天球儀
ep.11 一月「山羊座の復讐」
生徒だけでなく教員も一斉にざわめいた。
伊賀リョウスケは何事もなかったように平然と壇上から降りてくる。そして十二宮の席の前を素通りしようとした。
「ちょっと、伊賀君!潰すってどういうこと?」
まゆりの言葉に振り返る。その目はまゆりの知っている伊賀リョウスケのものではなかった。いつも温厚で人より一歩下がった場所でニコニコ笑っている伊賀リョウスケのものではなかった。
冷たく刺すような視線。体が拒絶反応を起こして倒れそうになる。武芸の心得があるからだろうか、考えるより先に本能で分かった。
本気だこの人は。どういう手段でとか、何が目的でとかは分からない。だが本気で十二宮を潰す気だ。
「どうかしましたか?会長」
「い…伊賀君…あなた……どうして……?」
「僕のこと何か勘違いしていませんでしたか?穏やかで波風立てず、何事にも笑顔で応じる人間だと。そうやって一年近く生りを潜めていたんですよ。全てはこの時のために」
言って笑ったリョウスケにまゆりは返す言葉が見つからなかった。
「十二宮に復讐する時のために」
言い捨てるとリョウスケは全生徒の視線を受けながら、講堂から立ち去った。
「復讐…ってどういうことだと思う?」
終業式後、十二宮室に集まったリョウスケを除く十一人は重い沈黙に包まれていた。やっと口を開いたまゆりの言葉にも答えるものはいない。
数分が流れただろうか、ナルがゆっくりと切り出した。
「……リョウスケクンの家って何してるの?」
全員が顔を見合わせたが知ってるものはいなかった。リョウスケは全員の家系や親の職業、家族構成まで熟知していたというのに。
「だって……どんなことするのかは知らないけど、十二宮つぶしたりしたら学校だけじゃなくて…言いたくないけど…ナルの家や弁護士の辰弥クン、人間国宝の椿ちゃんの家まで敵に回すことになっちゃうんだよ。それって……」
「何をされても怖くないって事よね。それほどの権力を持ってるか…」
桂子の言葉に滋は続けた。
「それほどの覚悟があるか」
十二宮は不安な冬休みを迎えることになった。
厳寒が訪れ、クリスマスも大晦日も過ぎた。元日、ナルに誘われ去年と同様、初詣に行くことになった。
「クリスマスパーティーの時、リョウスケ君がお兄ちゃんにキレたじゃない。お兄ちゃんに聞いても理由は分からないって言われたんだけど。でもそれで衝動的に言っちゃったんじゃないかなぁ、あんなこと。新学期になったらまたニコニコ笑って『ごめんなさい』って言ってくるかも。そしたらこっちも笑って迎えてあげようよ」
楽観的にナルは言ったがまゆりはそんな気はしなかった。そんな激情に駆られる人間には見えないのだ。伊賀リョウスケという男は。まゆりに向けられたあの視線を思い出し、また肩を震わせた。
リョウスケの言葉の意味が分かったのは冬休みの最終日だった。
習慣の早朝ランニングを終え、朝食を作りそれを父と食べている時だった。まゆりの携帯電話のメール着信音が鳴ったのは。普段なら食事中に携帯を見るなど厳格な父相手には許されない。だが、メールの相手が祐歌だとサブディスプレイに表示されたので「急用なの、ごめんなさい」と言って席を立った。
祐歌からのメールは十二宮のリョウスケ以外全員と高坂南に一斉送信されたものだった。タイトルは『緊急』内容は『テレビの6チャンネルを今すぐ見てください』という簡潔なもの。
食事中にはテレビをつけないというのも中務家では暗黙のルールなのだが「どうしても確認したいものがある」と言って慌ててリモコンを手に取った。父は顔をしかめたが、まゆりの深刻な様子に何も言わなかった。テレビはNHKしか見ない中務家で久々につけられた民放だったが、その目新しさに感心するよりも先にまゆりは眼を疑った。
ワイドショーの特集でそこに映っていたのは十二宮の制服を着た伊賀リョウスケだった。そして右上のテロップには仰々しい緑の文字で『驚愕!名門高校生徒会の実態!』とあった。
「なっ!」
「知り合いか、まゆり?」
「ごめん、お父さん。ちょっと黙ってて」
話し声がよく聞こえるように音量を少し上げる。
『では楷明大附属高校では生徒会役員が十二星座によって決められていると?』
アナウンサーがわざとらしくリョウスケに尋ねる。
『はい、今時星座占いなんて朝の情報番組でしか見ないのに、それで性格まで判別されて役職が割り当てられます。例えどんなに人望があり優秀だとしても牡羊座でないと生徒会長にはなれないのです。僕もそんな生徒会の一員なのですが、そんな非科学的なやり方で学校の方針が決まってしまうなんて、どうしても納得ができなくて糾弾させていただきました』
リョウスケは淀みなく話し始めた。
『しかもそんな不確かな方法で決められた生徒会に、信じられないほどの特権が与えられています。その主たるものが、学費免除・無試験での楷明大学への推薦。そしてそれより問題にしたいのが、停退学処分権限です。学生十二人がサインするだけで生徒を自由に停学、場合によっては退学にもできるのです』
『そんなことが!』
コメンテーターらしき壮年の男性が尋ね返す。
『実際に数ヶ月前、停学になった生徒から話を聞くことができました』
アナウンサーの言葉に画面が切り替わる。
そこに映っているのは首から下だけを映された楷明の一般制服を着た女生徒だった。
(あの子…三好さんの時の)
声も変えられ顔は分からなかったが髪型で見当がついた。
『…確かに私にも非があったと思います。でも突然、停学にされて…決まっていた大学部への推薦もなしにされて…しかもそれを訴えに生徒会室に行ったら会長に暴力を振るわれたんです。それも証拠がないからとかいう理由でうやむやにされて…ひどすぎます…こんなの横暴でしか…』
突然画面が真っ暗になった。横を見ると父親が怒りをあらわにしてリモコンでテレビを消していた。
「見なくていい」
「でもお父さん!全部本当のことなの!私が見なきゃ…」
「お前はマスメディアのさらし者になるほど、自分に恥ずべきことをして来たのか?自分の目標のために、どんなに私に反対されても努力して来たのではないのか?」
「それは……」
言い淀むまゆりの後ろでまたメール着信音が鳴った。また十二宮全員に宛てて、今度は真人からだ。
『今、ネットで調べました。あの番組のプロデューサーが伊賀リュウタというそうです。これって伊賀君のお父さんか何かじゃないでしょうか?』
やられた。そういうことか。
ナルは衝動的なものかと、違った。
昨日今日の思いつきじゃなかったんだ。綿密に計画されたことだったんだ。しかも明日から学校が始まる日を狙って。パーティーの時にキレたのも、ただキレたんじゃない、『キレることができた』んだ。今までは何があっても我慢していたが、これが決まっていたから強気に出ることができたんだ。
『今すぐ十二宮室に集合』まゆりはリョウスケを含む全員にメールを送り、私服のまま家を飛び出した。
当然リョウスケは来なかったが、その他のメンバーはすぐに集まった。全員が私服だった。椿はマタニティドレスで数週間前よりずいぶんお腹が大きくなっている。
十二宮室の扉を閉める。
「鍵もかけといたほうがいいぜ、誰が何してくるか分かんねー」
稔が言うと、入り口に一番近かった高坂南が慌てて内側から鍵を閉めた。
「…さて、何から話しましょうか」
まゆりが大きく息をついて切り出した。
「何からも何もあのテレビ!あんな…!」
「でもオーバーではあるけど、でっち上げではないのよねぇ。そこがマスコミの難しいところ」
ナルの剣幕にマスコミ慣れした滋が冷静に言った。
「でも僕たちは確かに星座で選ばれましたが、実際にはそれだけじゃなくて成績だって…」
「ゴメン、ウチ獅子座やなかったら十二宮は入れんかったわ。成績はせいぜい二十位前後。少なくとも十二位に入ったことはない。結構部活で部員シゴいて殴ったりしとったから先生の評判もあんまりよくなかった。ただ上にたまたま獅子座がおらんかっただけで…」
「俺もほぼ右に同じ。モテるだけなんだけどタラシだと思われてたから」
真人の反論をあっさり祐歌と辰弥が破った。
「人気重視の選挙だったとしたら酒本や辻なんかは選ばれないだろうしな」
稔の言葉にまゆりはもう二の句を告げなかった。
「別にそれで国民の生活がどうなるってワケじゃないけど、今は他に目立ったニュースもないし、正統報道番組ならともかくワイドショー的には面白い素材でしょうね、十二宮って」
滋が髪をかきあげた。
「せかいが へいわなのが わざわい したな」
夏希は両手で頬杖をつく。
「わたしは だいがくも よそに きまっているし ここが どうなろうと しったことでは ないが さわがしいのは ごめんこうむる」
「でもマスコミへの対応など、冬休み中では全校生徒に知らせる方法ないですよね。ここの学校、連絡網も生徒専用のサイトもないですし…。明日登校してくる時に格好の的にされますよ。そうなったら高校受験だって近いのに学校の評判も…」
「それを計算ずくで今日の放送を選んだんでしょうからね」
ドンドン
急に扉が乱暴に叩かれた。
「十二宮!どういうことだ、これは!」
まゆりは立ち上がり、扉の前に立った。
「そちらにおられるのは先生方だけですか?」
「当然だ!話を聞かせろ!保護者や関係者からの電話が職員室にかかりきりだ!」
「分かりました」
まゆりはゆっくりと扉の鍵を開けると、理事長や校長を含む十人近い教諭がなだれ込んできた。
「お前たちは一体…」
「最初に申し上げておきますが、これは十二宮の総意ではありません」
まゆりは立ったままゆっくりと話し始めた。
全てはリョウスケの独断であること。あの番組の製作者がリョウスケの関係者$2014おそらく父親$2014であること。どうしてこんな行動に走ったのかは誰も見当がつかないこと。しかし、これは十二宮の…ひいてはこの学校の存在を危ぶませる事態であること。
全てを話した上で、まゆりは言った。
「まず、私たちがすべきことは一般生徒を守ること。伊賀リョウスケの真意を突き止めることです。私たちは全生徒への連絡方法を持ち合わせておりません。ですからマスコミへの対応方法を全生徒に知らせるのは先生方にお願いしてもよろしいでしょうか?学校側には電話番号やメールアドレスの情報があるはずです。無駄な抵抗かもしれませんが、明日からしばらくは正門でなく裏の通用門を使うよう伝達をお願いします。その代わり私たちは伊賀君の家に向かおうと思います」
「しかしあの番組は生放送だったはずだ。今行っても誰も…」
「家族がいるかもしれません。父親も関係しているとすれば、他の家族に話だけでも聞ければと思っています」
それに合わせるように全員が一斉に立ち上がった。
「行きますか」
「連絡よろしく頼むぜ、先生方」
つかつかと扉から出て行った。
リョウスケの家は高層マンションの最上階だった。オートロックのインターホンに向かい部屋番号を押す。
「やっぱり留守か」
自分でもしつこいと思うくらいに呼び出しボタンを押し続ける。
「もうやめ…」
稔が肩を押さえた時にガチャリと淀んだ音が聞こえた。
「…どなたですか?」
低い小さくくぐもった男性の声。しかしそう歳をとっている感じではない。
「お兄さんかな?」
ナルが後ろで小さく祐歌に囁いた。祐歌は頷く。
「リョウスケ君の学友で同じ生徒会の者です。リョウスケ君はご在宅ですか?」
返事より先に「ヒッ」と怯えるような声がした。
「…十二宮?」
しばらくの沈黙の後に声の主は弱々しく尋ねた。
「違っていたらごめんなさい。もしかして、リュウイチさんですか?」
十二宮を知っている。カズが言っていた三年前の役員だろうか。
「……ご、ごめんなさい!ごめんなさい!僕は違うんです!僕は…僕はやめろって……!…父さんと…リョウスケが……!ごめんなさい!……僕は言ったんです!…止めたのに…」
まくしたてるように低い声は叫んだ。
「ち、ちょっと落ち着いてください。私は何も責めに…」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
自分たちが来ることくらい予想できたはずだ。しかもこのインターホン越しに自分たちに何が出来るというのだ。なのにこの気が狂ったまでの慌てよう。
どういうことだろうか。
全員がキョトンとしていると、後ろから冷たい声がした。
「大人数で押しかけて。退いていただけますか?邪魔ですので」
「伊賀君!」
制服姿のリョウスケと、父親だろう、黒いコートを着込んだリョウスケにそっくりの男性が眉間にしわを寄せて立っていた。
「伊賀!てめぇ…」
「これ以上、十二宮で暴力事件でも起こすつもりですか?どうなっても知りませんよ」
辰弥が突っかかろうとすると、静かに切り返した。振り上げた行き場をなくした拳を歯ぎしりして引っ込める。さっきまでまゆりが話していたインターホン越しにリョウスケが声をかける。
「大丈夫ですよ、兄さん。僕と父さんが今戻りましたから」
その言葉に、ブツッという音とともに声は止んだ。それを待ってリョウスケはカードキーを機械に通す。自動ドアが開き、リョウスケと父親はそれに吸い込まれて行った。
「ちょっ、待っ…」
「今は何もしない方がいいですよ。不法侵入だって犯罪なんですから」
笑いもせずに放たれたリョウスケの言葉に全員がただそこに立っていることしか出来なかった。
「畜生!」
腹立たしげに辰弥は学校の外壁を蹴り上げた
「やめとけ」
稔が思いのほか冷静に辰弥の背中をひいた。
「とりあえず十二宮室に戻るとしてどうするんです、会長?」
「それが分かれば……」
「しっ」
校門の前にさしかかって滋が全員を手で静止した。門の前には四,五人のカメラを持った男性がいて教諭が対応に追われていた。慌てて物陰に隠れる。
「もう、テレビ局か?」
「いや、カメラや風貌からしてフリーのジャーナリストやゴシップ雑誌記者ね」
滋は慣れたように見定める。
「でも私たち私服ですし、素通りすれば分からないのでは?」
「バカじゃないの、椿?向こうは三流とはいえプロよ。これだけ大人数で歩いてれば関係者だと思われるに決まってるじゃない。しかも私や辻さんはマスコミにもそこそこ有名人なんだし」
夏希もコクリと頷く。
「それじゃ、荷物も持ってることだし、ここで解散にする?」
「それが賢明ね」
「じゃあ、何かあったらメールで。また明日」
まゆりの言葉に全員が頷いて散り散りに逃げるように立ち去った。
家に帰ってしばらくして、ナルからメールがあった。
『お兄ちゃんに詳しいこと聞いたんだけど、リュウイチさんって牡羊座の会長だったんだって。あと大学には行かなかったらしい。卒業後は誰に聞いても音信不通で、今どうしてるのかは誰も知らないって』
三年前の牡羊座…ということはレナさんの先代ということか。しかし、わざわざ会長までして大学に行かなかったとはどういうことだろう。それに『十二宮』と聞いた時のあの様子…お兄さんに何かあるのだろうか。
まゆりは首をひねる。
始業式の朝、まゆりは早朝に十二宮全員に招集をかけた。
部活で朝の早い生徒が集まりつつあったが、内部のものしか知らない通用口から登校することで難を逃れているようだった。チラリと覗いた正門の前には昨日と同様にマスコミ関係者が群がっている。まゆりが十二宮室に入った時には既に伊賀リョウスケは何事もなかったように座っていた。辰弥と彼に肩を抱かれた私服姿の椿が最後だった。
「さてと、まず何から始めましょうか」
始業式が始まるまでおよそ一時間。リョウスケに事情聴取する時間はあるか。
もっとも、無理だと踏んでリョウスケはこの部屋に来ているのだろうが。稔が憎たらしそうにリョウスケをにらんでいたが、それに対しても他人事のような顔をしている。
ため息をつくまゆりに妹尾亮良がメモを持って手を挙げた。
「会長、今日の始業式なんですが、教頭に伺ったら十二宮の挨拶が冒頭に持ってこられてるんです。大丈夫ですか?」
「マジ?」
やられた。
普段は校長と学年主任のスピーチの後で十二宮からのお知らせがある。教諭陣は矛先を全て十二宮に押し付け知らぬ存ぜぬを決め込むつもりか。これだから信用ならない。
まゆりは爪を軽く噛んで小さく地団太を踏んだ。
「…仕方ない。分かったわ」
ならば私がやるべきことは一つだ。一つしかない。
「伊賀君、何か申し開きはある?」
リョウスケに向かって尋ねた。
「何のことです?僕は自分のやるべきことをやっただけです。言い訳をする必要なんてありませんよ」
肩をすくめるリョウスケに歯噛みした。
「ならばまず話し合うことは伊賀君の処遇についてね」
「どうするっていうんだよ?こいつ反省してねーぜ!こんな奴と一緒に仕事するなんてこっちから願い下げだよ!」
稔が声を上げる。
「僕が十二宮を辞めればいいんですか?」
「てめぇ、どこまでもなめた口を…」
「ていたいがく しょぶん けんげん」
ポツリと口にしたのは夏希。リョウスケ以外の全員がハッと目を見開く。
「その手が…」
「で、でも十二宮全員の了承が必要なのよね?この場合、伊賀君は…」
椿が顔色を伺うようにリョウスケを見ると、彼はにっこりといつもの笑顔を見せた
「僕は構いませんよ。退学になっても」
「退学ってそこまで…」
「そのくらいの覚悟もなしにあんなことをやったとでも?」
穏やかな表情でリョウスケは言う。その顔を見て、まゆりはようやく理解した。彼は最初からそのつもりだったのだ。退学処分権限を承知の上でやったのだ。退学になっても構わない…いや、退学になるつもりで…。
「伊賀君、あなた…」
「何ならボクが一番最初に署名しましょうか?」
リョウスケは立ち上がり、棚から一枚の用紙を取り出す。席に戻ると、平然と一番上の行$2014処分される者の名前の欄$2014に自分の名前を書き、山羊座の欄にも署名した。
「なっ…」
まゆりは言葉を失った。稔が苛立ちを隠そうともせず、射手座の欄に自分の名前を殴り書く。
「ヤだよ!」
ナルが立ち上がった。
「椿ちゃんが学校辞めるってなった時もナル言ったよね!十二宮全員で卒業したいって!そりゃ伊賀君のやったことはムチャクチャだけど、それで学校辞めるなんて…!」
「だから甘いのよ、あなたは」
かぶりを振ったナルに桂子が呟き、自分も用紙にサインをした。
「このままじゃ事の収拾がつかないでしょう?」
ナルに紙を突きつける。ナルは涙をこらえながら、震える手でそこに自分の名前を書いた。
「確かにな。一般生徒もこのくらいせんと納得せんやろ」
隣で見ていた祐歌はボールペンのキャップを口にくわえて悔しげに名前を綴る。
次に紙を回したのは夏希だった。夏希は相変わらず無表情に何も言わずに思いの外きれいな字を書いた。
「では……俺も」
夏希の分まで歯痒さを噛み締めるように亮良が名前を書く。
「これで無罪放免ってのが逆に悔しいわね」
滋がその紙を奪い取るように受け取り、怒りを顕わにしながらペンを走らせると辰弥に回した。
「確かにな。後始末させられる方の身にもなれっての」
辰弥は書きながらリョウスケを睨む。
「椿、大丈夫か?」
椿はコクコクと何度も頷いて、ゆっくりと小さく名前を書いた。
「だって…一番辛いのは私じゃないもの」
紙を手渡された真人は静かにうつむいた。
「そうですね…一番辛いのは」
そして署名すると両手で差し出した。
「中務さん…ですよね…」
この想いをどうすればいいというのだろう。
ただただ悔しかった。
こんな方法でしか裁定を下せない自分が情けなくて
こんな方法を取れてしまう自分が恐ろしくて
悔しい 悔しい 悔しい 悔しい
(ナル……私だって同じだよ)
ただ椿のときは門出だった。祝福できた。
しかし今回は違う。
自分の手で下す制裁だ。
これがリョウスケの復讐か。
自分から退学届を出すのではなく、十二宮全員に『辞めさせた』という罪悪感を抱かせる、この方法が。
ごめんなさい。
「……な…い……伊賀君」
震える手で自分の名前をゆっくりと書く。
「…これにより十二宮権限をもって伊賀リョウスケを…」
こんな時、母がいれば泣けるのだろうか。
父が聡ければ頼れるのだろうか。
しかし私には誰もいない。
泣くことは許されない。
「楷明大附属高校三年一組伊賀リョウスケを退学に処します」
最後の『り』を書き終えると真人が気遣わしげに用紙を持って部屋を出た。
「まゆり……」
ナルの言葉を最後に十二宮室に重い沈黙が訪れた。
数分間の沈黙を破ったのは勢いよく扉を開ける音だった。
真人とともに数人の教諭がなだれ込んでくる。
「十二宮!話は聞いた!伊賀君を退学処分にしていいのだな!」
いきり立つ教諭とは対照的に、リョウスケは静かに立ち上がり荷物を持つと、深く一礼した。
「では皆さん今までお世話になりました」
まるで、また明日会えるかのような軽い別れ方にまゆりは思わず立ち上がった。
「伊賀君!」
「まだ何か、会長?」
「最後に…最後に教えて……!何故こんな事をしたの?こんな事して誰が得をするって言うの?」
パン
リョウスケはまゆりの頬を力強く打った。
「中務さん!」
「まゆり会長!」
真人と祐歌が、呆然と頬を押さえるまゆりの肩を抱く。
辰弥と稔が二人がかりでリョウスケを押さえつけた。
「お前はまだ分からないのか!」
その口調は明らかに今までのリョウスケのものとは違った。
「この学校の愚かな制度を!バカげた風習を!それに気づきもせずに甘えている腐り切った人間たちを!おかしいと思ったこともないのか?」
「伊賀!てめぇ…何を……?」
「僕の兄さんは十二宮に殺された!」
「殺され…た……?」
「卒業してから三年間、家から一歩も出られない!十二宮に追いつめられて、社会的に抹殺された!家でひっそりと引きこもって生きていくしかなくなった!どうしてくれる?責任を取ってくれるのか?」
全員が目を丸くした。
「兄さんは確かに牡羊座だった!けれど星座の性格判断とはまるで真逆の気弱で臆病で大人しい人だった!人望どころか人と接することも苦手な人だった!会長なんて務められるはずもない!それでも牡羊座というだけで会長に祭り上げられて、一年間重責を押し付けられた!何を言っても『牡羊座だから』だ!その苦しさが分かるか!お前らに分かるのか!結果、責任感だけは強かった兄さんは人と接するのが怖くなって、外に出られなくなった!星占いなんてバカげたもので一生を決められた兄さんは今も…まさに今この瞬間も苦しんでいる!」
思わぬ捲し立てるような怒声に誰も何も言い返せない。
「だから僕は父さんと決めた!復讐してやる!復讐してやる!そのために僕はこの学校に入った!十二宮に入った!ここで僕が学校を辞めて丸く収まるとでも思っているのか!今でもマスコミが校門の前で待っている!ざまぁ見ろ!いつまで逃げおおせる?もうすぐ一般生徒も登校してくる!通用口なんていつまで隠せると思っているんだ?」
リョウスケは怒声を浴びせながら狂気を帯びた笑みを浮かべた。
「何が十二宮だ!ふざけるな!これでお前たちは終わりだ!仮にお前たちの優秀な頭で対策を考えられたとしても、また次の策を練ってやる!弱みならこの一年間で嫌というほど握ることが出来た!ざまぁ見ろ!ざまぁ見ろ!」
「黙れ!」
辰弥は拳を振り上げる。
「また暴力事件か?それもいい!」
リョウスケの言葉に行き場をなくした拳を悔しげに収めた。笑いながら辰弥と稔の手を振りほどくと踵を返し、教諭の間を縫って歩き去った。
「これで…よかったのでしょうか?」
椿が不安げに尋ねる。
「これ以外に……どうしろって言うのよ…」
歯痒かった。
きっとここにいる全員が同じ気持ちだろう。
歯痒くて…自分たちのどうしようもない無力さがただただ悔しかった。
「先生…」
まゆりが俯いたまま声を絞り出した。
「お願いが…あります……責任は私が取りますので…」
私たちが浅はかだった。怒りを向ける対象を見誤った。
「……校門を…正門を開放してください」
椿とリョウスケの席を空けて十二宮は講堂の端の席に並んでいた。
講堂に入って来た生徒たちは、後ろにズラリと並ぶマスコミ関係者や事態を懸念してやって来た保護者の列に驚きを隠せない様子だった。中には面白がってその光景を携帯カメラで撮る生徒もいる。
「それでは楷明大学附属高校三学期始業式を始めます」
通常通り進行役は亮良だ。
「まずは生徒会からの挨拶です」
いつもと違う亮良の進行に生徒たちはざわめいた。まゆりが壇上に上るのをじっと見つめる。
「えー、皆さんおはようございます」
講堂の一番後ろからフラッシュが焚かれた。
正直なところ、まゆりは怖かった。
けれどここで自分が折れてはいけない。
自分が柱なのだ。
責任を負うと約束したのだ。
「皆さんの知っているように生徒会…十二宮が問題になっています。言い訳は致しません。昨日テレビ番組で報道されたことは全て事実です。これについて二つお知らせがあります。一つは伊賀リョウスケの処遇についてです。昨日の彼のテレビ出演はプロデューサーを父に持つ伊賀リョウスケの独断専行であり、十二宮の総意ではありません。よってその責任を取るため十二宮権限で今朝限りをもって伊賀リョウスケを退学処分と致しました」
生徒たちのざわめきは一層大きくなった。
「それって粛正じゃないのかよ!」
一人の男子生徒の声が響く。
「そうよ、何が十二宮権限よ!これじゃ単なる独裁よ!」
「恐怖政治ってこういうのじゃねーの?」
あちこちから声が上がった。
分かっている。このくらい覚悟の上だ。
「ちょ…」
「矢井田さん、待って」
桂子が立ち上がりかけたのをナルが制す。
「ナルたちが…十二宮の人間が口出しても何の意味もない…」
わかってる
まゆりが息を吸い込んだその瞬間
「話を聞け!」
生徒の席の中から講堂中に響き渡る大声がした。静まり返る。
「須磨くん…?」
「た…拓海?」
叫んだのは須磨拓海だった。まゆりとナルは同時に目を丸くする。
「人の話を最後まで聞くこともできないんですか?何が名門校です?これじゃ幼稚園…いや、動物園ですよ。文句があるなら会長の話を全部聞いてからにしたらどうですか?頭が悪い集団攻撃もここまで来ると不愉快です」
よく響く声で冷たく言うと、頭をペコリと下げ腰を下ろした。
「ありがとうございます、では、話を続けたいと思います。お知らせの二つ目です」
そうだ。私は一人だなんていつから思い込んでいたのだろう。
こうして助けてくれる仲間がいるじゃないか。
この一年積み重ねて来たものは無駄じゃなかった。
それがリョウスケの言う『バカげた風習』だとしても。
私は牡羊座でよかったと今、心から思う。
「次期十二宮…いえ、生徒会についてです」
ありがとう。
「次期生徒会に入りたい新三年生は立候補をお願いします」
生徒たちだけでなく教諭陣もマスコミや保護者も十二宮の人らすら顔を見合わせた。
「選出人数は十二人ですが、星座は一切関係ありません。何座であろうと人望と才能があれば会長になれます。立候補受付などの詳細は後日追って連絡します」
「中務君!何を……!」
立ち上がったのは教諭席の一番端に座っていた理事長だった。
「そういう ことか」
夏希が亮良からマイクを奪った。
「わかった いべんと じっこう いいんちょうの なにかけて わたしも つきあおう」
「な…夏希…」
「ごじまんの むすめで いるのも もうあきた。はんこうきだと おもって つきあえ」
娘の睨む目に理事長はぐうの音も出ないようだった。
ありがとう。
「ここに宣言します」
リョウスケの言う通りだった。敵に回す相手を間違っていた。
本当にありがとう、みんな。
敵に回すべきなのはこの学校。
そして、それをおかしいと一分も思わなかった馬鹿な自分。
息を吸って深呼吸をした後で、大声ではっきりとまゆりは言った。
「楷明大学附属高校・第一回生徒会選挙を行います」