かむがたりうた 第廿壱章「サイワイ」




燃えさかる炎よ ああ黒き瞳よ 美しき炎よ 素晴らしき瞳

愛しき 悩ましき その瞳 あなたを一目見て 私はあなたの虜



闇なりし焔よ ああ黒き瞳よ 凍てつく焔よ 底知れぬ瞳

勝ち誇り 焼き尽くす その瞳 あなたの炎で 私の心は痛む



私の幸せは あなただけに



燃えさかる炎よ ああ黒き瞳よ 愛しき炎よ 美しき瞳

とこしえに 魅惑する その瞳 私を連れ去り 破滅へといざなう



あなたの面影を 夢に見る



夜中に歌う声 私は手を伸ばす 夢へとみちびく 黒き瞳

私はあなたと 共に飛び立つ



        訳 鈴木貴昭「黒い瞳」



















 栄を預かった時のことをミラはよく覚えていた。寒い日だった。

 毛布にくるまれ、手紙の一つも入っていない。ストリートでは捨て子くらい珍しいことではなかった。ある青年が「よしよし」と赤ん坊を持ち上げ、頬を撫でた。

 その瞬間

 青年が突然炎に包まれた。

「な!」

 辺りが一斉にざわめく。その最前列にミラは立ち尽くす。

「運がいい…か」

 青年はとっくに焼死体になっていた。地面に投げ出された赤ん坊を抱き上げる。

「ミラ!危ない!」

「大丈夫、直接皮膚に触れなければ」

 毛布の上からミラはギュッと抱きしめる。

「ほら、大丈夫よ」

 ミラは笑った。

「名前をつけなきゃね…」











 翌日、三面記事に小さく載った新宿で発見された焼死体の青年の名前は、栄、といった。















「ミラ!ちょうどいいところに!また栄が!!」

「もう!今度は犬?猫?」

「ネズミの集団を追いかけ始めた!」

「あー、走れるようになるのも問題ね!止めてくるわ!あとこれ、皆で食べて!」

 紙袋を少年に渡すと制服姿のミラは栄が隔離されるように住んでいたブルーシートの奥に入った。

「栄、こら、じっとしてなさい!」

「みら!」

 自慢げに捕まえた一匹のネズミを見せたが、すぐに灰になって地面に落ちて行った。

「まったく!猫じゃないんだから。手袋はどうしたの」

「てぶくろあつい」

「暑くても我慢しなさい!みんなが死んじゃってもいいの?」

「やだ〜!しんじゃうのやだ〜!」

 ミラの言葉に栄はジタバタと大泣きした。

「やれやれ、智樹も産まれたばかりで可愛いけど、こんなワガママになるのかしら」

 肩までの髪が風になびくのを押さえた。その瞬間不意に公園から見下ろせる道を歩いていた少年が目に入った。

(あれは…)

 やっぱり私は運がいい、と柵越しに少年に声をかけた。

「君が池条ナヲくん?私、泉原巴。呼びにくいから泉原から二文字とって『ミラ』って呼ばれてる」

 それが彼女との出会いだった。

 エスカレーター式の有名私立中学からの帰り道。ふと通った新宿の公園でその少女に出会った。

「能力者でしょ、あなた。それにしてはぬくぬくと暮らしてる」

 無視して立ち去ろうとした瞬間、指差してニヤと笑った。

「綾瀬川さんの能力。そんな自分勝手な人いないと思ってたのにあなた適合したんだ」

 思わず振り返る。

『周囲の不幸を餌に、自分だけを幸せにする能力』

 二人の声がシンクロする。

「俺に能力をかけると満足そうにしてどっか行ったけどな。今はどうしてるんだか…」

「私は無条件で自分の運がいいって能力。気が合いそうね、私達」

「ぜってー、合わねー」

 それだけ言うとナヲは踵を返した。















「みら、いまのだれ?」

 公園の茂みから、遅い足で走ってきたのは黒髪にボサボサ頭の幼児。

「池条ナヲ。もうすぐ私達の仲間になる人だよ」

 寒い季節でもないのに長袖長ズボンに手袋をした子供をよいしょ、と抱き上げる。

「栄も一度顔会わせとかなきゃな。きっと仲良くなれるよ」

 言って泉原巴は笑った。















「で、仲良くなろうと待ち伏せしてたワケか?」

「やだなぁ、待ち伏せじゃないよ。この格好見て分からない?」

 ナヲが通う中学の校門の前に立っていたミラは、くるりと制服を翻した。

「ま、まさか…ウチの……高等部…」

 バッと隣の校舎を見る。

「ピンポーン♪学校では話しかけないつもりだったんだけどね」

「ウチの学校、通えるってことは相当の金持ちか家柄が…」

「宝くじ一等前後賞二回当たったから。二回とも五枚くらいしか買ってないんだけどね」

「ありか……そんなの…」

 ナヲはガクッと肩を落とした。

「持ってる能力は使わなきゃ。あ、でもさすがに変な目で見られるかと思って二回しか買ってないのよ。十八歳になったら競馬やパチンコで荒稼ぎできるかな。それはそうと…」

 ミラはナヲをピシッと指差した。

「そっちこそ、こんな学校通えるなら、よっぽどのお坊ちゃんでしょ」

「知らね」

 ナヲは踵を返して、下校中の生徒の中に紛れる。

「ち、ちょっと、ねぇ!」

 慌ててナヲの肘をつかむ。

「あなた、私とつき合わない?」

「は?」

「つき合わないかって言ってるの。池条くんカワイーし、結構お似合いだと思うんだけど。年下の彼ってのもたまには悪くないし…」

「バカ言ってんじゃねーよ」

 ふいと、ナヲは立ち去ろうとする。

「私知ってるんだけどなぁ、池条くんの能力…」

 ナヲはブルリと身震いをした。

「わ…分かった。分かったから、それだけは言わないでくれ」















これをつき合うというのなら

俺とミラの交際が、この日はじまった。

あまりに幼く、矮小で、短く

しかし、心に深く染み入った日々だった。















「こいつが栄。ほらあいさつは」

 新宿の公園でナヲと栄を引き会わせると、ミラは栄に言った。

「『あいてが、なのるまで、なのるひつようはない』って、みらいってた」

「そうだったわね。というワケで池条くん挨拶して」

「…………お前、子供にどんな教育をしてんだよ」

「私の子じゃないもん。なんていうか育成ゲーム感覚?でもむちゃくちゃ賢いのよ、この子。いらない?」

「いらねーよ、そんな汚いガキ」

「ぼく、いらないの?」

 栄がミラの服の裾を引っ張った。

「そんなことないよ〜、栄はとってもいい子」

 ミラは栄を抱き上げる。

「怖くねーのか?それ」

「慣れれば大丈夫よ。手袋してるし」

 栄はナヲに手を振った。

「池条ナヲだ」

 栄の小さな手をナヲは握った。

「ぼく、さかえ!」

 初めて栄が笑った顔を見た。



「はい、これオゴり」

「宝くじ賞金女王におごってもらっても、ありがたみねーなー」

 言ってナヲは両手で冷たい缶を受け取る。

「ありがたがれ、このヤロー」

 笑顔で凄む人を初めて見た。

「俺、炭酸飲めねーんだけど?」

 コーラを手に不機嫌そうに言うナヲの額に左手で触れて、右手の甲でその上から叩いた。

「……ワガママ言わないの、メッ」

「ガキ扱いかよ」

「中学生なんてまだガキよ」

 言うと、カルピスウォーターのプルタブを開けた。

「あ!炭酸じゃないの持ってんなら取り替えろよ」

「嫌よ。私もコーラ嫌いだもん」

「なんとやらは犬も食わねーってな」

 誰かが後ろから口笛をふいた。

「いぬ!」

 栄の目がランと輝く。

「いぬどこ?いぬどこ?」

「あ〜、また栄の動物好きが始まった!」

 ミラはパンパンとズボンの草を払うとその首根っこを器用に捕まえた。

「健も変なこと言わないで!」

「だってお前らそうしてると若夫婦と子供にしか見えないんだもん。あ、父親がチビすぎるか!」

「チビって言うな!成長期だ!」

 ナヲは声を荒げた。

「はいはい、成長期ね。じゃぁ馬に蹴られないうちに退散しますか」

 健、と呼ばれた少年はナヲに軽く耳打ちした。

「こっちは結構お前に感謝してるんだぜ。ミラは今までストリートの連中しか頭になかったからさ。たまには外に目を向けさせやってくれ」

 彼は肩をすくめ、軽い足どりで去っていった。

「……ミラ、今度どっか行かね?」

「え?」

「どこでもいいけど…ほら遊園地とかさ」

「二人で?」

「当たり前だろ」

「う……うん」

 ミラはゆっくりと頷いた。















 次の日曜、都内校外の遊園地に二人は着いた。

「ところでさ気になったんだけど…」

 ナヲは言う。

「…普通こういう場合女が男に弁当とか作るもんじゃねぇ?」

 日曜一日の代償として『ナヲの手作り弁当』をミラはリクエストしてきた。

「いいじゃん。あ、クマー!」

 言って自分より頭二つ分高いクマの着ぐるみに抱きつく。

「写真撮って!」と使い捨てカメラをナヲに放り投げる。

「絶叫系!コースター乗りたい!ナヲ!」

 言ってナヲの手を引っ張った。

「可愛いとこあんじゃん」















「あー、お弁当も美味しかったし幸せ〜。ナヲ密かに料理上手いんだね〜」

「毎日自炊してるから」

「へーそうなんだ。いいお婿さんになれるよ」

「なりたくねー」

 げんなりとするナヲの腕を捕まえ、器用に組む。

「えへへ〜、恋人みたい」

「『つきあってる』んだろ」

「そうだけど、今までそんな感じしたことなかったもん」

「そろそろ夕方か…家に」

「最後に観覧車乗りたい!」

 ミラは遊園地の最奥に佇む巨大な円形を指差した。

「はいはい、お姫さま」















 観覧車の頂上に近付き、どんどん町並みが広がっていった。ミラはずっとそれを眺めていた。不意にナヲはミラの眼から涙が一筋こぼれ落ちたのに気がついた。

「ミラ?」

「あ、あれ…」

 止めどなく流れる涙を慌てて服の袖で拭う。

「な、なんでもない…ただ…」

 ミラはブンブンと首を振った。

「ただ…栄なんかは一生こんな景色を見ないで終わるのかなって…」

 慌てるミラをナヲはまだ細い腕で抱きしめた。

「ナヲ…?」

「何回でも来よう。今度は栄も連れて、何回でも何回でも飽きるほど」

 ミラはナヲの頬にゆっくりと触れ、ほんの一瞬見つめ合ってから唇を重ねた。











 その約束が叶わないことだとミラはとっくに知っていたのに。















 帰り道、二人はずっと手をつないで帰った。ミラがふと口を開く。

「聞いていい?」

「ん?」

「ナヲの昔の話…」

 気まずそうに尋ねるミラとは反対にナヲは気楽に記憶をたどった。

「そうだなぁ…俺、親のこと覚えてねーんだよ。ただ気がついたら、施設に預けられてた。後から親に虐待されて保護されたって聞いたけど…それで小学校の時に綾瀬川に偶然会って、幸不幸を操る力を分けてもらって…そしたらすぐにいい引き取り手が見つかって、いい学校入れてもらって…まぁ今に至るんだな。大した話じゃないだろ」

「でも…頑張ったんだね」

 ナヲは背伸びしてミラの頭をガシガシと撫でた。

「頑張ってねーって。俺は運がよかっただけなんだから」

 ミラは俯いてそれ以来何も言わなかった。







 それからもナヲとミラは何度も逢瀬を重ねた。ミラの家にも行った。生まれて間もない弟にも会った。

 ミラはいつも何かを探しているようだった。それが弟のために綾瀬川楓を探していると気づいたのはずいぶん後のことだった。

「私はね、智樹に全力で幸せになってほしいの。智樹がナヲみたいに恵まれた人生送られるなら何としてでも探してみせるわ」







  ピンポーン





 家のチャイムが鳴り響いた。

「はいはーい」

 臨月のお腹をさすりながら女性が扉を開ける。

「えっと……主人の教え子さんかしら」

 そこに立っていた見覚えのない少女に女性はためらう。

「いえ、泉原巴。能力者の一人です。太榎万夫さんにお話がありまして」

 深く頭を下げた。女性の顔が凍りついた。















「お前と深琴は二階に行っていなさい」

 万夫は階段を指差して、女性と幼女はそれに従った。

「それで、話というのは?」

「前置きは言いません。取引をしませんか?」

「取引?」

「あなたに差し上げたいものがあります。池条ナヲという能力者の少年です」

 万夫は、ほう、とリビングのソファにもたれて顎をかいた。

「太榎家に伝わる言霊遣いについての全てを教えてほしいのです」

「君にか?」

「いいえ、池条ナヲにです。その代わり……」

 自分の胸に手をあてた。

「私の命を差し上げます。私の能力はあまりに不特定すぎて太榎の人間にも扱いづらいはずです」

 癖なのだろう、また、顎をかき万夫は頷いた。















「ミラ、高等部も今終わったのか?」

「ううん、待ってた」

 校門の前に佇むミラの姿にナヲの顔が輝いた。

「ナヲ、聞きたいことがあるんだけどさ…。自分と私、どちらかが幸せになれるとしたらどっちを選ぶ?」

 一瞬の沈黙の後、ナヲは声を出して笑い出した。

「な、何よ!」

「……だってさ、決まってるじゃん」

 ナヲはきっぱりと言い切った。

「俺様だぜ。両方手に入れられるって」

 揺るぎのない笑顔。ミラは困ったような顔をした。

「うん、私ナヲのそういうとこ大好きだな」

 物陰からスーツ姿の壮年の男が顔を出した。男は胸ポケットから名刺入れを取り出し名刺をナヲに差し出した。

「私立湊大学文学部助教授…太榎万夫?」

「高校を卒業したらウチの大学に来なさい。もし成績が振るわないようなら、推薦入学させてあげてもいい。言霊遣いと能力者について全てを教えてあげる。その代わり…」

「分かってます」

 言うと、ナヲに軽く口づけて、走り出した。

「ち、ちょっと……ミラ!」

 ナヲはそれを追う。















 辿り着いたのは学校からほど近いビルの屋上だった。屋上に続く扉に鍵もかかっておらず、外周を囲むフェンスも低い。

「これは約束だから。でも一つだけ太榎万夫にウソついちゃった」

 フェンスの向こうでミラが笑う。

「じ…冗談だろ?だって昨日まであんなに普通に…なんで死ななきゃならないんだよ!」

 ミラが笑った。

「これは約束なの。あなたが幸せに生きるために。でも私、生まれ変わってくるからね。そうしたら思いっきり幸せにしてやってね『私』のこと」

「嫌だ!ミラの代わりなんていない!」

 かぶりを振るナヲの額にフェンス越しに左手で触れて、右手の甲でその上から叩いた。

「……ワガママ言わないの、メッ」

  その時の笑顔が目に焼き付いて

「幸せだった。バイバイ、またね」

  ビルの柵からゆっくりとスローモーションで落ちていく

  ミラの姿をよく覚えていない。

「ミラ…どしたの?」

 後ろからヨロヨロと栄が近付いてきた。

「俺のせいだ…俺が……」

 不思議と涙は出なかった。

「……俺は、生き残ってやる。最後の一人になってもな。栄、お前の面倒もちゃんと見る」

 こんな理不尽な世界、壊れてしまっても構わない。だから俺が何としてでも生き残ってやる。

「何としてでも…」















「うわあっ」

 ナヲに手袋の手をひかれて遊園地に入った栄は目をキラキラさせた。ミラと同じようにクマに飛びつこうとした栄の手をひき、辿り着いたのは観覧車だった。徐々に高くなる視界に栄は窓に手と顔を貼りつける。

「……っ」

 ナヲの目から涙が溢れ出す。

 まるで観覧車が回りきる間のように、ほんの短い夢みたいな瞬間だった。

「なを?どっかいたいの?」

 栄がナヲの様子をうかがう。

「大丈夫……だから今だけは泣かせてくれ…」











『何回でも何回でも飽きるほどに』















 それから数年後、公園で薄汚れた格好をしながら辺りをきょろきょろしている幼児を見かけた。

(見つけた!)

 ナヲは本能で気がついた。あいつだ。あいつがミラの…。

「どうした、迷子か?」

「いや……家……出て来た……」

「名前は?」

「……言わなきゃダメ?」

「いや、でも呼ぶとき不便だな…『巴』でいいか?」

 一瞬驚いた顔をした後、笑顔で頷いた。

「うん!」

 その名前を、そして能力を受け継いだ少年は、その日から巴となった。



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