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私の憂鬱。

第一話




頭の中の雑音。それを私は失くす術を知らない。
どうしたら静かな時を過ごせるのか。
どうしたら私は思うがままに生きられるのか。
最近考えるのはそんな事ばかり。
わからない、わからないわ。
だって私はもうとっくに大人になったはずで、
自分ひとりを養って立っているはずなのに。
どうしてこんなに増えるのかしら。
どうして雑音は、少なくならないのかしら。
時折、苛立ちがおさえきれなくなりそうになる。
すべての人間を切り捨ててなにもかもから逃げて、
誰も私を知らないどこか遠くへと、行きたくなる。
きっとそれができないのは、私が弱いからなのね。
ほんとうは心のどこかで、寂しいのだと思っているからなのね。
わかっているけれど、そういうところも認めているつもりなのだけれど。
だからって、なんでもいいわけじゃない。誰でもいいわけがない。
どうしてそれを我儘なんて言うのよ。そんなにいけないこと?
私はもう、なにもできない子どもではないのに。
待たなくていいから、ほうっておいてかまわないから。
せかすのはやめてよ。
 
…頭が痛いわ。
 
 
 
 
 
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「もういいかげんうるさいっつーのよ!」
 
ダン!と一気にあおり今は空になったジョッキを私は強くテーブルに叩き付けた。
もうほんとに、最近のあの煩さは異常よ、異常!
 
「まあまあ、そんな飲み方すると回るぞ。お前そんなに強くないんだから」
「うっさい。アンタまで私に説教する気?」
「絡み酒は面倒だからやめてね」
「は~…私も男に生まれれば良かったなぁ」
「またか」
 
苦笑いして煙草へ火をつけたこの男は大学からの同級生だ。
お互いに趣味が合い異様に一緒にいるのがラクだからなのか、社会人になった今でも交流がある。
 
「確かに、一生食っていけるかなんてわからないわよ。それこそ本だって読まれない時代だし?けどそこそこ売れっ子なのはわかってるんだし、そう躍起にならなくたっていいじゃないの!」
「相変わらずなのか、親御さん」
「さっさとヤクザな商売はやめて地元に戻って見合いでもしろとさ。じゃなきゃいいひとみつけてとっとと結婚しろって。まったく実家に帰ったらそんな話ばっかりよ。腹立つったら」
「お前みたいの貰う奇特な人間なんているのかねぇ。男だったらモテたかもな、確かに」
 
くつくつと笑う目の前の男が心底憎らしい。
お酒の追加注文をした所で私は佐倉をあらためて見つめた。
 
27歳。
女だったら焦るような年齢なのかもしれないけど、男はまだまだ遊んでいられる時だろう。
スーツを少し着崩した様子はどこか洗練されていて大人の色香が漂ってくる。
さらさらな黒髪も、浮ついていない落ち着いた雰囲気があり、より一層彼の魅力を高めている。
…要約すると目の前の男は憎らしい程にいい男なのだ。
不機嫌がどんどん顔に出るのを止められなくて眉間に皺が寄る。
それを佐倉がたしなめた。
 
「黙ってればそこそこ見れるんだからその顔はやめろ」
「そこそこが余計よ。いいのよ、顔で商売してるわけじゃないんだから」
「顔出しが頻繁になればそれこそ商売の内になるだろう」
「私は御免だわ。自分で小説書いてそれがドラマ化したからって、そこに出演する人間の神経がわからないもの」
「…まあ、女性作家でそれをやる人間は確かにあまり見ないな。どちらかというとコメンテーターとかのが多いか」
「どっちにしろ嫌だって言ってんの!」
 
追加された酒を、先程のようにまた勢い良く流し込む。
その様子に佐倉はますます心配気な顔をした。
 
「おいおい、マジで勘弁してくれよ。持ち帰る趣味はあっても介抱してやる優しさは俺にはないからな」
「あんたねぇ…その軽いのなんとかなんないわけ?そのくせ本気の子には全然手が出せないでいるんだから馬鹿みたい」
「うるさい」
「この前も私のとこにメールがきたわよ。槇村先生ってば事もあろうに私とあんたが付き合ってるって勘違いしたみたいねー」
「はあ!?…お前なんて答えたんだよ。まさか余計な事してねえだろうな」
「誰が。昔馴染みの恋路を邪魔するほどひねくれてないわよ。担当編集と作家がデキちゃうなんてそう珍しい話でもないんだからとっとと告白でもなんでもすりゃあいいのに」
「お前な、そう簡単に言うなよ。作家先生と違ってこっちはしがないサラリーマンだ。しがらみだって色々とあんだよ。大体、うまくいかなかった場合お互いにやり辛いじゃねえか」
「ヘタレ」
「ほっとけ」
 
ぶつぶつと文句を言う目の前の男を、それでも羨ましいと感じる。
恋とか愛とか、疲れたなぁ。
いっつも相手の男は、私が自分ひとりでも生きていけると言う。
自分がいなくたってどうせ君は困らないとそればかり。
そうよ?だからなに?
そう思う反面、寂しくて眠れない夜くらい私にだってあるわよ、と相手に言ってやりたくなる。
けれどもわかったと了承したのは自分自身。
いつもそうよね。
失いたくないと躍起になった事は今まで一度もない。
本気で欲しいと想うひとは、いつか現れるのかしら?
……なんだか一生ない気がするわ。
 
ふう、とひとつ息を吐く。
いけない、いけない。
こんな暗くなる為に、私はここにいるんじゃない。
 
「だからさ、佐倉。飲もう今日は。いいじゃない、今夜だけでも面倒臭い事忘れられたら。」
「…そう、だな。お互いに」
「うん」
 
笑って、持っているグラスをかちん、とぶつけ合った。
 
憶えているのはここまで。
正直、意識が飛んだ経験なんて今までなかったものだから完全に油断していたと思う。
それこそ、昨日一体どれだけの量を飲んだのか。
後悔先に立たず。
致してしまったものは仕方がない。
 
 
 
 
 
 
―――――――――――――――
 
 
 
 
「んー…?」
 
自分の口からでた呻き声で目が覚めた。果たして今は何時だろう?
カーテンから光が差し込んでいるから朝みたいだけど。
頭がガンガンする。こりゃ完全に二日酔いだわ。
まずったなー。締め切り明けで良かった…。
この状態で画面とにらめっこするのはさすがに辛いわ。
 
いつものように起き上がって時間を確認しようと、ベッドからサイドボードへと手をのばし携帯電話をまさぐる。
が、しかし。
そこでやっと気が付いた。
 
これは、いつもと景色が違う。
そろり、と顔をゆっくりと左右に回せば、どうやらどこぞのビジネスホテルのようである。
なぜこんな見知らぬ場所にいるのかわけがわからず、シーツをめくって外へ出ようとしたとき悲鳴をあげそうになった。
 
ふ、服着てないじゃない!
まずい、まずいわ。もしかして隣に佐倉がいたりとかしないわよね!?
焦って隣を見れば、確かにすうすうと寝息を立てて誰かが寝ている。
が、それはまったく知らない男で、佐倉ではなかった。
その事にほっとしたのも束の間。
ここで相手に起きられては色々と面倒だ、と思い至る。
しかし…行きずりでこんなことになるの初めての経験だわ。
今度なんかのネタになるかしら。
 
こういうとき、開き直れるのは職業柄かもしれない。
ネタのこやしになるのなら、辛い経験もそう悪くはないと、どこか救いのように思えるから、衝撃的な事も処理は難しくない。
といっても、いい歳をしてこんな事でそこまでショックは受けないけれど。
 
『あーしかしこれしちゃったのよねぇ…ばっちり名残があるし。避妊とかちゃんとしたのかしら。ったくとんだ失態だわ。』
 
素早く周りにちらばった服を着て、早々に私はホテルを後にした。
一瞬、相手に悪かったかとも思ったけれど多分いなくなってくれていたほうが向こうも気が楽だろう。
一応お金は置いておいたし、ま、これで後腐れなくって事で。
 
「7時か…良かった、始発もとっくに出てる時間ね」
 
携帯電話をながめて息を吐き、駅へと歩き出す。
にしても、本当にまったく記憶がない。
佐倉にきけば、昨日何が起こったか教えてくれるだろうか。
しかし傷口に塩を塗りたくるような行為であるような気もしてなんだかためらってしまう。
まあ…メールで訊くくらいはいいとは思うんだけど。
電車に揺られながらずっと思案してみるけれど、相手の反応を考えればなんだか面白くない、とやっぱり躊躇する。
 
だって、だってよ。
あの佐倉に、ともすれば弱みを握られたかもしれないわ。
それはものすごく面白くない。うん。
力強く頷いて、結局は問うのを保留にした。
どうしても気になったなら訊けばいいだろう。
 
自宅付近の最寄り駅に着いた私は、薬局とコンビニへ寄って、そのまま自宅へと戻る事にした。
 
家は、マンションやアパートではなく一軒家で正真正銘、私の持ち家だ。
そんなに広くないし昔ながらって雰囲気の日本家屋ではあるけれど私はそこが気に入っていたし、ひとりで住むには広いくらいなのだから充分。
どうせ買うならマンションよりも一軒家が良かった。
それこそ実家に帰れるような身軽さがなくなってしまえば田舎の両親もあまり言わなくなるかもしれないとも思ったのだが、その考えは甘かったらしい。
彼らの考えでは、そんなボロ家はとっとと手放してしまえばいい。
ということだ。
いっそ豪邸でも経ててしまえばよかったかもしれないが、あいにくとそこまで偉大な作家先生でもない。
 
あ、やだな。また思い出しちゃった。
暗くなる前にとっととシャワーでも浴びて寝なおそう。
愛しの我が家に足を踏み入れれば顔を綻ばせ、私は大きな伸びをした。
 
 
 
 
 
 
 
 
夕方ごろ、玄関のチャイムが鳴った事に気が付いて私はのろのろと起き上がった。
時計をみれば時間は午後5時。また随分と眠っていたようだ。
半ば自身に呆れれば誰だろうとぼんやり考える。
…出るの面倒だし居留守つかっちゃおうかなあ。さすがに駄目か?
下に目線を落とす。
Tシャツに下はスウェットズボン。…まあなんとか大丈夫な格好か。
検分しているあいだも鳴り響くチャイム音に苛立ちを覚え、私は走って玄関の扉を開けた。
 
「もう、うるさいわね、そんなに鳴らさなくともきこえてるわよ!」
 
ばん!と今時珍しい引き戸の玄関扉を開け放てば、目の前にはぽかん、とした顔をして美少年が立っていた。
…誰よ、この可愛らしい男の子?
眉間に皺を寄せたままじー、と見ていたのをどう思ったのか、男の子はぽ、と顔を赤らめた。
いやいや、なにその可愛い反応は。どこの乙女よ。
 
「深咲さんてば。そんなに見つめないで」
「…は?ちょっと待ちなさい。なんであなた私の名前知ってるのよ」
 
頬を染めてはにかむように笑う目の前の男に私は胡乱な目を向ける。
しかしそれが気に入らないのか、男は先ほどとは打って変わって私を睨む。
なんなのよその不機嫌な顔は。わけのわからない子ね。
 
「成島深咲さんでしょう?名刺を昨日くれたの忘れちゃったの?」
「…あなた、もしかして。隣で寝てた…?」
「思い出してくれた?」
「ごめんなさい、悪いけれど私には昨日の記憶がまったくないのよ。あなたと私は、割り切って一晩限りの関係を楽しんだんじゃないの?」
「そんな風に思ってたの?僕をそんな男だって思ったの?」
「い、いや、だから。憶えていないのよ。ごめんなさい、あなたの名誉を傷付けたのなら謝るわ」
「…上がってもいい?とにかく昨日の事を思い出してもらうよ」
「え、ちょっと」
「進藤新。僕の名前。昨日も言ったけどね」
 
にっこりと微笑んで、玄関の扉をぴしゃりと閉めれば進藤新と名乗った美少年はこの場から立ち去る気配はなかった。
どうやら、出て行く気はないみたいね。
観念して私はため息を吐き、どうぞ、と彼を家へと招き入れた。
思えば、彼を完全に舐めていた。
純情なただの少年が、思えば初対面の女と致すはずもなかったのにその事がすっかり失念していた私の頭はどこかまだ寝ぼけていたんだと思う。
 
これから先続く奇妙なふたりの関係は果たしてどこへいってしまうのか。
今の自分には、それを知る術なぞありはしなかった。


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