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私の憂鬱。

第十四話




最近の私は、なんだか忙しい。
仕事が、とかではなくね。仕事は前から割りと忙しい。
そうではなくて。
 
こんなことを言うのは、なんというか、色々と恥ずかしいけれど。
心が忙しいと、いうのか、ねえ。
 
…あー、情けない。
 
 
 
 
 
 
「ええー、本当ですかぁ?深咲さんがそんな事言ったなんて信じられないなあ」
 
朝、顔を洗って着替えを済まし、ごはんを食べに茶の間へと顔を出せば、にこにこと電話でどなたかとお話をする新さん。
 
…みさきさん、と確かにおっしゃいました?
新のヤツ、一体全体誰と話してんのかしら。
こちらをまだ振り向いていないのでそろそろと近付いて、背後に立てば私は会話を聞こうと耳をそばだてる。
 
「はい、はい、ありがとうございます、お義母さん!それじゃあ」
「!!?」
 
ピッと新が電話を切って立ち上がろうとちゃぶ台に手をかける。
そのタイミングを見計らい、私は背後で低い声をあげた。
 
「…新くううううん?」
 
その声に、びくり、と男の背中が揺れる。
かなり驚いたのだろう、私の声に飛び上がらんばかりの反応をみせれば、新が慌てて私のほうを振り返った。
 
「深咲さん!いやだなあ脅かさないでよう」
「いやだなあ、じゃないわよ。あんた、誰と話してたの?」
 
私があらん限りの迫力で睨みつけてみても、新はその怒りを感じ取ることができないでいるのか、それともとぼけているだけなのか、多分後者だ、きょとん、と目を丸くしてこてん、と首を傾ける。
 
私はついにその動きに我慢ができなくなれば、力の限り新の顔を左側にぎぎぎぎぎ、と押してやる。
 
「い、いたたたた深咲さん、首が!首がもげちゃう!!」
「それやめろって言ったでしょ!無駄に可愛くて腹立つのよ!!!」
 
女より可愛くてどうするつもりだ本当に!
ある意味、理不尽な怨念も込めつつ私は新の顔をぐいぐい押した。
 
涙目になった新を見てやっと少し気が晴れて力をゆるめれば、それに素早く反応した新は一歩ひいて私から距離を取る。
こんな風に避けられたの初めてかも、新鮮。
…まあ、頭をレバーみたいに扱われたら当たり前よね。
 
「ひどいよぉ、深咲さん!首筋痛めたかも!薬ほしい!」
「えー、アンメルツタテタテとか?ないわよ、うちには」
「舐めて」
「…は?」
 
真顔で何を言い出すのかと思えば。
先程は新からすれば右方向におもいきり押されたので、右側面の筋を強調するように顔の角度をちょっと傾けつつ、先程のせりふをこの男は吐き出したのだ。
 
なにも言わずに私が眉を顰めていれば再度、新が申し出てくる。
しかも痛む箇所を人差し指でちょいちょいと示しながら。
 
「だからあー、深咲さんがここを舌でなぞってくれれば治るから」
「…そんな事しなくとも治るわよ」
 
にっこりと微笑んで、私は傾いたままの新の顔を強引に正面へと直してやった。
ごき、という骨が軋んだような音がして、新がぎゃあ、と悶絶する。
 
「ひとでなし!」
「うるっさいわね、質問に答えないのが悪いのよ」
「別に答えなかったんじゃないよ!言う前に深咲さんが僕の顔ぐいぐい押したんじゃないか」
「だって無駄に可愛らしい仕草って腹立つじゃないの」
「やっぱりひとでなしー!」
「はいはい、それで?どなたとお話していらしたの」
 
ため息混じりに、嫌味たっぷりに莫迦丁寧な言葉でわざわざ再度質問事項を繰り返してみる。
すると新は口を尖らせたまま、やはり信じたくはなかったが最悪の予想を的中させる答えをその口から発した。
 
「どなたって、深咲さんのお母さんだけど」
「どうしてそうなった!!」
「えー?」
「なんであんたが私の母とあんたの携帯電話で呑気に世間話なんかしちゃってんのよ!いつ知ったの番号を!!」
 
当然の疑問を私が怒鳴ってまくしたてるように話せば、新は逆に淡々とした口調で説明をしてくる。
 
「前に一回、携帯が鳴ってるよって言ったときに両親からだから出なくていいって書斎に引きこもっちゃった事あったでしょ?そのときに代わりに出たの。深咲さんお仕事中ですよって」
「………新、母になんて言ったのよ」
「ん?深咲さんとの関係を訊かれたから雇われている人間ですがって言ったよ。あと出来れば結婚を前提にお付き合いしたいと思ってますって」
「は!!?」
「それで、よければ僕から深咲さんの近況なんかを報告しましょうかって言ったら是非とお義母さんが言うんで番号交換した」
 
あまりにも衝撃的すぎる事実の数々。
私は足腰に力が入らなくなって、その場にくずおれそうになる。
しかしへなへなになった私を新が慌てて支えれば、原因の癖に大丈夫?なんて心配そうに声をかけてきた。
 
「新…お母さんと仲良くなってどうすんの……?」
「んー?あ、お父さんはちょっと難しそう」
「いや、そうじゃなくてね」
「佐倉さんのアドバイスなんだ。ほら、家に来たとき僕と内緒話してたの覚えてる?」
「ん?ああ…そういえば帰り際にこそこそなんか話してたわね」
 
座布団に座らされた私は弱弱しい声をあげながら、ぼんやりと新の言葉の先を待つ。
 
「深咲さんは固いから、外堀から埋めるほうが早いって。本人の陥落はそれからでも遅くないぞって言われたんだよ」
「外堀……それがいちばん厄介だと思うけど。つうか佐倉…!」
「まあそうなんだけど…そっちをなんとかしちゃえば、深咲さんの色んな警戒心が解けるからって佐倉さんが」
 
なおも言葉を重ねられ、私は思わずはあ!?と声を上げてしまう。
長年の付き合いがある分、確かにヤツのアドバイスは侮れない。
案外的を射ているわけでなんとも言い難い。
 
だけど、だけどよ。
 
私の陥落ならもうされちゃってるのよ、情けない事に!
 
心の中で叫んだ一文がなんともいえない恥ずかしさで、私は新との近すぎる距離に頬を染めそうになる。
まずい、落ち着け私。
 
しかし不自然にもぞもぞと新から離れようとしたのがいけなかったの新が私に訝しげな視線を寄越す。
 
「深咲さん、怒ってるの?困ってるの?」
「……ど、どっちもよ」
 
自分の考えている事が漏れ出さないように、と、ぴったり寄り添おうとする新をぐい、と身体で押しのけて私は俯く。
にしても、母と仲良くするなんてどういうつもりなのかしら。
…やっぱり結婚詐欺?
親も取り込んで全財産を毟り取ろうとしてるとか?
 
ああもう!
 
彼の真意なんてどうでも良いと思っていたのに、今は色々と鍵をかけるのに必死になってしまう。
 
いっそ、一哉とよりを戻してみたらいいのかな。
でも、そんな気分にはやっぱりなれないし。
……とりあえず彼の言ってた事が本当かどうなのか佐倉に確認してみよう。
 
「そんなに嫌だった?お義母さんと仲良くするの」
「嫌というか困るわよ。…ていうか、そのお母さんてやめてよ、絶対に義母の方を心の中で字としてあててるでしょ」
「だって近いうちそうなるし」
「なるか。……ああもうとりあえずいいわ。新、朝ごはんは?」
「あ、もうできてるよ!」
 
ぱたぱたと支度をする新をしばらく目で追ったあと、私は盛大なため息を吐いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『本当に担当が冴島になったのか』
「びっくりして心臓止まるかと思ったわよ、私」
『…恐らくそれはヤツのほうがそうなんじゃないのか』
「でもむこうは会う前から私だってわかってるわけでしょ、前担当の中道さんに紹介されて初めて知った私の驚きは相当だったわよ」
『ああ、まあそりゃそうだろうな』
 
電話口でくつくつと笑う佐倉のその声になんとも腹が立つ。
 
お昼を過ぎて、しばらくこもると言った私は書斎にてこそこそと電話をかけた。
佐倉とのこの会話は出来れば新には聞かれたくない。色々とうるさそうだしね。
 
「ねえ、それで私が聞いた一哉の昔話って本当なの?」
 
プロポーズ紛いの事を言われる少し前に一哉から明かされた真相。
それが本当なのかどうなのかがどうしても知りたかった。
 
『ああ、本当だ。お前は全然あいつに未練なさそうだったから脈無しだと言ったのもな』
「そう……だったんだ」
 
それじゃあ、彼の言った事はすべて真実で、やっぱりあのとき彼ではなく私が振ってしまったようなものなのか。
ああ、なんだか自分が悪女にでもなった気分だ。
 
『それより、そんな事を訊くって事は、再会早々に告白されたってのはやっぱり本当の話なんだな』
「!誰から訊い、………新か」
 
先程からずっと小さく笑い声が漏れていたけれど、今はやっとそれがひっこんだかわりに、なんとも楽しそうな弾んだ口調が私を苛立たせている。
 
『俺に根掘り葉掘り聞いてきたからなにかと思ったが』
「…あの子そんな事まで…ってそうよ!あんたがいらない知恵を与えたせいで新が面倒臭いこと仕出かしてくれちゃったんだからね!?」
 
私は先程の母と仲睦まじく話し込む新を思い出して半ば怒鳴るように電話口の佐倉を詰る。
まったくもって、この男は昔から余計なことばっかりするのだ。
 
冴島と付き合うきっかけになったのも佐倉だし、新とああなるきっかけを間接的にだとしても作ったのはやっぱり佐倉だ。
彼とでなければ、私はあの日あんな風には泥酔しなかったのだから。
 
しかし、当の本人は先程まで笑うにしてもすかしたかっこつけしいの、押し殺すような声しか出さなかったくせに、ついには色男が形無しというくらい、阿呆な笑い声を上げていた。
まさしくもって、大笑いというやつだ。
ちなみにどうでもいいことだが、生活の中ではついつい爆笑という言葉を良く使ってしまうものだけど、この場合正しくない。
あくまでも爆笑というのは、複数の人間が集まって笑っている様をあらわす言葉であって、ひとりのときは最上級でも大笑いが正しい。
 
ってなわけで彼は今、大きな声を上げてひとりで笑うときに使う表現が、まさしくがっちりとはまる大笑いをしているわけであります。
彼はそんなに笑うほうではないのでこれはかなり稀有な現象。
ひょっとしたら…抱腹絶倒状態かもしれない。
わかんないけどね?姿みえないから腹を抱えてるかというのは。
 
どっちにしろ怒りを忘れてみてみたい、と思ってしまう私が一番、愚かな気がしてきました。ああ、自分に呆れてしまう。
 
『はー…いや、すまん。まさか実行するとはな』
「私もゾっとしたけどね。…結婚詐欺だとしたら相当毟り取る気だわ」
 
苦笑して冗談とも本気ともつかない口調で私が言ってみれば、佐倉が一瞬、沈黙する。
 
『…一ヶ月経ってもやっぱり信用は出来ないか?』
「そうねえ、だって正体がわかんないじゃない」
『調べりゃいいだろう』
「興信所とかぁ?それこそ面倒臭いわよ」
『お前は…ったく、相変わらずだな』
 
声のトーンが真面目なそれに変わったので、私はどこか心がざわつくのを感じる。
あー、言われたくないことまでいわれてしまいそう。
 
『それで?どうするつもりだ』
「…どう、って」
『冴島と結婚するか、新と結婚するか』
「どっちともどうこうなる気なんて…」
『そうやっていつまでも壁作ったって無駄だろう。あいつらはけっこう骨のある男だ。とっぱらってくるぞ』
「……………」
『まあ、冴島が一途なのは事実だ。あれから誰と付き合ってもあまり長続きしなかったようだしな。新にしても、俺は遊びでやっているとは思えないが?』
「…っ、とにかく!私は、今のところひとりで生きていくって決めてるの!だから、いいのよ」
 
少し強引に佐倉の言葉を振り切っていってのければ、佐倉は呆れたのか、ふー、と長いため息を吐いた。
 
『成島、ここがお前の正念場だ。逃げるな』
「さ、佐倉…」
『少なくとも、相手が本気でぶつかってきたなら、それを真正面から迎え撃ってやれ。受け入れられなくともだ』
「………うん、わかってる」
『…じゃあ、俺は打ち合わせがあるから、切るぞ』
「ありがと、佐倉」
『殊勝なお前は気味が悪いな。…じゃあな』
 
くつ、とまた嫌味ったらしく笑って、佐倉はそのまま電話を切った。
ツーツーという音しか流れなくなった電話を私はパタン、と閉じた。
 
そのまま書斎机の引き出しに、シルバーの携帯電話をしまいこむ。
ふう、と息を吐いて、椅子に背中をあずけながら天井を仰ぎ見る。
 
自分がどうしたいのか、なんて。
そんなの私がいちばん訊きたいわ。
 
ねえ、あんたどうする?どうすんの。
このままずっとひとりでいる?
 
それとも……?
 
『ピンポーン』
 
思考の海へと沈み込みそうになった私の頭を現実に引き戻したのは来訪者を告げる呼び鈴だった。
慌てて立ち上がりそうになった所を、しかし今は新がいるという事を思い出す。
それでも私が出なければいけない用件かもしれないしと思えば、焦りはせずとも私はがちゃり、と書斎の扉を開いた。
 
しかし扉を開いた瞬間、争うような声が聞こえて私は出るのを躊躇った。
…新が、怒鳴ってる?
 
書斎から玄関は距離がそれ程遠くはないが、そんなにしっかりしたものではないけれどこの部屋は一応防音になっていて外の音が入りにくくなっている。
とはいえそんなに本格的なものじゃないから、一切の音が遮断されるってわけではないんだけど。
ただ、開いた瞬間に漏れ聞こえる音に、たまに驚く事はある。
大きな音も遠くで響くように聞こえたりするからだ。
でもまさか今日はそれが同居人の怒鳴り声だとは。
今まででいちばんびっくりしたかも。
 
そんな事を頭の中で考えているうちにも、ぼんやりと様子をうかがっていれば言い争いはなおも続いているようで。
 
「新?どうしたの…?」
 
いいかげん立ち聞きも悪いので、私は後ろから恐る恐る声をかける。
それに新が弾かれたように目を剥いたままばっ!と私を振り返る。
 
玄関に立っているのは…ぱりっとスーツを着こなした男性。
どことなく神経質そうな雰囲気があるのは、その見た目のせいだろう。
皺ひとつないスーツと、銀縁の眼鏡に七三分けで固められた髪。
今時あんまりみかけない、いかにも真面目なサラリーマン、といった風情の男。
 
私が新の肩越しにまじまじと観察していると、それが気に入らなかったのかなんなのか、ぐい、と私の顔を挟み込んで、新のほうへと向けさせられる。
 
「深咲さん、あんな男を視界にうつしちゃだめだ。僕だけみて」
「…お知り合い?」
「ごめん、それは言えない」
 
ああ、込み入った事情の中身に抵触するわけなのね。
……にしても、ということは私の顔が知られるのが嫌なのかしら。
でもここまで来ちゃってるんだから、無駄なんじゃ?
 
「申し訳ないんだけど、ちょっと出てきてもかまわないかな?夕食を作る時間までには必ず戻るから」
「ええ、かまわないわ。気をつけていってらっしゃい」
 
にっこりと微笑んでそう言った私に、新は心底安堵するかのように息を吐く。
そうして次には蕩けるような顔で微笑んだ。
 
「ありがとう、深咲さん。大好き」
 
そう言って人前であるにもかかわらず、彼は私に口付ける。
おい、新。
 
私が無言で睨みつけてやると、おかしそうに笑って、新は走って部屋へと鞄を取りに行ったあと、もう一度今度は頬へと軽いキスをしていってきます、と声をあげた。
私はもう、抗議の意を示すのも面倒で、苦笑しながらいってらっしゃい、と手を振る。
 
新が玄関口へと走って物凄く低い口調で男性に行くぞ、と声を発した時には、少し動揺しそうになった。
 
振り返って小さく手を振る新は、先程と同じで、とてもひとなつこい笑顔をみせる彼なのに。
 
ガラガラと扉が閉じられれば、私はその場に立ち尽くす。
 
『行くぞ』
新の怖いくらいに冷たい声が、頭から離れない。
いつか、私もあんな風に話しかけられる対象になるのだろうか。
 
それは、一体いつなのだろう?
明日かもしれないし、一時間後かもしれない。
 
それを考えると、指先から私の身体は冷えていった。


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