天球儀 ep.1 三月「牡羊座の始動」




2010年2月







『私立楷明大学附属高等学校 特待入学生試験 面接会場』
 そう書かれた扉の前でセーラー服姿の少女は高鳴る鼓動を抑えようと必死だった。
(落ち着け、落ち着け、学科試験はよかったはずだ。人の字を呑むなんて迷信よ!)
 考えれば考えるほど気持ちは高揚する。落ち着こうと長い髪の毛先を手櫛でそろえたりしても静まらない。
「次の方、どうぞ」中から中年の男の声がした。
「は、はい!」
(ドアノブが右側だから左手で持って、ドアを開けるときは、ゆっくりと静かに。中に入ったら右手でノブに手をかけて、開けたときと同じようにゆっくりと静かに閉める)何度も頭でシュミレーションして来た通りにドアを開け、一礼する。
「受験番号七〇二番・中務(なかつかさ)まゆりです。よろしくお願いいたします」
 穏やかそうな中年の男性が二人、比較的若い女性が一人長机に並んでいた。真ん中の男性が椅子を手で指し「どうぞおかけください」と笑顔で言う。
「失礼します」
「早速確かめたいのだが、君は四月十日生まれ、牡羊座で間違いないね?」向かって左側の男性がおそらく入学願書であろう紙を見ながら尋ねた。
「え…は、はい、そうです」
(あれ?なんで最初にこんなこと聞かれるんだろ?)志望動機や特技を頭の中で羅列していたまゆりは首をひねった。軽い話題で緊張をほぐそうとしてくれてるのだろうか。
「実にいい!文句のつけようがない!」
「へ?」男性の声に思わず気の抜けた返事を返してしまった。しかし向こうはそれを気にする様子はなく続けた。
「学力試験の結果も内申書も申し分ない!しかも四月生れの牡羊座だ!」
「あの…その牡羊座って…」
「中務まゆりさん」疑問符だらけの少女の声を遮って、上機嫌で今度は女性が続けた「当校に入ってからも勉学を決して怠らないこと、そして三年になったら十二…生徒会に入ること。これを約束してもらえるならば、ぜひあなたを特待生として迎え入れたいです」
「本当ですか!」思わぬ答えにまゆりは思わず立ち上がって髪を揺らした。
「頑張ります!よろしくお願いします!」言って晴れやかな顔で大きく頭を下げる。







 その時の私には知る由もなかった
 「生徒会」のもつ意味を









十二宮





名門私立楷明大学附属高等学校の生徒会の通称
その構成メンバーは三年生十二人





選ばれる条件は十二それぞれの星座であること
選挙などはなく成績と普段の素行から決められる





役職については牡羊座は生徒会長、というように
十二人各々に星座で役割が決められている
占星術の性格診断に基づいて決められた役割である





この『十二宮』を一年務めあげた生徒は
全国屈指の総合大学・私立楷明大学へ
特待生として無条件推薦が約束される









2年後・2012年3月1日





「まゆり〜」
 朝、教室に入った途端にに突如背中から抱きついて来たのはピンクのリボンでツインテールにした小柄な少女だった。
「ナル、重いって!」
 とてもではないが、もうすぐ高校三年生になるようには見えない、小学生と言っても通りそうな少女が平均体重より重いわけがない。だが、それでも負ぶさられたらそれなりの重みがある。
「おはよ、まゆり〜」
 ナル、と呼ばれた少女はまゆりの言葉を聞かず、抱きついたままほおずりした。
「まゆり〜掲示板見た〜?学年末もトップだったよ〜。さすがナルのまゆりだ〜」
 ナルを振り払ったまゆりは、さしたる感銘もなく頷く。
「もう見たわよ。ナルだって四位だったじゃない」
「でもでもね〜、ナルは〜二十位くらいになることもあるし〜。今回はたまたま四位になれたけど〜まゆりはいっつもトップじゃない〜!」
 少女はオーバーに腕を振る。
 まゆりは相変わらずのポーカーフェイスだ。普段は喜怒哀楽が少ないわけではないが、ナルはこうしてあしらうのが一番いいと知っている。
「私は貧乏な特待生だから成績落ちるとこんな金持ち学校退学になるの」
「それでもすご〜い!でもねでもね〜ナルも〜今回のテストは特別頑張ったんだ〜。だってね…」
「朝っぱらからベタベタと女同士で気持ち悪い」
 一方的な会話を打ち切ったのは、つややかな長い黒髪の少女だった。美しい容貌なのに、眉間にしわを寄せ不機嫌さを隠そうともせず教室に入って行く。
「なによ〜矢井田さん、隣のクラスでしょ」
 ナルが眉をひそめ言い返す。
「プリント届けるの頼まれたの。そうでなきゃ誰がこんなクラスに…」
 言うと抱えていた紙の束を教卓の上にバサリと置く。それだけで用は済んだのだろう、早々に立ち去ろうとする。
「だからって感じ悪〜」
 頬を膨らませるナルとは対照的に、クラスの男子の大半は惜しそうにその後ろ姿を見つめていた。
「でも彼女三位だったでしょナルの負け。プリントありがとう矢井田さん」
 まゆりの言葉に矢井田桂子(やいだけいこ)は振り向きもせず、軽く手を挙げた。
「む〜女は成績じゃないもん〜!ね〜香我美クン〜?」
「え?」
 たまたま近くの席にいた香我美真人(かがみまこと)は突然話を振られ、あからさまにうろたえた。
「えっと…う…うん…そうだね…あ…でも中務さんみたいに…勉強できる人も素敵だし…でも…」
 気の弱い少年が懸命に答えを探す。
「あ〜も〜はっきしない男って嫌い〜いくら成績二位でも〜」
「ご…ごめんね……そう…だよね」
「も〜いいよ〜香我美クンに聞いたナルがバカだった〜」
  ガラリ
 教室の扉が開かれた。
「えっと…中務まゆりさん、香我美真人くん、酒本(さかもと)ナルさんはいるかな?」
「館林会長!小紫委員!」
 扉から現れたのは、整えられた黒髪に長身の青年と三歩下がって目を伏せる女生徒。
 しかし一目で他の生徒と違うのが分かった。
 普通の生徒は、男子は詰め襟、女子はセーラー服。どちらも濃紺の地味なものだ。
 だが館林と呼ばれた方は白いブレザー、小紫と呼ばれた女生徒は真っ白で長いワンピース姿。二人の胸元には、それぞれ牡羊と牡牛を象ったエンブレムがついている。
(白制服…とうとう来たか十二宮)
 憮然としたまゆり、戸惑いを隠せない真人、心底嬉しそうなナル。三人が教室の入口に集まる。
「ちょっと来てもらえるかな?」
「でもこれからホームルームが…」
「先生には話通してあるから」
 有無を言わさない。
(ソツはなしですか、顔は好みなんだけどな)
「分かりました」
「冷めてるね、リーダーシップの『牡羊座』なのに」
「私、占いには興味ありませんから」
「そんなことじゃこれから苦労するよ。君は『十二宮』を背負うんだから」
「やっぱりそういう話ですか」
 まゆりは大きく息をつく。







 三人が連れてこられたのは『生徒会室』の上から『十二宮』と書かれた札のぶら下がった部屋だった。
「遅いわよ、会長」
 普通の教室くらいの広さのある部屋に大きなテーブルが置いてある。真っ先にまゆりの目を引いたのはテーブルの中心に据えられた半透明の大きな丸いもの。
(地球…いや天球儀?)
「ごめんごめん。来るの渋られてさぁ」
「ウソ!渋ってない!」
「大丈夫。会長の虚言癖はいつものことだから誰も信じない」
「事実、行く途中で購買部に寄り菓子パンを二個食べてい…」
「ふ、小紫さん!秘密だって…!」
「ほら、もう皆待ってるわよ」
 射手座のエンブレムをつけた女生徒が手を叩いた。五人がテーブルに座ると、少し窮屈になった。恐らく普段は十二人で広やかに使っているのだろう。そこに一度に倍の人数が座れば無理もない。真人はせいいっぱい体を小さくしていた。





  ここで一年が始まる
  進んでやろうじゃない蛇の道を
  私の夢のために





「じゃあ、自己紹介と行こうか。まず牡羊座から」
 まゆりは少し緊張しつつ頷いた。
「次期会長の中務まゆりです。よろしくお願いします」
「う〜ん、違うなぁ」
 館林が首をひねる。
「まず必要なのは『星座』」
 そう言ってまゆりの前で指を振った。
「あ…牡羊座です」
「よし!次は…君だっけ?」
「えっと…はい…」
 立ち上がったのは真人だった。
「まさか…香我美くん…牡牛座…?」
「はい、すみません…」
「穏やかで慎重で努力家。まさに牡牛座の手本だね」
 館林は付け足した。
「いえ、えっと…次期副会長・牡牛座の香我美真人です。どうかよろしくお願いいたします」
  ガンッ
 真人は頭を深く下げすぎて、机に思いきり頭をぶつけた。辺りから失笑や嘲笑が聞こえる。
「あはは…す…すみません…えっと」
「次行きま〜す!」
 頭を抑えて困りきった真人をかばったのか、それとも本人のペースなのか、恐らく後者だろう、ナルが手を挙げた。
 真人は「すみませんすみません」と言いながら席に着く。
「はいは〜い、酒本ナル〜双子座で〜書記で〜す〜。あ、誕生日は五月二八日なので〜プレゼントとかください〜」
 一方的に喋り、まゆりにウインクすると小柄な少女は腰を下ろした。
 次は黒縁眼鏡をかけた黒髪の穏やかそうな少年だった。見るからに優しそうな彼は優しそうに笑い会釈する。
「二年四組、蟹座で文化部長になります妹尾亮良(せのおあきら)です」
「次はウチか」
 立ち上がった少女はまゆりにも見覚えがあった。スポーツ万能で男勝りなため有名なショートカットの女の子だ。後輩の女生徒に人気がある。
 確か部活は運動部の…
「獅子座・運動部長の観月祐歌(みづきゆうか)や。ソフト部長とかけもちやから忙しない思うけどよろしゅうしたってな」
 ハキハキと関西弁で喋る。
(勉強もできるんだ…この人)
 間を置かず立ち上がったのは、こちらはよく見知った少女だった。
「乙女座の矢井田桂子と申します。この度は風紀委員長を引き受けさせていただくことになりました。何かと至らない点もあるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします」
「いい子ぶって…」
 まゆりの隣でナルが頬をふくらませる。
「美化委員長を務めます。永戸滋(ながとしげる)……あ、天秤座です」
 金に染めた長いウェーブヘアをかきあげて、美女が立ち上がって一礼した。彼女のことも知っている。男子の憧れの的で確かアルバイトでモデルをしているとか。
「……図書司書の蠍座・金城辰弥(かねしろたつや)。よろしく」
 こちらは女子の憧れの的だ。少し伸ばした髪に整った顔立ち。すれ違う女生徒から奇声が上がるのを何度も見ている。
(校内有名人のオンパレードですかね、ここは)
 座っていたパイプ椅子を蹴飛ばして立ち上がった次の男子は、学ランのファスナーを全部開き真っ赤なシャツを翻した少年。髪も真っ赤に染めて長い髪を後ろにひっつめて束ねていた。
「次はオレッスね!加藤稔(かとうみのり)!射手座の体育委員長!『茶』ってあだ名つけたらブチ殺す!夜露死苦!」
(こいつとは絶対に気が合わない。なるべく避けよう)
 まゆりは心に固く誓った。
「えっと…次いいでしょうか…」
 反対に穏やかな口調で切り出したのは落ち着いた短い黒髪の少年。細い目以外にはこれといった特徴のない真面目そうな人だ。
「山羊座の伊賀(いが)リョウスケです。会計になります。よろしくお願いいたします」
 一礼すると音も立てずに座った。
 その後、少しの沈黙が流れる。
「えっと…次……水瓶座……」
 しかし誰も返事をしない。
 しばらくの無言の後、妹尾亮良が隣の少女の肩をたたいた。
「………ちっ」
 ナル以上に小柄な少女が億劫そうに舌打ちした。真っ黒なボサボサの髪に睨むような、これまた真っ黒な瞳。
「きさまら ごときに なのるのは めんどうだ」
 低い声でボソリと言う。
「おいおい、みんな自己紹介しとるやろ!」
 祐歌の言葉にも眉ひとつ動かさない。
「ほしうらないは しんじない」
 またポツリと口を出した。
「えっと…水瓶座で行事実行委員長の辻夏希(つじなつき)です。これでもやる気はあるんです。な、夏希!」
 隣から妹尾亮良が困り顔で言う。
「じゅうにきゅう はいったら だいがく らくに いけるって くそおやじが ほざくから」
「こら、夏希!」
 亮良には悪いが、とてもじゃないとやる気があるとは思えない。
「大丈夫なんですか?あんな人がイベント係なんて…」
 横の館林に耳打ちする。
「多分…理事長のお墨つきだし」
 楽観的に答えてきた。
(いや、あんたらはもう卒業するからいいだろうけどさ…)
「あの…よろしいでしょうか」
「あ、はい!」
 清楚そうな少女が、おずおずと声をかけてきた。永戸滋には劣るが相当な美少女で、黒髪を肩のところで切りそろえている。
「取石椿でございます。魚座で保健委員長を務めさせて頂きます。皆様どうかよろしくお願いいたします」
 洗練された物腰で頭を下げた。
 椿の着席を待って、館林は手を叩いた。
「はい、これで自己紹介終了。おそらく皆、顔と名前は一致していないだろうが構わない。一年間一緒に行動するんだ。すぐに覚える。今日から一か月、十二宮は実習期間となる。それぞれの細かい役割やするべきことをマンツーマンで覚えてもらう。毎日授業が終わったら速やかにここに集まるように。今日は顔合わせということでこれで解散!」
 館林の声に散り散りになって行く生徒達を天球儀がじっと見つめていた。







「まゆり〜よかった〜。一緒に十二宮入れた〜。初詣でもお願いしたからかな〜」
 生徒会室、いや『十二宮室』から出るや否やまゆりの背中にナルが飛びついてきた。
 そういえばこの一月に一緒に行った初詣。彼女は神様もたじろぐほど目の色を変えて何か念力でも飛ばすようにお祈りをしていた。しかも惜しげもなく一万円札を賽銭箱に投げ入れて。あれは『十二宮に入れますように』と願い事をしていたのか。きっとその時買った一番大きな絵馬にも同じ願い事を書いていたのだろう。ちなみにまゆりは五円玉を投げ入れ学業成就を願い、絵馬は買わなかった。そんなもので願いが叶うとは思っていない。
「やたら熱心に願い事してたと思ったら…」
「だって〜まゆりが〜」
「ウザいレズ」
 通りすがりに心底不愉快そうに吐き捨てる桂子にも、あっかんべえをし「猫かぶりよりマシだもんね〜」と上機嫌だ。







 教室に入った途端、ホームルーム中だった教室はザワザワッと明るい声に包まれた。まゆりと真人はたじろいだが、ナルは笑顔で応える。まゆりは教師の顔色をうかがったが、苦笑しつつ『やれやれ、仕方ないか』と言った様子だ。





—「三人とも十二宮に入れたんだね〜。おめでと〜」
—「金城くんはメンバーにいた?」
—「観月さんは?」
—「この組から正副会長・書記が同時に出るのってスゴいよ」
—「単に星座順だけどな」
—「まゆりの白制服姿早く見てみたい〜」
—「あ〜あ、私ももっと勉強してればよかった」
—「取石さんもいるんだろ?いいな。俺も蛇遣座に入ろうかな」
—「新三年には無理だよ。受験あるだろ」
「蛇遣座?」
 雑多なやり取りの中の聞き慣れない言葉にまゆりは反応した。
「知らねーの?十二宮の雑用…もといサポートをする有志のグループを『蛇遣座』っていうんだよ。まぁ、俗称だけどな。十二宮のファンクラブみたいなもので基本的に一、二年がやってる。十数人はいると思うぜ」
 軽口をたたいていた男子生徒は意外そうに、しかし親切に教えてくれた。
「…へぇ」
「しっかりしろよ、会長」





  全く知らなかった。
  多分これから知らないことはたくさん出てくるのだろう。
  そう 全ては 「これから」なのだ。







「採寸?」
「そう、制服が新しくなるでしょ。着るのは四月からだけどね」
 新十二宮と、館林会長と小紫委員。そして制服業者であろう二人の男性と三人の女性が立っていた。
「ちなみに服の上から測るだけだから、男子諸君はあらぬ期待をしないようにね」
 小紫の言葉にあらぬ期待をしていたらしい加藤稔は目に見えて肩を落とす。
「ところで先輩…この制服代って…」
 まゆりの言葉に思わぬことを聞かれた様子でキョトンとしてから、小紫委員は優しく微笑む。
「中務さんは特待生だったわね。大丈夫よ。十二宮の経費で自己負担なしだから」
(これだから金持ちは…)
 はじめからお金のことなど頭にないのだろう。二年間この学校にいたが、この感覚に未だに慣れない。
 桂子はクスクスと笑った。わざと腕の丈を測られているまゆりに聞こえるように。
「何、矢井田さん?」
「いえね、貧しい人は大変だな、と思って。生活費や学費の心配だけでなく、こんな所でもお金のことを考えなくてはいけないなんて」
「感じ悪すぎ〜矢井田さん〜」
 直球な厭味にナルが代わりに返事をしたが、まゆりはそれほど腹が立たなかった。
 むしろ…
(それより生徒会経費でこんなの作る金持ちの方が大変だろ)
「中務さん」
「館林会長?」
「今、制服なんて無駄なものって思ったでしょ?」
「え…そ、そんなこと」
 図星を指され言い淀む。
「いいよ、教えてあげる。そのうち他の十二宮にも教えてあげて」
 そっと耳元に唇を寄せた。
「十二宮がどうして十二宮たりえるか」
  バンッ
 突然、館林はファイルで後頭部を殴られた。赤くなっていたまゆりは我に返る。
「教えるのは結構ですけど口説かないでくださいね。レナさんに言いつけますよ」
「こ、小紫さん!」
 館林の顔が青くなる。
「レナさん?」
「館林会長の前の牡羊座よ。優秀で美人で素敵な人だったわ」
「へぇ…」
 その時はまゆりはさほどの興味は抱かなかった。







—「金城君、どこー?」
—「図書館に挨拶に行ったよ」
—「伊賀君、会計にこれハンコもらっておいてもらえる?」
—「ち、ちょっと待ってください。この計算が終わったら…」
 それからの十二宮室は常に人がバタバタと出入りし、落ち着いて息をつく暇もなかった。
「で、みんな順調に『実習』を進める中、私だけなんですか、コレ?」
 まゆりと館林以外。
 机の上に置かれたのは『よく分かる星座性格診断』やら『占星術で相性診断』やらの山積みの本。
「いや、だってね」
 館林は腫れ物を扱うようにまゆりに接している。
「だから私、占い信じないんですって」
「それじゃダメなんだよ。特に来期の十二人は特に星座の性格診断に合ってるからためになると思うし、『牡羊座』に必要なのは正しい書類の書き方でもスピーチの上手さでもない、十二宮の他の十一人そして全生徒や教師を上手く動かすことだよ」
「それで星占いですかぁ」
 まゆりはバカにしたように言いつつ、差し出された本をパラパラとめくる。笑顔を崩さない館林の後ろでクスクスと笑い声がした。振り返るといつからいたのだろう、書類を抱えた小紫委員が立っていた。
「会長、去年のレナさんと同じこと言ってます」
「レナさんって去年の牡羊座の?」
「そう。ちょうど去年の今頃ヒネくれた目でよく言ってたわ、もちろん紺の学ランでね。えっと…こんな感じ……」
 小紫は口を尖らせて声真似を始めた。
「『十二宮?牡羊座?バカバカしい。俺は大学に推薦してもらえるからって生徒会に入ったわけで、占い愛好会に入った覚えもましてや占い師になるつもりもありませんよ。そもそも人間をきっちり十二等分して性格や運勢を判断するなんて非科学的なこと、俺は絶対信じませんからね』って感じかしら」
「小紫先輩、その辺の話をぜひ詳しく……」
「ちょっ…」
「あの…今よろしいでしょうか」
 言いかけたのを遮ったのは館林ではない、聞き慣れない声だった。
「はい!はいはい!どうぞどうぞ!」
 声の主を確かめるより先に、天からの助けと言わんばかりに館林が返事をする。入口に立っていたのは紺の制服の凛とした少女だった。アッシュグリーンの髪にキレのある瞳。
「失礼します。『蛇遣座』の新会長になった高坂南です。ご挨拶に参りました」
 しっかりとした口ぶり。
「ああ、一年の…いやもうすぐ二年だね…やっぱり君が会長か。知ってると思うけど、これがウチの新会長」
 館林はまゆりの両肩を押して、南の前につき出す。
「中務会長、よろしくお願いいたします」
「そうだ、中務さん。試しに高坂さんが何座か当ててみてよ」
 館林は面白がって言い出した。
「え?ほ…本見ていいですか?」
「どうぞ」
館林の返事を待って机に積まれた一番上の『十二星座別星占い』という本を手に取り、本と南を交互に睨みながら、数分考え抜き…
「し…獅子座ですか?」
 まゆりの言葉に南は困ったように笑う。
「外れ、多分双子座でしょ、高坂さんは」
「さすがですね、現会長は。では私は蛇遣座のミーティングがあるので失礼します」
 深々と一礼して南は部屋から出て行った。
 不満げなまゆりの頭を館林はポンポンと叩く。
「たかが星占いも外れると結構悔しいでしょ」
「べ…別に……」
「ちょっとは素直に…って…あれ?」
 まゆりの頭をなでた館林はその髪を撫でて目を丸くした。
「染めてるとばっかり思ってたんだけど、これ地毛?」
 長い茶色の髪を一房つまんで、少し顔をしかめる。
「はい。教諭にも証明書提出しています。それにナル…酒本さんとかは染めてるみたいですけど、ウチの校則に髪を染めちゃダメってのはありませんでしたよね?」
「校則にはないんだけど、やっぱり会長が茶髪ってのはね…」
「祖母の代からの茶色で気に入ってるので、黒く染めたりはしたくないんですが…」
「う〜ん、俺の考えが古いのかなぁ」
 一人で考え込んで、それきり特に髪の話はしなかった。







 時計は夜の八時を回っていた。
「遅くなってごめんね。家が近所っていうからよかったけど」
「いえいえ、近くまで送ってもらえるだけで十分ですよ」
 館林とまゆりは連れ立って暗い住宅街を歩いていた。
「近くまで?家まで送るよ」
「い…いえ…結構です…その…そう、家がボロいんで恥ずかしいっていうか…」
 急にまゆりはしどろもどろになりあからさまに目をそらした。
「そんなこと気にしないでいいのに」
「…いや…ホントに…見られたくないっていうか………」
「?まあ中務さんがそう言うならいいけど…」
 館林はキョトンとしつつもそれ以上の詮索はしなかった。
「…それに父も厳しい人なんで男の人と帰ると何て言うか」
「あはは、何なら『お嬢さんを僕にください』ってノリ?」
「あ、それ嬉しいかも。先輩カッコいいし」
「え?」
 館林が問い返した。
「お父さんとかは冗談にしても…つき合え…ませんか?」
 まゆりは上目遣いに館林の様子を伺う。
「う〜ん…そうだね…卒業式までなら」
「卒業式って…どうして?…あと半月ほどじゃないですか!」
「うん、ごめん」
 言うと口をふさぐように、館林の唇がまゆりの唇を覆った。少しの静寂が流れ、唇がゆっくり離れる。
「そうやって……思わせぶりなことはするんですね」
 三日月のきれいな夜だった。
「分かりました。卒業式まで」
 確かめるように、二人はもう一度口づけた。







「情緒的で流されやすい右脳人間は?」
「え…えっと……右脳右脳……あ、魚座だ」
「ご名答。次、魚座の相性行くよ」
「なんか急に仲良くなったわね、あの二人」
 十二宮室のテーブルの端で問題を出し合う館林とまゆりを見て、板書をナルに教えていた現書記の女生徒が言った。
「そんなことありません!」
 横で必死にホワイトボードに手を伸ばすナルは思いっきり頬をふくらませた。
「あ、ゴメン…」
(そうだ、この子はこういう子だったんだ)
 しかし、二人の雰囲気が変わったのは、誰の目で見ても明らかだった。







「そんな!」
 まゆりの怒声と机を叩きつける音に十二宮室にいた全員が振り返った。
「そんなの特権でもなんでもない!ただの横暴じゃない!」
「そう思うならこの特権を使わなければいい。現に俺は一度も使わなかった」
 まゆりと話していた館林は淡々と話し立ち上がる。
「なら何のためにあるんです!?」
「十二宮が十二宮であるためだ」
「けれど…!」
 館林は言いかけたまゆりの口を唇でふさぐ。
 ほんの一秒ほどの出来事だったが、誰もが目を奪われた。
 唇を離した館林から、まゆりはよろよろと数歩後ずさる。
「な、中務さん…」
 足を震わせるまゆりの背中を香我美真人が受け止めた。館林はそれを一瞥すると十二宮室の出口に向かう。
「今の気持ちを忘れないことだ」
 そう呟くと扉を開いた。
「十二宮にいたら嫌でも目線が変わってくる。怖いのはその先だよ」
 姿を消した館林をまゆりは呆然と見ていたが、数十秒の沈黙の後、ハッと我に返り真人の手を振り解いた
「館林先輩!」
 階段を二段飛ばしで駆け下りる。館林の姿は見当たらない。
「館林先輩!」
 下駄箱に向かう。上履きのままで外に走り出した。
 校門のところでようやく見つけた白制服の姿。
「館林先輩!」
 館林はゆっくりと振り返った。
「私…あの…」
「…帰ろうか、まゆり」
 まゆりの目に映ったのはいつも通りのやわらかい微笑だった。
「…はい」
 涙ぐみながら、頷く。







「まゆりはさ…なんでそんなに十二宮にこだわるの?」
 夕暮れの中、連れ立って歩く。館林はまゆりに尋ねた。
「まゆりの成績なら推薦なんかなくても大学くらいどこでも…」
「先輩」
 まゆりはビシッと館林の鼻頭を指差す。
「私大の医学部で6年間勉強するのにいくらかかるか知ってますか?」
「う…うん、俺も一応医学部志望だから…」
 館林は少しだけのけぞりながら頷く。
「それがまるまるタダになるんですよ。そんな美味しい話に乗らないわけないじゃないですか!」
 まゆりの目は至って真剣だ。
「なんで医学部?」
「だって儲かるじゃないですか」
「嘘でしょ」
「あはは、バレました?」
 しばらくの沈黙を破ったのはまゆりの方だった。
「う〜ん、重い話なんであんまりしないんですけどね。私の母って、私を産んだせいで死んだんです。だから医者になるのはお母さんへの罪滅ぼし」
 懐かしい幼い思い出を話すように気楽に言うが、館林は目をそらした。
「ごめん、悪いことを……」
「あ、だから気にしないでください。もう昔の話ですから。そうやって気遣われるのが嫌であんまり話さないんですよ、この話。でも私は単純だから、それで思ったんです。そんな人を一人でも減らせたらって。けどウチあんまりお金がなかったんで探したんです、医者になる方法を。それでこの高校の特待生のこと知って…」
 髪を翻したまゆりの腕を自分に引き寄せ、館林は強く抱きしめた。
「頑張ったね、まゆり」
 どうしてか、彼の前では涙もろくなる。大粒の雫をコンクリートに吸われながら、抱きしめられていた。







 モーテルの薄暗い部屋のベッドの上で二人は抱き合っていた。
「怖い?」
「いいえ…」
「嘘つき」
 館林はまゆりの胸に口づけをする。
 初めて味わう痛みと快楽がまゆりを襲う。





  そう いつだって





 汗に濡れた体を強く抱かれた。
「ありがとう」







  私たちは相容れない
  もっと早く出会っていても
  きっと結果は変わらなかった






 『卒業証書授与式』と書かれた看板が立てかけられた校門をくぐり生徒は皆講堂に向かう。送辞はまゆり、答辞は館林。
 泣かないのは悲しくないからじゃない。
 これ以上心配させたくないから。
 先輩に安心して卒業して行ってほしいから。







 式を終えた生徒達はホールでそれぞれの別れを惜しんでいた。
「まゆり」
「送辞よかったよ。ありがとう」
「よかったんなら涙の一つも見せてくれればいいのに」
「いや…。あ、それよりこれ、渡そうと思って」
 館林は自分のブレザーの上から二番目のボタンを引きちぎってまゆりに渡した。
「第二ボタン」
「普通求められてあげるものなんですよ。どれだけ自意識過剰ですか?」
「いらないなら…」
「いります!」
 返してなるものかと白いボタンを握りしめた。そして振り返り自分より頭一つ分高い目を見つめる。
「私、決めました。先輩を追っかけます。だから『今は』さようなら。先輩以上の『牡羊座』になってやりますよ」
「ったく」
 自信たっぷりに笑うまゆりに館林は笑って頭をかいた。
「まゆりには驚かされてばっかりだ」
「それじゃありがとうございました」
 その笑顔を目に焼き付けてまゆりは踵を返す。
「うん『今は』さよなら。十二宮をよろしくね」
「はいっ!頑張ります!」
『あなたが好き』
 この言葉は今は封印。またきっと会えるから。






四月・始業式





 初めて袖を通した白い制服の胸には牡羊座をイメージしたエンブレムが堅く縫い付けてあった。
「ナルおはよ」
 自分と同じ制服を着た後ろ姿を見つけ、肩を叩く。
「まゆり!オハ…」
 振り返ったナルの表情が一瞬凍り付く。
「その髪!」
 きれいな茶色だった髪は黒く染められ、ひとまとめにされていた。
「染めた。やっぱり生徒会長が茶髪じゃね」
「う〜ん」
 ナルはまゆりの立ち姿を頭の先からつま先まで二往復じっくりと見る。しばらくの後「うん!」と納得したような声を上げ、まゆりに飛びついた。
「黒髪も似合う!」
「黒髪になってもウザい」
 通りすがりの桂子が吐き捨てたが、ナルは無視を決め込んだ様子だった。







「次は新生徒会長から就任の挨拶です」
 進行役の亮良の言葉に従って講堂の壇上に上がる。本当は辻夏希の仕事だったのだが、本人は欠席し、なぜか亮良に代役が回ってきたのだ。ロングスカートの裾を翻し、壇上の真ん中に据えられた演台の前に立つと、頭を下げた。
「今年の生徒会長となった中務まゆりです。私は、一ヶ月前まで次期会長の自覚なく学校生活を送ってきました。なので分からないこと、知らないこと、できないことがたくさんあります。壁に突き当たったらどうか皆さんの力を貸してください。よろしくお願いします。その代わり、自由で楽しい学校生活をお約束します」
 軽く息をついて正面の何百と言う顔ぶれを前に、もうここにはいない一人の面影を思い浮かべた。
「皆さん、サイコーの一年にしましょう」






  待っててね
  約束だからね
  館林先輩





コメント

タイトルとURLをコピーしました