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私の憂鬱。

第十二話




しばらく状況が把握出来ずに固まっていたが、私は目の前の立つ男の存在をきちんと認識すれば、とりあえず笑みを作った。
 
「冴島さん、どうされましたか?ひょっとして今日なにかの打ち合わせでもありましたか?進藤からは特になにも言付かっていないのですが…」
  
ひょっとして連絡ミスかしら?と眉を寄せて目の前の人物にうかがう。
しかし彼は私の言葉を訊いているのかいないのか、読めない表情で私をただじっとみつめるだけだ。
オイコラ、寝てんのか。
 
「冴島さん?」
 
もういちど私が先程よりも気持ち大きめの声で彼を呼ぶ。
すると彼は特にそれに驚いたわけではなく、ひとつ瞬きをすれば、はあ、と息を吐いた。なんだろう?
 
「…成島さん、とやっぱり呼ばなくてはだめかい?」
 
眉尻をすっかりと下げきってなんとも情けない顔をする目の前の男は理解の範疇を越えて私にそんなことを言ってきた。
自分だって、鈍い人間だとは思っていない。いないけれど。
本気でどういうつもりかわからない。
 
もっと友好的に接してほしいとか、そういうことなのだろうか。
例えばだが、別れたといっても嫌いになってそうなったわけではない。
だから昔のようにくだけた態度で接してほしい。と言いたいのだろうか。
もしもそうならば、別にそれを拒否するほど心は狭くない。
だが、あくまでも仕事上の関係というものがあるわけで、それを思ってしまうとその壁をとっぱらうのは私の中で非常に抵抗がある。
 
「まだ、独身なんだね」
 
なにも答えなかった私をどう思ったのかわからないが、冴島は私の言葉を待たずになおも声をあげる。
また質問の意図がわからずに戸惑いながらも、私は首肯する。
 
「ええ…あの、結局、ご用件はなんでしょう?」
「俺の事、怒ってる?許せない…?」
 
………。
 
ああ、そうか、この男は。
ただ赦されたいだけなのか、なんだ。
昔の事をそう気にしなくともいいのに…。
確かに、二股はルール違反だろうとは思うけれども、私達はお互いが無理をしたからこそ歪んでしまったのだから誰のせいでもない。
それをいつまでもひきずって罪悪感に苛まれる必要もないのに。
 
私は苦笑した。
 
「ひょっとして、あなたは至極プライベートな用件でここに居るのかしら?」
「………深咲?」
「あがっていく?進藤はいないから美味しいお茶とまではいかないけど。普通のお茶なら出すわ。あ、襲ったりしないから大丈夫よ。自分の担当とどうこうする趣味私はないから安心してちょうだい」
「…ありがとう。でも襲ったり云々は俺の台詞だよ」
 
私と同じように苦笑して、彼は玄関の扉を閉めた。
…ひょっとしてずっとそんなことを気にしてたのかな。真面目な男。
 
 
 
 
 
 
「コーヒーで良いわよね。インスタントだけど」
「ああ、かまわないよ。手伝おうか?」
「いいわよ、お湯入れて混ぜるだけなんだから」
 
立ったままこちらに向かってこようとする男を制して、座布団をすすめる。冴島は肩を竦めてちゃぶだいに腰掛けた。
 
「どうぞ。砂糖いらなかったわよね」
「ありがとう、…覚えていてくれたんだ」
「そんなに忘れっぽくないわよ」
 
会うと大体、彼はインスタントコーヒーを飲んでいた。
一年も付き合った男であるわけだしそう記憶が悪くとも覚えていたって違和感はないと思うのだが
目の前の男の弾んだ声がなんだか気にかかる。
…ひょっとして、ひょっとしないわよねえ。
 
そういえば、独身なんだなんて、どうして訊いてきたのかしら。
 
「俺さ、あのとき深咲に酷い事言っただろう?ずっと後悔してたんだ」
「!一哉…」
「深咲に、忘れられたくなかったんだよな。ずっと憎まれてもいいから記憶に残りたかったんだ。最後の抵抗、じゃないけどさ」
「…私の事どうでもよくなったから別れたんじゃないの?」
「それは深咲のほうだろう?」
 
射抜くような双眸で貫かれれば私は取り繕う言葉を失った。
無言でコーヒーを一口飲み込む。…可もなく不可もなしな味がした。
 
「そうね、佐倉から新しい彼女が出来たって聞いた時も特になんにも思わなかったわ。あんまりにも時期が近かったから二股されてたのかな、なんてぼんやり思ったけれどそれくらいで」
「あれは、嘘だよ」
「嘘?」
「佐倉に頼んだんだ。もしもそれで少しでも深咲がなにか動揺してくれれば、俺はまた深咲に会いに行こうと思ってた。でも…佐倉に言われたのは脈無しだから諦めろって言葉だったな」
 
自嘲するように言った彼に私は驚いて目を見開いた。
まさか、あのときの言葉が嘘だなんて思っても見なかった。
私は、逆に変な罪悪感を抱く事もなくむしろ良かったとも考えた。
あのひとは私との一年で疲れてしまったけれども新しい幸せをきちんとみつけられたのだ、と。
 
「それは…なんだかごめんなさい」
「謝らないでくれよ、また振られたみたいじゃないか」
「またって…形で言えば振られたのは私でしょう?」
「形だろう。心情的にいってしまえば振られたのは俺さ。…というか、両想いのときなんてあったのかなあ、深咲と」
 
ふう、と息を吐いて頬杖をつく彼を私はちびちびとカップの中身を減らしつつながめていた。
 
まさしく好青年、といった風情の彼は少し短めの黒髪と同じく黒いフレームのお洒落な眼鏡をかけて物憂げな表情をそこにたたえている。
彼の言葉に、私はなんと返事をするべきか一瞬躊躇った。
けれどもこのまま彼にそんな風に思われたままなのはどこか心外で私は彼に呟いた。
 
「……わよ」
「え?ごめん、なに、もういっかい」
 
声が小さかったらしい。
も、もう一回声に出して音にしないといけないの?恥ずかしい。
 
「好きだとも思ってない相手に処女を捧げるわけないでしょ…って言ったのよ!ったく二回も言わせないでよ恥ずかしいわね」
 
私の半ば怒鳴るようなその言葉に、彼は顔を赤くした。
ちょっと、やめてよなにその十代みたいな初心な反応は!!
 
「なんで赤くなんのよ、余計に恥ずかしいじゃないの」
「いや、深咲がそんな事言ってくれると思ってなかったから…」
「あのねえ、そりゃ分かり辛かったとは思うけれど、私なりに愛情は示してきたつもりよ、失礼ね」
「いや…そっか、そうだよな。深咲はそんないい加減な女性じゃないよな。馬鹿だな俺、何年経っても駄目な男だよ」
「そういえば、あなたは?結婚。なんだか可愛らしい奥さんと子どもとか居ても不思議じゃないわよね。愛妻家になっていそう」
 
私は特に気にせず口にした言葉だったけれど、彼には面白くないものであったらしい。
あからさまに不機嫌さ漂うオーラを発すると彼は私を睨んだ。
 
「奥さんがいたらここに上がりこんでないよ。今は決まった女性もいない」
「…あら、それは失礼。別に浮気する為に上がるわけじゃないんならかまわないと思うけど」
「何度も言わせないでくれ。俺に妻や恋人はいない」
「だからわかったって言ったじゃないの。なにそんな怒ってるの?」
 
眉間に皺を寄せながら目の前の男を見やる。
なんでこんなに怒るのよ。というかなーんか。
雲行きが怪しいと感じなくもない展開なんだけど。
大丈夫よねえ…?
 
「…君はやっぱり、俺にそういう関心はないんだろうね」
「そういう関心って?」
「わかっているくせに、最後まで言わせるの?いいのかい?」
「冴島一哉はさっきまで私の中で故人だったのよ」
「…そうだね、再会して感動の対面を果たしたときに言うに事欠いて君は、随分と酷い皮肉を俺に投げかけたものだと驚いたよ」
「ああ、通じていたのね、鈍いひとじゃなくて良かったわ。ならどうしてそう言ったかも察してくれるでしょう?面倒だからよ、すべてが。あくまでも初めてお会いした冴島さん。そう通したかったのに」
 
睨むように彼に言い放ったが、彼はどこか面白そうに笑うだけで、なんだかどんどん嫌な予感がした。
 
「俺は嫌だったから。また昔のように深咲と呼びたかったんだ。ああもちろんプライベート上での話だよ。公私混同はしないさ」
「あらそう。別に友人として接するぶんにはかまわないわよ私だって」
「意地悪だね、深咲は。さっきまでの会話でわかってくれてるだろう?俺がいかに君に未練たらたらかって」
「さあ?あなたが情けないヘタレって事しかわからなかったわ」
「…言ってくれるね」
 
まずい、つい挑発するようなことを口走ってしまった。
先程までの穏やかさはなりをひそめ、完全に男の顔になっている。
今、新はいないし、どうしよう。
大声で叫んだら周りが気にしてくれるかもしれないけど…またそれも色々と面倒ね。
 
鍵がかかる部屋にでも逃げ込む?でも、そのあとはどうする?
その後だって彼との仕事はあるのよ。
…もうすでにやり辛くなってしまった状況に陥ってはいるけれど。
 
「ちょっと、前言撤回するから近付かないでくれない。私には今、そういう相手がいるのよ、あなたとどうこうなる気はないわ!」
「だったら一人暮らしの部屋にほいほい男をあげるな。こうなるってわかるだろう?何歳になったんだよ、君は」
「!」
 
ぐい、と腕をつかまれて一哉の腕の中へと捕捉される。
同時期にふたりの男に言い寄られるなんていまだかつてない。
まさか別れた元彼に復縁を迫られる事になろうとは。
 
ありえないなんてこと、ありえない。
 
ああ本当にその通りね、新。
今はあなたの城でもあるのに、ほいほい上げるんじゃなかったわ。
恋人ではないけれど、今の私の心の大多数を占めている男は今抱かれている彼ではないはずで。
操を立てる必要もないのかもしれないけれど、約束したのは私自身なのだから、守らねば、とも思う。
 
というか、新以前に私は無理だ。
もうこいつと付き合う気力なんてない。
 
「冴島さん!会社に報告しますよ、セクハラされたって」
「君に、ひとひとりの人生を滅茶苦茶にするような重荷を背負えるの?」
 
う!
さすがに昔の男だ、私の弱点がよくおわかりで。
まさしくもってその通り。
面倒くさがりで、多くの荷物を持つことを極端に嫌う私にそんなことはとても耐えられない。
 
「卑怯よ。私は、彼以外とこういうことをするのは嫌なの!」
「その彼ってどんなひとなの?恋人?結婚するの?」
 
結婚。
新と、結婚?
 
…ありえないわよね。
 
黙ってしまった私になにを思ったのか私を抱く彼の腕に力がこもる。
 
「結婚を連想できない相手と付き合ったって先はない。そんなの君だってわかってるんだろう?」
「それは、」
「俺は君がイエスと言ってくれるなら今すぐに籍を入れたってかまわない」
「私はかまうわ!結婚なんて一生しなくたって私は幸せなの!!」
「でも、周りは色々とうるさいんじゃないのか?俺のものになってくれれば必要以上に君に干渉したりしないよ。…浮気さえしないでくれれば」
「か、一哉……」
 
都合の良い言葉。耳元で囁かれる甘い誘惑。
それでも、私はなんとか正気を保つ。
 
「か、家事とか嫌いなのよ。仕事だってしたいし」
「続ければいい。結婚したからって家事をする必要もないよ。分担すれば負担は減るし、雑務は今まで通り進藤君にやってもらえばいい」
「な、んで。あなたにメリットがないじゃない」
「俺は、君が好きなんだよ。別れてからもずっと忘れられなかった、なんて作家の君には陳腐すぎる言葉かもしれないけれど。ずっと一緒に居られるのなら、それ以外に望むものなんてない」
「そ、そんな事言われても、困るわ……」
 
彼のようなひとならば、田舎の両親もこちらに定住するのを納得してくれるかもしれない。
って、ああもう!
なにを考えているのよ私はあ!!
 
頭がぐちゃぐちゃになって、なにも考えられなくなってしまう。
無言になった私の身体の拘束を彼は少し緩めた。
きっと、抵抗すれば抜け出せたのだろう。
つかまれた顎が、赤くなっているのがわかる。
彼のほうをみてしまっては、駄目だ。
 
そう思っても目は逸らす事ができずに、潤んだ情熱的な瞳でみつめられてしまうと、身動きがとれない。
 
顔を持ち上げられたまま、しばし視線を絡ませれば、私は簡単に彼の口付けをゆるしてしまった。
 
27歳、独身女性。
半分以上、捨ててた私の中のそういう感情。
呼び覚ますのはやめてほしい。
 
触れた唇から感じるのは、彼の熱さ。
けれど私の心は波立たない。
 
緊張して高鳴る心臓はそれなりの感情を抱いていたのかもしれないけれど。
頭を回るのは汚い打算で。
きっと、本能的に女を呼び覚まされるのは、彼だけ。
ああ、そうか。
 
もう、どんなに言い訳をしても駄目なのだ。
なんということだろう。
 
私は、初めて気が付いた。
 
好きなのだ。しかも、特別な心でもって。
いやだ、ひょっとして初恋に相当するかもしれないの?
一応、今までの男にはそれなりの情はあったのに。
でも、そうか、そうなのか。
 
私、新のことが好きなんだわ…。
 
違う男にキスをされながら、そんな感情でいっぱいになる自分を心底無神経だと思えば、殴りたい衝動に駆られた。
…自傷行為なんて痛いし面倒だからしないけれど。



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