あとりえ透明3「天秤量り」




「はあ?コンビニ辞めた!?無職か!?また無職か!?」
 俺はカウンター越しに大きな声を上げた。
「無職じゃない!ショップ店長!」
「勤続年数が大事なんだよ!お前自分がいくつだと思ってるんだよ!あと3年で高齢者婚活行きだぞ!」
「コンビニバイトよりはマシでしょ!」
 松島朋はふんぞり返って腰に手を当てる。
「ったく、場所が変わらないんだったら今週末にでも行くからな!様子見に!」
「あ、和泉ちゃんも連れてきてよ。久々に会いたい」
「わかったよ。課題が余裕あったらな」
 
 
 
「お父さんー。本当にあとりえ透明やってるの?」
「俺が聞きたいよ」
 俺が和泉と連れ立ってあとりえ透明のドアを開けたのは土曜日だった。
 店舗はしっかりできているが、看板は出ていない。まだ開店準備中なのだろう。
 今となっては懐かしい扉を開ける。
「澤くん」
「え!?さわくん?うわーひさしぶりー」
 松島と笑さんの声が二階から聞こえる。
 ゆっくりと階段をあがると成瀬せつなも一緒にいた。成瀬拓馬は見当たらない。
「せつなちゃん!久し振り!」
「和泉さんもお久しぶりです。お元気でしたか?」
「もちろん。ちょっと今、就活でいっぱいいっぱいだけど」
「あー、もうそんな時期なんですね」
 両手を握り合うせつなちゃんと和泉を横目に息をついた。成瀬拓馬がいなかったのは幸いだ。顔も合わせたくはない。
「それで」
 俺は椅子に座り大人三人を一瞥した。
「本気なのか、あとりえ透明を作りなおすって」
「本気だけどー作りなおすってのはちょっと違うかなー」
「え?」
「あたしのねー絵を描く場所にしたいんだー。前のマンションはけんじさんの思い出でいっぱいで辛いし、そしたらやっぱりあたしのアトリエって言ったらここかなー、と」
 笑さんがテーブルに突っ伏す。
「それなら松島を雇う必要ないじゃないか」
「雇うってのはちょっと違うかなー。手伝ってほしいんだー」
「手伝う?」
「絵を描く助手をしてほしいんだー。朋ちゃんならあたしの言ってること分かってくれるかなーって」
「それなら和泉はどうだ?こう見えても洋画科の3年だぞ」
「あ、私やりたいです」
「和泉ちゃんはダメだよー。勉強しなきゃー」
 和泉はショボンと肩を落とした。代わりにせつなちゃんが一歩前に出る。
「あと私は母のサポートで、体調面の」
「せつなちゃん、今仕事は?大学生?」
「半フリーター半ニートです。家に住んで週末だけ派遣バイトしています」
「あともう一人、欲しい人材がいて呼んでいるんだけどねー」
「もう一人?」
「あ、今来ますよ」
 せつなちゃんが言うが早いか、1階の扉が開く音がした。
「お邪魔しますー。笑さん、用ってなんですかー」
「千春ちゃん!」
「あ、和泉さん。せつなさん。ご無沙汰ですー」
 現れたのは中条千春だった。
「こんにちはっ!」
「こんにちは、けんじさ……お父さんは元気ー?」
「けんじでいいです。まぁ元気ですよ。で、なんですか?バイトの話って?」
「千春ちゃん、高校は忙しい?」
「いや、進級決まってるんで、そんなに忙しくないですよ。でも私、わざわざ呼ばれるようなことあります?絵の知識はゼロですよ」
「うん、知ってるー。大丈夫ー。じゃあ、やってみようかなー。朋ちゃんーせつなちゃんー」
 笑さんが立ち上がると、せつなちゃんがすかさずその腰を支えて白杖を渡した。松島が千春ちゃんにタブレットを渡す。千春ちゃんは訝しげに電源を入れた。
「色彩ピッカー?」
「最初に画材を入力して、笑さんが言う色名を入力したら、そこに比率が表示されるからその通りに混色して。それがあなたの仕事」
「はあ……」
 松島の言葉に不思議な顔でタブレットを触る千春ちゃん。
 その間にせつなちゃんが空きテーブルに笑さんを座らせる。
「じゃあ、とりあえずーやりやすいのでー不透明水彩かなー。朋ちゃんー、ケント紙ボードA3とリキテックス4色ー、あと平筆4号と面相筆ー」
 松島は部屋の隅にある大きな鞄から言われた通りのものを取り出し、机に並べ、笑さんの手を取り一通り画材を指でなぞらせる。笑さんは笑って頷いて目を閉じた。
「えっとー、千春ちゃんいいかな―」
 千春ちゃんは慌てて笑さんの向かいに座る。
「とりあえずー、鉛丹色ー」
「え、エンタンイロ!?何それ!?えっと……E……N……あ、あった!ありました!」
「そこにCMYKってのある?」
「はい、C:0、M:70.56,Y:63.24、K:0……これですね」
「Cがシアン、この青色。Mがマゼンタ、ピンクっぽい赤。Yは覚えやすいわ、イエローね。Kがキー・プレート……黒のKって覚えてもらって大丈夫。あなたに覚えてもらうのはとりあえずこの4色」
 言って、松島は4つの粉末状の絵の具を千春ちゃんに差し出した。千春ちゃんはコクコクと頷く。
「それで、例えば鉛丹色って言われた場合、この絵の具を比率通りに混ぜて欲しいの」
「えっと、ピンクが70.56で、黄色が63.24……588:527……量りありますか?デジタルじゃなくて天秤量りが理想なんですが……」
「ほら!」
 千春ちゃんが少し考えて言った言葉に、笑さんが手を叩いた。
「だから言ったでしょー!千春ちゃんが絶対いいってー!これだけきっちりやってくれる子、まずいないってー!せつなちゃん、アレ買ってる?」
「今朝届いたばかりよ。ネットで大阪の教材工場から取り寄せたんだから」
 理科の授業で使ったことのある天秤量りを箱から取り出した。分銅で量る懐かしいものだ。おそらく今の子は学校でも習っていないだろう。
「これです!これです!」
 千春ちゃんは目を輝かせて恐る恐るそれを触る。
「懐かしいなー。小学校の時好きだったのに中学上がってからは全部デジタル量りになっちゃって。数字が出るのは楽しいんですがデジタルだと微妙なさじ加減が分からないですよね」
 突然饒舌になり誰にでもなく同意を求めるが、頷いてるのは笑さんしかいない。
 返事を待たずに、絵の具の瓶を開けて、天秤に付属の小皿を乗せ、分銅を左の皿に、右の皿に慎重に粉絵の具を垂らしていく。
「これで…500mg」
 ブツブツと独り言を言いながら、しかしてきぱきと作業は進む。小学校以来使っていない割には随分と手馴れている。よほど好きだったのだろう。数分の後に慎重に2つの小皿を差し出した。
「これでピンク…マゼンタが588mg、イエローが527mgです」
「ありがとー。やっぱり千春ちゃんで正解だったー。業務内容は基本こういうの。やってもらえないかなー?」
「……時給はいくらですか?」
「えっとー朋ちゃんー」
 助けを求められて松島が前に出た。
「1500円でどう?あと歩合給」
「歩合給?」
「まぁ、やってみれば分かるから。ボーナスみたいなものよ」
 朋さんが絵の具を筆で丁寧に混ぜながら言う。
「じゃあ……両親に相談します」
 
 
 
 松島によると千春ちゃんは翌日から仕事を始めたらしい。
 両親が……特に父親がどう答えたかは言わなかったそうだ。 
 
 
 

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