あとりえ透明2「ダージリン」




「高見原さぁ、いつまでこんな生活してんだ?」
「こ・ん・な・せ・い・か・つ……?」
 寒い季節だった。
 10年ぶりに会った先輩に言われ、自分でもこめかみに青筋が浮かぶのが分かる。
「だってさぁ、まぁ大学から院生までは分かるぜ。そのあと研究生で非常勤講師って、いつまで大学にいるんだよ。親御さん心配してねーの?」
「毎日3時間電話で説教されてますよ!仕方ないでしょ!人文学部ってこんなに就職がないと思わなかったんだもん!いいですね!ライターで食べて行けてる人は!」
 そう、目の前にいるのは三上先輩だった。私は不満げにカフェラテを啜る。
「最近は新聞連載もしてますもんね!売れっ子ですね!」
「そんないい仕事ばっかりじゃねーって。そもそも、大体が死んだじーさんのコネだし。今なんて、なんかアキバのメイドカフェ探訪とかも書かされてんだぜ」
「メイドカフェ?」
「あ、それでだ。今日頼みたかったのがな、あとりえ透明のこと聞きたいんだよ。まだやってんの?あの店」
「やってる…っていうかまだ私、バイトしてる。朋さんと二人で」
「なんていうかさ、メイドカフェって行ってもどこも似たり寄ったりのキャバクラもどきばっかりなんだよ。これじゃ記事にならないと思って、〆にあとりえ透明のこと書くかなーと」
「うーん、でもそろそろお店閉めようかって朋さんと言ってたところなんですよね。画材もほとんど使い切ったし、笑さんもいないし」
「そうか……。とりあえず、久々に店行っていいか?」
「それはもちろん大歓迎ですけど。何なら明日にでも来ますか?今日は定休日ですから」
 
 
 
 久々に訪れるあとりえ透明は棚の画材も随分減って、物淋しげになっていた。
「今日は松島さん休みなんですよ」
「じゃあ、高見原一人で?」
「お客さん、殆ど来ませんから」
「勿体無いなぁ、これだけの内装で開店休業状態なんて」
「あ、でももう一人、よくお手伝いに来てくれる子がいるんですよ。朋さんのお友達の娘さんなんですが」
「へぇ……」
 生返事をするのに合わせて店のカウベルが鳴った。
「こんにちは!あ、お客さんだ!」
「和泉ちゃん。こちら、私の大学の先輩だった人で昔この店によく来てくれてた三上さん。ライターさんなのよ」
「はじめまして!澤和泉です!中3、受験生です!塾サボりによくここに来てます!」
 この辺りでは有名な私立中学の制服に暖かそうなブランド物のコートを着込んでマフラーをぐるぐる巻いている。
 俺はふと思いついた。
「なぁ、この店、メイドカフェにできないかな?」
「はぁ?」
「所謂、今どきのメイドカフェじゃなくて、英国式アンティークのメイド。礼儀正しい黒いロングスカートで、紅茶に凝った店。いやぁ、俺さ、さんざんメイドカフェ巡ったけど、結局原点に戻るべきだと思うわけだよ。和泉ちゃんだっけ?この子が高校生になったらバイトに雇えるだろ?」
 三上先輩は事も無げに言ってくれる。
 しかし、ここは笑さんが大事にしてきた店だ。そんなこと朋さんが許すわけ
『いいわよ』
 電話で概要を話すと、返ってきたのはあっさりした返事だった。
『どうせ、そろそろ店畳もうと思ってたから。どうせだったら経理的なことだけ委託ってことで私がやって、実質的な経営権は一花さんに譲ってもいいわよ。さすがに40過ぎたおばさんがメイドはキツイでしょ。とりあえず頭金が多かったから、今のところ借金はないし。あ、婚活パーティーの二次会始まるからそろそろ切るわね』
 端末のイヤホンをつけたまま、私は呆然と立ち尽くしてしまった。
 いいのだろうか。こんなに簡単で。
 いやいや、そもそもが三上先輩の思いつきなんだ。
 軽い気持ちで流されるとあとあと大変なことになるぞ。
 そもそも私だって就活が。
 でもカフェ店長なら、親からの風当たりは大学にいるよりは強くないかも。
「私やりたい!」
 和泉が手を上げた。
「メイドやりたい!接客向いてると思うよ!私、性格はお父さん似だもん!」
「お父さん?」
「婚活アドバイザー!結婚相談所の事務所長!」
「でも、女子高校生はともかく、三十路女がメイドはなぁ。もう一人バイト雇えるかなぁ。若い子で。気長に張り紙でもしてみるか。もしいい人が来たら考えるってことで」
 
 
 
 店頭に張り紙をして一ヶ月経った。
 数人、面接希望の女の子が来たが、所謂ミニスカメイドだとしか思っている子しか来なかった。
 まったく、最近の若いモンは。自分を安売りするんじゃないよ。
 お客さんもおらず、退屈していると、扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
 入ってきた少女は自分より頭ひとつ小さな体でほのかに茶色がかったふわふわした髪で、コートの下から短い制服のスカートが見える。顔立ちの整った利発そうな子だった。
「あのっ、張り紙見たんですがっ!バイト募集のっ!」
「面接希望?履歴書は?」
「今データ送りますねっ」
 少女は端末から店のメールに履歴データを送信する。私はそれ開き、目を通す。
「中学生?」
「はいっ。来月卒業で、それからはフリーターですっ。ただ夜間学校行きますっ。なのでお昼フルで出られますっ!」
 ちょうどいい。和泉ちゃんはお昼は学校で出られない。
「分かったわ……成瀬…せつなさんね。最初に誤解のないように言っておくと、所謂オムライスにケチャップでハート描いたりするメイドじゃないわよ」
「はいっ。友達がここの面接落ちて、逆に興味がわいたんです。静かなお店を探してたんです!」
「静かな?」
 少女は耳の穴に入っている小さな機械を指差す。
「補聴器?」
「逆ですっ。ノイズキャンセリングイヤホンです」
「何それ?」
「一定の高さや大きさ以上の音をカットするイヤホンです。私、聴覚異常で耳がよすぎて、これがないと過ごせないんです。その代わり、どんな小さな音でも聞き逃しません!」
「人の声を覚えるのも得意とか?」
「全然!分かりません!」
 おい、笑顔で何言ってる。自己PRしなさい。
「でも、マイナスにはならないと思いますよ!」
 言って、立ち上がった。
「厨房はどこですか?紅茶を煎れさせてください」
「え…ええ」
 1階の裏にあるキッチンに案内する。
「茶葉はダージリンしかないんですね」
「まだメイドカフェは準備中だから。紅茶は詳しいの?」
「うーん、知識は普通なんですけど」
 成瀬せつなはイヤホンを外し、ケースにしまうと手を洗った。
「できたら新品のミネラルウォーターを用意した方がいいですよ。500mlの軟水の。それで一人のお客さんで使い切るんです。開けるとどうしても、古くなりますから。本当は汲みたてのが一番なんで、ウォーターサーバーとかがいいんですが」
 小さなケトルに大きなペットボトルから水を入れて、コンロに火をつける。
「その間に茶葉を用意して……ダージリンはストレートかな、やっぱり」
 棚から缶入りの紅茶とティーポットを出す。
「ケーキはホール作るとどうしても高く付くし、上手に作るの難しいので、どこかケーキ屋さんと契約してカットされたものを1カットずつ、それで種類をいろいろ用意した方がいいと思います。後はランチ用に小さなサンドイッチやスコーンを並べたアフタヌーンティーセットがあれば完璧ですね」
 カップアンドソーサーを取り出して、彼女は少し渋い顔をした。
「できれば、紅茶のカップは内側は真っ白のものを使ってください。中に模様があるのは可愛いですが、傷みやすいのと、色味がどうしても悪くなります」
 言って、底に小さな花模様のついたカップを指さした。それはなかなかお値段の張ったイタリア製だったのに。
 文句を言おうと口を開きかけたら彼女はピクリと耳を立て、カップを置いた。ケトルからは蒸気が上がっている。
「10,9,8……」
 目を閉じ、数を数えながら布巾を手に取る。
「……3,2,1」
 そっとガスを止め、茶葉を入れてあったティーポットに湯を注ぎ蓋をし、ティーコゼーをかぶせる。
「テーブルは2階ですか?」
 私が頷くと、カップアンドソーサーとコゼーに入ったティーポット、スティックシュガーをトレイに乗せ、キッチンを出て二階へ向かう。
「つかぬことを伺いますが、このお店、お金に余裕はありますか?」
 階段を上りながら、とんでもないことを言い出した。
「潤沢とは言えないけど、借金はない、って程度かしら」
「なら、先行投資として、いい食器を揃えてください。これではあんまりです」
 あんまり、とはあんまりだ。
 二階に上がった成瀬せつなは椅子を引き、私がそこにちょこんと座る。
「棚に本とか小物を置くといいかもしれないですね。何もないのはさみしいです。あとテーブルクロスは真っ白の綺麗なものを用意してください」
 細かいところまでいろいろと…。
「音楽をかけるときはエンドレスリピートだけはやめてくださいね。同じ音が繰り返されるの苦手なんです。そうですね、ジャズか…クラシックのアコースティックアレンジとかもいいかもしれませんね」
 もう雇われるの大前提にしているじゃないか、この子は。
 カップを私の前に置き、一呼吸置いてティーコゼーを取る。ポットと茶漉しを両手に取り、洗練された仕草でカップに注いだ。カップが七分目くらいまで澄んだ紅色に染まると、ティーポットを音も立てずに置き、再びコゼーをかぶせる。
「ストレートで。お砂糖はお好みでどうぞ」
 私はあえて砂糖を入れずに、口をつけた。
「何これ……美味しい……」
 その辺のカフェの紅茶とは何だったのか。
 香りが違う、口当たりが違う、熱いお茶なのに不思議に舌を潤してくれる。
 10代の娘の淹れた紅茶に目からうろこを落としてしまうなんて、軽い敗北感すらも覚える美味しさ。
「お湯の沸かし具合がポイントなんです。私の耳だとそのタイミングが分かるんですよ。どうですか?雇って損はないと思いますよ。ご主人様」
 彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべ、仰々しく恭しく頭を下げた。
「あなた……何者なの?」
「成瀬せつな、15歳。半年前までイギリスにいました」
 そして少女は小首を傾げる。
「これからよろしくお願いいたします」
 
 
 
 そして、4月。
 黒いロングワンピースに白エプロンの女三人が1階に集まる。
「澤和泉です。よろしくお願いします」
「成瀬せつな。よろしくですっ!」
「店長代理、高見原一花。よろしくね」
 
 
 新しくなったあとりえ透明が始まった。



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