天球儀
ep.12 二月「水瓶座の本気」
「な、中務君!どういうつもりだ!事と次第によっては大学への特待生推薦を取り消すことも出来るんだぞ!」
理事長の静止も聞かずにまゆりは壇上で生徒たちの反応を待った。
十二宮の席から一人の拍手が聞こえてくる。意外にもそれは矢井田桂子のものだった。椅子から立ち上がり勝気な微笑みを浮かべながら手を叩く。
「矢井田…さん」
「私は別にここで十二宮がなくなっても、卒業さえ出来れば楷明にこだわりはありませんので、他所の大学を受けますから」
「そういうことなら私も同じく」
滋も立ち上がった。
「ナルが十二宮に入ったのはまゆりの側にいたかっただけだもん。他の大学受けてもいいし、ダメなら別に大学なんて行かなくてもいいもんね~」
「俺も大学は行けるなら行ければ…無理なら家の工場継ぎますから」
ナルと亮良がゆっくりと腰を上げる。
「あたまの いいやつを そろえたのが まちがい だったな」
もう芸大への推薦入学を決めている夏希がニヤリと笑う。
「俺、就職決まってるし」
「俺も大学行けないんなら就職するわ。フリーターしながら就活してもいいし」辰弥と稔も手を挙げた。
「…お、俺も…」
立ち上がろうとした真人を辰弥が手で制した。
「お前と観月は賛同するな。楷明大でやりたいことがあるんだろ?」
小声で諭す辰弥に、しかし真人はその手を振りほどいた。
「大丈夫。教育学部なんて他のどこの大学にでもある」
「ウチも十二宮がなくなるんなら楷明大に行く必要あらへんしな」
最後に立ち上がったのは祐歌だった。
「これで全員…そろったわね」
まゆりはニヤリと笑った。夏希も笑う。
「さあ まつりの はじまりだ」
「停学!いや退学にしてもいいんだぞ!分かっているのか!」
「なら大検受ければなぁ。別に一浪くらい珍しくもないし」
「ふ…ふざけるな!出て行け!十二宮全員出て行け!」
「いいんですか?テレビカメラ、来てますよ?」
まゆりは壇上から最後尾にいる報道陣を指差した。理事長は一瞬ためらったが何かを振り払うように首を振って声を上げた。
「いいから!緊急事態だ!全員ここで解散とする!」
自棄を起こした理事長に、生徒達は顔を見合わせザワめきながらも、数分後には散り散りに教室に向かい始めた。まゆりは黙ってその様子を壇上から眺めていた。
「ごめんなさい!みんな!」
まゆりは十二宮室で深く頭を下げた。
「いいって。全員賛成しただろ?同罪ってことで」
辰弥が笑って手を振る。
「そうだよ~。この方が面白いもん。ナルは大歓迎!」
ウィンクをする。
「問題はここまで学校を敵に回しておいて、来期の生徒会に立候補しようという人が現れるかですね」
亮良が小さくため息をついた。
「だいじょうぶだ」
いつになくはっきりとした低い声に全員の視線が集まる。
「わたしが てを うつ」
「…辻さん?」
「くそおやじの ことなら わたしに まかせろ」
そしてスゥッと息を吸うと初めて淀みなく喋った。
「行事実行委員長の名にかけて生徒会選挙、成功させてみせる」
$2014「おい、生徒会選挙の話。お前、出てみたらどうだよ?」
$2014「でも学校の許可とってないんだろ?」
$2014「そんな選挙出てどうするんだ?」
$2014「そもそも大学への特待生推薦ないのよね」
$2014「三年生で受験勉強しながら生徒会ってのはちょっと無茶」
$2014「十二宮ってのは推薦や特権が魅力だったわけで…」
皆、厄介ごとに直接関わりたくないのか、十二宮のメンバーに直接尋ねてくるものはいなかったが、校内から、特に下級生から、ちらほらと噂を聞くようになった。
「一応、二月一日から立候補を受け付け、月末には投開票を行えるように計画を立ててみた。ポスターも作ったので掲示板に貼るよう蛇遣座に頼んでおく」
不穏な空気に包まれる校内の噂とは対照的に夏希は周りが目を見張るほど行動的になっていた。今までの夏希が嘘のように。
「でも…立候補…集まるのかな…」
ナルが不安げに漏らす。
「今のままだと無理だろ…ていうか教師の目が痛くてしゃーないんだけどさ」
稔が息をついた。
「大丈夫だ」
夏希がまゆりを指差した。
「亮良、まゆり、今夜家に来い」
「え?」
思わぬ言葉に二人はキョトンと見合わせた。
(…何?この豪邸、どこから入るの?)
夏希に指定された十九時の五分前、まゆりは入口の前で立ち尽くしていた。
学校の校門ほどもある門は固く閉ざされ、インターホンらしきものは見当たらない。数十メートル向こうに見えるそれでなくとも遠い洋館のような豪邸が遥か彼方に感じられる。ようやく、亮良が現れる。まゆりに軽く挨拶し、門の向こうにつけられたカメラに手を挙げた。すると自動ドアのように重い門は簡単に開く。
まゆりは数歩後ずさった。
「驚いたでしょう?」
亮良は軽く笑い、慣れた様子で門をくぐる。まゆりもそっと後に続いた。
「でも、わざわざ放課後じゃなくてこんな時間に何の用だろ、辻さん?」
「さぁ…それは…」
言いかけて、屋敷の扉から三人の男性が談笑しつつ出て来るのに気づいた。まゆりと亮良は不思議に思いながら軽く一礼した。
門の前に立ったら、使用人であろう女性が扉を開けて通してくれた。
「お待ちしておりました。中務様、妹尾さま。こちらへどうぞ」
通されたのは、二階の最奥にある部屋だった。夏希のアトリエなのだろう。中には画材が整然と並んでいた。
しかしそれよりも目についたのは夏希の風貌。いつものボサボサの髪はきれいに整えられ、ポニーテールにされている。服も一目で高級品と分かるブラウンのスーツだった。いかにも良家の子女に見える。
「あきら…まゆり……」
二人の顔を見てドッと緊張が解けたのか、亮良の腕の中に倒れ込む。
「夏希!」
「つかれた でも これで…」
夏希の手が小刻みに震えていた。
「お前…もしかして……」
亮良の声が青ざめる。
「やっぱり しゅざい きらいだ…」
「バカか!あれほど取材は受けなくていいって言っただろ?夏希は絵だけ描いてればいいんだって!顔出したりコメントしたりしなくてもいいんだって!しかも今なら学校のことも聞かれたんじゃないか?」
「よくやったな、夏希!それでこそ私の娘だ!」
状況をわきまえない高らかな声で部屋に入って来たのは中年の男。まゆりのよく知った顔だった。
「理事長…」
「学校を裏切った牡羊座が何故ここにいる?言っておくが夏希はさっきの新聞のインタビューではっきりと会長の独断専行だと言ってくれたからな」
まゆりは怒りに駆られそうになった拳を抑えて、奥歯を噛んだ。
「違う…」
まゆりがようやく絞り出した言葉。
「何が違う?現に十二宮はお前の発言を事前に聞いてはいなかったそうじゃないか、牡羊座?」
「違う!私は『牡羊座』なんて名前じゃない!楷明大附属高校生徒会長中務まゆりです!」
「あはは…!何を言うかと思えば…」
「くそおやじ こうかんじょうけん わすれてない だろうな?」
夏希は漆黒の目を父親に向けた。
「十二宮の全員を卒業させてやれればいいんだろう?分かった分かった」
「夏希…お前……」
「辻さん…そんなことのために……?」
「我が娘ながら馬鹿げている。そんなつまらないこと…」
ガッ
気がついたらまゆりは理事長の頬をあらん限りの力で殴り倒していた。
「なっ…!牡羊座…そんなことをしてタダで済むと……!」
もう一発鳩尾を正確に突いた拳を当てる。理事長は倒れ込む。
「どうにでもすればいい!辻さんは…辻さんね…あんたなんか想像も及ばない大事なものを守るために自分で動いたのよ!人のために自分が一番嫌がってたことをしたの!一番嫌いな貴方に従ったの!それを嘲笑うのが人の親のすること?もう一度笑ってみなさい!二度とその口利けなくしてやるから!」
溢れ出る涙を拭おうともせず、まゆりは自分より頭一つ分背の高い男の体を何度も殴りつけていた。
「た…退学だ!」
「くそおやじ はなしが ちが…!」
止めようとした夏希を亮良が手で制した。
「夏希…夏希は確かに頑張った。それは俺も褒める。でもそれだけじゃダメなんだ。権力に従うだけが正義じゃないんだ。嫌なことは嫌だって、悪いことは悪いって、言える夏希になってくれ。会長はそう言ってるんだ」
「いえる…わたしに?」
「会長もそのくらいにしておかないと本当に口が利けなくなりますよ」
まゆりの肩を叩いた。我に返るまゆり。
「あ…ごめん…妹尾くん」
「いえ、今日はこの辺でお暇させていただきましょう」
まゆりの腕を支えると理事長に頭を下げた。
「牡羊座!お前の処分は追って連絡するからな!」
背後から聞こえた吐き捨てるような声にまゆりは振り返る。
「言ったでしょう?私は『牡羊座』ではなく『中務まゆり』だと」
「ただいま」
まゆりは玄関の扉を開ける。
「お父さん、遅くなってごめん。夕飯すぐに作るから」
「いや、小野くんが稽古の後に作っておいてくれた。聞いたのだが学校が大変だそうだな」
父親が居間で夕飯を二人分並べた食卓を前に座っていた。
「うん…まあ…それで話があるんだけど…」
「何だ?」
「私…学校辞めて道場継ごうと思…」
パンッ
まゆりの言葉を遮って、父親の手が頬を叩いた。
「お前は…お前は家をなんだと思っている!道場は逃げ場所か!そんな気持ちなら継いでなどほしくはない!」
「でも…でも……私…それじゃどうすれば……」
左頬を押さえ涙を必死に堪えた。父の言うことがもっともだ。けれど、もう医者になる夢など叶えられる術が自分には見つからない。
「どうすればいいのよ…お父さん?」
父親は腰を上げた。居間を出て階段を上る足音が響く。
馬鹿だ
自分は大馬鹿だ
後先考えずに
言いたいことだけ言って
すぐに暴力に走って
お父さんも私を見放した
どうしよう
どうしよう
どうしよう
頭を巡らせてもまるで出て来ない答えに途方に暮れていたら、父が二階から下りてきた。父はまゆりの向かいにドカッと座ると、黙って預金通帳と印鑑を差し出す。
名義は『中務まゆり』になっていたが覚えがない。
「見ていいの?」
恐る恐る尋ねるまゆりに父は「ん」と頷いた。
黄ばんだ預金通帳を開いてまゆりは目を疑った。
「何?この貯金!こんなお金どこに…!」
そこには毎月定期的に入金があり、最後の行には信じられない額が記されていた。私立の医学部を出て、インターンを経ても余裕があるような額が。
「お前の金だ。母さんからの遺言で、お前が家のために夢を諦めるようなことだけはさせないでくれと。金のことなど気にせずやりたいことを思いきりさせてやれと。だが、お前は家に負担をかけまいと、そればかり気にして勝手に進学を決めてきた。どんな時でも努力をして乗り切ってきた」
父のゴツゴツした大きな手がまゆりの頭を乱暴に撫でる。
「お前はよくできた…できすぎた娘だ。私には勿体ない。だから一度くらい親らしいことをさせてくれ。医者になるんだろう?お前の夢を叶えてくれ」
泣くまいと思っていたのに、目から止めどなく涙が溢れ出る。
「まゆり、私に気など遣うな。お前のような娘が産まれてきてくれた、それだけで私には十分だ」
「……と…う……」
言葉にならない。
ただ確かなのは閉ざされている道などないということ。
私はまだ大丈夫だということ。
「ありがとう…ありがとう…ございます…お父さん…」
けれど
「でも…この通帳はもう少し預かっていてもらえますか?まだ私にはやるべきことがあるんです」
言って通帳をそっと返す。
「大切な仲間たちを…助けなきゃいけないんです」
ガシャーン
廊下に置かれた壷が砕ける音が、夏希の広い家に響き渡る。
「わたしは…」
夏希は声を上げた。
「私はこの壷と一緒か?飾り立てられて見せびらかされるものか?」
父親に詰め寄りながら壷の破片を拾い、壁に飾られた自身の絵をその先で切り裂く。確か何とかという賞の大賞をもらった気もするがそんなこと覚えてはいない。
「それともこの絵を作るための機械か?いつまでご自慢の娘でいればいい?」
そして破片の切っ先を父親の喉元に突きつけた。
「確かにそれでも仕方ないと思っていた!そうしなければこの家には住めないと!養ってもらえないと!そうお前が言ったから!でも違うってあのバカどもが教えてくれた!一年もかけて教えてくれた!くだらないことで泣いたり笑ったりしながら教えてくれた!私は生きてるんだって!笑ってもいいんだって!亮良は言ってくれた。人の力を借りてもいいんだって!私は一人じゃないんだって!」
首元から一筋血が流れ落ちる。
「もうお前の好きにはさせない!」
「わ、分かったからやめろ!お前は何がしたいんだ?牡羊座の復学か?十二宮の廃止か?」
「それじゃ足りない」
夏希は父親を睨みつけながら言った。
「そうだな…もうすぐ私の誕生日だ。私はお前から誕生日祝いをもらったことがない。十八年分の誕生日祝いにはそんなことじゃ全然足りない」
「じ…じゃあ何が…」
その言葉に夏希はニヤリと笑った。
「ひとつで いい もっと おおきなものを くれ」
$2014「え?退学を撤回?」
その夜、夏希からの電話の言葉にまゆりは耳を疑った
$2014「じゃあ明日は普通に登校していいの?」
夏希の言葉を問い返す
$2014「明日、緊急全校集会?」
「妹尾くん、何か聞いてる?」
全校生徒がざわめきつつ集まり出した講堂でまゆりは亮良に耳打ちした。亮良は首を横に振る。
「夏希から渡された進行表はいつも通りで…。まずは理事長の挨拶から、それで…」
夏希の字で書かれたメモには通常の月例集会通りのプログラムが組まれていた。他の十二宮…いや、生徒会メンバーもメモを覗き込んで首をひねる。
「夏希のことですから何も考えてなくはないと思うのですが」
「まぁ、信じてみましょうか。理事長も私の退学撤回してくれたってことは考えを改めてくれたのかもしれないし」
まゆりは不思議がりながらも席に着いた。
程なく全校生徒が集まり、集会が始められる。
「まず理事長からの挨拶です」
亮良はメモを読み上げたが、顔を上げ、目を見張った。その言葉に壇上に上がった人物に生徒会を含めた全員がどよめく。
「今日から新理事長に就任した」
そこにいたのは
「辻夏希だ」
制服姿の夏希だった。
「ど、どういうこと?辻さん!」
「たんじょうびぷれぜんとに がっこうをひとつ もらった」
「は?」
まゆりの間の抜けた返事には返さず、生徒の方に向き直った。
「十二宮はなくすが、十二人構成の生徒会と選挙は予定通り行う。生徒会役員になった者には無条件で楷明大学への好きな学科への特待生推薦を約束する。私が理事長になり変わることはそれだけだ。あとはそれぞれめいめいに今まで通り学校生活を送ってくれ」
夏希は淀みなく喋った。
$2014「おい、マジか?」
$2014「辻夏希のデタラメだろ」
$2014「いくらなんでも無茶苦茶だよ」
$2014「冗談に決まってるわよ」
$2014「大体学生が理事長になんて…」
「馬鹿どもが!思考を放棄するな!」
ザワつきがやまない講堂に夏希の叫びが響き渡った。
途端に静寂が広がる。
「自分のことくらい自分で考えて決めろ。それができない人間は要らない。生徒会にも、この学校にもな。私からはそれだけだ。選挙についての詳細は生徒会から追って連絡する」
それだけ言うと、壇上から下りて来た。
「辻さん…本当に?」
まゆりは恐る恐る尋ねた。
「まゆりも しんじないか?」
「信じないというか信じられないわよ。大学行きながら理事長やるの?」
「やろうと おもえば できる」
自信たっぷりに言い放った。
「りじちょうなど たいした しごとは ない」
夏希が告知した生徒会選挙の立候補者受付開始日。まゆりは早朝から生徒会室でいつも通り掃除をしていた。するとノックの音がして扉が開いた。
「高坂さん、三好さん」
まゆりが笑うと、三好なずなが大きく頭を下げた。
「あの…その…選挙に立候補しようと思いまして」
「うん、それじゃこの用紙に記入してくれる?」
まゆりはなずなと南に一枚ずつ立候補用のプリントを差し出した。
「いえ、私は付き添いだけですので結構です」
南は手でそれを断った。
「え?」
「私、来年も生徒会のサポートをしようと思いまして。十二宮でなくなるならなおさらによく事情を知っている補佐役が必要でしょう?」
南は笑顔で「すみません」と付け加えた。
「びっくりした…てっきり会長に立候補すると思ってたから」
「会長は三好さんがやりたいそうです」
「よ…よろしくお願いします。頑張りますので…」
「また意外な取り合わせね。まぁ三好さんみたいな会長がいても面白いかな?もっとも選挙に当選しなきゃ話にならないからね」
まゆりは言って用紙の記入方法を簡単に説明した。
すると、また生徒会室にノックが響く。今度は見知らぬ男子生徒だった。
「すみません…生徒会役員の立候補ってここでいいんでしょうか…?」
「どうぞ」
まゆりは微笑み手招きした。
「三十三…三十四人ですか、立候補」
一週間の受付期間が終わり、集まった用紙に不備がないか真人が確認していた。
「結構集まった方じゃない?辻さんが脅してた割には」
「おどして いない とうぜんの ことを いっただけだ」
「まぁ、やっぱり大学への無条件推薦は美味しいからな」
「香我美くん、やっぱり蛇遣座が多い?」
「いえ、蛇遣座は三好さんだけですね。やっぱり大変なのを見てるとやりたくなくなるんじゃないですか?」
真人は用紙をめくりながら言う。
「あ、でも会長に立候補してるのも三好さんだけですから信任投票で…多分決定でしょうね。高坂さんがサポートしてくれれば上手く行くんじゃないでしょうか」
「他の連中は推薦はほしいけど楽な係がいいってことか。選挙にするのも一長一短だな」
稔が口を尖らせた。
「そうですね。一番人気があるのは保健委員長ですから」
「そういえば金城くん、取石さんは体調どう?」
「ああ大丈夫。今は家で安静にしてる。もうすぐ入院するって」
「それじゃさ、明日の土曜でもアパート遊びに行っていい?」
ナルが身を乗り出した。
「これだけ仕事がある状況でよくそんなこと言えるわね」
「だってだってさ~、赤ちゃん産まれる前に会っておきたいんだもん。いいでしょ~」
桂子の反論にも動じなかった。辰弥は笑って頷く。
「そういや、男か女かもう分かったんじゃね?」
「あ、言ってなかったっけ?女だって」
「名前は?決めたの?」
「桜。母親が椿だから花の名前がいいってさ」
「『金城桜』…うん、いいんじゃない?」
「楽しみやな~」
「明日、みんなが部屋に?」
「ああ、いいか?」
マタニティドレス姿がすっかり馴染んだ椿は、辰弥と夕飯の洗い物をしながら心底嬉しそうに頷いた。
「あ、でもお茶菓子がないし紅茶葉も切らしてる。今から買ってくるわ」
「そんなの俺が…」
「辰弥、学校とバイトで疲れてるんだから。大丈夫よ。そこのスーパーまでちょっと行って来るだけ」
皿洗いを終え、手をタオルで拭きながらコートと財布を手に取った。
「行ってきます」
それが 最後 だった
自室で選挙用の書類を揃えていたまゆりは突然鳴り出した携帯にビクリと肩を震わせた。
「なんだ、着信か…えっと…永戸さん?」
何故だろう。嫌な予感がする
「もしもし?」
『まゆりさん…私…』
声が詰まって聞こえない。泣いている?
『私…ど…したら……』
「ちょっと、ちゃんと話して。今どこ?」
『病院…辰弥から……呼び出されて……私……』
「病院?誰か病気に?」
『……違…椿が……』
「取石さん?どうしたの?出産が早まったとか?」
『……トラックに…跳ね…れて……もう……助からない……て…』
まゆりの携帯電話は床に音を立てて落ちる。
何故だろう 嫌な 予感は 当たるのだ