あとりえ透明3「才能」




「和泉さん!それ本当!?」
 真っ先に立ち上がったのはせつなちゃんだった。
「う……うん、お母さんも専門じゃないから、そういう話をちらっと聞いただけなんだけど、でも私居ても立ってもいられなくて……」
 私はそのキラキラした眼差しに若干気後れしながら言う。嘘をついているわけじゃない。お母さんの言ったことをそのまま伝えているだけだ。
「お母さん、手術受けなよ!目が治るんだよ!またちゃんと絵が描けるんだよ!」
 笑さんは少し困ったような顔を見せて首を傾げる。
「うーん、それよりー、せつなちゃんの耳を普通にする方法のほうが私にはほしいかなー」
 笑さんの言葉は意外なものだった。
「耳……え?それは……ちょっとわからないです」
「だよねー。うーん、私は眼が見えるようになるよりせつなちゃんが普通の生活送れる方が嬉しいなー」
 せつなちゃんは目を丸くして声を上げる。
「なんでそんなこと言うの!?私は音響系の大学行くって決めて勉強もしてるんだよ!この耳活かせる仕事に就こうと思って頑張ってるんだよ!お母さんはそれが邪魔なの!?そんなことよりお母さんの絵がまた人前に出るほうがよっぽど世の中のためになることだよ!」
「せつなちゃん」
 笑さんは一瞬俯いて顔を上げる。
「私が長年築いてきた侑那絵美はもういないんだよ。成瀬笑の評価をしてくれる人なんてほとんどいない。一から出直すには私はちょっと遅すぎるんだ」
 切なくてやるせない表情。
「それより、せつなちゃんは今の耳が何かの拍子に使えなくなったらどうするの?私の目みたいに。生まれ持った才能って永遠に保証されるものじゃないんだよ。別に音響の仕事に興味があるわけでも、音を聞き分けるのが好きなわけでもないんでしょ」
「そんなの誰でもじゃない!工学部に行ったってコンピューターが意味をなさなくなる時代が来るかもしれない。文学部に行ったって文章を誰も読まなくなるかもしれない。何十年先なんて誰も分からないわよ!でも今、お母さんの絵が表に出たらニーズは確実にあるわ!」
「そーかなー?」
 大きく伸びをして笑さんは苦笑する。
「侑那絵美の絵が評価されたのはあくまで若さとマーケティングがあったからだよー。今更大変な思いで手術して目が治ったとしても誰も私の絵になんて見向きもしないよ」
「でも前の絵は売れたじゃない!」
「あれはあの大きさの絵としては破格の値段なんだよー。しかも拓馬さんがほうぼうを売り歩いてくれた。つまり私の絵は新米絵かき程度の実力なんだ」
「け…けど目が見えたら、もっとすごい絵が……」
「せつな」
 笑さんがせつなちゃんを呼び捨てにするのを初めて聞いた。
「私は自分の余生に趣味の絵を描くより、あなたに普通の人生を……普通の生活を送ってほしいの。和泉ちゃんのお母さんに聞いてみよう。私の目が見える医術があるのなら、せつなの聴力を抑える方法もあるかもしれない」
 いつになく落ち着いた、静かな口調でせつなちゃんを諭す。
「普通の人生の尊さをせつなちゃんはまだ知らないんだよ」
 
 
 
「あーんーたーはーねー!」
 家に笑さんとせつなちゃんを連れて来たら、お母さんに両頬をつねられた。
「あれはまだ試験段階だから言うなって言ったでしょ!」
「え!?でも認可されたって?」
「認可がほぼ確実になったってだけ!これから臨床実験が必要なの!」
 お母さんは笑さんの方に向き直って頭を下げる。
「すみません。娘が勘違いしてしまって。まだ正式な認可はされていないんです」
「臨床実験って実際に症状の出てる人に実験してみるってことですよね?それお母さんじゃダメですか?」
 せつなちゃんは食い下がる。
「ダメなわけじゃないけど危ないわ。基本病院内から選ぶからね、入院してる人とか。成瀬さんがやろうと思ったら症状とか検査するところから始めなきゃならないから。ごめんなさい」
「それより、耳の聞こえを抑える技術ってないんですかー」
「お母さん!」
 笑さんの言葉にせつなちゃんは声を上げたが、お母さんは首をひねるだけだった。
「それも検査してみないとね。耳がいいって言ってもいろんな例があるから、まず原因からわからないと…」
「そうですかー仕方ないねー」
 ペコリと頭を下げ、白杖を持つと笑さんはあっさりと出て行った。
 
 
「お母さん、手術の認可ってどのくらいで下りるの?」
「場合によるけど年単位ね。だから変に期待持たせちゃいけないってこと」
 私はずっと思っていたことを……きっとせつなちゃんも思ってたことを口にする。
「笑さんで臨床実験をしてみてもらえないかな?せつなちゃんもそれを望んでると思うんだ」
「ダメ元で病院で聞いてみることはできるけど……。成瀬さん……笑さんの言っていた耳のことはいいの?」
「耳は今のままがいいと思う。笑さんの言うことも分からないではないけど……」
 分からないではないけど
「やっぱり、自分の唯一の特技がなくなっちゃうのは怖いと思うから。いつか駄目になるかもしれなくても今はそれを活かしたくて当然だと思うから」
 何の才能もない私にはよく分かる。
 痛いほどよく分かる。
 
 
 
 次の日、あとりえ透明に集まって次回作の話をしている時だった。
「あれ?誰だろう。誰か来る」
 足音が聞こえたのだろう、せつなちゃんが階下を見る。
 すると扉が勢い良く開き、元気な声が飛び込んできた。
「もー、お店開いてるならなんで言ってくれなかったんですか!?翔くんに聞いて慌てて仕事終わらせましたよ!」
 そこにいたのは高見原一花さんだった。



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