天球儀 ep.3 五月「双子座の退行」




「まっゆり〜、おはよ〜」
「おはよ……」毎朝聞きなれたその声にまゆりは返事をし、その姿を確認し、ギョッと目を丸くした「ナル!その制服!」
「だってナルにはこっちの方が似合うもん。かわい〜でしょ〜?」
 ナルは本来ふくらはぎも隠す長さの制服の十二宮向けのスカートを、ひざ上一〇センチまでばっさりと切り落としていた。
 見せびらかすようにクルリと一回転すると、まゆりの顔を覗き込んだ。
「何やってるのよ!」
「元に戻せって言われても戻せないもんね〜。いいじゃん、普通の制服もミニスカートなんだし〜」
「そういう問題じゃないでしょ!買い直すように業者さんに言うから!」
「え〜、やだやだ〜」
 ゴールデンウィークも終わり、五月病が生徒たちの間に程よく蔓延した気だるい皐月晴れの日。まゆりはその時考えもしなかった。
 突飛な行動に出た彼女に降りかかる災難を。







「まったく!一体全体どういうつもりかね?」
「申し訳ありません。私の監督不行き届きで!すぐに買い直させます!」
「まゆりが謝ることないよ〜。ていうかナルが勝手にやったんだから〜」
 廊下でばったりと会った教諭が、ナルの制服を見て懇々と説教を始めた。ふてぶてしい態度を通すナルに代わってまゆりが必死に頭を下げる。
「今日から須磨(すま)くんが戻ってくるのに、そんなことでどうするんだ?」
「須磨?」
 聞きなれない名前に顔を上げると、ナルの表情は途端に険しいものになっていた。
「拓海(たくみ)は関係ないです!」
 挨拶もなしに教諭を素通りして行った。
「すみません、失礼します」
 深々と頭を下げ、まゆりはその後を追った。







「ナル!ねぇ、ナルってば!」
 肩を怒らせ廊下を歩くナルはまゆりの静止も聞かずに、ズンズンと教室に向かう。まるでビルを踏み潰し進むゴジラのよう。縮尺はかなり小さいが…。
「『須磨くん』って誰?」
 肩をつかんだまゆりの右手を振り払う。ナルがまゆりを拒絶するなんて初めてのことだった。
「ナル?」
「もうすぐ分かるわよ。須磨拓海がどんなに嫌な奴か」







「須磨拓海です」
「というわけで今日からこのクラスで一緒に勉強する須磨くんだ。中学生の時から今までアメリカに留学していたので、分からないことも多いと思うが仲良くするように」
「よろしくお願いします」
 朝のホームルーム。担任教諭と並んで立った少年は深々と頭を下げた。つややかな黒髪と、男性とは思えない白い肌。さわやかな笑顔に既にKO負けしている女子も少なくない様子だった。







—「須磨くん!」
—「アメリカのどこに住んでたの?」
—「やっぱり、英語ペラペラ?」
 一限目の休み時間、女生徒に早速質問攻めにされている様子をクラス中の男子は面白くなさそうに眺めていた。
「よさそうな人じゃない、須磨くん」
 それ以上に不機嫌な顔で眺めるナルにまゆりは声をかけた。朝の態度から教室までナルの様子を見に来たのだ。
「あれがあいつのやり口なの!いい?絶対に信用しちゃダメだからね!」
「やり口って…」
「須磨くん、聞いちゃっていい?彼女とかいる?」
 一人の女生徒の言葉に拓海はにっこりと笑った。
「彼女…というか婚約者ならいるかな」
 その場が一斉にざわつく。
「どんな人?」
「う〜ん」
 答えもせずに席を立つと、つかつかとナルの横に立ち頭を抱き寄せた。
「こんな人」
『えー!』校舎中に響き渡るような声で女子全員が、まゆりも含め、声を上げる。
「ちょっと!恥ずかしげもなくバラさないでよ!」
 ナルは拓海の手を振り払った。
「いーじゃん、本当のことだし」
「本当のことだから嫌なの!あ〜も〜これだから男って!」







「ああ、須磨くんな。酒本さんの婚約者の。戻って来たんや?」
 十二宮室で観月祐歌はあっさりと答えた。ナルは『用があるから』と放課後には姿を消し、十一人になった部屋でまゆりは事の顛末を話した。
「初等部から楷明にいる人には結構有名ですよね。なにせあの酒本の婿養子になる方ですし」
 取石椿は全員分の紅茶を煎れながら笑った。
「婿養子?そういえば、私知らないんだけど、ナルの家って何してるの?」
 どこかの社長とも旧家の娘とも聞いたことはない。というか、そういうように見えない。
 それを聞いて、まゆり以外の全員が目を合わせ、沈黙する。
「え?何か聞いちゃいけないことだった?」
「……『極道の妻たち』」
 金城辰弥がポツリとつぶやいた。
「へ?」
「えっと…つまりは『そういう』家の娘でして……なので先生もクラスメートもあまり強くは言えないというか…」
 伊賀リョウスケが付け加える。
「でもまゆりさんに言ってなかったのって意外ー」
「『そういう』目で見ない友達が貴重で、それであんなに会長に懐いてたんじゃねーの?」
 永戸滋が爪を磨きながら言った言葉に、加藤稔が続けた。
 まゆりの頭の中には龍の刺繍を施した着物にさらしをつけ、片方だけ肩を出しながら睨みを効かすナルの姿がひどく滑稽に描かれていた。
「何より関わらないのが身のためですよ、会長」
 紅茶をまゆりの前に置きながら矢井田桂子は忠告した。
「うん…でも…」
  ガチャリ
 十二宮室の重い扉が突然開かれた。
「中務会長はいるか?」
「はい、なんでしょう」
「十二宮の双子座の件で話がある。会議室まで来てくれ」
『酒本ナル』の件でなく『十二宮の双子座』の件?その場の全員が首をひねった。







「やだやだやだ!絶対ヤダ!」
 第三会議室にはドアを通り抜けてナルの高い声が響いていた。
「ナルは認めないからねっ」
「ナル?」
 そこにいたのは教員数名とナルと須磨拓海だった。ナルはまゆりの姿を見つけると胸元に飛び込んできた。
「まゆり!聞いて!拓海がバカなこと言うの!」
「馬鹿なことだなんて。僕はただ、普通に考えてこうするべきだ、と提案しているだけですよ」
 拓海は笑顔を崩さずに平然と言う。
「僕が『双子座』になるべきだ、と」
「あなたが…双子座に……?」
「成績は編入試験を見ていただければお分かりかと思います。ナルより遥かに優秀ですよ」
 差し出されたのは小さな紙。そこに点数が羅列してあった。ほとんどの教科が百点、またはそれに近い点数で。正直、自分でもこんな点を取れる自信がない。
「そして、六月二日生まれ。確実に双子座にふさわしいかと」
「だーかーらー、ナルが双子座ってもう決まってるの!替えたりなんかできませんよね、先生!」
「酒本の言うことももっともだが…そもそも双子座は成績優秀者の多い十二宮候補激戦区で…確かに学年末試験の結果が決め手になって酒本が十二宮になったが…」
 話を振られた教諭は言い淀んだ。優秀な拓海を手放したくないのだろう。まゆりにも彼が十二宮に入るメリットは十分に分かった。
「中務会長はどう思われます?」
 拓海が笑顔で尋ねてきた。
「正直、魅力的ではあるわね。ただ……」
「でしょう?」
 まゆりが全部を言い切る前に、拓海が言葉を割り込ませた。いや、否定論が出る前に打ち切った、という方が正しいか。つくづく計算高い男だ。この計算高さと笑顔は館林を思い起こさせた。
「会長もこう言ってることだし、な、ナル」
「認めない!」
 ナルは叫んだ。
「認めない認めない認めない!これだから拓海は嫌いなんだ!ナルのほしいもの全部取って行っちゃう!なんでまゆりもそんなこと言うの?まゆりはナルの味方じゃないの?拓海はナルからまゆりまで取っちゃうの?」
 大粒の涙を拭おうともせずに短いスカートの裾を握りしめる。
「そりゃナルは拓海やまゆりに比べたらバカだよ!成績も皆に比べたら悪いし、可愛いからってスカート短くしちゃうような奴だよ!でも賢いのがそんなに偉いの?賢かったら何してもいいの?ナル、こう見えても十二宮入るためにすごくすごくがんばったんだよ!入れたとき、すごくすっごく嬉しかったんだよ!それをそんなにあっさり降ろされちゃって…何…だったのよ……あの…日々は……」
 最後は言葉にならない様子だったが、両腕であわてて涙を拭うと教諭とまゆりと拓海を時計回りににらみつける。そして力強く会議室のドアを開けると、走って立ち去った。
 まゆりは追いかけようとしたが、かける言葉がないことを知り、立ち止まる。拓海が満足げに笑っているのが、ひどく不愉快だった。
「双子座の件、もう少し待っていただけますか?」
 教諭にそう告げ、拓海の顔を一瞥した。







「これで一週間だっけ?酒本がガッコ休んでるの」
 十二宮室で天球儀をくるくると回しながら稔が言った。
「九日になります。騒がしい人がいないと静かで落ち着きますね」
 顔にありありと「せいせいする」と書いている矢井田桂子が紅茶を口にした。しかし日数を正確に覚えているあたり、意外と彼女も気にしているのだろう。
「メールしても返事ないし、電話も出ないの。大丈夫かな…。家行ってみようかな」
「やめとけ、会長。言っただろ?『そういう』家なんだって」
「でも……うん!やっぱり行く!」
「大丈夫ですか、会長?よかったら皆で」
「……わたしは ごめんだ あんな ろりきゃらが ひとり がっこうを やすんだから なんだと いうんだ」
 妹尾亮良の案に辻夏希が冷酷に返す。
「うん、大丈夫!友達の家に行くことの何が悪いのよ!」
 自分に向けてのエールを送り、まゆりは強く頷いた。







(……お城?)
 今年の始めにもらった年賀状に記載されている住所にたどり着いたのはいいが、そこにあるのは果てしない石垣だった。しかも普通の和風邸宅よりも明らかに高く造ってあるので中の様子も窺い知れない。
 かなりの距離を歩き、ようやくたどり着いた門は寺社のような木造の門構えだった。中の邸宅もまゆりの想像をはるかに超える広さだ。平屋だが、家の端から端を見渡して、ため息をついた。門の横には力強い筆遣いで『酒本組総本部』と書かれている。
(酒本組って…本当に……)
 今まで半信半疑だった事実を突然目の当たりにし、まゆりはいささかの目眩を覚えた。
 門の奥で庭掃除をしていた大柄な男がまゆりの姿を見て近寄ってくる。
「そんなに組が珍しいか、姉ちゃん?」
(ここでひるんじゃダメだ!)
「い、いえ……私、酒本ナルさんの友人の中務まゆりと申します。よろしければナルさんにお取次ぎ願えないでしょうか?」
 しっかりと丁寧に頼む。
「お嬢の?ちょっと待ってな」
 男は持っていた竹箒を石塀に立てかけて家の中に入って行った。
 五分ほどして男は戻ってき、ぶっきらぼうに「ついて来な」とだけ言って屋敷のに向かう。まゆりはそれに続いた。玄関で出迎えてくれたのは、ナルに似た顔立ちで、高そうな、しかしありふれたワンピースを着た女性だった。一目でナルの母親だと分かる。
(和服じゃないんだ)
 いわゆる『極妻』をイメージしていたが、童顔で明るそうな人だ。緊張がドッと解けた。
「わざわざご足労いただいて申し訳ありません。娘の部屋にご案内しますね」







 案内されたのは長い廊下を渡って三番目の部屋だった。
「ナル、お客様よ。中務さんって方。心配して会いに来てくださったの。開けなさい!」
 言って襖を叩く。
 少しの間をおいて、ナルは襖を人一人分入れるだけ開け、まゆりの腕をつかむと中に引き込んだ。
 少し振りに会うナルは少しやせて、髪はボサボサのままだった。
 疲弊したその様子にまゆりはかける言葉が見つからない。
「あ、あの……」
「……二年前……」
 かなり広い部屋で閉ざされたカーテンを見ながらポツリとナルは話を始めた。
「一年生のとき、苛められてたナルをまゆりは助けてくれたよね?その時からずっと思ってたんだ。まゆりは何があっても裏切らないって。まゆりさえ側にいれば他に何もいらないって。なのに…」
 まゆりの目を厳しく見据えた。
「まゆりまで拓海に取られるの?」
「取られないから!」
 ナルの細い両肩を押さえてまゆりは声をあげた。
「私はいつだってナルの味方だから!」
「…ナルの…味方…ホントに?」
「うん、だから探そう。ナルが幸せになる方法を」
 まゆりは力強く頷いた。







「拓海がほしいのはね…要はこの組。だからお兄ちゃんも追い出した」
「お兄さんいるの?」
 まゆりには初耳だった。
「元々、婚約者ってのはナルたちが生まれるよりずっと前に親同士で決めた口約束みたいなもので、お兄ちゃんが跡を継げば何の問題もないはずだった。もちろん婿養子なんてとらなくていい。それを拓海がそそのかして、お兄ちゃんが趣味でやってたギターを『プロ顔負けだ』とか調子のいいこと言って褒めて、お兄ちゃんはバンドやるって家を飛び出しちゃったんだ。それきりどこにいるのかも分かんない」
「じゃあ……」
 かぶりを振るナルにまゆりは手を差し出した。
「戦おう!」







「あー、六月のイベント合わせの本、絶対に無理!もうヤダ!」
「投げ出す暇があったら手を動かす!」
 悲鳴に似た声が飛び交う漫画研究部の扉をそっと開けた。
「お忙しそうですね」
「い、伊賀会計!」
「ちょっと瑣末な話があって各文化部を回っているのですが、そんなにお忙しいのでしたらまた…」
 その辺に散らばった原稿やらペン先やらを慌てて片付ける。
「い、いえ!大丈夫です!何でしょうかお話って」
「署名を集めているんですが」
 伊賀リョウスケの言葉に漫画研究部の部長は眉をひそめた。
「署名?」







「そう、ウチの書記の存続を求める署名。運動部にくばっとるんや。強制ではないけどなるべく書いたってくれへんかなぁ?特に野球部さんは人数多いから名前貸してくれると助かるんやけど」
 観月祐歌は甲子園予選に向けた初夏の練習で汗だくになった野球部長に慣れた様子で声をかける。
「委員長の頼みじゃ断れないですね。部員に聞いてみますよ」
 祐歌より頭一つ高い男子生徒はペコリと頭を下げた。
「ありがとさん。さて、次はラグビー部か」







「なぁ、頼むよぉ」
「署名ったって、十二宮の書記ってあの煩いだけのチビだろ?俺らにはかんけーねーし、第一好みじゃねーし」
 昼休み、弁当を食べる友人に加藤稔は手を合わせた。帰宅部の知り合いを当たっているのだが実はこれで四クラス目だ。友人の多さには自信があった。
「この署名表埋めないと会長に素手で頭蓋骨叩き割られるんだよ」
 友人の箸を動かす手が止まる。
「……大丈夫か?十二宮?」







「え〜、何で金城君があんな子のために署名集めて回らなきゃいけないの?」
「今の会長ちょっと人使い荒すぎない?」
 女生徒二人は顔を見合わせるが、金城辰弥は二人の肩に手を当てて顔を近づけた。
「そんな意地悪言うコ嫌いだな、俺」
「え、い、意地悪なんて言ってないわよね!」
「そうよ!…まぁ金城君の頼みなら…」
 頬を赤らめながら髪をかきあげる。
「断れないわよね」
 辰弥は内心ガッツポーズをしながら笑顔で署名の紙を差し出した。







「署名って、ああ、そういえば十二宮が集めて回ってるって言ってたなぁ」
「ね、だから協力してくれない?」
 廊下で永戸滋は男子生徒に用紙を渡す。
「でもいくら永戸さんの頼みでも、厄介ごとはな」
「ダメ…でしょうか?決してご迷惑はかけませんので」
 滋の後ろからおずおずと取石椿が姿を出した。
「と、取石さん!」
「書きます!書きます!」
「お、俺も!」
「俺が先だぞ!」
「あ、ありがとうございます!」
 椿が深々と頭を下げる。
「な〜んか腑に落ちないんだけど…。高慢な高嶺の花より愛らしい野の花のほうがいいってヤツ?」
 滋が恨めしそうに椿を見た。







「失礼します」
 職員室の扉を開けると入口の一番近くにいた教諭が立ち上がった。
「辻さん、妹尾君。何か用か?」
 妹尾亮良は謙虚な態度で笑顔を見せた。
「えっと十二宮の双子座続投の件で署名を集めているのですが、よろしければ先生方にもご協力願えませんでしょうか?勿論無理にとは申しませんが、この辻夏希は続投に非常に意欲的です」
 言って、夏希をずいっと前に立たせる。教諭は二、三歩後ろへ下がった。無表情を崩さず夏希は教諭をじっと見上げる。
「わ、分かった。職員室で回してみよう」
「よろしくお願いいたします」
 亮良は終始笑顔を絶やさず頭を下げた。







「矢井田さん。なにやら十二宮で署名を集めてらっしゃるそうね。あなたは参加なさらないの?」
 華道室で菖蒲を生けながら女生徒は無表情な矢井田桂子に声をかけた。桂子は眉をひそめる。
「私は馬鹿馬鹿しいと思っていますから。署名なさりたいのでしたらそのうち文化部担当の人がまわってくると思います」
「相変わらず冷たいのね」
 女生徒はクスクスと笑った。
「私語は慎んでください」







 数日後、『生徒会長権限』で午後の授業をサボり、昼休みに学校を抜け出したまゆりは重い鞄を持ってナルの家に向かった。
 今度は一番にナルの母親が出てくれ、すぐに快く部屋に案内してくれる。
 ナルの顔色は相変わらず冴えず、それでなくとも小柄な少女がいっそう小さく見える。
「ナル!」
「まゆり…」
「学校行こ!」
「……でも…ナル…」
「大丈夫だから!これ!」
 まゆりは学校指定の革鞄から辞書ほども厚みがあるかという紙を取り出した。
「十二宮の皆が集めてくれたの。ナルを双子座に留まらせる署名。全員じゃないけど生徒だけじゃなくて先生の分もある」
 きっぱりと言い放った。
「もう一度言うよ。戦おう!」
 ナルは大粒の涙をポタポタと零した。
「やだよ…拓海に会いたくない…」
 涙を袖で拭いながら、ナルは呟いた。
「…怖い…」
 それは初めて聞いたナルの本音。
「怖いよぅ…拓海なんて嫌いだ……男の子なんてみんな嫌いだ…。自分勝手でナルの欲しいもの全部取っちゃって…お兄ちゃんみたいに好きになったらいなくなって…。だから拓海も好きになるもんか…。拓海がいなくならない限り学校にも行かない」
「逃げるの?」
 それはまゆりの後ろから聞こえてきた。いつからそこにいたのだろう。矢井田桂子が佇んでいた。
「や、矢井田さん!どうしてここに?」
「『風紀委員長権限』で不登校生徒を取り締まりにきました」
 そんな無茶が通るとは思えない。恐らくサボりだろう。
「そうやって嫌な事から全部逃げて引きこもるなら止めないわ」
 言うと、つかつかと部屋に上がり部屋の最奥にかけてあったミニスカートの生徒会制服をハンガーごと外した。
「まだこれを置いてあるってことは生徒会、やりたいんでしょう?わざわざ須磨さんの来る日に会わせてスカート丈を自分の好みにしたってことは生徒会に少しでも長居したいってことでしょう?」
 ナルに制服を突き出す。
「だったらやって見なさいよ。署名なんて力にはなるかもしれないけど、周りが動くだけよ。自分が動かなくてどうするの?」
 強い口調で言い放った。
「バカバカしい。こんな所に引きこもって何が出来るって言うの?ほら、着替えなさい!」
「で…でも……」
「須磨さんが嫌いなら嫌いで私は一向に構わないわ。関係ないもの。でも書記の座が空白で迷惑をかけているのは誰?須磨さんに譲るなら譲る、居座るなら学校に来て仕事する。どっちかにして。あなたのやってるのはただの我が儘よ」
 こんなに喋る桂子を見たのは、まゆりもナルも初めてだった。
「戦いなさい」
 ナルはごしごしと顔を拭くと、着ていたチュニックを脱ぎだした。痩せた体に少し大きくなってしまった制服だが、ゆっくりと着替える。
「まゆり…」
「ん?」
「やっぱりナルにはミニスカートの方が似合ってるよね?」
 力なくフフフと笑った。
「何言ってるの?落ち着いたら買い直してもらうから」
「何度でも短くするもんね」
「まったく…ホラ、髪の毛もボサボサ。櫛ととリボンどこ?」
 ナルが引き出しから取り出した大きなピンクのリボンとブラシつきのドライヤーを受け取ると、ナルの髪を梳き始めた。
「それでは会長、私は須磨さんに放課後会議室に来るように言ってきますので」
 桂子は部屋から出て行った。
「いい人だね、矢井田さん」
「むー、もうちょっと言い方があると思うけどなー」
 不満げな言葉だが笑って言ってる所を見るとそれなりに感謝はしているのだろう。
 まゆりはナルを鏡台の前に座らせると、髪を優しく梳き始めた。
「……ナルはさ…私に助けられたって言ってたよね。でもさ、私もナルに助けられたんだよ」
「え?」
「私、入学した時から特待生の牡羊座でさ…十二宮の会長の座、約束されてたから、妬まれたり、遠巻きに見られたりばっかりで…味方なんて一人もいなくて、正直心細くて、毎日学校に行くのが怖かった。でもナルは違った。どんなときでも笑って泣いて、何のてらいもなく真っすぐに感情をぶつけてくれた」
 まゆりはやわらかい微笑を浮かべる。
「ナルを苛めてた奴らボコボコにした時も暴力事件だって騒がれて怖がられて先生から退学にさせられかけたら、ナルは必死にかばってくれたよね。あれは殴られた連中が悪いんだって、何度も職員室や校長室に通い詰めて訴えてくれて…。あの時のナルがいなかったら私は今ここにはいない。そんなナルに私は………」
「……まゆり」
(私は…どれだけ…一体どれだけ救われたことだろう)
「だから、私、今のナル見てられないよ。また私の隣で笑って泣いて鬱陶しいくらいにつきまとってよ」
 ナルの大きな瞳からまた涙がこぼれだす。
「ね、ナル」
 数十分かけてナルのツインテールにリボンをつけると、少し弱く笑って鞄を持った。
「行こうか、戦いに」
 ナルの言葉にまゆりは付け足す。
「忘れないでね、ナル。一人でする戦争なんてないんだから」







「お集まりいただきありがとうございます。今日お話ししたいのは他でもありません。十二宮双子座交代の件です」
 会議室にナルと拓海、そして担当の教諭を呼び、まゆりは口を開いた。
「それならもう決まったようなものでしょう。成績や素行だけでない。彼女は二週間以上も学校を無断欠席するような人だ」
 拓海は苦笑した。
「確かに須磨くんの仰るとおりです」
「なら……」
 来た。話の部分だけをとる論破法が。
「須磨くん、申し訳ありませんが、まだ話は終わっていません。発言を控えていただけますか?」
 ここで怯んじゃダメ。今度こそ伝えなければ。自分の言葉を。
「須磨くんの言動は酒本さんの気持ちを全く考えていません。人の気持ちを推し量ることの欠如、そういう点で彼には問題があるかと思われます。酒本さんは行動こそ突飛ですが、常に周りを明るくさせてくれます。そんな人材が十二宮に一人は必要です。少なくとも私はそう考えています」
「そんな理屈が……」
「そんな理屈が通る十二宮にしたいと私は考えています。多少の無理はこの私の権限で通します」
 長い黒髪を翻し、きっぱりとまゆりは言い放った。
「ナル…頑張るよ!十二宮の仕事、頑張って…一年間やり通したいの!まゆりがいて皆がいる今の十二宮が大好きだから!」
「本人のやる気と交代の必要性のなさ、そして何より生徒会長権限です」
「そ…そんな理屈が…」
「もう一度言います。そんな理屈は通します。どうやら須磨くんは理解力にも乏しいようですね」
  バンッ!
 机を思いきり叩く大きな音がこだました。まゆりはいつになく強い目で拓海を見据える。
「私の十二宮引っ掻き回したきゃ、ナルに認められる程度の男にはなって出直して来いって言ってるんだよ!」
 凄むまゆりに拓海は思わず口をつぐんだ。
 数十秒の沈黙が流れ、拓海が席を立つ。
「だ、誰があなたのような人が会長を務める十二宮に入ってやるものですか。それでなくとも僕が優秀な人間である事には変わりないのですから」
 捨てゼリフを吐くと、会議室からつかつかと出て行った。







「会長、酒本さん、お疲れ様でした」
「本当に疲れた〜」
 十二宮室に戻るとまゆりは皆のねぎらいもろくに聴かずにぐったりと椅子にもたれた。
「やっぱり性に合わないわ。人にはっきりもの言うって」
「ありえね〜。会長のほうが降板したほうがよくね?」
 言う稔にナルが跳び蹴りをぶち当てた。
「ナルの恩人に失礼なこと言うな!」
「まぁまぁ、酒本さん」
「あ、その前に…」
 ナルは全員に向かって深々と頭を下げた。
「この度はご迷惑をおかけしました。それからありがとうございました。まだまだ未熟者ですが遅れた分の仕事はしっかり取り返させていただきます」
「なんだ。普通の事言えるじゃん」
 加藤稔が口笛を吹いて自分の胸元ほどしかないナルの頭をゴシゴシと撫でた。
「あー、やめて!せっかくまゆりにセットしてもらった頭なんだから!」
 稔の足を何度も蹴る。
「そうだ、準備始めましょうか」
 永戸滋はなおも稔を蹴り続けるナルを取り押さえながら、周りに目配せをした。椿と辰弥は備え付けの小さな冷蔵庫から大きなホールケーキとペットボトルの大瓶二本を取り出す。リョウスケは棚から皿に盛られた菓子を取り出し、ラップをはずした。
「な、何?」
 まゆりとナルは急に慌しく動く周りに動揺を隠せなかった。
「十二宮でバースデーパーティーすると毎月になるからやめろって中務さんは言ってたけど今回だけは大目に見てくださいね」
「え…あ!」
 ナルは思わず声を上げる。
 五月二八日、椿が運んできたケーキの真ん中にはチョコレートのプレートに『Happy Birthday Naru &』…
「え?」
「何でしょうか、用って?」
 十二宮室に拓海が顔を出した。
「お、主役その二の到着だ」
 稔に背中を押されるままにテーブルの空いてる席に座らされた。
「誕生日もうすぐだろ、だから一緒に祝うってことで」
「いや〜!」
 ナルが幽霊でも見たかのような声を上げた。
「なんで?十二宮とは関係ないじゃないの!」
「そうですよ。俺も願い下げです!」
 喚く二人には構わず、テーブルの真ん中に鎮座したケーキには『Happy Birthday Naru & Takumi』と書かれていた。ジュースとウーロン茶を交互に注ぎながら、まゆりはポツリとつぶやく。
「双子座同士ってそんなに相性悪くないのよね、実は」







ー後日談。
「部屋に入るくらいいいだろ?」
「ダメ〜!ここは十二宮室!十二宮とその人に用のある人以外入っちゃいけません〜!」
「用ならあるって、ナルに……」
 入り口の引き戸を開けようとする拓海と閉めようとするナルが押し合いをしていた。
「結局、須磨くんって酒本さんのこと好きなんやろになぁ」
「好きな子ほどいじめたくなるって、あれかね」
「そうそう。で、エスカレートして逆に嫌われちゃうっていう」
「しょうがくせい れべる」
「お兄さん追い出したのも酒本さんと結婚したかったからよね、絶対」
 ナルを除いた十一人が和やかな空気を漂わせながら、十二宮室の名物となった(未来の)夫婦漫才を楽しんでいた。
「いい天気…」
 窓ガラス越しに雲ひとつない空を見上げながら、桂子が言った。リョウスケが微笑んで言う。
「明日も明後日もいい天気だそうですよ」



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