天球儀 其の零 ep.2 四月「牡牛座の親友」




 真新しい一戸建てに携帯の音が鳴り響く。
「ミポリン。ケータイうるさいス。春休みくらい昼まで寝かせてよ」
「あ〜、ごめん〜。えっと〜ちょっと〜出かけてくるね〜」
「えー、まだ8時スよ。どしたの?」
「ごめんね〜」
 バタバタと階段を駆け下りる音を眠気まなこで見送った。
「………変なの。アタシより起きるの遅いミポリンが」
 あくびをしてチュニックにカーディガンを羽織り、遅めの朝食をと階下に降りると義母が心配そうに尋ねてきた。
「暁子ちゃん、春休みになってから未歩梨毎日出かけてるんだけど、どこ行ってるか知らない?」
「うみゅ、ママさんまで安眠妨害。知らないスよ。眠い」
「こんなの中学の…あの時以来で…」
「なら尚更、心配いらないっしょ」
「でも…」
「気になるならカホちゃんとこに直接聞いてみれば?」
「え…それは…」
「あーもーママさん。いいよ。アタシが電話してあげる」
 ダルそうに携帯を手に取った。
「もしもし、カホちゃん?そうそうキョーコッス。お久。あのさ最近ミポリンと会ったりしてない?してない。うん分かった。朝早くにごめんね。え?早くない?さすが体育会系は違うスね。え?アタシ?ダメダメ、運動とかチョー苦手」
「ちょ、ちょっと暁子ちゃん」
「あ、それじゃーね」
 電話を切り、義母の方に向く。
「カホちゃんは知らないって」 
「それじゃ、どこに…」
「うーん、心当たりなら…ないでもないんスけどね」
 
 
 
「カホちゃーん!」
 古い一軒家の前で暁子はポニーテールにジャージ姿の少女に抱き着いた。
「お久しぶり、暁子さん。母さんと未歩梨は元気ですか?」
「元気だよ。ごめんね、呼び出しちって。ママさんが会い辛そうだったから」
 頬を香歩子の胸に擦り寄せると、見上げて笑いかけた。
「気にすることないのにねー。で、未歩梨がいなくなったって?」
「いなくなったてか。ちょくちょく謎の外出や外泊が多くなっててさ」
「あ、それで5年前みたいに私や父さんに会ってるんじゃないかってことになったんですか。違いますよ。未歩梨とはここ5年会ってませんから」
 香歩子は両手を振って否定する。
「うん、カホちゃんがウソ言ってるとは思わないよ」
「暁子さんにそう言ってもらえると嬉しいです。ありがとうございます」
「カホちゃんのそういうとこスキ!」
 暁子はまた香歩子に抱きつく。
「私も好きですよ」
「小野さ〜ん、走り込み始めますよ〜」
 『中務空手道場』といかつい文字で書かれた門から、茶色い髪を束ねた少女が顔を出す。
「はーい、まゆりさん」
「カラテ道場も大変スね」
「楽しいですよ。暁子さんも一緒にランニングしませんか?」
「あははー、カンベンカンベンー」
 ポニーテールを整え、スニーカーの紐を結び直す香歩子に、暁子はブンブンと首を横に振った。
 
 
 
「買い物くらい〜一緒に行く彼氏〜作ればいいのに〜」
「うるさい。男なんか作ったら色々面倒でしょ」
 繁華街を玲奈はスタスタと歩いていた。未歩梨は紙バッグを両手に持ちながらついていく。
「そ〜かな〜、あ、館林君は〜?あのコなら〜どこまででも付き従ってくれそ〜可愛いし〜」
「じゃぁ、あんたにやるわよ。あんなナヨナヨしたの好みじゃない」
「でも〜館林総合病院の長男だよ〜。あ〜、亘さんも亘財閥の一人娘か〜。ま〜それはそれでお似合いだよね〜」
「そんなことよりっ!」
 玲奈は振り返り、未歩梨に怒鳴る。
「ん〜?」
「なんでアンタタメ口なの?私に!私を誰だと思ってるの!?」
「亘さんです〜友達でしょ〜」
「だから!友達ってのは…っ!」
「は〜?」
「いいわよっ!この店入るからバッグ持ってて!」
 言ってハンドバッグを差し出す。
「はいは〜い。荷物持ちなら〜尚更オトコノコにさせればいいのに〜」
「うるさい。黙れ」
 
 
 
「あ〜歩き疲れた」
「買いすぎだよ〜亘さん〜」
 コーヒーショップで荷物を置いて、未歩梨は大きく息をつく。
「うるさい。私に意見するな」
「はいは〜い」
「あ、ミポリン、やっと見つけた!」
 暁子が息をきらせて駆け込んで来た。
「キョーコちゃん〜どしたの〜?」
「どしたの〜?じゃないよ!ママさんが心配してたよ。カホちゃんのとこ行ってるんじゃないかとか。ほら、帰るスよ」
 腕を掴み、席を立たせようとする。
「え〜、遊んでただけだよ〜」
「遊んでたって、姫と?」
「うん〜、友達だもん〜」
 平手の音が店に響く。暁子が未歩梨の頬を叩く音。
「ミポリンのバカ!そんなの友達じゃない!ただの荷物持ちじゃん!家来じゃん!奴隷じゃん!」
「でもね〜、亘さんが友達だって〜」
「どこまでバカなの!ママさんにまで心配かけて!」
 暁子は人目も気にせず涙ぐみながら声を上げる。しかし、未歩梨は穏やかに微笑むだけだった。
「そっか〜心配かけちゃったか〜ごめんね〜キョーコちゃん〜」
「だから…!」
 未歩梨は暁子の頭に手を置いた。
「でもね〜、も〜ちょっとだけ〜亘さんにつきあってもいいかな〜」
「あんた何!?弱みでも握られてんの!?」
「ちょっ…!あんた!人聞きの悪いこと言わないでよ!」
 玲奈は思わず立ち上がる。
「だって!ミポリンの押しの弱いの利用してるとしか思えない!」
「そんなことないよ〜、でもごめんね〜、ちょっと亘さんのこと今は放って置けないな〜」
「ミポリンのバカ!」
 言い捨てると、暁子は走り去った。
「あ〜行っちゃった〜」
「いいの?」
「うん〜帰ったら〜謝って〜きっとそれで仲直り〜めでたしめでたし〜」
 未歩梨はふふふ、と笑った。
「姉妹…か…」
「私〜おねえちゃんだから〜。義理ですけどね〜。亘さんは〜一人っ子ですか〜」
「そうよ。それが?」
「そうだと思いました〜。いかにも一人っ子ですね〜えへへ〜」
「昔…妹みたいなのなら…」
「え〜?なんです〜?」
「な、何でもないわよ!ほら行くわよ!」
 アイスコーヒーを一気に飲み込むと席を立った。
「え〜、まだ買うんですか〜?」
 
 
 
「あれが楷明の『姫』かよ〜美人だけど普通の女じゃん」
「間違いないって、ほら写メと同じだし、優雅にショッピング中なんだろ」
「一緒にいるのは?」
「知らね。いいじゃん。割と可愛いし一緒にヤッちゃえば」
「こんな美味しい商売あっていいのかね」
 
 
 
「今日はそろそろ帰ろっか」
「あ〜解放か〜」
 夕方近くになった頃、人の少ない駅裏に着いた玲奈の言葉に紙袋を山ほど下げた未歩梨は息をついた。
「キミ、亘玲奈?」
 聞き慣れない声に二人は振り返る。知らない男が三人立っていた。
「何?ナンパなら間に合ってるけど?」
「当たらずしも遠からず…」
 男の一人が玲奈の腕を強く掴み上げる。
「…痛っ!何すんのよ!?」
「うるせーよ、お嬢ちゃん」
 男の服の裾を引っ張る小柄な手。
「ダメですよ〜。お姫サンに乱暴しちゃ〜」
 おっとりとした笑顔で未歩梨は男の腕をひねる。
「なっ…」
「やめてください〜」
 ひねった腕を玲奈から引きはがし、軽く押し倒した。
「痛ぇっ!なんだ!テメー!」
 馬乗りになって右足で男の顔を踏みつけ左手で手首を掴んだまま、右手で携帯を操作する。画面を別の男に突きつけた。
「あなたたち〜、このサイト見たんでしょ〜。お姫サンについていて正解でした〜」
「サイト?」
 玲奈は目を丸くする。その隙にもう一人の男が未歩梨に飛びかかるのを、携帯を持ったままの右手ではねのけた。
「…っと〜だからダメですって〜」
「おい、やめろよ、お嬢ちゃん方」
 後ろから別方向から現れた男二人が玲奈の体を押さえつけた。
「……!」
 
 
 
 従業員の休憩室で、携帯を確認すると履歴が残っていた。
(何ですの?メール?…常磐芽芽から?まったく、またどうでもいいことを…『このスレ見ろ』?…ああ、掲示板ね。あの人はいつもいつも……)
 鬱陶しそうにリンクの貼られたサイトを見て目を丸くした。
「なっ……」
「どうしたの?久都さん」
 部屋に入って来た別のアルバイトが驚いて首を傾げる。久都凛子は振り払うように携帯の電源を切ると立ち上がった。
「い、いえ、何でもないです。すみません。あ、休憩時間終わりますね。レジ替わります」
 
 
 
「ったくーなんなのよーミポリンってー」
 一日街を散策していた暁子は不満げに口を尖らせる。
「……あれ……千条さ……暁子さん……?」
 歩いて来たのは腕を組んだ小紫沙羅と剣斉太郎だった。
「あ、小紫さんと剣くん。デートスかー?」
「姉は?」
 斉太郎が辺りを見回す。
「ミポリンはーお姫サンとデートでーす。アタシはちょっと怒ってるんス」
「会長と?てかお前一人で出歩いて大丈夫か?」
「えー、何がー?」
「常磐からのメール見てねーのかよ?」
「メール?」
 暁子は首を傾げた。
 
 
 
「お兄様、電話鳴ってますよ」
 隣の部屋からの上品な声に、午睡をしていた葵は手探りで携帯を取り出した。
「はいはい、譲かよ。なんだー?」
『おい、葵。常磐からのメール見たか?』
「とっくに見たよ。誰だよ、あんなことしたの?」
『知らねーよ。でもあれは明らかに……』
 葵はまぶたを擦り声を潜める。
「姫を狙ってるな」
 
  
 
 鈍い打撃音が数回鳴り響いたと思うと、玲奈は地面にたたき落とされた。
「ったく、男5人がかりねぇ」
「最低ですね」
 男の後ろから突然浮かんだ二人の女性のうち一人に玲奈は見覚えがあった。
「あ、あなたこの前の……」
「中務です、先輩」
 中務まゆりは男の背中を踏みつけとどめを刺すと、玲奈の背中を支え起こす。
「大丈夫だった?未歩梨」
 小野香歩子も最後の男の鳩尾に肘鉄を食らわすと、未歩梨に手を差し伸べた。未歩梨は香歩子の手を取らず勢いよく抱きつく。
「か…香歩子お姉ちゃん〜。うわ〜、怖かったよ〜」
「よしよし」
 香歩子は未歩梨の頭を撫でる。
「まゆりちゃんもありがと〜」
 まゆりは未歩梨にぺこりと頭を下げた。
「お…お姉ちゃん…?」
「未歩梨のご友人ですか〜立てますか〜」
 香歩子は状況の分からない玲奈に手を差し伸べた。
「ひ、一人で立てるわよっ」
「その元気があれば大丈夫ですね。初めまして、未歩梨がお世話になってます。未歩梨の実姉の小野香歩子と申します」
「実…姉…?」
「未歩梨は元々、小野未歩梨と言う名前でした。それが私たちの両親が離婚して、私は父に、未歩梨は母に引き取られたんです。その後、未歩梨の…私のでもあるのですが母が再婚し、千条未歩梨となったわけで、一応私が血縁上は実の姉です」
 淡々と説明すると女性は姿勢のよいお辞儀をして再び玲奈に手を伸ばす。玲奈は不承不承、その手を取り立ち上がった。
「はぁ…それでどうしてここに…」
「通りすがりの…と格好つけたいところですが、朝、暁子さんから連絡をもらいまして、失礼ながらずっと二人で後をつけさせていただきました。今、暁子さんに連絡しましたので、すぐに来られるかと……」
「ミポリン!」
 後ろから駆け足で暁子がやってきた。
「キョーコちゃん〜」
「ごめんねごめんね、ごめんねー」
「いいよ〜。私もワガママ言ったから〜おあいこにしよ〜」
「……今は未歩梨と暁子さんの方が姉妹っぽいです」
 抱き合う二人に香歩子が苦笑した。
「お名前伺ってもよろしいですか」
 右手を差し出す香歩子。
「わ、亘玲奈よ…」
 香歩子の手を握った瞬間
「い、痛い痛い痛いっっっっ!!!!!」
 笑顔で軽く手首をひねられた。玲奈は声を上げ振りほどこうとするが振り切れない。
「あら、失礼しました。では、私たちはこれで。未歩梨をくれぐれもよろしくお願いしますね。亘さん」
「な、なんなのよ…」
「えへへ〜。痛かったでしょ〜。香歩子お姉ちゃんは強いのです〜。そして〜」
 未歩梨は両腰に手を当てた。
「私のバックにはお姉ちゃんとキョーコちゃんがついているので無敵なのです〜。それを前提に〜」
 香歩子が握っているのとは逆の手に向けて手を差し伸べた。
「親友になってくれませんか〜?レナちゃん〜」
「レ…レナって誰よ!?」
 玲奈は思わず声を上げる。
「え〜玲奈だから、レナ。ダメ〜?ダメなら香歩子お姉ちゃんに〜」
「わ、分かったわよ!いいから!好きなように呼びなさいよ!もう!」
「やった〜じゃあ、もう荷物も持ちません〜呼び出されても眠かったら断ります〜」
「え?」
「だって、親友でしょ〜」
 有無を言わさず未歩梨は玲奈の手を握った。
  
 
 
 
「入学式も〜白制服2人だけみたいだね〜…って、ミナトくん〜?」
 新入生も在校生もまだいない入学式の会場に入って来た白制服の二人の間にミナトが不服そうに分け入る。
「2人だけにしとくと危なっかしいんです」
「でもやっぱりジャージなんだね〜。制服は〜?」
「関係ないですよね」
「はいは〜い」
 3人が席に座ると館林が声をかけて来た。
「あの……俺も在校生席じゃなくて隣座っていいですか」
「館林君〜どしたの〜?」
「えっと…生徒会席空いてますよね……その…」
「やめろ、館林」
 後ろから人影が2つ現れた。
「累さん、市川さん、でも…」
「いいから、やめとけ」
 大柄な高坂累に促されるまま、館林は頷くしかなかった。
「は…はい…」
「なんなんだろ〜変なの〜」
 未歩梨が口を尖らせる。
 
 
 
「新入生退場」
 未歩梨の進行で、ガタガタと立ち上がり列を作る新入生。その中にある人影を見つけ、玲奈は立ち上がった。
「待って!」
「会長〜」
「お姫さん〜?」
 ミナトと未歩梨の前を走って横切る。
 退場して行く新入生の列に割り込んで小柄なボサボサ黒髪の少女の肩を押さえる玲奈。
「あなた…」
「…?だれだ おまえ」
「…え…?」
 割って入ったのは妹尾亮良だった。
「先輩、辻夏希のご友人でしょうか〜」
「あ…いえ…ご…ごめんなさい…」
 
 
 
 あれはいつのことだっただろう。
 一人で泣いていた。
 いつも一人で泣いていた。
 そんな私の前に現れた少女。
 真っ黒の何もうつさない瞳の少女。
「おまえは ひとりじゃ なにも できないん だな」



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