
「そういえば、進路希望出しました?」
十二宮室に集まった面々は終業式までに済ませなければならないそれぞれの仕事に精を出していた。
「どうせ皆、楷明大でしょ」
永戸滋はあっさりと言う。
「永戸さんはモデル一本ではやらないんだ」
「現役女子大生、しかも名門楷明大モデル、ってのがいいんじゃない。つぶしも利くし」
「さっすが打算家ねぇ」
「つまんね」
それだけ言うと夏希は立ち上がった。
「そういえば きょうは みづきゆうかは?」
「ソフト部の地区予選決勝だって」
「ストラーイク、ゲームセット!」
審判の声に観客席からもベンチからもワァッと歓声が上がった。
「さすが部長!豪腕の左!」
マウンドで祐歌は得意げにニカッと笑った。
「よっしゃー、これで全国大会…」
ボールを持ち左手を振り上げた途端、ポロリとボールが手からこぼれ落ちた。
「あちゃー疲れてボールも持てんのかい、ウチ」
周りは爆笑して選手の一人が「しっかりしてくださいよ」と左肩を叩いた。
その時だった。
祐歌が声にならない声を上げ、左肩を押さえながらその場にうずくまったのは。
「暑いなぁ」
「うん、もう二度ほど冷房が強かったらいいのに…」
「地球温暖化対策。冷房は二十八度と決まっています」
「そんなの守ってるの、十二宮室だけだって」
「『みんながやってるから自分もいい』とでも言うつもりですか?」
男性陣の訴えもまゆりにあっさりと棄却され、肩を落とした。加藤稔と香我美真人はお互いに下敷きで扇ぎあっている。終業式と夏休みの校内イベントの打ち合わせで土曜日出勤のため、みんないつも以上にばてている。
「そもそも学校にエアコンなんて必要ない。私の行ってた公立中学は…」
「はよー、何やみんな早いなぁ」
「おはよ…ってどうしたの、その怪我!」
祐歌が部屋に顔を出すなり、まゆりが立ち上がった。祐歌は三角巾を肩から左腕に通し、左肩は分厚いサポーターで固められていた。
「昨日、試合でな。ウチの部、使えるピッチャーがウチしかおらへんから無理がたたったみたいや。大丈夫すぐに治るて。なんたって全国大会出場決まったからな!」
「全国大会?すご〜い!」
「そういえば今朝垂れ幕作るって先生がバタバタしてたな」
「でも利き手使えないと不便でしょ?」
「あ、ウチ、ソフトは左投げやけど、普段は右利きやから。ちっちゃい頃に矯正されたのが今頃役に立つとはなぁ」
あははは、と一人で笑う。
「ちゅーわけで、怪我が治るまで練習参加できんから今まで溜めこんどった運動部長宛の書類書いてまうわ。まゆり会長、出してもらえるか?」
「う、うん」
まゆりはバインダーを探しながら、祐歌の言動に違和感を感じていた。
「じゃぁ、これで書類は全部やから出してくるわ」
溜まっていた仕事を数時間で終わらせ、祐歌は立ち上がった。十二宮室の扉を開ける。次の瞬間
「観月先輩!お怪我されたって本当ですか?」
「これ、お見舞いです!」
「あー!私が先に渡すって約束でしょ!」
「そんなことより、これお守り作ったんです!」
「私も全国大会で先輩の活躍できる姿を…」
一体全体いつからいたのだろうか、かなりの数の女生徒が扉の前で待ち構えていた。
「あーうん、分かったから、ありがとありがと」
片手で持ちきれないプレゼントの数々。彼女たちが走り去るのを待って真人はすかさず紙袋を差し出した。
「お、ありがとさん」
ドサドサっと大小さまざまな贈り物を放り込む。
「モテますね、観月さん」
「まあな」
不意に笑顔が陰ったのに気づいた者はいなかった。
「観月さん」
「まゆり会長」
「観月さんも家こっちだったんだ」
「いや、普段は逆。今日は病院に寄ってくさかい」
全員が帰路について、まゆりは祐歌と肩を並べた。
「荷物持とうか?」
「だいじょうぶや、お気遣いなく。肩壊すんもようあることや」
「そうなの?」
「ソフトのピッチャーって一球投げるごとに肩の神経が何百本も切れるんや」
「うわ…聞いてるだけで痛そう」
「痛くはないんですて。だからこういうのも慣れっこ。ただ今回はインターハイが近いから念入りにしてもろただけで」
「そうなんだ」
「そ、だからお気遣いなく」
祐歌はニカッと笑った。
「まゆり、ちょうどよかった!手伝え!」
家に入るなりがっしりとした体格の父親が女性の肩を支え、道場から出てきた。
「小野さん!どうされたんです?」
彼女は小野香歩子という数少ない女性の内弟子の一人だった。慌ててもう片方の肩を支える。
「足が…」
捻挫だろうか、骨折ではないようだ。とりあえず応急処置はしてある。彼女をまゆりに任せ、父親は裏から車を回してきた。
「乗せろ!」
「あ、私も行く!」
「よし!乗れ!」
病院までスピード違反して真っすぐ向かった。
父親と小野が病室で診断を受けてる間、病院の待合室でまゆりは手持ち無沙汰に新聞を読んでいた。
ふとまゆりは目の前に立つ人影に気づいた。
「まゆり…会長……?」
「観月さん?」
腕に三角巾をつけたまま、そこにいたのは祐歌だった。
途端、祐歌の両目から涙が溢れ出す。まゆりがギョッとする間もなく祐歌はその場に泣き崩れた。
「観月さん!」
「……ウチ…もう……投げられへんのやて…」
「え?」
「ソフト…できへんて…センセーが……肩の腱が切れかけとうって……」
まゆりの足元に大粒の涙が零れ落ちる。
「あは…は……笑えるやろ…大阪からソフトやるために出てきて…親に心配かけて一人暮らしして…二年以上…ソフトばっかりやってきて…その顛末がこれや…う…」
祐歌は人目もはばからず大声で泣き崩れる。
「うわあぁああああ!嫌や!嫌や!こんなとこで終わるなんて!絶対嫌や!」
それはまるで赤ん坊のように。
「もっと…もっとソフトやるんや!大学でも…国体出て…日本代表なって…嫌やぁああぁぁ!」
叫ぶと三角巾を取り払った。
「こんな!こんなもん何の役に立つねん!安静にしとったらソフトできるんか!投げれるんか!」
「観月さん!」
二人のやり取りを目にした看護士が飛んできた。
「落ち着いてください!観月さん、こちらへ。少し休んでいましょうね」
祐歌は目を真っ赤にして力なく立ち上がる。
それと入れ替わるかのように父親と内弟子が処置室から出てきた。
「軽い捻挫だそうです。まゆりさんにもご心配おかけしました」
「いえ」
包帯を巻いた右足首を見る。さっきの泣き喚く祐歌の様子がフラッシュバックした。
「大事なくてよかったです」
「ほら、帰るぞ」
父親が先だって病院を出た。祐歌のことが気になったが、まゆりはそれに続いた。
「もう一週間になりますが、まだ観月さんはお休みですか?」
コーヒーをまゆりの前に差し出しながら伊賀リョウスケは言った。
まゆりは「ありがとう」と言ってから頷いた。
「メールの返事も来なくて、今日家に行ってみようかと思ってる」
「一人暮らしって言ってたから、何か食べるものお土産に…」
祐歌の住所の近くにあるスーパーでいろいろと買い溜めてからマンションに向かった。
「観月さんー」
インターホンを三回押しても返事はない。その代わり、隣の女性が顔を出した。
「観月さんなら一週間ほど前から入院してるそうですよ」
「入院?」
病院に着き、受付で病室を教えてもらう。外科五階のエレベーターに程近い病室を開ける。
「観月さん」
少々狭いが個室だった。祐歌の返事より先に、付き添っていた中年の女性が頭を下げる。面立ちがよく似ているところから祐歌の母親だと言われずとも分かった。おそらく大阪から駆けつけたのだろう。祐歌からの返事はなかった。
「祐歌のお友達でしょうか?」
「はい、十二…生徒会でご一緒させていただいている中務と申します」
祐歌も母親もやつれて見えた。ふいに祐歌の左手首に無数の切り傷があるのが目についた。
「観月さん!」
慌ててその手首を取る。
「肩の怪我は安静にしていれば治るとのことだったんですが、むしろこっちの方がひどくて入院ということに…。学校には言わないでということだったんで、欠席扱いになってしまってご心配おかけしました」
母親が深く頭を下げる。
「だってな…会長」
初めて祐歌が乾いた唇を動かした。
「もう何もできへんのやで…ちっちゃな頃から夢見て…努力して…その結果がこれや…笑えてしゃーない…もういっそ…」
祐歌の言葉が一瞬止まった。
「殺して」
パン
病室に音が響く。まゆりが祐歌の頬を打った音。
「死ぬなんて軽々しく言うな!私のお母さんはねぇ…最後の最後まで行きたい生きたいって死んで行ったのよ!そんなに死にたきゃ死ねばいいわ!ただしやれること全部やってからね!」
「……やれることなんて……」
「いっぱいあるでしょ!やれることも、やるべきことも!まず心配してる十二宮と、あなたを慕ってるクラスメートや後輩と、部活の連中に謝ってきなさい!まずは…」
言って隣できょとんとしてる女性を指差した。
「お母さんに謝りなさい。その次に私!」
祐歌は久しぶりに笑った。渇いた、失笑にも似た笑顔だったが。
「オカン…ごめんな」
その一言で十分だったのだろう。母親は顔を抑え泣き崩れた。
「まゆり会長も…心配かけて悪かった。明日から学校…行くから。加藤君には悪いことしたなぁ、運動部長の仕事って…やる人おらんとほとんど体育委員長に回るやろ」
ゆっくりと上半身を起こす。まゆりは慌ててそれを支えた。
「オカンにも迷惑かけて最悪やな、ウチ」
母親は大きくかぶりを振った。
「中務さん…ありがとう…ございます」
「ちゅーわけで」
十二宮室。三角巾をした祐歌が頭を下げた。
「ご心配おかけしました!」
「本当に心配したわよ!てかすごい痩せてない?ナルちゃん!お菓子の準備を!」
「らじゃ〜、ロールケーキとホールケーキどっちがいい?」
「う〜ん、両方!」
まゆりが初めてこの部屋に入ったときから十二宮室にあった中型冷蔵庫。冷蔵部分は私物の飲み物を入れるのに皆よく使っていたが、冷凍室はそういえば見たことがなかった。ふと覗くとそこには所謂『お取り寄せ品』なるお菓子がこれでもかと詰め込まれていた。恐らく…いや、間違いなくナルの仕業だろう。
「いや、ウチ部活やめるから、あんまり食べると今から太るっちゅーか」
「ナルのお菓子が食べられないとでも言うのか!」
「いえ…もうちょい少なめに…」
「でももったいないですね。辞めちゃうなんて」
「先生もそう言うて選手は外れても籍は置いといていいって」
「観月さんのファンの反応が楽しみだなぁ」
「いいんじゃない?夢なんていくつあってもいいんだし」
「というわけで、観月部長はレギュラーから外れることになりました」
顧問の言葉に『えー』という声が部員一同と祐歌の復活をかぎつけたファン一同から鳴り響く。
「せっかく全国行けてこれからなのに」
「ほんまごめん!後は皆で頑張ってほしい!」
深く頭を下げた。
「あと、もう一つ…もう一つだけ頼みがある」
「ネット中継見ろなんてどういうことだ?もう試合には出ないんだろ?」
祐歌を除く十二宮全員が十二宮室のパソコンの前に集まる。画面にはフルスクリーンで高校ソフトボール全国大会の実況が行われていた。昼からの二回戦が始まる「KAIMEI」と書かれたユニフォームでマウンドに上がったのは…
『あー!』全員の声が重なる。
「ゆ、ゆーかちゃん…」
「観月さん?」
「な、投げられねーんじゃなかったのかよ」
画面越しの動揺はよそに赤いシャツを着た祐歌は審判の「プレイボール」の声を合図に構えた。そして、腕を回して剛球を投げる。
「ストライーク」
全員が画面に見入っていた。ボールが返されると二球目のポーズに入る。
バッターは大きくバットを振り…。
「ストライク、ツー」
三球目、祐歌は息を切らしていた。
「がんばれ〜!ゆーかちゃん〜!」
ナルが涙目で届かない声を張り上げた。
大きく構えを取り、投げた三球目は、バッターに打ち取られ高く弧を描き真後ろの客席に吸い込まれていった。バッターがゆっくりと走り出す。
その間にチラッと映ったのは祐歌の満足げな笑顔だった。
敵のバッターがホームに帰るのを待ってから、一年のピッチャーと交代する。何かをささやいていたが聞こえなかった。
「楽しそうでしたね」
「これで観月も満足だろ」
「足掻くだけ足掻いたからな」
余談だが、試合結果は高校ソフトボール史上に残るんじゃないかというほどの惨敗だった。
夏休みに入っても十二宮に休みなどなかった。二学期に入ると行事が立て続けにあるためにその下準備をしなければならない。
祐歌は予定の一〇分遅れで十二宮室に入るなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。やはり『最後の一イニング』が効いたようで三角巾とサポーターがなかなか取れない。
「オカンからさっき電話があってな、迷惑かけたお詫びに大阪のウチに遊びに来んかやて」
「大阪?」
「来週ならウチ泊まれるて。皆で出かけた事なんてないやろ」
「でも仕事が…」
「一週間くらいでしたら蛇遣座にお任せ下さい。まだお盆ではないので皆出て来れるでしょうし」
仕事を手伝っていた高坂南が笑って言う。
「オレ新幹線代なんてねーぞ」
加藤稔が大きくため息をつく。
「そのくらいウチが出すて。もちろんまゆり会長の分も。あ、あとの金持ち連中は自費で来てな」
「まぁ、それなら…」
「皆、どっか行きたいとこあるか?」
「ナル、USJ行ったことない!」
「道頓堀!オレ道頓堀!」
「あそこは飛び込むための場所じゃないからな、加藤」
辰弥が頭を小突く。
「プールか海は?」
「観月さんがその腕では泳げないのでは?」
「ええよ、ウチ見とくから」
「え〜ダメダメ、皆で楽しめるところじゃないと!」
「なんだか二年生のとき、修学旅行の自由行動決めたの思い出しますね」
取石椿がフフフと笑った。
「そうそう、あの時はオーストラリアだったけどな」
「もうあんなこともないんだろうな」
「ゆーかちゃん、うまい棒何味がいい?」
「マジで修学旅行だな」
新幹線のボックス席三つを占領し、ナルは率先して駄菓子を広げる。
「だって、こんなことでもないと、こんなお菓子食べられないもん」
「出たよ、金持ち発言」
稔は大げさにため息をついた。
「えっと…とりあえずウチに行って荷物置いてから…一番近いのはひらパーか…でもこれは明日に…」
「観月さんって、そう言う段取り組むの上手いよね」
向かいに座る真人が笑って言った。
「そうかなぁ…あ、お菓子食べ過ぎたらあかんでー。オカンが夕飯作ってくれとうはずやから」
「はーい」
「何か先生みたいだ」
「先生……?」
「そうしっかりしてて、明るくて、人まとめるのが上手くて…向いてるんじゃない?誰からも好かれるし…」
真人はナルからもらった裂きイカの封を開けながら笑った。
「……先生か…」
夕方になって連れて来られたのは広い和風建築の家だった。
「古いけど、わりかし大きいやろ。さ、入って入って」
言わない間に祐歌の母親が奥から出てきた。
「いらっしゃい!疲れたでしょう?どうぞ」
「お邪魔します」
「いえいえ、こちらこそ祐歌がいつもお世話になって…。お夕飯の準備できてますから」
慌ただしく案内する。全員が順番に深々と頭を下げた。
豪勢な夕食を終えると長旅で疲れきった一同はぐっすりと眠りについた。男女は別だが広い客間に雑魚寝である。全員が眠ったのを見計らって、祐歌は客間を抜け出した。
「オカン、ちょっとええか?」
台所で片付けを終えた母親に声をかける。
「ウチ、卒業したらスポーツ推薦で大阪の大学戻ってくるつもりやったけど、この肩じゃもうそれも無理やし、やっぱり楷明大に行ってもええかな?」
母親は目を丸くした。
「東京は過ごしにくいって言ってたじゃない。大阪で普通の大学行ってもいいのよ」
「うん、東京はしんどいけど一緒におりたい連中がおる」
祐歌は微笑む。
「あの生徒会の人たち?」
「うん。ウチ、取り巻きやチームメイトはようけおったけど、ソフト抜きにして話が出来る連中は始めてなんや」
「……友達ができたのね」
「せや、最高の友達ができた」
「観月さん!」
後ろから祐歌は抱きつかれた。
「ま、まゆり会長!」
「ドア開ける音で起きちゃった。ありがと」
「今の話、聞いて…?」
顔を赤らめる祐歌をまゆりは離さなかった。
「私もさ、特待生で、十二宮の会長約束されてて、高校入ってからは対等な友達っていなかったんだ。友達って言ってくれてすごく嬉しい!」
「……せやな…」
首に回されたその手を右手で握った。
そして痛々しい傷のついた左手首を差し出す。
「この傷な一生痕が残るらしいんや。一生ついて回るらしいんや。こんなウチでもええかな?こんなバカなことしたウチでもええかな」
「もうそんなことしない?」
「うん、自分から死にたいなんてもう言わへんから。絶対に死のうなんて考えないから…一緒にいてほしい…」
観月の目から涙がこぼれ落ちた。
「また何かにめげたり、挫折すると何があるか分からんけど…でもその時はまた叱ってほしい。それで…一緒に…生きてほしい…」
涙を拭おうともせずにまゆりの手を強く握った。
「友達に…なってほしい…」
祐歌は消え入るような声を漏らす。
「友達じゃん」
そこに割り入ったのは辰弥の声。まゆりと祐歌が振り返ると、そこには残りの十二宮全員が立っていた。
「言ったでしょ。観月さんは誰からも好かれるって」
真人がにっこり笑う。
「もうこうなったら十二人一蓮托生なんですから」
椿も微笑んだ。
「だからもっと頼りなよ。私らじゃ頼りないかもだけど」
滋がまゆりの横から祐歌を抱きしめる。
「大丈夫ですよ。観月さんなら」
亮良が念を押すように言った。
「ウチ…ウチさ……先生になりたい……」
「先生?」
「楷明の先生…それで体育教えるんや…」
「ステキ!」
ナルが声を上げた。
「すごくステキ!絶対なって!」
「じゃあ教育発達学部か…。俺と同じ学部だ」
「香我美、先生になるわけ?やめとけ、生徒に苛められるぞ」
「学部は同じだけど幼児教育科。保父さんになろうと思って」
「あー、何かそれなら分かる」
「うん、幼稚園児にさえ、なめられる保父さん」
「ち、ちょっと待ってよ!何でなめられるの前提?」
「だってさぁ」
「だってねぇ」
「香我美、あのでっかい会社どうすんだよ」
「俺、長男だけど姉さんいるから。性格的にも姉さんの方がそういう仕事向いてるから僕は好きなことしようかなぁと」
「じゃぁ、大学でもよろしゅうな、香我美君」
笑って祐歌は右手を差し出した。
「よ…よろしく」
真人はその手を握った。
「観月さん」
まゆりは祐歌の正面に回って手を握った。
「どうして十二宮に他の生徒とはちがう制服があるか知ってる?」
「え?他と区別するためじゃ…」
まゆりはかぶりを振った。
「正確にはね『他と区別して、一般生徒の盾になるため』」
「何それ?」
そこにいたまゆり以外の全員が目を丸くした。
「皆もあの制服になってから、他校の生徒にからまれる事増えたでしょ。どうやって切り抜けてきたかはそれぞれだと思うけど」
それぞれが目を見合わせて頷く。
「あの目立つ制服は楷明の代表ですよ、エリートでお金持ちですよ、って印。まぁ私みたいな特待生はお金ないんだけど、着ているだけで他校からは鼻につく存在なの。でもそうやって的になる分、一般生徒は狙われにくくなる。それで守っているの、生徒全員を」
「そんな話…」
「私も館林先輩から聞いて初めて知った。けれど知らず知らずのうちにそうして生徒を守ってきた私たち…観月さんには十分先生をやって行く資格があると思うわ。何年かあとに楷明に戻ってきて、今度は十二宮になった生徒にそれを教えてあげて。挫折して命も投げ出そうとする子がいたら泣いてでも叩いてあげて。それは私たちの誰でもない、痛みを知って先生になる観月さんにしか出来ない事よ」
力強くまゆりは言う。
「ウチにしか…出来るかな……ウチに」
「できるかどうか じゃない するんだ」
夏希が静かに続けた。
「私も頑張るから、何かを残せる十二宮にするから、それを受け継いで」
「僕からもお願いする。観月さん。昼にも言ったけど、絶対に観月さんは先生に向いてると思うから」
真人が笑いかけた。
「そうそう、思うわよね」
「ゆーかちゃんが担任だったら絶対嬉しい!」
異口同音に声が上がる。祐歌は改めて母親の方に向き直った。
「な、オカン。最高の友達やろ?」
母親は目を潤ませながら何度も何度も頷いた。
「皆さん…祐歌の事、よろしくお願い致します」
「今日は道頓堀食い倒れツアーだ!」
「え?USJじゃないの〜?」
翌朝、遅く起きた稔とナルの意見が食い違う。
「いや…一週間の予定表作ってコピーしといたから」
A4の用紙を全員に配る。
「いつの間に?」
「マメー!観月さんって大ざっぱそうに見えて実はA型?」
「いや、O型やけど…とりあえず今日はひらパーに行こうかと…。ウチから一番近い大型プール。遊園地もあるし」
「え〜、だからゆーかちゃんも一緒に楽しめる所じゃないとダメだって〜!」
ナルがブーッと口をとがらせる。
「ウチはもう子供の頃、飽きるほど行っとるし今日は問題児の監視員」
そうして、ナルを指差す。
「問題児ってナル〜?」
「いや、全員かな。というわけで行くよ〜、皆」
「もう引率の先生だ」
全員が口々に笑い合った。
「おかえりなさい。焼けましたね、先輩方」
一週間後、十二宮室に戻ってきた役員を一人で書類をファイリングしていた高坂南は笑って出迎えた。
「一週間遊び呆けてたからね。ありがとうね、高坂さん。さて、仕事モードに切り替えないと」
南はマジマジと祐歌の全身を見回す。
「観月先輩、嫌な事言ってもいいですか?」
「な、何や?」
「太りました?」
一瞬の沈黙の後にドッと笑い声が響く。
「そ……そんなこと…」
お腹をなで回し言葉に詰まる祐歌。
「ダメですよ〜、運動部辞めたばっかりの人が食べすぎちゃ」
「や、辞めないもん!受験勉強ないなら卒業までコーチやらないかって、顧問に言われてるさかい!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
「…それでも運動量が減る事には違いないんですから、もっとバランスの取れた…」
「あーあー、聞こえへん聞こえへん!な〜んも聞こえへん!ウチはコーチやって運動するんや!」
『夢なんていくつあってもいいんだし』
まゆりの言葉を心の中で反芻して。
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