天球儀 其の零 ep.6 八月「乙女座の恋煩い」




 私は 子供の頃 お母さんに捨てられた。
 いわゆる 資産家の男性の愛人の子、ということだ。
 お父さんは 認知してくれたけど 本妻の人が 当然といえば当然だが 一緒に暮らすのを嫌がって マンションを一室あてがわれた。
 味方は 実のお母さんの友達の子だったせーちゃんだけだった。
 せーちゃんはおしゃべりで 私の言いたいことなんでも分かってくれて せーちゃんがいれば十分だった。
 せーちゃんは毎日マンションに来てくれて色んな話をしてくれた。
 
 
 取石くんに会うまでは
 
 
 お父さんは いい学校に入れてくれた。
 せーちゃんの家は そんなに裕福ではなかったけど 勉強を頑張って 特待生で入学した。 
 取石くんは 中等部で 同じクラスになった。
 すぐに大きな声で騒ぎ立てて 正直苦手だった。
 でもクラスでひとりぼっちだった私に 妹さんを紹介してくれた。
 椿ちゃんは年下なのにしっかりしてて でも穏やかで優しくて すぐに仲良くなった。
 椿ちゃんの前では 取石くんは 相変わらず声は大きかったけど 優しくて よく遊ぶようになった。
 取石くんの友達の 永戸くんと 永戸くんの妹さんの滋ちゃんと 椿ちゃんの彼氏の 金城くんと いっぺんに私の世界が広がった。
 せーちゃんは いい顔をしなかった。
 知ってた。
 何度も叱られた。
 取石くんとは関わるな、って 言われたけど 私はやめなかった。
 
 
 最初に私が決めたことだったから。
 
 
 せーちゃんでなく取石くんに惹かれたのは何故だろう。
 せーちゃんはいつだってそばに居てくれたのに。
 取石くんは
 そうだ 取石くんは
 
 
「おい」
  
 
 辛い時 本当に辛い時だけ 気づくと そばに居てくれたんだ。
 
 
「おい、沙羅!」
「あ…え…あ、何?せーちゃん」
「ケータイ、鳴ってる」
 夏休みの通学路。学校の近くまで来たところだった。カバンの中から聞こえる着信音に慌てて沙羅は携帯電話を取り出す。
「誰から?」
「えっと…取石…くん…」
「葵!?おい、ケータイ寄越せ!」
 鳴り続ける携帯を沙羅の手から取り上げると、勢い良く踏みつぶした。
「あ…」
 一瞬固まったが、沙羅は苦笑してしゃがみ込み、バラバラになった部品を震える指で一つ一つ拾い始める。
「やっぱり…夏のアスファルトは熱いね…」
「おい、剣!」
 後ろから怒鳴り声が飛び込んできた。
「え…取石くん…」
「葵!さっき電話!」
 斉太郎が声を上げるが葵はそれよりも大きな声で怒鳴りつける。
「後ろにいるぞ、って脅かそうとしただけなのに、何しやがってんだよ!?」
「そんなつまんねーことで俺の沙羅に電話すんなよ!」
「それより小紫のケータイどうするんだよ!」
「いいの…」
 葵と斉太郎の押し問答に決着をつけたのは沙羅の蚊の鳴くような声だった。
「なんで何も言わないんだよ!小紫!」
 大小バラバラの部品を両手に乗せて沙羅は微笑んで見せた。
「いつもの…ことだから…」
「こむら…」
「慣れてるから。買い直せばいいだけだから」
 その笑顔があまりに清々しくて葵は黙るしか出来なかった。
 
 
 
「小紫」
 カフェテラスで小さな手製弁当を食べる沙羅に葵が声をかけた。
「取石くん、朝はごめんね」
 沙羅は心底申し訳無さそうに頭を下げる。
「一人か?」
「うん、せーちゃんはまだお仕事」
 それを聞いて、葵は沙羅の向かいの席に座る。咳払いをして、声を潜めた。
「携帯さ、帰りに買いに行かね?」
「え?」
 葵の言葉に目を丸くした。
「剣がいたら何も自由にできねーぞ。だから、二台持てばいいんだよ。剣には一個隠してさ。俺、二台目無料のとこ知ってるから」
 葵は悪戯を企む子どものように笑って言う。
「そ…そうだね…。そしたら取石くん…じゃない、皆とのメール見られないで…」
 沙羅は少し考えてから頷いた。が、今度は葵が目を見開く。
「はぁ?メールチェックされてんのか?まさか履歴も!?」
「うん…そうだけど…変かな…?」
 自分がなにかおかしいことを言ったか本当にわからない、という風に沙羅は逆に驚く。
「おかしいって!じゃあ尚更絶対俺と買いに行ったほうがいいって!」
「いいの?」
 葵の言葉に嬉しそうに微笑む。
「ああ、じゃあ決定!仕事終わったら隣駅の駅前の電気屋な!」
「おい!葵!」
 声が割り込む。沙羅が肩を震わせた。
「せ…せーちゃん…」
「葵!沙羅をどこに連れ込もうってんだよ!」
 斉太郎は葵の肩を掴んで押しのける。
「はぁ?ざけんなよ!言いがかりつけんな!このストーカー!」
 売り言葉に買い言葉で葵も黙ってはいなかった。
「と、取石くん、せーちゃんはストーカーなんかじゃ…」
「ストーカーだろ!登下校も一緒、携帯も見られてるって!ストーカー以外の何物でもねーって!」
 止めに入ろうとした沙羅の言葉にも葵は大声で返す。
「ち、違うよ…せーちゃんは私のためを思って…私がしっかりしてないから…」
 沙羅は穏やかに微笑んだ。
「ダメな私のこと管理してくれてるんだよ」
 葵は少し困り顔で笑う沙羅を見て、体を震わせた。まるで化物を見るように。
「小紫、お前…」
「沙羅、行くぞ」
 斉太郎は沙羅の肩を抱き、カフェテラスの出口に歩き出した。
「あ、取石く…」
「沙羅」
「う、うん…じゃあ、取石くん…」
 沙羅は困ったように笑って手を振った。
 
 
 
「あーおーいー」
 十二宮室で書類を前にした葵に後ろから譲が抱きついてきた。
「何だよ!暑苦しい!譲!」
「冷たいなー。これ、小紫ちゃんからー。何?滋から乗り換えるのー?」
「小紫から?」
 小さく折りたたまれたメモ用紙を手渡す。受け取った葵はそれをじっと見つめる。
 
 
 
「小紫」
 学校の裏門で沙羅は柱の陰に隠れて待っていた。
「と、取石くん。あの…呼び出したりしてごめんなさい…」
「剣は?」
 警戒してキョロキョロと見回す。
「せーちゃんは先に帰ったよ…私、お迎えの車まで行って、忘れ物したから電車で帰るって戻ってきたの」
「めんどくせーことするな。で、ケータイ?」
 沙羅はコクコクと頷く。
「うん、お昼に言ってたお店、教えてほしいの。あと私、手続きとかも難しいこと分からないから…」
 嬉しそうにまくし立てる沙羅の頭を葵はポンポンと叩いた。
「らじゃらじゃ。じゃあ、行くぞ」
 葵に肩を叩かれ、沙羅は顔を赤らめ頷いた。
 
 
 
「機種変更でよろしいですね?」
 大型電気店の隅に設営された携帯ショップで葵と沙羅に向けて女性店員がパンフレットを差し出した。
「えっと、あと一台無料キャンペーンやってるよね?」
「はい、それですとこちらの機種になりますが…」
 店員はもう一枚用紙を取り出し、笑顔で事務的に続ける。
「小紫、これでいいか?」
「うん。色はピンクがいいな。せーちゃんが可愛い電化製品嫌いで持たせてくれないから」
 嬉しそうに沙羅はピンクの折りたたみ携帯を手にとった。
「では確認のためにご契約者様のお名前と生年月日、電話番号を…」
「えっと…剣斉太郎です。誕生日は9月にじゅ…」
 沙羅は当然のようにスラスラと並べる。
「はぁ?」
 葵が声を上げた。
「え?な、何かな?取石くん…」
 驚いて肩を震わせた。
「馬鹿かよ!お前、あいつの名義で契約してんの!?何考えてんだよ!?」
「え…だってせーちゃんが…」
 何か自分がおかしいことを言っただろうか、まるで分からない、という面立ちの沙羅。
「それだったら二台持ちしてもすぐにバレるだろーが!」
「あ…ご、ごめんなさい…」
 葵の言葉にようやく思い至ったのか沙羅はピンクの携帯から手を離した。
「私が…だめだから…あの…せーちゃんは本当に優しいんだよ…」
 葵が椅子から立ち上がった。
「もういい!勝手にしろ!」
 スタスタと早足で立ち去る葵。
「…ごめんなさい」
 葵の後ろ姿に謝ってから、沙羅は店員に向き直った。
「お騒がせしてごめんなさい。一台、機種変更だけお願いします。二台目は結構です」
 
 
 
「沙羅、携帯買ったのか?」
「う、うん」
「一人で?」
「うん、そうだよ」
 広いマンションのダイニングで沙羅が斉太郎と二人分味噌汁をよそっていた。全てのおかずを出し終わって米飯を斉太郎の前に出す。
 が、斉太郎は椅子にこそ座っているが、それに見向きもせずに、携帯を触っている。
「じゃあ、お先に…いただきます」
 沙羅が席につき、ゆっくりと自分で作った食事を口に運ぶ。
 沈黙が流れるが気まずそうにしているのは沙羅だけだ。
 十分ほど経っただろうか、斉太郎がようやく携帯を閉じて、何も言わずに味噌汁に口をつけた。
「何だよ、これ冷めてんじゃん」
「ごめんなさい…でも…出したときは温かかった…けど…」
「俺のせいかよ!」
 斉太郎が声をはりあげた。
「ち、違うの…えっとごめんなさい…」
 斉太郎は立ち上がり、テーブル越しに沙羅の頬を叩く。勢いで沙羅は床に倒れ込んだ。
 そして、ピクリとも動かない。
 
 
 取石くんと他愛のない話ができるなら、私はいくら傷ついても気にしない。
 
 
 斉太郎は倒れて動かない沙羅をしばらく見下ろしていたが、膝をついてその唇に口付けた。
 そして、ブラウスのボタンを1つずつ外していく。
 意識のない沙羅の四肢が顕になったのをゆっくりと撫でていく。
 
 
 でも知ってたんだ。
 取石くんは滋ちゃんが好きってこと。

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