あとりえ透明「レジン」




「成瀬拓馬……さんですか?」
「はい、フリーのジャーナリストをしています。こちらの店を取材したくて」
 ショートカットの女性に俺は名刺を差し出した。
「取材……ですか?」
「姪からここのことを聞いたんです。自分は絵のプロモーターをしていたこともあって、絵が描けるカフェというのは素晴らしいと思います。ぜひ、記事にして広めたいと……」
「そういうことでしたら、お願いします」
「こちらのお店はお一人で?」
「いえ、従業員がもう一人います。もうすぐ帰ると思うのですが……」
 女性が言うと同時に店の扉が開いた。
「ともちゃんただいまー。あ、お客様ー?いらっしゃいませー」
 扉から入って来た女性を見て、俺は目を見開いた。
「侑那……絵美……?」
「うーん、誰だっけー」
「絵美さん、あなた自分が有名人だって忘れてるでしょ。絵の世界の人になら顔知られてるって」
「あー、そっかー、えっとー、侑那絵美ですー、こんにちはー」
「あ……はい……こんにちは……」
 俺のことを覚えていないのか。それはそれで助かるが。
「この店を取材されたいそうよ」
「あー、取材かー。ちょっと困るなー」
「え?」
「あたしこの店あんまり有名にしたくないんだー。だって……あー、うーん、めんどくさいからー」
 そんな返事は侑那絵美が現れた時点で予想していた。
「では、取材はしないので客で。後学のために店を見せてください」
「それならいい?絵美さん」
「うんーそれならいいよー。何か好きな画材とかありますー?」
「いえ、特に……」
「変なのー画商さんなのにー」
「え……俺、画商って……」
 言った覚えはない。もうとっくに画商はやめたのだ。やはり俺のことを覚えているのか?
「じゃあ、女性にプレゼントできるものを」
「うん、そうだねー、じゃあレジンかなー。ともちゃん分かるー?」
「はいはい」
「できれば侑那さんと二人で話をさせてもらえませんか?」
「それはちょっと……じゃあ、絵美さん一緒にやる?」
「うんー、レジン液埋めるところ以外は出来ると思うー」
 スーツの女性が椅子を勧めて、侑那絵美がその向かいに座った。すぐに女性が二階から金属製のアクセサリーっぽいものと箱形の機械を持って降りてくる。
 五センチほどの丸い金具を取り出して、小さなビーズや端切れを並べる。
「金具の上に好きなビーズや端切れを配置してください」
 言われるままに布やビーズを置いていく。
「その上からこのレジン液を乗せて……」
 金具から盛り上がるほど、ゲル状の液体をスポイトで注入する。
「それを、このUV機に入れます。本当は日光に晒してもいいんですが、それだと一時間くらいかかるんです。機械だと数分で出来ますので」
 金具を機械の中に入れると、女性がスイッチを押す。
「何か飲み物はいかがですか?」
 言って、女性はメニュー表を取り出した。
「じゃあ、ホットコーヒーをブラックで」
「かしこまりました」
 女性は店の奥へと入っていく。
「侑那さん……俺のこと覚えてるんだろ?」
「うーん、どうかなー」
「トボケるなよ!あんなことをした俺を忘れてるわけないだろ!」
「あんなことー?」
「だから……!」
「どうかされましたか?」
 エプロンをした黒髪の女性がトレイにコーヒーを乗せて持ってくる。
「いえ、何も……」
「そろそろレジン乾いたと思いますよ」
 女性がUV機から金具を取り出す。透明のゲルは固まってペンダントトップのようになっていた。
「ストラップにしてもいいですし、ネックレスやブローチにもできます。奥様へのプレゼントでしたらラッピングもいたしますが」
「いえ、俺は独り身で……これは侑那さんに」
 侑那絵美の手にそれを乗せた。
「わーありがとー。でもあたしにはちょっと勿体ないかなー」
 アクセサリーになったそれを指で丁寧になぞる。
「うんー、ちゃんと分からなくてごめんねー」
 その言葉の意味が分からなかった。
 




「写真撮ってもよろしいでしょうか」
「あ……取材は……」
「まぁまぁ、記念に」
 俺は二人にデジカメを向ける。 
「やめろー!」
 突然、水が勢いよく顔にかけられる。幼稚園くらいの女の子がピンクの大型水鉄砲を今度はデジカメに焦点を合わせて来た。
「え!?ちょっと!!これは困……」
 有無を言わせず水飛沫がデジカメに飛び散る。
「何だ!?お前!親は!?」
「だ、誰!?」
 店長の女性も知らない子供のようだ。
「こらこらー、和泉ー。水鉄砲を人に向けちゃダメだって言っただろー」
 わざとらしい棒読みで青年と女性が後ろから暢気に歩いてくる。
「澤くん!?」
「さわくんー?」
「京子が言ってただろ、三人で来るって。こいつ和泉。俺らの娘」
 男の方が少女を抱き上げて携帯を俺の方に向けた。
「動画が晒されたりすると迷惑なのはそちらじゃないかな?一介のネットジャーナリストさん」
「フザけるな!お前らこそ何なんだ!?」
「身内だよ。この店の身内だ」
「申し訳ありませんが、この店には金輪際立ち入らないでもらえますか?」
 女の方が一歩前に歩み出る。
「お仕事だと言うことは分かっています。職業に貴賤はないことも重々承知です。ですが他人を無闇に追いつめることを私は仕事とは認めません」
「何を……!」
「私は人の生死に関わる仕事をしています。主人は人の人生に関わる仕事をしています。絵美さんと松島さんは自分の人生のために仕事をしています」
 女は続けた。
「あなたの仕事は誰のためですか?」
「俺は……!俺は……」
「成瀬さんはいろんな人のためだよねー。立ち入り禁止とか勝手に決めちゃ駄目だよー」
 後ろから侑那絵美の声がした。
「侑那……お前……」
「声で分かってたよー。成瀬さん。知らないふりした方がいいかなーって思ってたんだけど」
 侑那絵美は笑って続ける。
「成瀬さんは悪くないよー。あたし知ってるー。成瀬さんのおかげであたし今ここにいるんだもんー」
「絵美さん、成瀬さんと知り合いだったの?」
「うんー、昔ちょっとねー」
 松島朋の言葉に侑那絵美は笑って続けた。
「結婚してたとき、ちょっと成瀬さんと不倫したことがあるんだー」
 侑那は少し困った顔で小首を傾げる。
「え……?」
「成瀬さんー。情報だけだったら、ネットで広めても、雑誌に載せてもいいよー」
 侑那は自分の長い髪をまとめて掴み、ハサミを手に取った。
 途端、ザシャリという音とともに、髪がパラパラと落ちる。
「絵美さん!?」
 長い自分の髪をザクザクと切っていく。
「あたし、ずっとこの髪型だったから、これならしばらくはごまかせるよ」
「やめて!目が見えてないのに危ないって!」
「え……?」
「絵美さん、目がもうほとんど見えてないんです」
 さっき来た女性が一歩前に出た。
「目が……だってさっき……」
「目が見えなくてもね、音もある、匂いもある、空気も暖かさも感じられる。何だって出来るよ。困ることなんてない。あたし、大丈夫だよ。だから……」
 ざんばらになった髪を揺らして侑那絵美は微笑んだ。
「……最後に……寒くならないうちに皆でスケッチに行きたいな」
「最後……?」
「いちかちゃんも、あいりちゃんも、ゆりちゃんも、みかみくんも、澤くん達も、もちろん成瀬さんも、けんじさんは……無理かな?」
 どこか ひどく かなしそうな 笑顔
「『あとりえ透明』を閉店します」



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