天球儀 其の零 ep.12 二月「水瓶座の女王」




「母…親…?」
「通信は…ていうか、そもそも高校入学に年齢上限はありませんからね」
「まぁ、そうだけど…じゃあ、あのアプリとかも芽衣子が作ったっていうの?その前にスマホで話してたのも?」
「厳密には芽衣子…常磐芽々の関わっているプロジェクトで作っています。幸か不幸か仕事を干されたおかげで時間ができて、はかどったようですが」
 言って凛子は館林から差し出された紅茶に口をつけた。
「冬には間に合わせたかったようなので助かりました。ありがとうございます」
 あからさまに嫌味と分かる言葉を言い、軽く頭を下げる。
「冬?もう冬よ。一体、何をやりたいの?あなたたちは?」
「冬というのはあくまで、早くて冬には、ということです。予測にも誤差がありますので」
「予測?」
 玲奈はオウム返しに聞くことしかできない。
「常磐芽々のプロジェクトは別にアプリ開発ではありません。それはあくまで副業。専門は……」
 そこまで言ってインターホンが鳴った。館林がモニターつき受話器に応じる。
『どーも、芽々さんに館林さんとこ行けって言われたんやけど、なんやもめとるんですか?』
 聞き覚えのない声だった。
「観月さん、ロック開けるから入ってきていいよ。亘会長が来てる」
 玄関のドアが開いて入ってきたのは黒髪ショートカットの日焼けした少女だった。見覚えがある。確か春にソフトボール部にすごい一年生が入ったとか騒がれた生徒だ。
「どーも、おじゃまします」
「観月祐歌さん。蛇遣座の一年生」
「部活忙しゅうてあんま蛇遣座顔出せられへんから会長さんとははじめましてですな。こんにちは。館林さんと凛子さんと芽々さんにはお世話になっとります。観月です」
「関西弁?」
「はい、ちょっと前まで大阪におりました。芽々さんと一緒に」
「え…?」
 戸惑う玲奈に観月が「おっと」と言って付け足す。
「凛子さんとは家ぐるみの付き合いでして、まぁ芽々さんとも親交あって…ウチの母はええ顔しませんけど、何せ芸能人の人は話がおもろうて。そいで、微力ながらプロジェクトに力貸したりもしとります」
「そのプロジェクトってなんなの?」
「本当は芽々さん…芽衣子さんがテレビで大々的に訴えたかったようなんやけど、何せメディアに出れんようなってしもて、そこはちょっと会長のこと恨んどるんや」
 言って、祐歌は玲奈を大きな瞳で睨む。
「あんたのせいで何万いう人が死ぬかもしれんのやで」
 玲奈は目を丸くした。
「何…万……?どういうことよ!?」
「祐歌さん、落ち着いてください。亘会長も。私が順を追って話します」
 凛子が割って入った。
「母の……常磐芽々の参加するプロジェクトの主な活動は国内の地震予測です」
「地震?」
「はい。16年前のことです。当時まだ関西で地元に根づいた芸能活動をしていた母は二人目の子…私の妹か弟を身篭っていた時に阪神大震災に遭い、流産しました」
 黙って頷く。
 関西に縁のなかった玲奈には、まだ自分が物心つく前の話で、歴史の現代史の年表でしか知らない出来事。
「それ以来、母は自分の全てをかけて震災予測と防災の研究に尽くすようになりました。あのアプリもその一環です。地震で電気と通信が途絶えても連絡の取れるアプリ。そして…」
 凛子はスッと玲奈を見つめた。
「母の参加する研究室の予測ではこの冬から春にかけて、東日本で津波を伴った大きな地震があります」
「大きな、ってどのくらい?」
「16年前の淡路島と同程度かそれ以上の、です」
「そんな!?具体的にどこでいつよ!?」
「今の科学では冬から春っつー大体の推測が限界や。ひょっとしたら今日、今にも起こるかもしれん。どこか、言うんも東北太平洋側近辺としか分からん」
 祐歌が自分を落ち着かせるために、といった素振りで紅茶に口をつける。
「正直言うと、十二宮…少なくとも亘会長がいなくなれば伊賀先輩の親御さんが心を変えてくれて、芽衣子さんがテレビなり新聞なりに出られるかもしれないっていう算段で、楷明狩りは行われたんです。ミナト先輩のお陰で失敗しましたが」
「…………」
「次にやろうとしたのは高坂くんを使って永戸さんに恩を着せてそちら側からマスコミへ顔を出すことでした。これは貴方と事情を話していなかった館林くんに看破されました」
「…………」
 玲奈はもう黙り込むことしかできなかった。
「学術的なことは、インターネットや週刊誌には何を書いてもデマとしか思われないでしょうしね」
「言えばどうですか?お得意の『死ね』を。それで伊賀先輩を追い込んだんですよ。願ったり叶ったりじゃないですか。何千、何万の人が死ぬんですよ。あなたのせいで」
「ち、ちょっと待ってよ。そんなこといきなり言われても……」
「言ったでしょう。今日、今にも起こるかもしれないと。むしろ今まで何も起こっていないのが、幸運なくらいです」
「さぁ、あなたが今まで『死ね』と言った人を震源予測地あたりに送ればどうです?私はね、心底母が不憫でならないんです。16年間の研究と、それを知らせるためだけに…それこそ死ぬ気で築き上げてきた地位があなたのせいで崩壊したんです」
 その声には怒りも皮肉も感じられない。ただ、凛子は淡々と語る。
「それを見てきた娘がどんな気持ちか分かりますか?そのせいで私は幼い頃から母に甘えることすら許されず、会話もほとんど電話やパソコンや携帯越し、もしくはテレビの画面越しです。私の頭の中にはそんな母のイメージしかありません。厚化粧をしてテレビで演技する女か、あのパーカーをかぶった少年のアイコンです」
 さもそれが当然のように。
「高坂さんたちとは、彼のご両親のNPO団体を経由して知り合いました。当然ですが、お互い常に震災についてのアンテナを張り巡らせてたわけですから、そう難しい話ではありませんでした。館林さんは高坂さんの団体と提携している病院でした。そして、市川さんは…」
 流れるように喋っていた凛子が一瞬ためらう。
「市川さんは幼い時、兵庫に住んでいらして震災でご両親を亡くし、高坂さんのお宅に引き取られています。市川さんが楷明狩りに協力したのも、正義感や倫理観より高坂さんへの恩義でしょう」
 それきり凛子は何も言わなかった。
 
 
 何が悪かったのか
 どこで間違えたのか
 
 
「私は…」
 
 
 一人じゃなにもできないのか
 本当に、一人じゃなにもできないのか
 あの時、辻夏希に言われたように
 一人でやらなきゃ
 頑張らなきゃ
 頑張るって何を?
 何をどうすればよかったの?
 
 
「助けて…ください…」
 玲奈は声を絞りだす。
 
 
 泣いちゃいけない
 ここで泣くのは卑怯だ
 ただ懇願する
 それしかできない
 
 
「誰か…助けてください…」
 
 
 初めてかも知れない
 人に助けを求めるのは
 
 
「お願いです。助けてください」
「無理です」
 館林が冷たく言い放った。
「もう遅いんです。今の俺達にできるのは、せいぜい防災グッズを買い揃えておくことくらいです」
「助けるわ」
 そこにテレビでしか聞いたことのない声が割り込んだ…いや、この声はテレビで聞いたことがある。
「その言葉を待っていたわ、亘玲奈会長」
「え…芽衣子…さん」
 いつからいたのだろう。リビングのドアの前で仁王立ちしている女性はテレビでよく見た女優だった。
「いつでも遅いことなんてない。私は一人でも多くの人を助けるのが目的よ」
 整いすぎた容姿のその女性は玲奈の顔を指さす。
「あとね、私の名前は常磐芽芽。今は芽衣子じゃないわ。レナちゃん」
「芽芽さん、どうしてここに?関東は危ないから大阪の方にいたはずじゃ…」
 館林が目を丸くする。
「うーん、やっぱり気になってね。あと一度レナちゃんに会いたかった。写真は見たことあったけど、実物は十割増しで可愛いわね。芸能界に興味ない?」
「それどころじゃなくて…」
「そう、それどころじゃないわね。じゃあ、話を始めましょうか」
 
 
 
 それから、何事もなくしばらくの月日が流れた。
 玲奈があの話は嘘だったのかとすら思い始めた、それは学年末試験の初日。
 
 
 
 3月 11日 が来た。  
 
 
 

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