天球儀 ep.2 四月「牡牛座の出来心」




 電車の長いトンネルをくぐる時いつも不安になる。
 雨は降っていないだろうか。
 ちゃんと学校に着いているだろうか。
 あの人は…







 茶色のしなやかな髪をひるがえして、強かに笑うのだ。
 無愛想な顔をしながら、それでも「おはよう」と言うと必ず笑って「おはよう」と返してくれる。
 あの瞳が好きだ。
 あの佇まいが好きだ。
 始業式の今日、久々に会えるのが楽しみでならない。
 校門をくぐったところで、軽く肩を叩かれた。
「おはよう、香我美くん」
 そう、この声が好きだ。
「おはよう、中務さ……」
 真人の瞳が一瞬止まる。そこにいたのは見慣れた茶の髪ではない。
「中務さん…黒髪……?」
 黒髪を後ろに結び、笑う少女。
「染めたの。変かな?」
「い、いや変じゃないけど、髪も服も前と違うからびっくりした」
 まゆりはクスクスと笑って駆け出した。
「服が違うのは香我美くんもじゃない。早く行かないと始業式の打ち合わせ間に合わないわよ!」
 白いロングスカートが風に揺れた。







「今日、まゆりが挨拶するんでしょ。楽しみ〜」
 教諭と始業式の打ち合わせを終えたナルは軽い足取りで黒髪のまゆりの腕にしがみついた。
「あ、その前にクラス替え見て行こ〜」
 三年の学年掲示板の前には、まだ早い時間にも関わらず大勢の生徒が集まっていた。
「えっと〜」
 後ろから低い背で何度もジャンプしてナルは貼り紙を見る。
「あ、あった!ナル三組だった!まゆりは?」
「えっと、理系だから…」
 まゆりは背伸びして理系クラスの名前だけを見る。
「八組だ。矢井田さんと同じクラス」
「ええっ!」
 場所をわきまえないナルの絶叫が轟いた。
「八組って校舎違うじゃない!」
「うん、仕方ないよ。文系と理系だもん」
「矢井田さんにいじめられるよ!」
「それはナルだけ」
 ムーッと頬をふくらませて何かを考えていた文系のナルは鞄からおもむろにマジックを持つと、人波をかき分け貼り紙の前まで行った。そして自分の名前と桂子の名前に棒線を引くと『入れ替え』と矢印を引く。
「これでよし!」
「何がいいのかしら?貴女に数Ⅲが解けるの?びっくりだわ」
 いつの間にそこにいたのだろう、桂子はナルの後ろに立つと思いきり拳を振り上げた。







 その人ごみの隅に立って、これまた文系の真人はふぅとため息をつく。
「仕方ないと言えば仕方ないんだけど…やっぱりクラス離れちゃったなぁ」
 自分の名前が四組にある事を確かめて頭をかいた。
「香我美くん」
 真人は声をかけられ振り向いた。
「観月さん、加藤くん」
「同じクラスやて。よろしゅうな」
「あと辻もだ。よろしく」
「あ、よ…よろしく…」
 加藤稔は笑って大げさに頭を下げる真人の肩を叩く。
「そんな堅くならんでもいいだろーが。ていうか十二宮は推薦があるから基本的に楽な推薦コースなんだよな。文・理に分かれてるだけで。実際、酒本、永戸に金城、取石が三組で中務会長と矢井田が理系推薦か」
「うん……でも、あれ?妹尾くんと伊賀くん特進コースや」
 観月祐歌が顎に手を当てる。
「外部受験するんやったら十二宮なんて断ればええのに」







 天球儀の鎮座する十二宮室のテーブルを見つめ、まゆりは口を開いた。
「というわけで始業式も無事終わりました」
「中務会長が啖呵切っただけだったけどな」
「うるさいです、加藤くん」
 ツッコミを入れた加藤稔に全く表情を変えずに返す。
「で、次は来週明けの…といっても明々後日ですが…ともあれ入学式です」
 金曜日なので、終末に蛇遣座にも頼んで準備するつもりだ。
「始業式の準備はほとんど先生任せでしたが、入学式は十二宮に一任されています。つまりこれが実質的に十二宮の初仕事です。段取りは行事実行委員長の辻さんに任せてありますが大丈夫ですか?手伝うこととか何も言われてませんが…」
「うるさい まかせろ」
 辻夏希は漆黒の眼を微動だにさせず答える。終業式から声をかけていたのだが、ずっとこの調子だ。
「ぜんぶ まかせておけ くちだしすんな」
「う〜ん、では無理のないように。何かあったらすぐ携帯に」
「なんども いわせるな まかせろ」
「はい。あとこれは余談なのですが…」
 無表情な夏希だが、こう断言するからには何か根拠があるのだろう。困り顔でまゆりは話題を変えた。
「『中務さん』ってのは言いにくいと思うので『まゆり』でいいです。毎年同級生にもそう頼んでいます。たった一人、何度言っても『中務さん』をやめずに二年間過ごしていた強者がいましたが……」
「言われてんぞ、香我美」
 真人の隣に座っていた金城辰弥が肩を叩く。
「え?え?俺のこと?」
 慌ててキョロキョロする真人『鈍っ!』そこにいた全員が口にこそ出さずとも眉をしかめた。
「でもさぁ」
 加藤稔が椅子にもたれかかり唇をとがらせる。
「俺ヤだぜ。彼女でもない女、名前で呼ぶの」
「ま、まあ…」
 妹尾亮良が空気を変える言葉を切り出した。
「『まゆり』って呼びづらい人は『会長』とかでもいいってことで…」
「妹尾くんにサンセー」
「右に同じ」
「まぁ妥当だよな」
「ナルは相変わらず『まゆり』って呼ぶけどね〜」
 その言葉に全員が納得した様子だった。
「つまんね」
 雑然とした会話を打ち切ったのは夏希の低い声。
「かえる」
 鞄を持ってガタリと席を立つと乱暴に引き戸を開け、立ち去って行った。
「お、おい夏希!ちょっと待て!すみませんが、俺もこれで失礼します」
 亮良が慌てて後を追う。
「じ、じゃあ、今日はこの辺で解散します」
 言うと、それぞれ席を立った。







「う〜ん、凹むなぁ」
「辻さんのこと?大丈夫だよ。蛇遣座には頼んであるんでしょ?」
 帰り道、一人でボヤくまゆりに真人は声をかけた。
「それもあるけど妹尾くんの方が絶対人をまとめるの上手い」
「無理もないよ。彼は中等部の時から委員とかやってたもん。ちなみに前蛇遣座の会長」
「よく知ってるわね」
「僕も係とかよく押し付けられてたから」
 ふぅと息をつくと、まゆりは伸びをした。
「でもやっぱりなぁ…館林先輩に教わった一ヶ月を無駄にしてるみたいで」
 真人は少し顔をしかめた。
 その時
「おい」
 聞き覚えのない声に二人は振り返る。深緑のブレザーにベージュのズボン。明らかに他校の制服を着崩した同年代の男子三人が腕を組んで立っていた。
「あんたら、その制服、楷明の生徒会だろ?」
「え?」
「えっと…その制服、弘英?」
 戸惑う真人と落ち着き払ったまゆり。
 男子の一人がまゆりの襟首を掴んだ。
「金持ってんだろ、お嬢ちゃんが」
「ないわよ、ホントに。こっちがほしいくらいだわ」
「中務さん!」
 あっさりと言い放つまゆりを止めに入る真人。
「やめろ……!」
  ドカッ!
 一撃で倒れる真人。
「何だ?この弱っちいの?」
「あー、もー、しょーがないわね」
 不良の一人に首根っこを掴まれ意識朦朧とする真人。そんな真人に苛立を隠さずまゆりは髪ゴムをほどいた。
「相手してやるわよ」
「何…」
 一人が言うか言わないかという間にロングスカートを翻した踵落としが脳天を直撃する。
「ヤス!」
「このアマ、下手に出て…」
「…ないでしょーが、全然!」
 言いながら右肘で一人のみぞおちを叩き、左手で真人を掴んでいた男の腕を強く掴む。
「痛ぇ!」
 思わず手を放し、地面に叩き付けられる真人。構わずに手を掴んだまま背負い投げる。
「な、何だ!こいつ?」
「に、逃げるぞ!」
 ヨロヨロと立ち上がる三人。
「伝えときなさい!今後、楷明の生徒に手を出したら生徒会長が許さないって!」
 叫ぶまゆりに真人は頬を染めた。
「大丈夫?香我美くん?」
「う、うん、ありがと、中務さん」
「だからまゆりでいいってば。ったく情けないなぁ。立てる?」
 まゆりは真人に手を差し伸べた。真人はその手を一瞬ためらった後、握り、立ち上がる。
「そうだ、お礼と言ってはなんだけど明日つき合ってよ」
「え?」
「入学式の準備。やっぱり土曜…明日、学校行かない?心配だしさ。男手が一人でも多い方が助かるかもだし、副会長としてついてきてよ」
「分かった、中務さん」
 笑ってバンバンと背中を叩いた。真人は思わずよろめく。
「だからまゆりだってば」







 土曜の朝九時、校門の前で真人は待っていた。時間ちょうどにまゆりがやってくる。
「もー香我美くん、来るの早すぎ!」
「そんなに待ってないよ」
 談笑しながら講堂の扉を開けた。
 まゆりと真人は目を見開く。
 講堂の入口近くで夏希の小さな体が垂れ幕を両手で抱えた姿勢のまま横になっていた。
「辻さん!」
 まゆりの声に夏希はムクリと上半身を起こした。
「………ねてた」
「蛇遣座は?」
「あんな やつら じゃまだ かえした」
 無表情に言い放つ。
「まさか、あなた一人、一晩で…」
 垂れ幕がほとんどかけられ、備え付けの椅子はきれいに磨かれていた。
「この会場を…?」
「だって ひとりで やらなきゃ だれも たすけて くれない ひとを あてにしちゃ……」
 夏希はヨロヨロと立ち上がり、垂れ幕を抱え直した。が、力が出ないのだろう、垂れ幕は床の上に落とされる。
「バカ!」
 まゆりは声を荒げた。
「何のための十二宮よ!何のための蛇遣座よ!困ったって言えば誰でも助けてくれるのに!」
 夏希は目が覚めたように、漆黒の瞳を見開いた。
 その隙にまゆりは両手で華奢な体を抱き上げる。
 夏希はあからさまに動揺する。
「香我美くん」
「これ私のケータイ」
「わわっ」
 乱暴に投げられた赤い携帯を慌てて真人は受け止めた。
「辻さん保健室に寝かせてくる。そこの『十二宮』てフォルダに全員のメアド入ってるから、十二宮と蛇遣座の高坂さんに連絡して来てもらって」
「わ…分かった」
 まゆりは素早く夏希を抱えたまま踵を返した。
「でも、保健室って鍵…」
 真人の質問にポケットから一つの鍵を取り出した。キャラクターのキーホルダーをぶら下げた、どこにでもある鍵だった。
「生徒会長特権、マスターキー」
「そんなものいつの間に……」
 質問には答えず、夏希を抱えて講堂を駆け出した。







(えっと…)
 携帯のアドレス欄から『十二宮』のフォルダを開いた。
(十三件?)
 十二人、いや、まゆり自身の分を除いて十二宮は十一人のはずだ。それに蛇遣座の高坂さんを合わせて十二人。残りの一人は誰だ?
 思いつつ携帯を見る。
 一番最後に書かれた名前に真人の顔は凍り付いた。
『館林センパイ』
(前会長?)





—「館林先輩が…」
—「先輩に送ってもらうからいいよ」
—「先輩って、やっぱりすごいですねー」





 まゆりの笑顔が思い浮かぶ。
 いつも館林の後ろを歩いていたまゆりの笑顔が。
 もう先輩は卒業したんだ。
 アドレスなんて必要ないはずなのに。
 なのにどうして眼前に映る?
 あの得意げな笑顔が。
 そうだ、必要ないんだ。

 携帯を打つ真人の指が勝手に動いていた
『3—105 館林センパイ』を消去しますか?
 携帯の画面が尋ねてくる。真人は眉をひそめ、一瞬のためらいの後『YES』のボタンを押した。ピーっという電子音が誰もいない講堂に響いた。
 同時に講堂の扉が開かれる。
「お待たせ。メール送ってくれた?」
 真人は思わず肩を震わせる。
「あ…それが…人の携帯って扱い分からなくって…」
「もーしかたないなぁ」
 まゆりが少し苛立った顔で、真人の手から携帯を取り返した。
「あれ?」
 まゆりは目を丸くした。
「館林先輩のアドレス消えてる…。昨日見た時はあったのに…。香我美くん何かした?」
「え…いや…その……」
 曖昧な答えにまゆりは顔を紅潮させ、声を荒げた。
「したのね!香我美くんが先輩のアドレス消したのね!どういうつもり?悪ふざけにもホドがあるわよ!先輩に恨みでもあるの?」
「あ…ああ、あるよ!何だよいつも先輩先輩って!」
 逆ギレした真人に、まゆりは苛立の歯ぎしりをした。
「もういい!もう知らない!」
 声を上げると講堂を飛び出した。
「あ…」
 自己嫌悪
「最悪だ」
 床に膝をついて、頭を押さえた。







「夏希が!」
 数十分ほど経っただろうか。突然の声に顔を上げた。そこには息を切らし切羽詰まった様子の妹尾亮良がいた。
「夏希が何かご迷惑をおかけしましたか?」
「い、いえ別に…。今は保健室で寝ています」
「そうですか。よかった…」
「ていうか、どうしてここに…?」
「え?会長からメールが…入学式の準備手伝うようにと…」
(あぁ、ちゃんと招集かけてくれたんだ)
 間をおかず二つの影が現れる。
「俺ら一番乗り?あ、妹尾がいたか。てか会長は?」
 金城辰弥と取石椿が並んで現れた。
「あ…うん。来賓席に椅子並べていってくれる?」
「了解、ほら椿。始めるぞ」
「まゆりいないの〜?せっかく急いで来たのに〜」
 次いで来たナルが不満げに頬をふくらませる。
「す、すぐ戻ってくると思うから……」
「そう?じゃぁ始めるね。お花の準備ができてないね」
 手早く壇上に上がる。
「休日くらい寝かせろよ、てめーら」
 Tシャツにジャージ姿で加藤稔が現れた。
「ごめんごめん」
 次はソフトボール部の赤いユニフォーム姿で観月祐歌が顔を出す。
「部活で目の前のグラウンドおったのに、メールに気づかんかった」
「すみません、遅くなりまして」
 伊賀リョウスケが頭を下げた。
「皆様、お早いですね。申し訳ありません。車が混んでいまして」
 リムジン通学が当然と言わんばかりで、急いだ様子もなく矢井田桂子が姿を現す。
「え?私、もしかして最後?ごめんね!お仕事抜けられなくて!」
 慌てて顔の前で手を合わせたのは、永戸滋だった。







「まゆり!」
 しばらくの間を置いて、まゆりが高坂南を連れて現れた。
「今そこで高坂さんに会ったよ」
 日頃のポーカーフェイスのせいで怒りを引きずっているのかも分からない。
「蛇遣座の他のメンバーもすぐ参ります」
 南は軽く頭を下げた。
「あ…あの…中務さん…」
「さぁ皆、始めようか。女子は看板を男子は垂れ幕を用意して」
(あ…怒ってる)

 真人の言葉を無視したまゆりに、がっくり肩を落とした。







「おーい、椅子まだ余ってるぞ」
「お花紙ってどこにあるの〜?」
 蛇遣座が十人ほど加わり、ザワザワと賑やかになる。
「垂れ幕って、これかぁ?」
「加藤君って……」
 自分の背よりも大きな、丸めた垂れ幕を担ぎながら滋は加藤に尋ねた。
「ガテン系の仕事、似合うよね」
「ああ、バイトしてっから」
「楷明に通っててバイト?」
 まゆりは振り返った。
「俺、会長と同じでビンボー特待生だから。親いねーから生活費はバイトで稼がなきゃならねーんだよ。日雇いでガテンもするし、今はコンビニと深夜のラーメン屋だけにしてるけど。それに、楷明だからってバイトしてねーとは限らねーぜ。そこの永戸だって金持ちだけどバイトしてるし」
「バイトじゃない!お仕事よ!」
「ああ、モデルやってるって…」
「そっ!本気でやってるんだからバイトなんて言わないでよ!」
 滋は得意げにポーズを取ると髪をかきあげた。







「よし!」
 埃まみれの仕事を片っ端からこなしていった稔はTシャツを払いながら倉庫から出てきた。
「大人数でやると早いな〜じゃっ」
「あ、あの加藤君」
「どしたんだ、会長?」
「ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど…」
「俺に?」
「できれば、みんなに…」
「ぼ、僕も」
 真人が小さな声を上げた。
「中務さんと同じ話で…」







「判決!」
 ナルが真人を睨みつけた。
「香我美クンが悪い!」
「そ、そんな、はっきり…」
 妹尾亮良が恐る恐る口を挟んだ。
「だって見るだけじゃなく、データ消すって〜」
「うん……軽率だった……」
 真人はしょんぼりと肩を落とす。
「そうやってしょぼくれてたら許されるって思ってるのが、またイライラするの!」
「まゆりさん、そんな怒ったら二の句も継げないじゃない」
 取石椿が怒ったまゆりをなだめた。
「だ、だって…私でも同じことしちゃったかも……」
「うわ、怖っ!」
 おずおずと言った椿に、滋はニヤリと笑って叫んだ。
「気をつけなよー、金城君ー」
「べ、別に本当にやるとは言って…」
「分かってるよ」
 慌てて否定する椿の頭を金城辰弥は軽く抱き寄せた。
「大丈夫だよ、こいつは。それに見られて困るものもないし」
「あーあ、当てられただけか」
 つまらなそうに滋は伸びをする。
(この二人つき合ってたんだ)
 顔を赤くする椿と自信ありげな辰弥を交互に見てまゆりは息をついた。
「もう帰るわ、私。お仕事もあるし」
 滋は不満げに立ち上がった。
「では、私も帰ります」
 矢井田桂子も座っていた椅子から腰を上げる。
「会長」
 しかめっ面でまゆりを一瞥した。
「大事なものなら渡さなきゃいいじゃないですか。こうやって皆を集めて同情を惹こうってつもりでしょうが、私に言わせれば同罪ですよ」
 言うと携帯を取り出し、車を校門まで回してもらうように手短に伝えた。
「何あれ!超ムカつくんだけど〜!」
 ナルは叫ぶように言う。
「俺も昼からバイトだから帰るわ。香我美も帰んね?これ以上いても女どもに矛先向けられるだけだぜ」
「う、うん」
 加藤の言葉に真人は頷いた。
「じゃあ、僕らも…」
 リョウスケと、辰弥、亮良も一緒に立ち上がった。







「逃げたわね」
「うん」
 一斉にいなくなった男性全員の背中を眺めながら椿と祐歌が頷く。
 祐歌はまゆりの肩を叩いた。
「ウチも部活戻るけど、ウチの考えとしてはケンカ両成敗かな。そんだけ香我美くんに好かれとうちゅうこっちゃ」
 少し困り顔で笑う。
「好かれとうって何で?」
 まゆりがキョトンと目を丸くする。
「え?なんでって……まさか気づいとらへんかった?」
「だから何を?」
(鈍っ!)そこにいたまゆり以外の全員が同時に同じことを思う。
「……あなた達、お似合いだわ」







 駅に向かう道でも、真人の全身から暗いオーラが出っぱなしだった。
「まーまー、そんなに重く考えなさんなって」
 稔が頭を軽く叩く。
 辰弥もそれに続けた。
「そうだぜ。別にそれで誰かが死んだわけでもあるまいし、やめね?こういう通夜的空気」
 リョウスケも頷いた。
「そ、そうですよ。会長だって鬼じゃないんですし」
「いや、鬼だ」
 暗い空気のまま、真人はポツリとつぶやいた。
「…一年の頃、酒本さんが苛められてたことがあったんだ。その時ホウキ片手に五、六人をボコボコにして…その形相が鬼みたいで…」
(怖ぇ)真人以外の三人がまゆりにだけは逆らわないでおこうと心に固く誓った。
「でも…その立ち居姿がカッコよくて好きになったんだ」
「あいつってドM?」
「っぽいな」
 辰弥と稔が真人には聞こえないようにささやいた。







(また長いトンネルだ)
 一人、路線の違う電車に乗った真人は暗いトンネルで真人は窓に映る自分を見て、大きくため息をついた。
「大丈夫ですか?」
 不意に声をかけられ顔を上げる。
「君は…えっと…」
 よく知った少女だが名前が出てこない。
「高坂です、蛇遣座の。あんまりあからさまに悩ましげだったので、つい声をかけちゃいました」
 凛とした瞳の少女はあっけらかんと言った。
「会長とケンカしたそうですね」
「うん、悪いことしちゃったなぁ」
「なら、そう言えばいいんですよ」
「え?」
 高坂南は切れ長の瞳で笑った。
「『ごめんなさい』ってちゃんと言いましたか?」
 真人は目を丸くした。
(『ごめんなさい』って……)
「偉そうなこと言ってすみません。でもそれだけは伝えたくて」
 南は深く頭を下げた。それを待っていたかのように電車は速度を落とし駅に止まった。
『若葉台ー若葉台でございます。お降りのお客様は…』
「あ、私ここなんで失礼します」
 南の早足な後ろ姿を見ながら、真人は駅の窓から広がる青空を眺めていた。







 トンネルを いつの間にか抜けていた。
 そうだ 伝えなきゃ 自分の気持ちを。
 話を聞いてくれる
 相談に乗ってくれる人たちのためにも。
 僕が決めないで誰が決める?







「まゆりさん」
 住宅街で声をかけられたまゆりは振り返る。
「取石さん」
 そこにいたのは取石椿だった。
「帰り道こっちだっけ?」
「いえ、違うけどちょっと寄り道。まゆりさんと話したくって」
「私に?」
 椿はまゆりの顔色を伺いながら口を開いた」
「今日のこと……香我美くんの…その……許してあげない?」
 まゆりは腕を組んでそっぽを向く。
「だって向こうが悪いのよ。フツー、データ消す?」
 椿は苦笑して首を傾げた。
「でも…すごく反省してたじゃない。香我美くん、まゆりさんのこと好きなんだもの。それくらいしちゃうわよ」
「それくらいって…」
「好きなら好きなだけ後先見えなくなるの。そういうものじゃない?人を好きになるって。私はそう思いますよ。まゆりさんだってそうじゃないですか」
「え?」
「館林先輩とお付き合いし始めてから、すごく表情が豊かになりましたよ。自分でも気づいていませんでしたか?」
 まゆりは顔を真っ赤にして後ずさる。
「な…っっ!?どこでそれを…!?」
「知ってましたよ、きっと皆。分かりやすいですもの、まゆりさん」
「………………」
 押し黙るまゆりを見て椿はフフフと微笑んだ。
「館林先輩のことも香我美くんのことも。まゆりさんはどう思うか分かりませんが、私は今のまゆりさんが好きです。今のまゆりさんに会長でいてほしいです。それで、みんな一緒に仲よくやって行きましょうよ…なんて私の勝手な理想ですか?」
 椿の笑顔にまゆりは大仰にため息をついた。
「………………まぁ」
 そして、軽く笑う。
「それもそうかな…」
 まゆりは髪をかき上げる。
「……大人だね…。敵わないや…取石さん」
「そんなことないですよ。単にお節介なだけだってよく怒られます」
「金城くんに?」
「はい、あと滋にも」
「もっと聞かせてよ、あなたたちのこと。幼馴染みってホント?」
「ええ、そうです。よかったらお茶でもして行きますか?」
 2人は足取り軽く歩き出した。







「…………」
 保健室のベッドで重たそうにまぶたを開き。
「にゅうがくしき!」
 夏希はガバッと上半身を起こした。
「もう準備は終わったよ」
「え……あ……あきら…」
 横で本を読んでいた亮良が笑って答えた。本を閉じ、硬い髪を撫でる。
「がんばったね、夏希」
 夏希は頬を赤くし、俯いた。
「がんばれて ない がんばれ なかったよ」
 ポタポタとシーツに涙がこぼれ落ちる。
「ひとりで がんばらなきゃ いけなかったのに」
「そんなことない」
 亮良は優しく笑う。
「僕は夏希の力になれて嬉しかったよ」
 夏希の涙を拭うと肩にシーツをかけた。
「ほら、もう少しお休み」
 その声に夏希は赤ん坊のように目を閉じた。







「中務さん!」
 月曜日、登校してきたまゆりを真人は捕まえた。
「香我美くん『まゆり』だって何回言えば分かるの?」
「で…でも……あ、そんなことより、これ……」
 まゆりが渡されたのは一枚のメモだった。見てみると英文の羅列と番号が書いてある。
「何、これ?」
「大学部に行って小紫先輩に聞いた館林先輩のアドレス」
 一瞬の沈黙の後、まゆりは腹を抱えて笑い出した。
「え……何…?」
「こんなの履歴見て、とっくに復旧してるわよ」
「へ?」
「相変わらず生真面目ねぇ」
「で、でも……その…ごめんなさい!」
 深く頭を下げる真人にまゆりはまた笑った。今度は優しく微笑んで。
「けど、まぁ、ありがとね」
 メモを受け取り胸ポケットにしまう。
  言おう 言わなきゃ。
「俺、中務さんのこと、ずっと前から好きでした」
 少しの間をおいて、今度はまゆりが頭を下げる。
「ごめん。館林先輩のこと忘れられない」
  瞬殺
 覚悟はしていたが……。
「で、でも…それじゃ…勝手に…好きでいてもいいですか?」
 まゆりの顔が一気に紅潮した。俯きながら小さく頷く。
「う、うん…」
「ありがとう」
 真人は微笑み右手を差し出した。
 まゆりは目を丸くして優しく微笑う。
 真人の頬が染まる。
 そして、まゆりは笑顔でその手を強く握る。





  もうトンネルは 怖くない



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