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あとりえ透明2

「アッサム」




 恋をした
 
 高校の入学式の翌日
 講堂前の広場で桜舞う中佇むその姿
 桜色に映える緑のカーディガン
 清楚な黒色の長い髪
 長めのスカートの制服
 そんな彼女は
 振り返って自分を見止めると微笑んで言った
 
 
 
「あなた、メイドカフェに興味ない?」
 
 
 
「いやー、助かった。客呼んで来いって店長うるさくってさー。今日は16時からシフト入ってるから16時半頃に来てくれたら時間取れると思う。平日のそのくらいだとあんまり混んでないし」
「はぁ…」
「1年生だよね。この学校はどう?友達できた?」
 実は昨日の入学式とオリエンテーションでは今ひとつだと思っていたのだ。せっかく受験勉強を頑張って入った進学校なのに、いざ入ってみると皆くだらない話しかしない。友達どころか隣の席のやつと一言二言挨拶をしただけだ。
「いや…あ、俺1年3組城崎遼平です」
 言うと先輩らしいその少女はにっこりと笑う。
「あたし3年の澤和泉。イズミでいいよ」
「じゃあ…えっとイズミ先輩。よろしくお願いします」
「よろしくっ!遼平クン!」
 どうなることかと思ったが、いい高校生活になりそうだ。
 
 
 
 正直、メイドにさして興味はない。一昔前に流行ったが、アニメオタクの聖地である頃はまだマシだった。今では厚化粧で金髪ミニスカートの女の子がギリギリなサービスをしてくれる風営法に抵触しないキャバクラでしかない。正直、オタクでもない未成年には行くのもためらわれる。
 そんなところであの清純そうな先輩がアルバイトしてるなんて、なにか事情があるんだろうか。私立校だから学費が足りないんだろうか。小遣い目当てだろうか。
 とりあえず、ぼったくられないことを祈りつつ、先輩が端末に送ってくれた地図をたどる。学校からそう遠くない。
 どんなメイド服だろうか。イズミ先輩はピンクの超ミニとかだろうか。似合いそうだ。
 
 
 
 着いたのは、駅からもさして近くない住宅街の中の小さな一戸建ての店だった。看板に「メイドカフェ」の「メ」の字もない。
「あとりえ…透明…?」
 ここで合っているのだろうか。とりあえず「OPEN」の看板が出ていたので、恐る恐るドアを開ける。入店の電子音はもちろん、カウベルすらもない。
 しかし、自分が来るのが分かっていたかのように20代くらいの女性が深々と頭を下げた。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
 お決まりの口上だが、抑えた落ち着いた声。くるぶしまである黒いロングスカートの上下に白いエプロン。黒髪は束ねられ、白いヘッドドレスを着け、名札もない。それはまるで本当の中世のメイドのようだ。
「初めての方ですね。お席へご案内いたします」
「あ、あの…イズミ……澤和泉さんの後輩で紹介されて……」
「澤ですね。かしこまりました」
 合わせたように、二階から同じ服装のイズミ先輩が現れた。
「城崎様、来てくださって嬉しいです。どうぞ、お二階へいらしてください」
 先ほど学校で見た快活な先輩の姿ではなかった。長い髪を低い位置で2つに結び、黒いゴムで結んでいる。落ち着き払った、しかし穏やかでたおやかなその微笑は、それはそれで味わい深かった。
「紅茶はお好きでしょうか?」
「えっと、時々コーヒーショップで飲むくらいで…」
「では、今日はまだ肌寒いのでホットティーでしょうね。ミルクは入れたほうがよろしいですか?」
 先導して急な階段をゆっくりと上るその少女は、本当にイズミ先輩なのだろうか。
 2階に上がると一人先客がいた。20代後半くらいの男性で、気難しそうにタブレットパソコンを睨んでいる。
「小野様、ご同席よろしいでしょうか」
 その男性はノートパソコンから目を離さず頷いた。
 俺は大きな机の対角線上に座る。
 2階には大きなテーブルが2つあり、見渡すと壁という壁を取り囲んだ棚の半分に本がぎっしりと並んでいる。絵本から、昔流行った小説、きれいな装丁のインテリア雑誌もある。
 もう半分は額装された小さな絵がたくさん立てかけられていた。
 抑えられた音量でかかっているのは、アコースティックギターの弾き語り洋楽だろうか。
 一冊、デザイン書を見つけ、手に取り席につく。
「甘いものは召し上がられますか?」
「えっと…じゃあ、ケーキを、何があるんですか?」
 そういえばショーケース的なものもメニューもない。
「後でご案内いたします。では、お飲み物はホットミルクティーで」
 それだけ言うと、イズミ先輩は「少々お待ちくださいませ」と頭を下げ、一階へ降りていった。
 古めかしい作りかと思ったら各席の机の下に個人電源が完備されているし、ネットもすぐにつながる。端末を広げ、モニター拡大した時だった。
「ミルクティーって言ったらアッサムじゃないですか」
「でも一花さん、この前ウヴァって言ってましたよね?」
「だから分かってないの。紅茶に詳しくないお客様にはウヴァは癖がありすぎるの。香りがきついってあなた自分でも言ってましたよね」
 何やら一問答あったようだ。
 ふと思いたち、本を閉じ、ここの店のHPを開く。店の詳しい概要は書いていない。店の名前にも「メイドカフェ」などとはついていない。
 ただ「あとりえ透明」
 しかし、中にいたのは確かにメイドだ。しかもれっきとしたアンティークメイド。
 メニュー表を開くと「ドリンク各種」「スイーツ各種」「アフタヌーンティーセット」と3つしかなかった。後は親切な地図があるだけだ。
 十分くらい待っただろうか。イズミ先輩がトレイを持って現れた。
 トレイ3つくらいを階段三往復して運び、その都度階段の脇にあるワゴンに乗せ、こちらに運んでくる。
「本日は、アッサムミルクティーとのことで、ダフラティン茶園のセカンドフラッシュをご用意いたしました」
 一番下の段から小さめの洒落た模様のヤカンと分厚い布のテントのようなものにくるまれたティーポットを取り出す。テントを開けて蓋を開け、茶葉を3杯入れてヤカンからお湯を注いだ。そして再び蓋をし、ワゴンに向き直る。
 一番上の段には大きなお皿にカットされた色とりどりのケーキが10個位並べられていた。
「どちらにいたしましょうか?」
「え?え…えっと……すみません、一番安いのは……?」
「どれもお値段は同じですのでご主人様のお好きなものを」
「じゃあ、この……ガトーショコラ…なのかな…?」
 俺はチョコレートのケーキを指さした。
「かしこまりました」
 笑顔でワゴンの二段目から小さなケーキ皿とフォーク、スプーンに小さなトングを取り出す。音も立てずに俺の前にゆっくりと並べると、トングを持ち皿にガトーショコラを綺麗に置いた。
 そして、またしてもワゴンからアルミのような素材の引き出しを出し、中からアイスクリームボックスを取り出した。
 ガトーショコラの横に小さく盛りつけ、ミントを乗せる。
 そしてワゴンの一番下の壇からテントのようなもので覆われたティーカップを出した。外側がタータンチェックの落ち着いた雰囲気のティーカップ。中は真っ白だ。
 ポットを軽くひと混ぜし、茶こしでゆっくりと濾しながら回し入れる。半分くらい入れたところで、もう一つティーポットを取り出す。それは温かいミルクだった。
 ほどよい香りが鼻孔を拡げる。
 最後にティーポットにテントを被せ「お砂糖でございます」と白い陶器の人形のような砂糖入れを置いた。
「では、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
 イズミ先輩…いや、メイドさんはそれだけ言うと、ワゴンを押して音も立てずに残った食器やらケーキやらの整理を始めた。
 高級なカフェの雰囲気ではない。でも不思議と心地良い。
 紅茶なんてずっとペットボトルでしか飲んでいなかった。
 ティーカップにゆっくりと口をつける。
 砂糖を入れていないのにほの甘く、肩の力が抜ける。
 さっきもう一人と話していた癖のあるらしいものも試してみようか。
 本をめくる。紙の本を読むのなんてどの位ぶりだろう。教科書を含め、もうすっかり電子書籍ばかりになってしまった。
 チリン
 斜向かいに座っている男が手元のベルを軽く鳴らした。
 ごく小さい音だったのに、しずしずと一階から年上の方のメイドさんが上がってくる。
「何か御用でしょうか、三上様」
 男はパソコンを彼女に向けた。
「新作の歌詞ですか」
「どう思う?」
 じっと見つめて一箇所を指さす。
「ここを『行こう』にすれば韻を踏めるのではないですか?」
「それは考えたんだけど、一人で行くとも取れるイメージにしたいんだよ」
「なら『行きたいな』とかでしょうかね?『行くよ』だと少し男らしすぎるというか…私の好みですが」
「それだと曲に合わないんだよなぁ。『行こう』かな」
 二人で考え込んでいる。
「遅くなって申し訳ありません」
 二階にパタパタと上がってきたのは、同じく黒いロングワンピースに白エプロンの少女だった。
「新しいお客様ですね」
 小柄でふわふわした黒髪の少女は頭を下げる。
「いらっしゃいませ、ご主人様っ。成瀬せつなと申します……あ、お客さま来られたみたいっ!あの足音は水科さまだっ。せつな出ますねっ!」
 一花や和泉とは対照的に遠慮なく軽い足音を立てて、階段を降りていく。俺は全く気づかなかった。彼女は耳がいいのだろうか。
 せつなが1階に降りると同時に扉が開いた。
「おかえりなさいませっ、ご主人様。今日は大学お早かったんですね。以前ここで書かれていたレポートは上手く行きましたか?」
「ああ、一花さんのおかげで。でも結果が出るの明日からだからね」
「じゃぁ、今日はリラックスできるようにナツメグのハーブティーお煎れしますね。あとですねっ、久々にシナモンロール作ったんです。召し上がってもらえませんか?」
 二階に上ってきたのは自分より少し年上の大学生くらいの女性だった。
 彼女は自分を一瞥するが、興味なさそうにもう一つのテーブルに着いた。
 俺は手を伸ばせば届く距離にある、小さなベルを見る。聞こえなくてもいいくらいの音で鳴らしてみた。
 イズミ先輩が二階へ上ってくる。
「お待たせいたしました。ご主人様」
 
 
 俺は恋をした。
 学校で見かけた快活な笑顔も、たおやかなこの笑顔も。
 
 
「ミルクティーをもう一杯。今度はさっきと違う茶葉で」


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