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天球儀 其の零

ep.10 十二月「射手座の不具合」




 ゆっくりと体をゆらゆらさせて玲奈に向かってくる。両手には何も持っていない。だのに狂気を感じる。
 玲奈は動けなかった。
 その細い指がゆっくりと首に向かう。
   ガンッ!
 大きな音で我に返った。
 館林が鞄で思い切り譲を殴りつけたのだ。
「先輩!逃げてください!」
「で…でも…」
「いいから!」
 館林は玲奈の手を引いて走りだした。
 
 
 
 とりあえず、近くのコンビニに逃げ込んだ。
「家はちょっと遠いので、ここでやり過ごしますか。あ、高坂先輩にメールしておかなきゃ」
 館林は手早くスマホを打つ。
「警察にいたら携帯とか没収されてるんじゃない?」
「でも、逆にもっと話を聞きたいってなった時、入口で待ってるはずの俺達がいなくなってたら困るでしょうから」
「そっか」
 玲奈は息をついた。
「さっきの永戸くん…なんだったの?」
「うーん、あ、そうだ」
 他に客はいない。メールを打ち終わった館林は店員に話しかけ、不審者に追われていること、万が一の場合対応と通報の準備をしてほしいことを伝えた。
 赤い長髪を後ろでひっつめたアルバイト少年は快諾し、カラーボールを確認する。
「お客さん、楷明の生徒会ですよね。不審者って学生ですか?」
「あ…はい…」
「じゃあ、学生ならそこそこ対応できるやつ呼んどくか。ちょっと失礼します」
 ブツブツと言って、店の電話で誰かにかけ、何やら話しだした。話は数分で終わり、館林と玲奈に向かう。
「ここの…できれば窓際を避けていてください。多分大丈夫ですから」
「はぁ、貴方…楷明の関係者?」
「関係者ってか、一年です。貧乏特待生ですが」
 少年は頭をかいてニカッと笑った。
「なるほど」
「あと十二宮なんですよね?だったらもうすぐ休憩から戻ってくる人が…」
「加藤くん、どうされたのですか?」
 店の奥から上品な女性の声が聞こえた。
「会長!?と…蛇遣座の…」
 中から現れたのは店員の制服姿の久都凛子だった。
「あなた…どうして…?あなたも特待生?」
「えっと…違います。ちょっと…その…事情があって…アルバイト中ですの」
 凛子があからさまに目をそらして髪をいじる。
「それより、どうされたんですの?お二人共?」
「ああ、それがね」
 玲奈は凛子にザッとした経緯を話した。横で加藤と呼ばれた赤髪少年も聞いているが別に構わないだろう。
「永戸くんが…ですか?」
 凛子は考えこむが横から赤髪が声をかけてきた。
「武闘派なら心当たりがあるんで連絡取ってみましょうか?」
 少年は店裏に走り、携帯を持ってすぐに戻ってきた。
「あれ?そのアプリ…」
「久都さんに教えてもらって。楷明の生徒の中では割と広まってますよ。今から呼ぶのは楷明の生徒じゃないですけど。とりあえず久都さんと店の奥の方にいてください。本当はバックヤードに入れたいんですが、関係者以外が入ると店長に怒られるんで」
「ありがとう。えっと加藤…くん…?」
「加藤稔です。一年で、ひょっとしたら再来年の十二宮に入るかも。よろしくです」
 
 
 
 20分ほど経っただろうか。コンビニの扉が勢いよく開いた。
「稔くん!大丈夫!?」
 玲奈はその少女に見覚えがあった。
「おう、香歩子。早かったな」
「急ぐわよ!あんたが急に呼び出しって!」
 そこまで言って少女は奥の棚から覗き見る玲奈と館林、凛子の姿に気づく。
「あ、未歩梨と暁子ちゃんの…」
「えっと…小野さんでしたっけ?」
「はい。不審者に追われてる人って貴方だったんですか」
 玲奈はコクコクと頷く。
「ご自宅は?」
「篠目町3丁目…」
「俺、桜森町、遠いですね」
「あ、大丈夫ですよ」
 言ってコンビニの外に向かって目配せする。
「ミナトさん。入って大丈夫です」
 その声を待って入ってきたのはジャージ姿のミナトだった。
「稽古中だったので連れてきちゃいました。じゃあ、ミナトさんは玲奈さんを。私はそちらの彼を」
 一方的に仕切ると、香歩子ははゆっくりとコンビニのドアを開けた。
「稔くんありがとね」
「いやいや、気をつけろよ。あと防犯ブザー1つずつ持ってけ」
 言って売り場から取ってきた赤いブザーを手渡した。代金を払おうとしたが赤髪の少年は断った。
 
 
 
「……ごめんなさい」
 玲奈がポツリと言った。
「何がですか?」
「また、私助けてもらって…。一人でやらなきゃならないのに…」
「何で一人でなんですか?」
 ミナトは飄々としたまま聞く。
「小さい頃ね、親が遊び相手を充てがってくれたの。彼女の口癖だったの『ひとりでやらなきゃ』って…」
「それって…」
「それが小学校入った頃かな、同級生と付き合わなきゃって方針転換。2つ年下だったあの子とはそれ以来会ってないわ。でもね、妙に耳に残ってるの『ひとりでやらなきゃ』って」
「夏希らしい…」
「え?」
「いやいや。何でもないです。でもね…」
 ミナトは笑って玲奈の背中を叩いた。
「人間、一人じゃ何にもできないようになってるんですよ」
 自嘲めいた言葉だった。
「ミナトが何で勘当されたか知ってますか?ミナトが何で性別不詳キャラになったか知ってますか?」
 抑えた声で、静かに言った。
「ミナトはね、男でも女でもないんですよ。生まれた時は男でしたよ。でもね、5年くらい前かな。去勢させられたんですよ」
 静かに、静かに言った。
「ミナトがやっちゃったんですよ」
 後悔でも懐古でもない。
「実の妹を、夏希を襲っちゃったんですよ」
 ただ、真実を。
「出来心とか嫌がらせとかじゃないですよ。好きだったんです。夏希のことが本気で。大好きだった。だから」
 淡々と。
「好きになっちゃいけない人を好きになるやるせなさは分かるです」
 全てを受け入れた後の顔。
「そして、その顛末も」
 譲は不快感に表情を歪める。
「ミナトは知ってます。結局不幸しか生まないです。でもそれで親に勘当されて。道場に入るのだって中務さんにお金積んで、半ば保護者代わりにさせられてるだけです。ねぇ、会長…」
 ゆっくりと玲奈の方を見た。
「死ねって罵ってくださいよ。ミナトみたいなヤツのことこそ、死ねばいいって思うでしょ。キモい、死ねって言わないんですか?」「それは……」
 ふとミナトが足を止めた。
「それより、会長」
「ん?」
「ちょっと困ったことになりました」
 前から向かってきたのは永戸譲だった。
「なんで分かってもらえないかなー」
 フラフラした足取りで玲奈とミナトに近づいてくる。
「会長、ミナトの後ろに隠れててくださいね。追い払うくらいはできると思いますから」
「俺が葵のことを好きってそんなに変かなー。男同士ってそんなに変かなー」
「変とは思いませんよ」
 ミナトはスッと中腰になって構えた。
「ミナトも同じですから」
「一緒にしないでもらえるかなー」
 譲がやっと口を開いた。
「君の衝動的な感情と一緒にしないでよー」
「そうかもしれないです。でも…」
「俺は物心ついた時からずっと葵が好きだったんだよー」
 好きだという感情はなんて複雑で
「俺もだよ」
 他の人には測りがたい。
 ミナトが地面を蹴って、譲に殴りかかった。
 ミナトの拳を譲はのらりくらりと躱す。
 譲がミナトの蹴りを避けようとした時、ゆっくりと前に倒れた。
「え?」
「取石…くん…?」
 譲に後ろから一撃入れたのは
「なんで…ここに…?」
 取石葵だった。
 
 
「どうも、譲がお世話になりました!」
 譲の細い体を抱え上げて葵が玲奈とミナトに頭を下げる。
「譲くん…大丈夫?」
「大丈夫!頭以外!」
「いや、それが一番心配なんだけど…」
「こいつの趣味は俺が一番よく知っるから!もうこうなったら一生でも付き合う覚悟!」
 葵はグッと指を立てた。
「こいつがどんな趣味だろうと、俺は女が好きで、でもって俺はこいつの親友だから!」
「そこまで開き直られたら幸せですね」
「そゆこと!ほら、譲、帰るぞ!」
 言うと、事も無げに葵は譲の唇に口付けた。
 玲奈はギョッとする。
「あれー、葵ー」
「ほら、人様に迷惑かけんじゃねぇ」
「うーん、葵には最初からバレバレだったかー。残念ー」
「バレるに決まってんだろうが。黙ってやってたのに次から次へと」
 葵は譲の頭をコツンと叩き、床に放り出す。
「そっかー、残念だー」
 ポンポン、と譲の背中を叩いた。譲は小首を傾げて笑う。
「愛してるよー、葵」
「それ言うのは、二人っきりの時だけにしろって言ってるだろ」
「でもさー、俺は好きで好きで仕方ないんだよねー」
「はいはい。俺は滋を愛してるからな」
「妹が恋敵ってドロドロじゃんー」
「ホモな時点でドロドロだっつーの」
 葵は譲を下ろし、頭を撫でた。
「俺は滋ちゃん大好きだけどお前とも一生一緒にいてやるからさ」
 そして玲奈とミナトの方に向き直り、頭を下げる。
「すみません!館林にも後で謝りに行く!だからこいつのこと、許してやってくれ!あと秘密にしてやってくれ!」
「う…うん」
 玲奈が頷くと葵は満足気に笑い、夜闇の中に消えていった。
 
 
 どうして
 思っている人に
 思っていることを伝えることが
 こんなにも難しいのだろう
 
 
 私達は
 あまりに
 不器用すぎる
 
 
 それは
 絶望すら
 してしまうほどに
 
 
 
 玲奈はマンションの前にいた。
 「伊達」と書かれたインターホンを前にして立ち竦んでしまう。
 謝ろう
 謝らなければ
 私が 全部 悪かったと
 何度も何度もボタンに手を伸ばして、部屋番号を打ち込みかけては止めてしまう。
 迷っているとドアが開き、中から少年が出てきた。端正な顔立ちの少年。
「どちらかにご用ですか?」
「い…いえ、何でもないです」
 玲奈は足早に立ち去った。
 少年はそれをじっと見つめて口の中で呟く。
「亘…玲奈…十二宮会長…」


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