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あとりえ透明2

「インスタントコーヒー」




「ごめん、好きな人がいるんだ」
 その言葉に私は肩を落とした。
 城崎先輩はこの春入学したばかり。地味だけど知っている人は知っているサッカー部の名キーパーだ。
 フラれるのは覚悟の上だった。
 でも、やっぱり実際の事になるとひどく辛い。勇気を出して高等部にまで来たのに。
「好きな人って誰ですか?」
「えっと……」
「教えてください!教えてくれるまで引き下がりません!」
「澤和泉先輩……3年の……」
 顔を赤らめ、そう呟く。
「さわ……いずみ……」
 人の名前を覚えるのは苦手だったが、一度反芻して頭に入れた。
 
 
 
 3年4組澤和泉先輩
 国立理系選択
 3年で常に学年上位の成績をキープしてる人
 帰宅部
 委員会も無所属
 あとりえ透明というメイドカフェでアルバイトをしているらしい
 かなりの美人で中等部でも人気があったので情報を仕入れるのは難しくなかった。
 
 
「メイドカフェ……か」
 城崎先輩はいかがわしいメイドにローラクされたのだ。
 私は五次方程式を解きながら、ため息をついた。
 
 
 
 あとりえ透明はネットで検索するとすぐに出てきた。
 普通なら店の謳い文句や写真、メニューを見るのだろうが、私は癖で電話番号を開いてしまう。そこにあった店舗概要に目を疑った。
「松島……朋……?」
 経営責任者にあったのは叔母の名前だった。母の妹だ。もう40半ばになる。何をしているのかよくわからない人だとは思っていたがお店をやっていたのか。
 親はふたりとも仕事で忙しい。ひとまず店の住所を端末に移して、地図に表示させる。それほど遠くはない。学校帰りに歩いていける距離だ。
 そして朋さんに電話をした。
 お店は確かに朋さんの携わっているところらしい。が、最近は忙しくあまり店に行けていないそうだ。
 あまり店に連れて行かせたくない雰囲気だったが、頼みこむ。
 今店長代理をしているという人に家庭教師をお願いする、話はそこで聞けということで話はついた。
 
 
 
 翌日の祝日、補習が終わるとその足で制服のまま朋さんに指定されたアパートに行く。すると黒髪の女性がスーツ姿で出てきた。
「えっと……朋さんの姪御さんね……千春ちゃんだったっけ?」
「たかみはらさん……ですか?」
「一花でいいわよ。で、ごめんね。今からカフェとは別の仕事があるの」
 いちかさんは髪をピンでまとめながら、慌ただしく鞄を肩にかけた。
「お店に行きたいのよね?だから一応案内するから、そこで勉強見てもらって。勉強できる高校生がバイトでいるから。本当にごめん」
 願ったりだ。
 というか元々それを狙って頼んだのだ。
 勉強できる高校生というのは、さわいずみ先輩だろう。
 
 
 お店の雰囲気は思っていたのと全然違った。
 静かな店で、メイドさんはたった二人。
 黒いロングスカートに白エプロン。
 ちょっと勉強を教えてもらったが、あんまりできなかった。
 さわいずみ先輩は役に立たない。
 途中で急にお店が忙しくなってお手伝いをした。
 サイトで見た写真で全部のメニューは把握していたので、料理はそんなに難しくなかった。
 分量を計算して写真を再現するだけだから。
 紅茶の入れ方はなんか難しかったので、もう一人のバイトの人……せつなさんだったっけ……にやってもらったけど。
 学校みたいにうるさく言う人がいなかったので楽しかった。
 朋さんには会えなかった。
 せつなさんはすごかった。
 お客さんが来るのも分かって、店の状態も分かって、紅茶淹れるのも上手くて、超人だ。
 どんな家で育ったらこんな人になるんだろう。
 こういう人になりたいな。
 さわいずみ先輩は思っていた以上に普通の人だった。
 確かに結構美人だが、せつなさんが全部やっていて、正直あんまり役に立ってない。
 城崎先輩はこんな人のどこがいいんだろう。
 私のほうが絶対いいのに。
 あのくらいなら私にもできるのに。
 そもそも、高校3年生の秋にバイトをしているなんて大学はどうするのだろう。
 附属の大学もあるけど、それにしても進学試験はあるのに。
 そんな必要もないくらいに余裕なのだろうか。
 いいなぁ、気楽で。
 きっとあんな人は何の苦労もないんだろうな。
 
 
 閉店まで店にいたが、朋さんも一花さんも帰ってこなかった。
 バイト代、ということで、閉店後にせつなさんが特大のハニートーストを用意してくれた。高いはちみつとお手製バターを使ったハニートーストは甘党の私には最高のご褒美だ。
 さわ先輩以外には内緒らしい。そもそもこんなこと朋さんに言ったら、そこからお母さんにバレて怒られるだろう。
 
 
 
 帰ってハニートーストの口直しに濃いコーヒーを飲みながらお母さんに朋さんのことを聞いてみた。
 婚活を15年もしているダメな妹だと、ひとしきり嫌味を聞かされた後で、母はポツリとこぼした。
「でも、お母さんとお父さんが出会えたのって朋のおかげなのよねぇ」
 
 
 お父さんはバツイチの再婚だ。
 それは小さい頃から聞かされていて普通に知っていた。
 離婚したお父さんが結婚相談所の紹介で出会ったのが朋さんらしい。何やら難しい事情があって朋さんとは上手く行かなかったらしいが、たまたま出会った朋さんの姉……つまりお母さんとお父さんが恋に落ちたとのこと。
 それで産まれたのが私なのだ。
 今は仲の良い家族だ。
 私の成績以外は特に何の問題もない。
 
 
 私はどうも普通とは違う頭の持ち主らしい。
 数学だけがずば抜けて得意で、他の教科はほとんどできない。
 今の中学はかなり頭のいい私立一貫校なのだが、数学の推薦で入れただけだ。
 正直、テストの結果発表の時はかなり肩身が狭い。
 高等部への進学テストも微妙な状態。
 両親の一番の心配はそれだろう。
 
 
「てことは、朋さんが店長さんなの?」
 さわいずみ先輩の情報を聞き出すには、まず店のことを聞きたい。
 そのために聞いた質問に母は気まずそうに目をそらした。
「?」
 なにかまずいことを言ってしまっただろうか。私は首を傾げる。
「あのお店、最初は二人経営だったのよ。侑那絵美って絵描きさん知ってる?」
「知らない」
 絵は詳しくないどころか全く興味が無い。
「まぁいいわ。その人と朋の二人経営でね、その人が憲司さん……お父さんの……前の奥さんよ」
 
 
 ねぇ、知らなかったんだよ。
 お父さんの前の奥さんがこの店にいたなんて。
 
 
 翌日、開店前にまたお店に行った。
 朋さんが厨房にいた。
「千春ちゃん、久しぶり。昨日はお世話になったみたいね。ありがとう」
 朋さんは優しく笑う。
「私、役に立てましたか?」
「和泉ちゃんとせつなちゃんがすごく褒めてたわよ」
「ありがとうございます」
 私が頭を下げてから朋さんを手伝っていると、店の奥からさわ先輩とせつなさんがが来た。私服姿だ。どうやら裏口から入ってきたらしい。
「おはよーございますー、あれ?千春ちゃん?」
「おはようございます。中条さん、どうしたの?」
「お二人とも、昨日はおじゃましました」
「いやいや、こちらこそ。助かったよ。今日はお客さん?」
「ちょっとまだ開店準備が……」
「えっと、朋さんに用があって……」
「私?」
 朋さんに向かってもう一度頭を下げる。
「私をここで雇ってください。それから……」
 一呼吸置いて、唾を呑み、口を開いた。
「侑那絵美に会わせてください」
 
 
 会いたいわけじゃない
 見てみたかったのだ
 お父さんが好きになった人を


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