あとりえ透明2
「マリアージュ・フレール」
「店を閉じる?」
高見原の言葉に俺は耳を疑った。
あとりえ透明の閉店後、後輩に呼び出されて紅茶を馳走になっていた。
「うん、笑さんと朋さんが相談して決めたんだって」
「勿体無い。結構客入ってたんだろ?」
「でも和泉ちゃん美大受けるみたいで勉強しなきゃだし、さすがに私とせつなちゃんだけで店回すのはキツイなーって思ってたし」
「成瀬せつな……だっけ?そいつはどうするんだ?」
「紅茶の専門ショップからお声がかかってるみたい」
「へぇ、いいじゃん」
「それでさ、三上先輩」
高見原一花は俺の方をじっと見てくる。
「その紅茶の名前、知ってる?」
「知るわけないじゃん」
「マリアージュ・フレール」
「何だそれ?」
「プロポーズや引出物に使う紅茶」
俺は思い切り吹き出す。
「汚いですね」
「本気か?」
「本気で汚いです」
「そうじゃなくて……」
高見原は立ち上がり、両手でエプロンドレスのスカートを軽くつまみ、上品に礼をする。
「よろしくお願いいたします。ご主人さま」
顔を上げて、にっこりと笑った。
「考えとく」
卑怯だ。
そんなことを言われたら、事の顛末を記事にできないではないか。
甘くない紅茶を少し口に入れ、考えていた。
うまくいかないことがあるかもしれない
いや、きっとその方が多いだろう
「遼平クン、用事って何?」
「あの……イズミ先輩、来週の日曜って空いて……」
「画塾だからだーめ。イズミ先輩は忙しいのだー。じゃーねー」
転んで
つまずいて
それでも立ち上がれるって知ってるから
何度でも転ぶ
「またお前は大学レベルの数学やって!漢字と英語をやれ!」
「進学試験受かったんだからいいじゃない」
「試験に受かっても高校での勉強どうするんだ」
「私、高校行ったらメイドカフェでバイトするの!それでお金貯めて数学だけやってればいい大学行くの!」
「そんな大学あるか!」
絶望の淵で泣き叫んだ日は
いつか笑い合える日になるから
そう信じてるから
信じていないと生きられないから
「カフェ閉めるってお前また無職に逆戻りかよ。一体何十年婚活するんだよ」
「えっと……介助の仕事……ってことにできない?」
「笑さんめっさ自立してるじゃん!お前の介助いらねーじゃん!この無職が!」
「そ、それが客に言う言葉!?いくら澤くんでもひどいわよ!」
呆れるほどしぶとくて
呆気無いほど脆い
「お母さんっ、この絵具捨てちゃうよっ」
「だめー!絶対だめー!画材は捨てちゃだめー!」
「捨てろ。目が見えないのに何に使う気だよ?あとお前は大人しく座っていろって何度言えば……」
「でも画材は捨てるとバチが当たるんだよー!あ、和泉ちゃんにあげようかー?」
「受験生に迷惑だ。ほら、引っ越しのトラックもうすぐ来るぞ」
でも
歩みを止めない
今生きているこの時が
辛くても
どうしようもなく
楽しくてしかたがないのだから
「高見原……」
「ん?」
「とりあえず、結婚を前提に付き合うか?」
今日も生きている