天球儀
ep.7 九月「天秤座の失望」
「石灰が足りない?体育祭は来週なのよ!業者に無理言ってもらってきて、多少予算オーバーしてもいいから!」
「二年六組と八組の学級発表会のテーマが提出されてません」
「すぐに催促に行ってきて!ただし、体育祭優先で!観月さんは?体育祭の進行表頼んでたんだけど」
「運動部の部対抗リレーの見回りに行きましたよ」
「じゃあ加藤君、代わりにこの書類お願い」
「あの…会長、十月の合唱コンクールについてなんですが…」
「合唱コンクール?そんなのあとあと!何度も言わせない!来週の体育祭最優先で!あー、もー!何でこんなに忙しいのよ!二学期って!」
「おちつけ まゆり せいては ことを しそんじる」
「ってなんで一番忙しくあるべきのイベント実行委員長がお茶飲んでくつろいでるのよ!」
「できることは すべて やったからだ たいいくさい がっきゅうはっぴょうかい がっしょうこんくーる それぞれ しんこうは うんどうぶちょうと ぶんかぶちょうに たのんだし ほさは ふだん ひまな かねしろと とりいしに まかせた わたしの しょるいは なつやすみの うちに かききった じゅんびの じっこうは へびつかいざに いってある わたしの することは なにもない」
「ああ…そうですか」
「うーん、いい天気。絶好の体育祭日和ね」
「日焼けするとお仕事に差し障るから私は十二宮のテントにずっとこもってることにするわ」
「いいけど、やることはやってよ。永戸さん」
「もちろんよ」
「そういえば、取石さんの姿が見えないけど欠席?だったら救護班にまとめ役がいなくなるんだけど…」
「さぁ、椿からは何も聞いてないけど、救護班、私が代わりに行こうか?とりあえず日よけさえあればどこでもいいし、競技サボる理由にもなるし」
「そう、じゃあお願いしていい?あと取石さんにメールでもしておいてもらえる?」
「分かったわ」
「まゆり会長ー、ちょっとええか?」
「はいはーい、じゃあお願いね」
ガラガラガシャーン
十二宮室に派手な音が響き渡る。と、共に取石椿は椅子から転げ落ちた。その拍子に辺りの椅子や飾りテーブルも倒れる。
「ふざけんじゃないわよ!何であんたにそんな権限があるの?辰弥の人生台無しにする権利があるの?」
体育祭の事後処理をしていたまゆりは慌てて永戸滋を取り押さえる。
「離して!」
「どうしたの?落ち着いて!永戸さん!」
「これが落ち着けるもんですか!私は認めない。絶対に認めないから!」
まゆりを弾き飛ばし、倒れた椿に駆け寄ると下腹を容赦なく蹴り飛ばす。
「一時でもあんたを友達だって思ってた私がバカだった!友達だから譲ろうだなんて思った私が大バカだった!裏切り者!裏切り者!裏切り者!」
「やめて!」
椿とまゆりの声が重なる。
うずくまる椿を一瞥した滋は、心底口惜しげにその場を立ち去った。
「大丈夫?取石さん」
しばらく息を殺しうずくまっていたが、椿はよろよろと立ち上がる。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます、会長」
「永戸さんと何があったの?」
「その…答えなければいけませんか?」
気まずそうに尋ね返す。
「いや、無理にとは言わないけど、お腹痛いの?」
「いえ、大丈夫です」
それだけ言うと、鞄を持って立ち去った。
「金城くんの進路?いえ、何も聞いていませんが…」
進路指導部長から呼び止められ、尋ねられたのは金城辰弥のことだった。
「前回の進路希望調査までは、楷明大の法学部推薦で通していたんだが、突然就職に切り替えてきてな。本人に問いただしても答えないんだよ。十二宮で何かなかったか?」
「いえ…特に…あ!」
『辰弥の人生台無しにする権利があるの?』滋の言葉が反芻される。
「何かあったのか?」
「いえ、分かりませんが、永戸滋さんか取石椿さんなら何か知ってるかもしれません…」
「そうか…永戸と取石は三組だったな。金城も同じクラスか。ありがとう」
教諭は忙しげに立ち去った。
「だから何があったか聞いているだけだ。頼むから教えてくれないか?」
「黙秘権を行使します」
「同じく…です。すみません」
会議室の長机の端と端に座って最長距離を保ちながら滋と椿は言った。教諭は困り顔でなだめるように二人に言う。
「黙秘権ということは何か知っているんだろう?昨日、永戸が十二宮室で取石に暴力を振るったというのと関係あるのか?」
途端に滋は眉間にしわを寄せ、立ち上がった。
「不愉快です。要件はそれだけですか?なら帰ります」
鞄を持ってつかつかと扉に向かう。
「わ、私も失礼します」
「ちょっと…永戸、取石…!」
教諭が止める間もなく扉は閉じられた。
「ま~ゆ~り~」
ナルの声にハッと顔を上げた。
「忙しいって言ってるのにボーッとしちゃって、大丈夫?この前の永戸さんのこと気にしてるの?」
書類をホッチキスで束ねながらナルは尋ねる。
「永戸さんはお仕事で早退やし、取石さんも休んでしもとるしな」
祐歌が口を挟んだ。
「昨日は先生に呼び出されてたしね」
「金城くんは?」
「先生に呼ばれていました。進路変更したとかで」
「進路変更?金城って弁護士一家の長男だろ?法学部行かねぇでどうすんだ?」
加藤稔が顔を上げる。
「弁護士一家?」
「そ、父親がでかい弁護士事務所開いてて、ゆくゆくはそこの跡取りなワケ。いいよなー、将来安泰な奴は」
「十二宮入った時点で加藤くんも将来安泰でしょ。ゼータク言わないの」
「ゼータクか。ま、そうだわな。ゼータク言っちゃいかんよな」
いつも飄々とした稔の顔に、一瞬陰りが見えたのに気づいた者はいなかった。
「そういえば永戸さんと取石さんの進路って聞いてなかったなぁ」
「一緒に文学部に行こうと言っていましたよ」
矢井田桂子が書類を差し出して言った。
「あの二人正反対なのに仲いいもんね。一緒の学部行くんだー」
「幼等部からの幼馴染みですからね。金城さんも含めて三人で」
何故か十二宮の対人関係や家の事情に詳しい伊賀リョウスケが口を挟む。
「三人…?」
「ええ、それに取石さんと永戸さんは家が近くて、もう生まれた時から遊んでたらしいですよ」
「へぇ…そんな二人がこの前はどうしたんだろう」
「一緒にいればケンカもするよ~」
「でもあの二人がケンカしたなんて聞いたこともないですよ」
ナルと真人が口々に言う。
「それにあの雰囲気は単なる諍いって感じじゃなかったし…」
『辰弥の人生台無しにする権利があるの?』
(三人ねぇ…色恋沙汰なら私の出る幕じゃないんだけど…)
思いながらまゆりは携帯のアドレス欄に書いてある滋の家を辿ってみた。
(仕事中なら誰もいないかな…)
着いたのは住宅街の中で二軒分の広さを使って建てられた、しかし決して豪華に飾り立てているわけでも厳かなわけでもない上品な一軒家。
『永戸』と書かれた表札の下にあるインターホンをダメで元々と押してみる。と、思いもかけずすぐにカメラつきのインターホンから若々しい女性の声がした。
「どちら様でしょう?」
「あの…私、滋さんと生徒会でご一緒させていただいている中務と申します。滋さんはご在宅でしょうか?」
「あら、滋のご学友さんですか?今は滋いないんですが、これから滋の所に向かおうと思っていたので、お時間が許されるのでしたらご一緒にいかがです?」
口ぶりからして母親だろう。これから特に予定はない。言葉に甘えることにした。
出てきたのは滋とはあまり似ていない男性的なさっぱりとしたショートカットの女性だった。
「こちらです、中務さん」
飾り立てて高級ではないが見たことのないことからすると海外製だろう、小型の車の助手席に一礼して乗った。滋の母は性格は滋に似た…正しくは逆なのだが…サバサバした人だった。話を聞いていると元モデルで今は滋のマネージャーのようなことをしているらしい。父親は服飾デザイナーでそんな両親のツテでモデルを始めたそうだ。
「気の強い子で扱いに困るでしょう?」
母親は笑って言った。
「なんだか昨日も学校から電話があってびっくりしましたよ。椿ちゃんや辰弥君に迷惑かけてないといいんですが…」
「いえ…三人は幼馴染みだって聞いたんですが…」
「ええ、小さい頃からとてもよくしてもらっています。特に椿ちゃんは仲が良くて…ほら、椿ちゃんってちょっと気弱な所があるでしょう、だから『椿は私が守るんだ!』ってのが口癖で」
運転しながらクスクス笑う。
「それって…」
「あ、着きました」
車を止めたのは大きなガラス張りのビル。
まゆりを下ろし、慣れた風に隣の立体駐車場に車を止めるとローヒールの音を響かせながらビルに入る。まゆりは慌ててそれに続いた。
着いたのはテレビでしか見たことのないようなフォトスタジオだった。白いバックスクリーンには知らない男性があれこれポーズを取っており、滋はその脇でメイクを直してもらっている最中だった。
「あ、ママ。新作のワンピース持ってきてくれた?…ってまゆりさん、何でここに?」
「聞きたい事があって…金城君と取石さんのことで…」
まゆりの言葉に眉をひそめたが、メイクをしている人にたしなめられ元の顔に戻った。
笑顔を絶やさない撮影が二時間ほどで終わると、急に不機嫌な顔になり束ねていた髪をほどくとまゆりに向かって言った。
「全部、椿が悪いのよ」
ひどく冷たい物言いだった。
「辰弥のこと盗ったまでは許してあげた。でもあんなこと…」
「あんなって、それを聞きたいんだけど…」
「言えない。椿はともかく辰弥を裏切ることは出来ないから。だから先生にも何も言わなかったのに…」
ガンッ
力任せに壁を殴りつけた。
「あの裏切り者…気に入らなかったのよ。自分だけお上品ぶって可愛がられて、挙句辰弥の人生メチャクチャにして…」
「その…金城君の人生って…」
「いずれ分かるわよ…あの女…」
滋は歯ぎしりをする。
「『椿は私が守るんだ』」
まゆりの言葉に滋は顔を上げた。
「お母さんから聞いた。そう言ってたんでしょう?なのにどうして…?」
顔を伏せてかぶりを振った。
「そんなの昔のことよ。放っといて!まゆりさんには関係ないでしょ!」
「分かった、帰るね」
これ以上何を言っても無駄だと悟ったまゆりはスタジオを後にした。
それから一週間ほど慌ただしい日が続いていた。滋はいつもより口数は少なかったが淡々と仕事をこなし、辰弥も滋と話している所こそ見なかったが普段通りだった。
唯一、椿だけはずっと学校を休んでいた。
そして、ある日ひょっこりと十二宮室に顔を出した。
「椿ちゃん!」
ナルが声を上げる。滋と辰弥が立ち上がった。
「椿ちゃん!心配したんだよ。どしてたの?」
ナルの問いかけに椿は深々と頭を下げた。
「ご心配とご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
「もう大丈夫なの?」
まゆりの言葉に頷いて椿は席に着いた。
「皆さんにお話があるんです。少しだけお時間よろしいでしょうか」
その言葉に全員が手を止め、椿の方を向く。
「…二十二週過ぎたのでお知らせします」
何かを決意したように取石椿は口を開いた。
「二十二週?」
「ええ、もう何を言われても中絶できませんので」
辰弥と滋以外の全員が心配げに眉をひそめる中、どこか晴れやかな笑顔だった。
「私は妊娠しています。出産予定は二月の下旬。父親は…」
椿は辰弥の方を見る。辰弥は小さく、しかし優しく頷いた。
「金城辰弥です」
誰もが考えなかったわけじゃない可能性
でも考えたくなかった可能性
それが そこに あった
「嘘!」
ナルの言葉が響いた。
「そんなの嘘!だって…」
「本当よ」
滋があっさりと言葉を遮った。
「だって、それじゃ…」
「学校は辞めます。十二宮の皆様にはご迷惑はかけません。ただ辰弥が父親だということは黙っていてほしいんです。辰弥だけは無事に卒業させてあげて下さい」
「そんなこと…」
桂子が口を挟む。
「お願いします…どうか…お願いします」
「どうします?会長」
亮良がまゆりに話を振った。唖然としていたまゆりはハッと我に返る。
「そうね…」
(落ち着け…落ち着け、自分…この場で私がしっかりしないでどうするのよ……)自分で自分に言い聞かせる。顔を上げた。
「取石さんの言うことはもっともだわ…」
「それじゃ…」
「私自身、出産や妊娠の事情に詳しいわけじゃないけれど、もう堕胎も出来ないんでしょ。黙っていたって言うことはそのつもりだったんだろうし、二月出産予定ならどの道卒業は無理でしょう。出席日数的にも教諭や他生徒のおぼえ的にも。だから…」
自分でも恐ろしいほど冷静だった『中務まゆり』としてでなく『十二宮会長』としての選択。
「取石椿さんには辞めてもらいます。ただし、金城君のことは十二宮のうちに仕舞っておくこと。教諭や他生徒には父親は分からないということにします。それで取石さんの評判が悪くなっても構いませんね?」
椿は微笑んで頷くと立ち上がった。
「ありがとうございます、会長」
「でも、それじゃ抜けた魚座の穴はどうなるんです?成績二番の魚座を今から…?」
「そのための蛇遣座です」
いつからそこにいたのだろう、蛇遣座の高坂南が入口に立っていた。全員の視線がそちらへ集まる。南は深々と頭を下げた。
「失礼ながらお話は全て聞かせて頂きました。もちろん今のお話は他言致しません。魚座の交代ですが、こういう事態になった時のために蛇遣座には十二人の『十二宮の予備』が用意されています。当然ながら各星座、即戦力になるように一通りの仕事を把握しております。明日にでも蛇遣座の中の魚座の役割の者を連れて参ります」
「俺らの代わりは用意されてるわけか、周到なこった」
南の生真面目な口調に加藤稔が口笛を吹いた。
「そういう意味では…」
「分かってるよ。そうする必要があるんだろ。実際にこんな事態が起こっちまったんだ。そうなってないと困ったのはこっちだぜ」
稔は笑顔で笑って振っていた手を収めた。
「では明日の放課後、また伺います。もちろんその生徒にも『取石先輩が学校を辞める』としか申し伝えませんので」
言うと南はもう一度頭を下げて扉から出て行った。
しばらくの沈黙が辺りを支配する。
「それじゃ皆、そう言うことでいいわね」
まゆりがそれを破る。
「皆様お世話になりました」
立っていた椿はいつになく大きな声で言った。つっかえていたものが取れた、どこか晴れやかな声だった。
「…これで…よかったのよね」
椿が部屋から立ち去ると、まゆりは気が抜けたように頭を抱えた。
「まゆりのバカ!」
ナルが怒鳴りつけた。
「なんで平然とあんなこと言えるのよ!ナル…ナル……」
ポロポロとこぼれる涙を拭いながら訴える。
「みんなで…卒業したかった……のに……」
「じゃあ、酒本さん。あれ以外に取るべき手段があったって言うの?会長が取ったのが最善の策よ。感情論に走ってかき乱さないで」
矢井田桂子が冷静に突き放す。
「私も…私だって……」
「大丈夫ですよ、中務さん」
声をかけたのは隣の真人だった。
「大丈夫。きっと何とかなります」
「すみません、皆さん」
初めて金城辰弥が口を開いた。
「皆さんにはご迷惑をおかけしますが、何かあったら俺が責任を持ちますので…どうかよろしくお願いします」
「責任を持つってどうするのよ!」
滋が勢いよく立ち上がる。
「どうして皆、そんなに辰弥と椿に優しいの?」
潤んだ目で全員を一瞥する。
「バカなことしたのは辰弥と椿なのに、どうして誰も責めないの?フザけてるわよ!こんな…こんなのって……!」
「今更責めてどうなるっていうのですか?冷静になって下さい、皆さん全員」
伊賀リョウスケが困ったような笑顔で言った。
「………!」
険しい表情で鞄を掴むと部屋から駆け出した。
「滋!」
辰弥はそれを追いかけようとして、稔に肩を叩かれた。
「やめとけ。お前が何言っても火に油だぜ」
「あ……ああ…」
「今日はもう解散にしましょうか。各自できる仕事は持ち帰りで」
まゆりが冷静にまとめた。全員がそれに頷き、帰る準備を手早く始めた。
十二宮室を一番最後に出、施錠したまゆりは辰弥だけ正門とは反対方向に歩いて行ったことに気づいた。
(金城君?)
廊下奥の階段を上って行く辰弥の後をつけると、たどり着いたのは屋上だった。
「やっぱりここだった」
まゆりたちには見せたことのないような明るい笑顔を見せる。
「辰弥」
高いフェンスにもたれて座っていた滋は顔を上げる。
「お前屋上好きだもんな、幼稚園の頃から。先生に怒られた時も椿とケンカした時も」
「よくそうやって笑っていられるわね」
清々しい辰弥の声とは正反対に滋は辰弥を睨みつける。
「お前には悪いけどさ、俺は悪いことしたとは思ってないから」
「何よ、それ!」
辰弥は滋の肩に手を置くが、それを強く振り払った。
「なんで、椿なのよ!なんで、私じゃダメなのよ!ずっと…ずっと……私、辰弥のこと好きだった!」
涙を隠そうともせずに叫ぶ。辰弥は穏やかに笑った。
「うん、知ってた。知ってたよ…けど……」
「分かってたわよ!辰弥が椿の事好きだなんてこと!でも…でも…」
滋は必死の形相で怒鳴りつける。
「私の方が好きだったわよ!黙ってた!言っちゃいけないって思ってた!だから辰弥と椿がつき合ってても黙って見てた!そうすれば、一生三人でいられたから…!いられると思ってたから…!だから…許してやったのに…」
俯いたまま立ち上がった。
「辰弥……」
フェンスをつかんで、赤く腫らせた目でまっすぐに辰弥を見据える。
「抱いて」
辰弥は返事をしなかった。
驚いていたわけではない。真摯な目で滋を見据える。
「どうして!椿は抱けて私は抱けないの!そんなに椿がいい?あんな……!」
辰弥は滋を強く抱きしめた。
「ごめん…」
「なんでよ…なんで……あんな子が……」
辰弥の腕に滋の涙がポロポロこぼれ落ちる。
「それ以上言うな。お前に椿の悪口だけは言わせたくない。俺はそれだけが怖いんだ。卒業したら働く。椿と子供を養うのも自信があるわけじゃないけどきっとやってみせる。周りやお前が辞めろと言うなら学校を辞めたっていい。経歴が高校中退でもいい。ただ、椿から親友を奪いたくない。それだけなんだ。それだけが不安で…だから」
滋は辰弥の腕からずり落ちるようにその場に座り込んだ。
「時間がかかってもいい…俺たちのことを認めてほしい。いつか、でもいい…椿と前のように接してやってほしい」
「なんでよ……なんで…椿のことばっかり……ズルいわよ…」
「ごめん…でも今俺が守りたいのはお前じゃない…」
滋は辰弥を涙目で睨むと昇降口へ駆け出した。出口のところでまゆりとすれ違う。
「ごめんね。金城君が屋上行くのが見えたからつい…。話も全部聞かせてもらった」
「デバガメ?悪趣味ね」
「うん、ごめん」
まゆりは自分よりも少し背の高い滋の方を背伸びして強く抱いた。
「まゆりさん?」
「すごいね、永戸さんは」
「え…?」
「だって、最初に十二宮室で取石さんのこと蹴り飛ばした時にはこの事知ってたんでしょ?本気で取石さんと金城君のこと別れさせたいんなら、あの時に全部バラしちゃえばよかったのに、しなかった。取石さんが自分で言い出すまで待ってあげていた。それってすごいことよ」
滋は目を丸くした。
「それは…」
「永戸さんは取石さんのこと、すごく好きなんだね。金城君と同じくらい…ううん、それ以上に。だから悔しい。取石さんを金城君に取られちゃって…」
「違うわよ!」
滋は顔を紅潮させ、ありったけの力でまゆりを突き飛ばした。後頭部を壁に強くぶつけ、頭をさする。
「痛た…」
「そんなこと……ないから……私は椿が憎くて…嫌いで……そう、あんな泥棒猫…」
滋はかぶりを振る。
「嫌い!嫌い!みんな嫌い!なんで分かってくれないのよ!私はただ…!」
「『可哀想』って言ってほしいの?」
まゆりの目が冷たく言葉を放った。
「…ち…ちが……」
言葉に詰まった滋は別れの挨拶もなく逃げるように昇降口の階段を駆け下りた。
「やれやれ、女相手に話してるとメンドーだろ」
屋上で座り込んでいた辰弥に加藤稔が歩み寄った。胸ポケットからタバコの箱を取り出す。
「どうよ?イケるクチだろ?」
「禁煙中。子供に悪いから椿がやめろってさ」
「十七で禁煙かよ。オヤジクセー」
渋々と箱をポケットにしまった。
「今から尻に敷かれてんじゃねーよ」
稔は辰弥の背中をバンバンと叩く。
「お前、男がいい?女がいい?」
「は?男とヤるシュミねーけど」
「バカか?ガキに決まってんだろ。男と女どっちがいいか聞いてんだよ」
「ああ…そっか…そういう当たり前のこと聞かれたことも考えたこともなかった…」
辰弥は顎に指を当て、数秒考えた。そして満面の笑みで答える。
「女!椿に似たすっげー美少女!」
「ロリコンか、てめーは」
「男ならペドとか言われんのか?」
言うと、辰弥はゆっくりと立ち上がった。
「まぁ、月並みな言葉だけどさ。どっちでもいいよ。元気に生まれてきてくれるなら」
そして、大きく伸びをする。
「さてと、じゃあ行くかな」
「どこにだよ」
「ちょっと椿の親に会って…」
稔の問いに笑顔で振り返った。
「ブッ殺されにな」