下がかえ」
「私も花の下へ連れて行っておくれ」
「それは、だめだ」
男はキッパリ言いました。
「一人でなくちゃ、だめなんだ」
坂口安吾「桜の森の満開の下」
イギリス・マンチェスター。ロンドンに次ぐイギリス第二の都市に琉真は降り立った。
まっすぐに拘置所に向かう。面会手続きも比較的スムーズに済んだ。
「お父さん、久しぶり」
久しぶりに会う金髪碧眼の父親はすっかりやつれ果てていた。ガラス越しに琉真は軽く頭を下げた。
「……日本で入院してたんじゃ…そうか友人の家で暮らしていると聞いてたな」
言って頭をかいた。
「うん、でもそこも出なきゃならなくなりそうです」
「そうか…」
「お父さん…聞きたいことがあるんです」
琉真はゴクりと唾を飲んだ。
「あづみを殺したのってやっぱり……あづみの能力のせいですか?」
「……ああ、警察は嘘を言ってるか、頭がおかしいのかと思ってるようだが……能力……『自分の思った通りの夢を見せる』能力を何ヶ月も使われてみろ。誰だって発狂する」
「なんであづみはそんなこと…」
「お前を手の内に入れたかったんだろう。お前の能力は向こう側にとっては最も恐れる、と言っても過言ではないからな」
「でも、そのためにこんな手段使わなくても…」
琉真は考え込んでしまったが、父親は大きく息をついて口を開いた。
「……もう知ってもいい歳か」
「え?」
「筑波あづみはお前の姉だ」
「!」琉真は言葉を失った。
「異父姉だ。私の子ではない。母親が私に出会う前に産んだ子だ。日本の父親のところにいたはずなのだが、突然イギリスにやってきた。気をつけろ。あの女は……」
射抜くような目で言った。
「魔女だ」
「ちゃうやろ!もっと確実に、簡潔に!」
時実の家の広い庭でその乱闘…もとい特訓は行われていた。
「灯流、ほどほどにしなさい!太榎さまに失礼でしょう!」
灯流の母親が縁側から声をあげた。
「うっさい、オカン!こっちはせっかくの土日、フイにしてやっとるんや」
「ええ、いいですからお気遣いなく!もう殺す気で来てくれていいですよ、どうせ死にませんから」
時実の家に居候に来て半月以上が経っていた。砂城からのメールによると、ナヲも西夜も快方に向かっているらしい。
「えらい自信ですなぁ。行きますよ、シロちゃん爆発型……」
灯流がクロッキー帳に鉛筆を振り下ろす
「『消えろ』!」
言うなり、灯流の姿がかき消えた。
「あ、また間違えた。『戻れ』」
すると、灯流の姿が戻る。
「ご…ごめん」
クロッキー帳で頭を思いっきり叩く。
「今ウチごと消えろ思たやろ!だから簡潔に、でも確実に!『何を』『どうするのか』をできるだけ早く!言うと一緒に考えることを忘れずに!何度も言うとりますやろ!」
「だから、ごめんって…」
「隙あり!シロちゃん煙玉!」
クロッキー帳から飛び出した球体の生き物によって辺りに白い煙幕が張られる
「ケホ……!な、卑怯だぞ!灯流!」
「勝敗はどちらかが『負け』と言うまででっしゃろ?」
すると、これもいつの間に描いたのだろう、切れ味の良さそうな刀が安の首筋に突きつけられた。
「どうです?」
「分かった、今回は俺の負け!」
「これで七八勝三敗。個人的にはコンプリート目指してたんですけど」
「初めて勝った時は嬉しかったんだけどな…。こんなんで俺、トネに勝てるの?」
「え?無理でっしゃろ?」
平然と言い放つ灯流に、肩を落とす安。そんな安の背中をポンポン、と叩いた。
「言うたでしょ?焦りは禁物。安さんは自分の能力知ってから二か月も経ってないんですから、ここまでこれただけでも上出来ですよ。気長に行きましょ、気長に。お昼からは本の訳の採点したりますから」
古語辞典と古典文法の教本を積み上げながら、安は本の訳を進めていた。正直、不可能かとも思えた訳だったが、今までに起こったことを記しているだけなので、安なりにだがスムーズに進められた。灯流はその横で、レポート用紙をめくりながら、鉛筆で訂正箇所を書いていく。その訂正箇所も訳を進めるにつれ、少なくなっていた。
「安さんは勉強さえちゃんとしてれば、賢いですのになぁ」
「どーせ俺は勉強嫌いですよ」
安の携帯が音を立てた。
「メール…砂城ちゃんからか」
定時連絡のようなもので、毎日マメに近況報告などを送ってくれている。
「え?」
「どないしました?」
「西夜が…退院したって……」
喜ぶべきことなのだろうが、タイムリミットが確実に迫っている。安は複雑な表情で返事を打った。その横顔を見て、灯流は立ち上がった。
「今日の勉強はこれで終わりましょ。代わりにええとこ連れてったりますわ」
「いいところ?」
「安クン、やっぱりちょっと凹んでるわね」
病院の前でメールの文面を見ながら砂城はため息をついた。栄がそれを覗き込む。
「無理もないだろう」
「栄クンも疲れてるんじゃない。看護士さんが言ってたわよ、いつも紅音についててくれてるんでしょ?」
「別にそれほど……」
「お待たせー、二人とも」
西夜がボストンバッグを持って病院の自動ドアを開けた。
「安クンが退院おめでとうだって」
言って、携帯のメール画面を差し出す。
「ありがとうって返しといてもらえる?」
「ラジャー」
「あと、ごめんなって」
「無事退院できたんだから、謝ることなんてないわよ」
砂城は西夜の背中をポンと叩いた。
「いいところってどこまで行くんだよ?」
灯流に手をひかれながら、安が連れて来られたのは樹の生い茂る森だった。
「ここです」
辿り着いたのは丘の頂上。
シンボルのように葉桜の大樹がそびえ立っていた。
「ここ?」
「太榎さんは、なんで時実の家が太榎家の下につくか不思議やったんとちゃいます?」
「う…うん」
「それをこれからお教えします」
大木を指差した。
「この樹を満開にしてください」
「へ?」
「いいから」
「う…うん、えっと『桜の花、満開になれ』」
その言葉に応じるように緑だった葉桜がみるみるうちに薄桃色に染められていく。
「これがどうかしたのか?」
「分かりませんか?『これ』が時実の術ではできへんことなんです」
「できないって…あ!」
「気づきましたか?新しい桜をそこに出現させることはできても、一度散った桜を元通りにすることはできません」
少し哀しげに灯流は言った。
「人の怪我や病気を治すことも無理です。あと時間を巻き戻すことや……」
「……人を生き返らせること?」
灯流は目を見開いて、言葉を荒げた。
「それだけは、したらあきません!」
「あ…ああ……自然の摂理にもとるって言うんだろ」
「それもあるけど……言霊遣いの力でそれをすると…いや、やめておきましょう」
灯流は厳しい目で安を見据えた。
「とにかく無理なんです。そうでなければ、とっくに小夜子姉さんや婆ちゃんを生き返らせるよう、安さんに頼んどります」
うつむいて、その表情は見えないが、土にこぼれ落ちる水滴から泣いていることが見てとれた。
そうなのだ。
平気な顔をしているが、彼女は姉と祖母を同時に亡くしている。しかも太榎の…安の家のせいで。
「ごめん…」
安は頭を下げた。灯流と自分の浅はかさに深く頭を下げた。
「せや、お腹空きません?」
「へ?」
唐突に切り出した灯流にもう涙の影はなかった。
「そうそう、そろそろおやつの時間や」
「あ…ああ……」
「よ?し、じゃぁ腕を振るって…」
「家帰って作るの?」
「そないな面倒、誰がしますか。安さんお菓子だと何が好きですか?」
「えっと…ポテトチップ、コンソメの…」
灯流は頷くと、手に持ってたクロッキー帳にシャープペンでサラサラと何かを描き出した。数秒の後、灯流の手と安の手に小さな白い球状のものが現れた。最初は大きめのまんじゅうかと思ったが、そこから黒いヒモのようなものが見える。
「まさか…」
その物体は手足をジタバタさせ、球体の真ん中には顔が描かれている。
「食べませんの?食用シロちゃんコンソメ味。我ながらなかなか美味いでっせ」
言いながら灯流は平然とその物体を口に運ぶ。
(踊り食い?そもそもなんでシロちゃんなんだ?普通にケーキとか描けばいいんじゃないか?)
「ほら、安さんも」
恐る恐るかぶりついた大福のようなシロちゃんは、確かにコンソメのポテトチップの味がした。
「美味い…けど、もう食べたくない…」
「しばらく学校を休む?」
「はい」
「退院したばかりなのにか?…いや、水吹は確か保護者の方を亡くされてたな。家の事情か?」
「まぁ、そんなところです。出来るだけ早く戻って来ますので」
「水吹くん」
「中本さん」
「ごめんなさい、話聞いちゃった。学校休むって…」
職員室の出口の前に中本恵が立っていた。
「うん」
「あ、あの…私ずっと言いたかったの。クローバー…四葉のクローバーありがとう!」
「え?」
「私がフラれたとき、鳥に届けさせてくれたでしょ?私本当に嬉しかったの。あのおかげですごく、すごく元気になれた」
「あんなの…」
「水吹くんには些細なことなのかもしれないけど、嬉しかった!動物と話が出来るって素敵な特技だよね」
「素敵な…?」
「うん、素敵だよ。あんなことが出来るんだもん。元気で戻って来てね。待ってるから」
「出席を取ります。泉原智樹」
「はーい」
智樹は気のない返事をした。
「奥山啓介」
本当はこの間に入るはずだったのだ。アイツの名前が。
去年はさらに自分の前にもう一人いた。そもそもの出会いがその出席番号の名前順だったのだ。 天川・泉原・太榎の順で席を並べられ、いちいち自分を飛び越して会話する二人に自分がキレたのが始まりだった。
「休学……ねぇ」
隣のクラスの遥歌と架織も休みっぱなしだった。休学の安はまだいい。遥歌は死亡を確認されてから遺体が消えたというし、架織は殺人容疑で行方不明だ。
「俺だけかよ、何も知らないの…」
半開きの病室を開く音がする。
「池条さん、調子はいかがですか?」
三人部屋の一番窓際のベッドに彼は座っていた。
「ああ、ミラの…えっと……泉原智樹だっけ?」
「はい。宮内庁にお勤めだって聞いてたから問い合わせたら入院中だって…」
「ああ、先月ちょっとケガしてな」
ナヲは体勢を直そうとして痛そうに顔をゆがめた。
(また『先月』だ)
「教えてくれませんか?『先月』何があったのか」
「え?」
「『太榎安』『天川遥歌』『都音架織』この名前に一人でも心当たりはありませんか?」
ナヲの返事はなかったが、その驚いた表情が多くを物語っていた。
「ご存知なんですね」
「…ミラは日記をつける習慣があったよな…」
「え?」
「ミラの遺品から日記を捜し出して読んでみろ。オレが言うよりその方が早いだろ」
「太榎の家に行ってみません?」
「太榎の…って叔母さんのとこ?」
灯流は頷く。
「ウチよりも能力についての知識はあるはずです。安さんの過去にも。ウチもついて行きますさかい」
「ユエ、おいで」
月子に黒猫が近寄ってきた。耳には小型のイヤホンをつけている。
「天川遥歌って誰か、どうしても思い出せないんだ。これって…弓比呂乃の能力だよな」
笑って黒猫を抱き上げる。
「しかし池条君も性格悪いよなぁ」
翌日JRで京都から大阪に向かった。もちろん電車の中でも訳と古典の勉強は欠かさない。
「俺、絶対復学したら古典以外の勉強、さらにバカになってる気がする…」
ここのところずっと古典以外触りも考えもしていないのだ。ノイローゼ気味に古典の文字が頭の中を踊る。
「そのくらいでちょうどいいですよ」
気楽に灯流は言う。
「あ、ここの訳間違うとります。何回も言うたでしょう、ここは謙譲語で…」
「父さん…何でもっと楽な口語文で書いてくれなかったんだ」
「そんなん決まっとりますやろ」
「え?」
「天川遥歌さんに読ませるためです。現代語で楷書やったら安さん一人で読めちゃうやないですか」
ずっと疑問に思っていたことが、いとも簡単に紐解かれた。
「……なるほど。やっぱり時実さんって頭いいなぁ」
「褒めても何も出ませんで」
灯流は笑った。
「西夜ー!」
「琉真、おかえり。どうやった?久々のイギリスは」
「ええ、得るものはたくさんありましたので、あとで報告しますね」
空港でトランクを引きずりながら、琉真は笑う。
「西夜こそ、大丈夫なんですか?」
「うん、まだ病院通っとうけど普通に生活できるで」
「安さんは?」
「まだ京都よ。頑張ってるみたい」
横から砂城と栄が口を出した。
「琉クンはこれからどうするの?西夜クンは学校の友達の家にいるんだけど」
「そうですね…」
「狭くてよければ、家に来ればいい」
「栄クン?」
「仕事を手伝えば生活費は無しにしてやってもいい」
琉真は一瞬目を見開いて、大きく頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
「丸くなったわねぇ、栄クンも」
「?」
「安クンのおかげかな」
砂城は栄の背中をポンポンと叩いた。
砂城の部屋に皆が集まっていた。
「狭いな…」
栄がポツリと言った。
「狭くて悪かったわね!これでも紅音と二人で暮らすには充分広いのよ」
「時実神社の離れは…」
「うん…まだ警察に封鎖されてて使えへん」
「それで…」
切り出したのは月子だった。
「何の用なのかな?栄君」
「私は…神界に行こうと思う」
「神界に?」
「でもそれって……まさか…無茶よ!」
「大丈夫だ。私達がいなくなっても、ナヲは絶対生き残る。だから、それで他に行く者がいないか聞いてみたかった」
全員顔を見合わせる。
「俺、行く!」
巴が声を上げた。
「西夜クンは?トコちゃん取り返しに行かないの?」
「……考えたんやけど、やめとくわ」
栄は一瞬意外そうな表情を見せた。
「あらかじめ聞いてみたが、ナヲには鼻で笑われた。太榎は…行くだろうな。奴は私たちのような手段をとらなくとも言霊がある。どの道、全ては太榎が戻ってきてからだ。砂城、太榎の様子は?メールしているんだろう」
「今日は太榎の叔母さんの家に行くって言ってたわ。でも順調みたい」
「そうか」
「そうか。いや、好きにすればいいさ。ただ俺は構いたくないってだけで……ああ……じゃあな」
ガチャリ
「俺は生き残ってやるんだ…最後の一人になっても…」
「何か仰りました?池条さん」
病室から一番近い公衆電話の受話器を下ろしたナヲのつぶやきに通りすがりの看護士が尋ねた。
「いえ、なんでもありません」
松葉杖をついて病室に戻る。
「バカな真似するなぁ。自分から死ぬなんて」
砂城と西夜は玄関に出て皆を見送った。
「……頑張ってね、栄クンも巴クンも。砂城は紅音がいるから無理だけど」
一呼吸おいてから砂城は言った。
「絶対に……帰って来てね」
「琉真」
「はい?」
栄から突然会話を振られ琉真は顔を上げる。
「最後に一つ聞きたい。四年前、貴様が雪と初めて会った時、何を話していたんだ?」
「え?ああ、頼まれたんですよ。雪さんが亡くなったら栄さんの手助けをしてほしいと。栄さん一人には荷が重すぎるだろうからって。もっとも僕が病気になってそれどころじゃなくなりましたが」
平然と言う琉真に栄は一瞬目を丸くしたが、口の端だけで笑った。返事の代わりに琉真の手に鍵を渡す。
「私の家の鍵だ。留守は任せた」
「は、はい!」
真っ白の部屋に小さなテーブルと椅子だけが置かれた空間。
「まだ『望み』は決まりませんの?」
筑波あづみは軽い食事を持って部屋に入ってきた。椅子に座っている少女は心ここにあらずと言った様子で小さく頷く。
「今日はお客様をお連れしたんですよ」
「……お客さん?」
あづみの後ろから和服姿の少女が顔を出した。
「……はるちゃ…」
「今の私では『はじめまして』伊邪那美でございます」
そこにいたのは、紛れもなく『天川遥歌』その人だった。
翌日、栄と巴は姿を消した。