天球儀 ep.8 十月「蠍座の義務」




「バカモンが!」
 父親の怒声が広い事務所中に広がった。机に並べられていた書類が辰弥の顔面に投げつけられる。事務所の社員の視線が一身に集まる。母親が慌てて止めに入った。
「あなた!辰弥と取石さんも、とりあえず応接室に!」
 辰弥の母親は事務所員に頭を下げながら防音性の高い隣の応接室へ三人を押し込んだ。







 不満げに父親はソファにドカッと座る。
「一体私がどんな思いでお前を学費の高い楷明に入れて、この事務所を大きくしたと思っている?」
「だから悪いとは思ってるよ。でももうどうにもならないから、事務所は誰かに継いでもらうか、親父の代で潰すか…」
  パン
 父親の手が辰弥の頬を叩く。
「だからお前はバカだと言ってるんだ。そんなことを聞いているのではない!高校を出られたからといって、その後どうするんだ?」
「父さん…俺の話を少しは……」
 見かねた母親が一歩前に出た。
「取石さん」
 椿の方には視線をやらずに呟くように言った。
「は、はい!」
「子供を育てるって本当に大変よ。きっとずっとあなたが思ってるより。ましてやあなた達は高校生。世間からの風当たりも強いわ。私達なら今からでも堕胎できる法の抜け穴をいくつも知っている。それでも産むの?」
「…覚悟はしているつもりです」
「そう、なら私は反対しないわ」
「お、おい…お前…!」
「誰かが味方してあげないでどうするんです!この子たちは、もう高校生で、まだ高校生なんです!」
 ピシャリと言った母に父は黙るしかなかった。
「ええい!勝手にしろ!」
 怒鳴ると応接の扉を乱暴に開けて立ち去った。
「あ…あの…ありがとうございます」
 頭を下げる椿の肩を母は優しく叩く。
「あなたたちが考え抜いて決めた結論なら私は反対しないわ。困ったら言って。力になるから。でも本当に大変だからね」
「ありがとう、おふくろ」
「…でも、ちょっと嫌ね」
「え?」
「私まだ四〇代よ。こんな若くでおばあちゃんになるなんて思ってなかった」
 一瞬の沈黙のあと辰弥と椿は吹き出す。
「あら、笑い事じゃないわよ。私にとっては深刻な問題よ!」







「…で、その怪我って事は、分かってくれたのは金城の母親だけだったか」
「いやぁ、流血って怖いな。危うく救急車沙汰になるところだった。でもある意味自慢だよな、無形文化財の取石仁八の茶器で頭たたき割られたって。多分あれ百万くらいしたんじゃないかなぁ」
 翌日、十二宮室に現れた辰弥は額を包帯でグルグル巻きにしていた。
「豪勢な名誉の負傷だな」
「あの…よろしいでしょうか?」
 辰弥の後ろから声がした。
「高坂さん」
「蛇遣座の魚座の者をお連れしました」
 言われる間もなく黒髪を二つに分けた三つ編みにした気の弱そうな少女が頭を下げた。高坂南よりも頭一つ分ひょろりと背が高い。
「み、三好なずなと申します。一生懸命頑張りますのでよろしくお願いします」
 ガチガチに緊張した少女は紺の制服を揺らし、精一杯の声で挨拶をする。
「取石さんからの引き継ぎは?」
「あ…書類とかはメモと一緒に全部残してくださっていて」
「たつとり あとを にごさず」
「落ち度ない人ですね、さすが取石さん」
 辻夏希と妹尾亮良が答えた。
「それじゃ、よろしく。三好さん」
「よ、よろしくお願いします!」







 椿が退学届を出したというニュースは
 しばらく周りを騒がせたが
 次第に鎮静の方向を見せていた
 が、そのすぐ後、新たな噂が立ち上った。







 —「ウソ、あの取石さんが?」
 —「マジマジ、二組の子が見たって」
 —「え〜、だってあのマジメそうな人が…」
 —「本当だって、産婦人科に入っていくところ」





 根拠のある噂は広がるのが早い。
 あっという間にその話は学校中を駆け巡った。
 そして真偽を確かめようと
 槍玉に挙げられたのが十二宮だ。







「……四十六回」
 ナルは疲れ切った様子で、ボソリと呟いた。
「何が?」
「取石さんのこと聞かれた回数よ。今日だけで四十六回!これじゃこっちの身が持たないわよ!」
「よく数えていられるわね。私は五回を超えた時点で数えるのやめたわ」
 矢井田桂子が冷たく言い放った。
「も〜、ヤになる。いくら本当の事とは言え…」
「え?本当のことなんですか?」
 ナルが慌てて口をふさぐが、三好なずなの耳に届く方が早かった。
「…バカナル…三好さんには黙ってるって言ってたのに…」
 全員がナルとなずなを交互に見つめる。
「ごめん…ナ…ナル…」
「え…えっと…だ、大丈夫です!私誰にも言いませんから!」
 なずなが大きく首を縦に振った。
「ほ、本当です!約束します!私、自分で言うのもなんですが口は堅い方で…」
「まぁ、確かに口は堅そうね」
「ここは三好さんを信じて全部言っちゃいますか」







 しかし、その翌日だった。
「三好さん、どうしたの、そのケガ?」
 なずなが右頬と脚に擦り傷を負って十二宮室に現れたのは。
「えっと…ちょっと転んじゃって…ドジなんです、私」
 なずなは笑っていたが、その原因は容易に察せた。十二宮になりたてで、しかも二年のなずななら簡単に口を割ると思われたのだろう。日増しにその怪我は増えていく。
 数日後、左脚にギブスをして松葉杖をついて来たなずなを見て、辰弥は絶えられない、という様子で机を叩いて立ち上がった。
「もういい!会長、明日の全校集会のスピーチ、俺に代わってくれ!俺が全部言うから!本当のこと言うから!だから…もう……」
「か、金城先輩!違うんです、これは」
「もうやめてくれ!下手な嘘も…もうたくさんだ……」
「いって どうする」
 夏希がボソリと言った。
「おまえが ほんとうの ことを いって うしろゆびさされて それで なにがかわる? それより おまえのことをおもって がっこうをやめた とりいしつばきの きもちは どうなる?」
「それは……」
 辰弥は二の句が継げなかった。
「椿ちゃんは何て言ってるの?今の学校の様子話してるんでしょ?」
「とても…言えない…椿には……」
「何も言ってないの?」
 目をそらす辰弥にナルは怒鳴りつけた
「バカ!」
 大声が十二宮室に響き渡る。
「あ〜も〜これだから男ってバカ!椿ちゃんならそのくらいお見通しに決まってるじゃない!それなのに辰弥クンに…今、唯一の味方の辰弥クンにウソつかれたらどうすればいいのよ!今頃、椿ちゃん一人で泣いてるわよ!一人で!一人ぼっちで!まず辰弥クンが椿ちゃんに謝らなきゃ!全部はそれから!」
「…確かにナルの言うことはもっともね」
 叫ぶナルにまゆりは頷いた。
「でもその前に…」
 まゆりは不敵に笑う。
「か、会長…目が据わっているんですが…」
「思い知らせてやろうじゃないの。十二宮を敵に回すとどうなるか」







 翌日は月に一度の定例全校集会だった。全員が講堂に腰掛ける。その前にある高い壇上にまゆりは上る。
「本日は生徒会報告の前にお知らせがあります。今から名前を呼ぶ人、立ち上がってください。三年一組高橋美穂さん、同じく、夏野雪絵さん、二組…」
 メモを見ながら十数人の名前を読み上げた。呼ばれた人は渋々と言った風に立ち上がる。自然に視線が立ち上がった生徒に向く。
「以上の生徒は、十二宮魚座・三好なずなへの暴行の罰として明日から最大一ヶ月の停学処分といたします。日数は後ほどそれぞれにお知らせします」
「て、停学?」
「そんな、聞いてねぇよ!俺たちがやったって証拠は?」
「副会長」
 呼ばれて壇上に上がってくる香我美真人。
「ご存知ありませんでしたか?ウチの学校、校内中に防犯カメラが設置して録画してあるんです。特に人目のつきにくい非常階段や屋上は念入りに。録画データが美化委員長の永戸が常時管理しています」
 数枚のDVDを見せた。
「以上、座っていただいて結構です。ご意見、ご不満のある方は直接十二宮室までお願いいたします。では次に先週の合唱コンクールの結果を…」
 平然と続けるまゆりだった。







「停退学処分権限?」
 祐歌がまゆりの言葉をおうむ返しに聞き返した。
「十二宮全員の承諾があれば、生徒を自由に停学または退学にできるの」
「そんな話聞いたこともねーよ」
 加藤稔の言葉にまゆりは棚から十数枚の書類を出した。
「私も館林先輩に聞いて初めて知った。多分一般生徒もほとんどは知らないはず。今回の生徒も知らずにやったことだろうから退学は勘弁してあげましょう」
 ニヤリと笑う。
「十二宮を敵に回すなって事よ」







「信じられねー!公開処刑かよ!」
 実際に十二宮室に来た、ある意味勇気のある生徒は三年生四人だった。
「そうよ、公開処刑。これで内申書もキレーに下がるわね。まぁ、その分停学期間中に勉強しててよ」
「フザケないでよ!何様のつもり?」
「十二宮様。これは正式に与えられた特権よ。知らない方が悪いわよね」
「あ、あの…私、楷明大に推薦内定してたんだけど…」
「はぁ?」
 まゆりの蹴りが女生徒の鳩尾を正確に突く。
「痛っ…」
 思いきり倒れ込む女生徒。
「そんなの取消に決まってるじゃない。世の中甘く見るのも大概にしなさいよ」
「出ちゃった…」
「武闘派会長…」
 十二宮は頭を抱え込む。見下すまゆりの凍り切った視線に怯えながらも女生徒は声を振り絞った。
「こ…これは暴行に入らないわけ!」
「そういえば十二宮室には防犯カメラってなかったわねぇ」
「そうですね、今度からつけましょうか」
「そうねぇ、『今度から』」







「お疲れさま、永戸さん」
「本当に疲れたわよ、いくら三好さんが時間と場所覚えてたからって言って、そのデータ探すのにどれだけ苦労したと思う?しかもそれを一晩でやれなんて。モデルに徹夜しろなんて、何の拷問?お肌の調子とか考えたことある?念のためだけどこれは三好さんのためで、辰弥や椿のためじゃないんだからね!」
 そしてDVDの散らばった机に突っ伏した。





 その日からなずなへの暴行はもちろん、十二宮への質問攻めもパタリと止んだ。時折、噂話は耳に届いたが、全員が無視することに決めていた。
 それでいいのだ 今は それで。







「で、金城くんは取石さんに言えたの?学校のこと」
 図書館に本を返しにいく時に一緒になった辰弥にまゆりは尋ねた。
「いや…それが言い出しにくくて…」
「まだ言ってないの?ダメじゃない!」
「まゆりさん」
 後ろから滋が声をかけて来た。
「私、今日お仕事だからこの前の防犯カメラDVDの整理、家に持ち帰ってやっていい?」
「うん、別にいいわよ。あ、部外秘でね」
「分かってるって」
 慌ただしげに走り去って行った。
「忙しい人ね、彼女も」
「昔から、ああだから」
 ため息をついて辰弥はため息をつく。
「それでもやっぱり俺とは話してくれないんだよなぁ」







「滋?」
 マンションのドアを開けた椿は目を丸くした。
「椿、ちょっといい?その…話が……」
「もちろん!入って入って!」
 椿が通したのはこじんまりとした家具つきのワンルームマンションだった。
「辰弥も私も家追い出されちゃってね、困ってたら辰弥のお母さんが名義を貸してくれてこのマンション借りれたの。マンスリーだけど、住み心地は悪くないのよ」
 慣れた手つきで、お茶を煎れようとポットからティーポットに湯を注ぐ。長袖のアンサンブルに小花模様のスカートがよく似合っていた。
「来てくれて嬉しいわ。滋とはゆっくり話したかったから」
 湯でカップを温めてから紅茶を注いで小さなローテーブルに置いた。
「今日はまたずいぶん大荷物ね」
 学校の鞄の他に大きな紙袋を二つ持っている滋に椿は笑って中身を覗こうとする。
「あ、これは十二宮の仕事で、もう一つは…」
「十二宮の仕事って…DVDが?」
「うん、防犯カメラの…例の三好さんの…辰弥から聞いてるでしょ?」
 椿が眉をひそめた。
「防犯カメラ?三好さんがどうかしたの?」
 その瞬間、全てを察した滋は慌てて自分の口をふさいだ。辰弥はまだ言ってなかったんだ!学校で何が起こっていたのか。
「ねぇ、滋!答えてよ!隠さないでよ!」
 椿は滋の肩を揺さぶる。
「私だけ何も知らないで、のうのうとしてるなんて絶対嫌よ!」
 滋はためらいつつも紙袋から一枚のDVDを選んで出した。
(大丈夫。私の知ってる椿はそんなに弱くない)







「ただいまー椿、鍵開いて…」
 言いつつワンルームマンションの玄関に入った辰弥は玄関の靴が一つ多いのにすぐに気づいた。
「…滋?」
 その時、辰弥の目に入ったのはテレビの画面を前に涙する椿の姿だった。
「椿!おい、椿!」
 画面を見て辰弥は血の気が引いた。それはちょうど三好なずなが非常階段から突き落とされる場面をとらえた定点カメラだった。乱暴にテレビの電源ごと画面を消す。後ろに立っていた滋を睨む。
「お前!何で見せた?何でこんなもの椿に見せたんだよ!」
「だって…辰弥が…!そうよ、辰弥が悪いんじゃない!ずっと椿に本当のこと言わないで…」
 辰弥は腰を落とし、DVDを取り出しケースにしまうと紙袋と通学鞄を滋に突きつけた。
「二度と来るな」
 滋は一瞬涙ぐんだが、しかしすぐにいつもの勝ち気な顔に戻る。奪い取るように鞄と紙袋を手に取った。
「ええ!頼まれたって来るものですか!」
「……サイテーだな、お前」
 ツカツカと帰る滋に辰弥は一言投げかけた。
「何が最低よ!」
 バタンとドアを閉められてから椿は口を開いた。
「最低なのは辰弥じゃない!何で黙ってたの?私を見くびらないで!」
 目に涙を溜めながら叫んだ。







 翌朝、学校の玄関で一人の少女が通り過ぎるのを見る度、誰もが目を丸くした。一際目立つ白制服。そして黒く肩で切り揃えられていたはずだった髪は、茶に染めた髪にゆるくパーマを当て二つ分けに結ばれている。
「お、おいあれ…あの制服…まさか」
「え…やめたんじゃ…」
「でも……あの髪…」







 少女は職員室に入るなり教頭に言った。
「退学届の撤回をお願いします」
「え?」
 聞き返したのは教頭だけではない、そこにいた教諭全員だった。
「私は学校に残ります」
「ち、ちょっと待ってくれ」
「何度でも言います。取石椿は学校に残ります。十二宮にも戻ります」
 椿は力強い瞳で教頭の机を叩いた。







 椿は十二宮室でなずなの包帯や脚のギブスを見るなり涙を流して抱きついた。
「と、取石先輩?」
「ごめんなさい、ごめんなさい。私が勝手なことしたせいで…」
「と、取石先輩のせいじゃないですよ。気にしないでください!それより戻って来てくれて嬉しいです。私は蛇遣座に戻りますから」
 顔を赤らめながら三好なずなは椿を振りほどいた。
「それよりお体は大丈夫なんですか?復学するって…」
「ええ、どうせ三年は二学期の期末試験終わったら授業ないですし…。それに、もし出席日数が足りなくて卒業できなかったとしてもいいんです。私の目的は卒業することじゃなくて十二宮に残ることですから」
 自分より頭一つ背の高いなずなの肩を叩いた。
「三好さんは来年、十二宮で頑張ってください」
 満足げな笑み。触発されるようになずなも笑った。
「は、はい!でもお体には気をつけてくださいね」







「椿ちゃ〜ん、戻って来てくれて嬉しいよ〜」
 今度はナルが椿に抱きつく。
「体大丈夫?」
「大丈夫ですよ。皆さんにもずいぶんご迷惑おかけしました。申し訳ありませんでした」
 ナルを抱き上げると、深々と頭を下げる。
「ところで、滋」
 部屋の隅で面白くなさそうに座っていた滋は顔を上げる。
「私の部屋に置いていったあの紙袋はもらっていいってこと?」
 クスクス笑いながら椿は尋ねる。滋の顔が紅潮する。
「ち、違うわよ!いや、そうなんだけど、あれは単にお仕事で余って私がもらっても仕方ないから…」
「なにな〜に〜?」
「ヒミツです。もうすぐ分かりますから」
「もうすぐっていつ?」
「そうですね…」
 う〜ん、と考えてから辰弥の方を見た。
「辰弥と私の仲がお互いの両親に認められたら、でしょうか」
「まだ金城の親父さんと取石の両親は認めてないんだろ?」
「はい。もっとも私の母は父がいいと言ったら了承すると思いますが」
「難しいわねぇ」







「君も懲りん男だな」
 椿の父は客間で茶を飲みながら不機嫌そうに言った。
「何度でも来ます!お願いします!椿さんとの結婚をお許しください!」
 頭を深く下げる辰弥に持っていた湯飲みを振り上げる。ガシャーンと音を立てて辰弥の頭で割れた。畳に血が滴り落ちる。
「お父さん、やめて!」
 立ち上がろうとする椿の手を引いて止めた。
「壺でも包丁でも存分に投げてください。俺は絶対ここを動きません」
「私からもお願いします!」
 横から入って来たものは滋の声だった。滋は正座をし頭を畳につけて一糸動こうともしない。
「な、永戸さん…」
「滋…どうして?」
 辰弥の問いに滋は頭を上げずに答えた。
「勘違いしないで。あなたたちの仲を認めたわけじゃないわ。ただこれ以上椿を苦しめたくなかったの『椿は私が守るんだ』から」
  『椿は私が守るんだ』
  それは 小さな頃から繰り返されて来た 魔法の言葉
「椿を許してやってください。お願いします」
「私たちからもお願いします」
 そこに立っていたのは十二宮の面々。全員がそこに顔を揃えている。
「俺からも…あ、辰弥は見た目チャラいけどヤバいくらいイー奴だから」
「椿ちゃんもね!頑張ったんだよ…じゃない、ですよ!」
「あなたたち……」
 椿が顔を押さえた。
「バカなんだから…もう……」
 滋も涙ぐむ。
 まゆりが一歩前に出た。
「何かあったら私たちが全面的にバックアップいたします。もちろん卒業後でも。これから産まれてくる子は十二宮全員の子なんです。どうか産ませてあげてくれませんか?」
「よろしくお願いします」
「あぁもう、分かった。分かったから、大勢で…止めなさい!」
 折れたのは椿の父親の方だった。
「やった!辰弥!滋!みんな、ありがとう!」
 母親がそっと寄ってくる。
「…本当にいいの?」
「こんなに…こんなに生き生きした椿を、大勢の人に囲まれた椿をお前は見たことがあるか?」
「滋、ありがとう!」
 椿は滋に抱きつく。
「べ、別にこのくらい」
「あんなに大人しくて引っ込み思案だった椿が笑っているんだ。それだけで…こんなにも嬉しいとは馬鹿なものだな、親というのは」
「…そうですね」
「椿、辰弥くん」
 呼ばれた二人は顔を上げた。
「これを持って行きなさい」
 大小二つの茶碗を棚から取り出した。
「本当は品評会に出すつもりだったんだが…」
「これって…」
「私の作った夫婦茶碗だ。持って行け」
「……」
 二人は顔を見合わせ
『ありがとうございます』椿と辰弥が同時に頭を下げた。







「あとは金城くんのお父さんですか」
「いいよ、親父は俺一人で行く」
 辰弥は鞄を肩にかけ直すと両親の弁護士事務所に向かった。







 事務所に入るなり、父親が立ち上がった。
「さっき電話があった。あの取石の仁八さんを説得したそうじゃないか」
 父親はゆっくりと歩み寄り、手を振り上げる。
(殴られる……!)
 しかしその手は、ポンと頭に置かれた。
「よくやったな、辰弥」
「俺一人の力じゃ…」
(うわ…俺情けねぇ…泣きそう)
 目から涙がこぼれるのを必死にこらえた。
「お前一人の力じゃなくてもお前の人脈のなせる技だ。褒めてやる。だが悪いが私は怒っている。よって経済的な援助は一切しない。自分で金を貯めてみろ」
 踵を返し、事務所の席に戻る。
「それって…」
「認めるだけなら認めてやると言っている」
「あ…ありがとう……ありがとうございます!親父…いや、お父さん!」
「よかったわね、辰弥」
 後ろから母親が肩を叩いた。
「ありがとうございます。お父さん、お母さん」
 深く深く頭を下げた。







「辰弥、卒業まで就活の合間にバイトしない?」
 帰り道、全員が連れ立って笑顔で歩く。
「バイト?」
「そ、モデルのバイト。紹介してあげるから。辰弥の顔とスタイルなら問題ないと思う。一度事務所に来て」
「ステキ!いいと思う!」
「金城くんがモデルやるんですか?」
「わぁ、見たい見たい!」
「できるかぁ、俺に」
「できるって、割いいわよ。大体働かないでどうするつもりなのよ。家賃だって出産費用だってバカにならないのよ」
 言って滋は背中を押す。
「さ、十二宮室に戻るわよ!」
「え、帰らねぇの?」
「せっかく全員揃っているんだから、ね?椿」
「う…うん」







「うわぁ、何これ?」
「滋がお仕事で余ったヤツもらって来てくれて…」
 十二宮室で椿が持って来た紙袋を開けるとナルが歓声を上げた。大きな箱に入っていたのは、プリザーブドフラワーの大きな青いブーケに真っ白なレースのヴェール。
「た、たまたま余ってたのよ!」
「うん、ありがとう、滋」
 あまりに素直に礼を言われ、滋は頬を赤らめた。
「結婚式しよ!結婚式!」
 ナルははしゃいで椿の頭にヴェールをつけた。
「おいおい、ここでかよ?」
 辰弥は照れて頭をかく。
「いいじゃない、どうせちゃんと式挙げる気なんてないんでしょ?ちょっと滋ちゃんメイクもしてあげて」
 リョウスケにブーケを持たせる。
 一〇分ほどして滋が満足げにメイクボックスを閉じた。
「よし、こんなもんかな」
「見て!辰弥クン!」
 振り返った辰弥は顔を真っ赤にした。
「どう…かな…?辰弥?」
 椿も頬を赤らめ上目遣いで肩をすくめる。辰弥は歩み寄って両手で両肩に腕を置いた。
「えーあーそういえばちゃんと言ってなかった」
「え?」
「結婚しよう、椿」
 椿は一瞬目を丸くしたが、温かく笑った。
「遅いよ、遅すぎだよ、もう…」
 少し背伸びすると辰弥の唇に口づけた。すると辰弥は額同士を合わせて微笑んだ。
「ヤベぇ……」
「?」
「……すげぇ嬉しい」





  それだけで十分だった
  それ以上など求めたことがなかった





 椿の瞳からポロポロ涙がこぼれ落ちる。
「あ〜、椿!そのマスカラ、ウォータープルーフじゃないのよ!」
「だって、だって……滋!」
「も〜、これだから、椿は!」
 泣きじゃくる椿の目元を慣れた手で拭く滋。
「ヤダ、困っちゃうよ……」
 涙を流しながら微笑んで椿は言った。
「どうしてこんなに幸せなんだろ」



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