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あとりえ透明

「レース編み」




 結婚相談所からの紹介を受け、今日は初めて女性と会うことになった。ここまでこじつけるのに随分と時間がかかった。
 俺は自分で言うのもなんだが、収入も容貌も悪いとは思わない。堅い職にも就いている。歳は四十と若くはないが、それでもただ一つの項目がこんなにも障害になるとは思わなかった。
「二十九歳でお近くにお住まいの方です。カフェの店長をしており、私も何度かご相伴にあずかったことがありますが料理もお上手で、人柄は気さくで明るい方です。そして……」
 俺の担当になった澤という男は営業スマイルを絶やさず続けた。
「再婚でも気になさらないと」
 


 相談所の一室でソワソワしながら待っていた。プロフィールを見たが、なかなかの美人だ。何より前妻と正反対の面持ちなのが気に入った。
 ドアがノックされ、澤が女性を連れて扉を開けた。澤の一歩後ろに立っているのは短い髪の知的な女性。背はそれほど高くなく上品な黒髪だ。
 彼女も緊張しているらしい、オドオドとしつつ一礼した。
「こちら、中条憲司さん」
 澤が女性に俺を紹介する。俺は頭を下げた。
「こちらが松島朋さんです」
「よ、よろしくお願いします!」
 女性は大きく何度も頭を下げる。可愛らしい。
「中条さんはこれからのプランはお決めですか?」
「はい。近くのレストランでランチの予約をしています」
「では、あとはお二人で……」
 言って、澤は退室した。
「えっと、フレンチはお好きですか」
「は、はい!」
「では案内しますよ」
 


 車で少し行ったところにあるこじんまりとしたフレンチレストランで向かい合っていた。
「松島さん」
「はい!」
「えっと……フレンチはお好きでしたか?」
 さっきも聞いたことを聞いてしまった。
「はい!」
 


「カフェの店長をされていると言うことで、どんなお店なんですか?」
「はい!……じゃなかった、えっと……」
 女性は一呼吸置いて苦笑した。
「画材カフェです」
「画材……カフェ?」
「あ、あの、よろしければこの後お店に来てみますか。今日は店はお休みでお客様も来られないと思うので!」
 ようやくうつむきがちだった女性が顔を上げた。
「中条さんは中学の美術教師だと伺いましたが……」
「はい。でも、本当はいけないんですが副業をやっていまして、それで結構儲けています」
 


「日曜が定休日なんですか?」
「いえ、普段は定休日ってないんですが、二人で店を回していて、もう一人が今日は夏風邪で寝込んじゃって、私は用事があったのでお休みです」
 ランチを食べて、だいぶ肩の力が抜けたらしい。松島さんはよく喋った。喋りはするが礼儀正しく、あまり愛想を振りまく方ではないらしい。笑顔は少なかったが、そこがまたいい。
 まったく、あの女とは正反対だ。
 鍵を開けて中に入る。お洒落な今風のカフェの雰囲気だ。清潔感があって悪くない。
「二階で絵を描けるんですよ。あ、飲み物入れますね。何がいいですか?」
「ではコーヒーを。アイスで出来ますか?」
「はい。今お煎れします」
 言って店の奥に入って行く。
 俺は二階に上がった。なるほど、画材カフェだ。画材が所狭しと並んでいる。自分も一応美術の教師なので大体の物は使い方が分かるが、初めて見るものもある。
 松島さんがアイスコーヒーを二つ持って現れた。
「すごいですね。ここの画材使っていいんですか」
「ええ、中条さん、何か描かれますか?」
「松島さんはどんな絵をお描きになるんですか?」
「いえ、私は描けなくて」
「全く興味がないわけではないんでしょう。店長なんだから」
 彼女は困った顔で少し考えて顔を上げた。
「編み物……夏ですし、レース編みなら……」
「いいですね。女性らしい……おっとこういうことを言うのは女性差別になるのかな」
「気にしませんよ。コースターくらいならすぐ編めますよ」
 棚の奥から籠を取り出し、埃除けの布を取り払った。
「男性にストールやカーディガンを贈っても意味ないですからね」
 籠からきれいに玉になった白糸とかぎ針を取り出す。かぎ針を数本並べて吟味した後、二番目に小さいものを取った。
「母に教わったんです」
 糸を手繰り幾重かに巻くとかぎ針にひっかけ手早く編み始めた。視線を落とすとまつ毛が長いのがよく分かる。
 数分の沈黙が流れる。
「中条さんのこと、聞いていいですか?」
 彼女は手を休めずに呟くように言った。
「はい、何でも」
「副業って何されているんです?」
「本業が美術の教師なので、画家を目指す人のマネージャーやアドバイザー的なことをやっています。具体的に金額を設定して……例えば月いくらとか……しているわけではないんですが、成功した子はお礼を送って来るので、それがそこそこの収入にはなるんですが、職業と呼べるのかも微妙ですね。」
「アドバイザー?」
「最初は美術の教え子の面倒を卒業後も見ていたのがきっかけだったのですがね。人伝でどんどん仕事が広がって行きました」
「なるほど、いいお仕事ですね。やりがいもありそうですし。あと……気になっていたのですが」
 俺は質問の続きが読めた。
「前の奥さんとは離別されたんですよね。何が原因だったんですか?」
 やっぱり来たか。まぁ仕方ない。こちらも覚悟はしていた。本当のことを言っても悪くはないだろう。
「前妻がかなりズレた人でね。まぁ言ってしまえば人間性の相違だよ」
「人間性……ですか」
「ひどく身勝手な女でね。自分の世界……というのかな、趣味に没頭すると周りが見えなくなる。家事をしなくなるどころか、俺に見向きもしなくなる。次第に自分の生活管理すらも疎かになり、俺が夕飯を用意してやる毎日。終いには不倫されましてね。俺は仕事から帰ってきたら一言『おかえり』って言ってほしかっただけなのにな」
「どうしてそんな人と結婚しようと思ったんですか?」
「向こうの両親にひどく勧められて、その方たちには世話になったので、断りきれなくてね。向こうも娘の面倒を見てくれる男がほしかったんだろうな」
 彼女は手を止め、ハサミで切ると手早く結んできれいな花模様になったコースターの形を整える。
「私は言えますよ」
「え?」
「『おかえりなさい』って」
 コースターを自分の前に差し出し、ほとんど氷の溶けた俺のアイスコーヒーの下に置いた。
 


「ともちゃん、鍵開いてたけどいるのー」
 カウベルが鳴ってドアが開いた。
「絵美さん、風邪は?」
「治ったから遊びに来たんだよー」
 甲高い女性の声が二階に上ってくる。
「え……絵美……?」
「けんじ……さん…」
 俺はその姿に言葉を失った。
「あーうんー、えーっとー、久しぶりですねー。元気でしたかー?」
「絵美……お前……」
 何と言えばと途方に暮れていると、絵美が先に口を開いた。
「あたしはねーあたしはー元気にしてますよー。連絡できなくてごめんねー。今ねーともちゃんとー」
 以前と変わらない笑顔で
「お店を……たの……し……」
「絵美さん!」
 松島さんが声を挟む。絵美の肩が小刻みに震えて止まらない。
「だから……だいじょーぶ……だいじょ……」
「絵美さん、どうしたの?中条さんと知り合い!?」
「松島さん」
 俺は静かに立ち上がった。
 松島さんとはどうやら縁がなかったようだ。
「絵美は俺の前妻ですよ」


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