かむがたりうた 第陸章「ヤマイ」




「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」

ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。

 スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。

「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス。」



        新美南吉「デンデンムシノ カナシミ」



















 白い廊下を歩く。すれ違う人もなく、ただ長いだけの廊下。

 突き当たりから三番目の部屋を手の甲で軽くノックする。返事はない。

 が、引き戸は軽く開いた。

 白い部屋。

 窓辺にあるベッドに腰かけた少年が顔を上げた。

「あ、久しぶりです。西夜」

 少年はその青い瞳を前に向ける。

 西夜は軽く手を上げた。

「調子はどない?琉真」

金の細い髪を揺らして、琉真、と呼ばれた少年は穏やかに笑った。

「はい、元気ですよ。そちらは相変わらずですか?」

「……そのことで、ちょっと話があったんや」

 西夜はベッドの横のテーブルの花瓶を手に取り、持って来ていた小さな切り花を生ける。

「太榎万夫さんが亡くなったのは聞いたよね」

「はい」

「でね、琉真……太榎安を今度連れて来ようと思ってるんやけど」

「太榎…安さん?お会い出来るんですか?」

 花を包んでいた包装紙を丁寧に折り畳んでからゴミ箱に捨てる。

「うん、琉真がいいんやったら今度連れてくるよ」

「ええ、ぜひお願いします。ところで、西夜」

 少年は静かに目を細めた。

「僕はいつイギリスに帰れるんでしょうか」















「会わせたい人?」

 春休みが始まったばかりのよく晴れた日だった。砂城から「デートのお誘い」と称した電話があったのは。

「まぁ、春休みはかなりヒマだけど……」

 教諭陣の限りなく寛大な恩情で以って何とか進級の確定した安は、帰宅部なこともあって退屈な春休みを送っていた。

「……うん、それじゃ明後日の一時に……場所は?いや、住所でいいよ。ネットで調べるから」

 自分としてはすることが何もない退屈な日々というのは理想的なのだが、この電話一本で平凡な春休みは崩されることは安にも察しがついた。砂城の声を荒い字でメモしていく。最寄り駅と簡単な住所の後に告げられたある言葉に手が止まった。

「……病院?」















 翌々日の昼。平年よりも少し暖かい春の陽気の下で安は待ちぼうけていた。西夜は部活があるので学校から直接来ると言うことだった。約束の時間までまだ少しある。携帯の時計を確認して、あくびをかみ殺す。初めて降り立った街は緑の多い、綺麗な所だった。

 駅からバスで一〇分。家はまだ新しいものが多く、間近には山景色が迫る。山を切りくずして最近開発された新興住宅街だろう。便利とは言いがたいが、こんな街も見ていて楽しい。バス停で安はメモを広げた。カラフルな煉瓦を敷き詰められた鋪道を辿りながら空を仰ぐ。母親に手をひかれた子供が童謡を唄いながら通り過ぎた。

「いい天気」

「本当にいい天気ですわね」

 聞き慣れない声に安はびっくりして振り返る。

「あら、驚かせてしまいましたか?申し訳ありません。わたくしの思ってたことをちょうど仰ってくださったので」

 そこにいたのは白いワンピースに薄い緑のカーディガンを羽織った少女だった。

 自分と同じくらいか、少し年下だろうか。少しクセのある焦茶の髪に、大きな瞳。口の端に手をあてコロコロと笑って指差した先は、白い大きな建物だった。

「わたくし、あちらに用があるんですの」

「あ…俺もです」

「まあ、奇遇ですわね」















 少女と安は連れ立って病院へ向かった。他愛ない会話を繰り返しながら。

 ふしぎな少女だった。上品で嫌味がない。丁寧すぎるお嬢様言葉がひどく似合う。こんな子もいるのかと安は感心しきりだった。

「俺、ここで待ち合わせしてるので」

「そうですか、じゃぁこれで失礼いたしますわ」

 言うと、少女は深々と頭を下げ、病院の中に入っていった。















 西夜は時間の五分前に、砂城はちょうどに現れた。

「旗右先輩は?」

「一応、声はかけたんだけど…」

 言ってると、少し汚れた紺の原付が滑り込んできた

「あ〜さっかえく〜ん」

 飛びつこうとする砂城を革手袋の右手が押さえ込む。

(考えたらあれも命がけなんだよなぁ)

 変な方向に感心する安の横で西夜が口を開いた。

「てっきり来うへんと思ってた。栄さん琉真のこと嫌いやし」

「琉真?」

「うん、これから会いに行く人。琉真=アークライト、今この病院に入院中」

「……何人?」

「イギリスと日本のハーフよ。可愛いわよー、もっのすごく」

 茶化すように砂城は言い、建物に足をむけた。















「精神…科?」

 入院病棟の最奥にある扉の前で立ち止まった。

 分厚い扉は施錠されているらしく、通りすがった看護士の女性に言って鍵を開けてもらう。西夜達は慣れた様子で中に入って行く。中はひたすらに白い廊下が続いていた。両側に並ぶ扉の向こうから時折うめき声や叫び声が聞こえて来、安は少し顔をしかめた。

「ここに…琉真さんが?」

「引いた?」

「いや…大丈夫」

 奥から三番目の部屋を西夜はノックした。

「西夜とその他やで〜。安つれて来たで」

「どうぞ」

 その声に西夜は引き戸を開ける。中は普通の個室だった。清潔な白い部屋に棚が一つとベッド。

 そのベッドで上半身を起こしている一人の小さな少年。一〇歳くらいだろうか。パジャマの上からでも分かる華奢な肩にやせ細った腕。そして何より目を引いたのは絹糸のような金の髪と大きなサファイヤのような蒼い瞳。可愛らしい笑顔で少年は安に向かって手を伸ばした。

「はじめまして、太榎安さん。琉真=アークライトと申します」

「は…はじめまして」

 小さな手を軽く握る。この穏やかな少年のどこが病気だというのだろう。

「栄も来て下さったんですね、ありがとうございます」

 ドアの近くに立つ長身に琉真は笑うが、栄は何も答えなかった。

「私も久々なのに、何もなし?ひっど〜い、琉クン!」

「いえいえ、最後に取っておいたんです」

 身を乗り出す砂城の頬に軽くキスをして笑った。こういう所は英国式なのだろう。

「きゃ〜、ありがと〜!琉クン超可愛い!」

 砂城は飛びついて琉真を抱きしめる。琉真は嬉しそうにもう一度頬に口づけをした。















「さて、挨拶も済んだことだし…」

「あの…」

 西夜が言うと同時に琉真が軽く手を挙げた。

「ちょっと話がしたいので太榎さんと二人にしてもらえませんか?」

「え?いいけど…大丈夫?」

「ええ、今日はとても気分がいいんです」

 西夜は砂城と栄の方を見る。

 栄は返事がなかったが、砂城は頷いた。

「うん、分かった。じゃぁ僕らは待合室にいるから」

「ありがとうございます」















「精神科なんて連れてこられると思ってなかったんじゃありませんか?」

 穏やかな笑顔を向けられる。

「いや、俺、精神科じゃないけど母さんが長期入院してるから」

「太榎さん…?」

「安でいいよ。父さんと紛らわしいだろ?えっと…アーク…ライトさん?」

「琉真でいいですよ。言いにくいでしょう、アークライトって」

「珍しい名前だよね」

「いえ、イギリスでは割とよくある名字なんです。こんな綴り書くんです、AR…」

 指で空中にアルファベットを綴っていた琉真はふと手を止めた。

 その一瞬、琉真の碧眼が暗く曇ったのに安は気づかなかった。

「何か書くものありますか?」

「う、うん」

 安はカバンの中からボールペンを差し出す。

 小さな手がそれを受け取る。

 次の瞬間だった。

 安の視界が飛び散る真っ赤な血に染められた。















「二人きりで話って何やろ?」

「家のこととかじゃない?」

 廊下をゆっくり歩きながら、西夜と砂城は言葉を交わした。ふと、後ろを歩いていた栄が足を止める。

「栄さん?」

「……誰か琉真の『病気』について説明したか?」

「え?砂城ちゃんが……」

「私はしてないわよ、西夜クンが言ってると思って」

 三人は一瞬の沈黙の後、廊下を走って引き返した。















「な…!」

 何が起きたか分からなかった。首筋に勢いよく刺さったボールペン。痛そうな表情はするが、何も言わずにそれを両手で抜く。

 噴き出す血

 そしてもう一度突き立てた。

 止めなければ

「や…やめ……!」

 『母さん』が

 とにかく止めなければ。

 安の頭によぎったのはそれだけだ。

 慌てて右手を伸ばす。

「痛っ」

 琉真の首の代わりに安の右手の甲にペンが刺さる。

 味わったことのない激痛が手から全身に伝わる。

 血が噴き出すが返り血かどうかも分からない。

「安クン!」

「さき…さ…ん」

 駆け込んできた砂城に安は少し安堵した。西夜が慌ててナースコールを押す。栄の革手袋が琉真の手からペンを取り上げた。琉真が抗い何か言おうとしたが、声にならない。

 すぐに看護士が駆けつけ、応急処置の後、二人は外科に運ばれた。















「病気って…このことだったんだね…」

 まだ痛みの残る、包帯でくるまれた右手を押さえながら安は言った。

「ごめん、ウチがちゃんと説明しとったら…」

「西夜は悪くないよ。俺が聞かなかったから」

 生活に影響はないが、痕が残るかもしれないという診断だった。琉真も同じような診断だったが、傷の場所が場所だけに未だに治療室から出てくることはなかった。

「分かりやすく言うと自殺志願…」

 病室の前で話し込んでいると、砂城と栄が現れた。

「琉真は?」

「まだかかるみたい。安クンは大丈夫?」

「あ、うん、俺は。痕が残るって言っても手だけだし」

「保険証、まだ安クンの家でしょ?学校に連絡して、緊急連絡先に持ってきてもらうように頼んだから」

「ありがとう」















 小一時間経っただろうか。四人は待合室でほとんど話すこともなく、どこか気まずい時間が流れていた。

 その静寂を打ち砕いたのは

「安!」

 聞き慣れた遥歌の声だった

「ハル!」

「学校から連絡もらって…こんな所でどうしたのよ、一体!こ、こんなひどい怪我!」

 息せき切って現れた遥歌は安の後ろに立つ影に目を丸くした。

「旗右先輩!なんでいるの!」

 栄は何も答えない。

「まさか旗右先輩が怪我に関わってるの…?」

「ないとは言えない」

 その一言に遥歌は自分より三十センチ近く高い栄の胸ぐらを掴んだ。

「ハル!やめ……!」

 安の静止に答えようともせず、遥歌は右手の握り拳を上げる。

 その手のひらが栄の頬に当たる一瞬前に止めたのは砂城の手だった。

「やめてください」

 腕をつかまれて、遥歌は抗う。

「放して!」

「栄クンを殴らない?」

「何ですか、あなた!そんなことを…!」

「殴らないって約束して」

 砂城の目がいつになく厳しく光る。

「約束して」

「わ…分かりました」

 渋々、振り上げた手を下ろした。

 言うと、鞄から取り出した保険証を安に押しつけ、不機嫌な様子で病院から出て行った。















「危なかったわね、あのコ。砂城の反応がもうちょっと遅かったら焼け死んでたわよ」

 後ろ姿を見送りながら砂城は髪をかきあげた。

 栄は呆然と左頬を押さえる。

「どうしたの?」

「いや…今一瞬…天川の手が私にかすったような」

「まさかぁ、だったらとっくにあのコ、焼け死んでるわよ。現に何も起こらなかったでしょ?」

「あ…ああ、そうだな」

 戸惑いながらも、栄は自分で自分を納得させた。















「あら、アークライトさんはもう病室に戻られたんですか?」

 通りすがりの看護士が安達の姿を見て尋ねて来た。

「え?」

 全員がきょとんとする。

「まだ診察中では?」

 砂城の問いに看護士も目を丸くした。

「いえ、先ほど終わって付き添おうかと言ったんですが、ご友人と一緒に行くからいいって」

 一瞬の沈黙の後、周りの空気が変わった。

「それ、いつ頃ですか!」

「え、えっと…一〇分くらい前かと…」

 砂城は言葉が終わる前に琉真の病室を目指して駆け出した。

「ここの屋上の鍵てどこにあるんですか?」

「え?二階の事務室に…」

 西夜も二階へと全力で走り出す。

「私達は先に向かっている!行くぞ、太榎!」

 栄の言葉に、安も階段を駆け上った。















 四階を過ぎたところだろうか、安の携帯が鳴った。西夜からだ。

『やっぱり屋上の鍵なくなっとる!ウチもすぐ追いかけるから!』

 『屋上の鍵がなくなっている』それだけで意味するところは容易に察せた。息を切らして辿り着いた屋上に続く扉は開けられていた。

「琉真!」

「栄…太榎さん…」

 高いフェンスのただひとつの扉の鍵をも開かれていた。

 包帯が巻かれた安の右手を見て大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。

「ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい…ごめんなさい……」

「いいから!こんなケガどうってことないから!」

 安が一歩歩み寄ると、琉真も一歩後ずさった。後ろには何もない。ただ眼下に広大な町並みの屋根が見えるのみ。

「僕が…僕がいるから…みんなに迷惑かけて…僕が生きてるから」

「琉真!」

「…ごめんなさい…父さんも…あづみも……僕のせいで……」

 フェンスにかけられていた右手が ゆっくりと ゆっくりと放される。緩やかに落ちて行く軽い腕を掴んだのは安の左手だった。

「放して!」

 屋上から左腕一本にぶらさがる琉真は叫んだ。

 右手の激痛と左手の重みに安は顔を歪めた。

「琉真!安!」

 西夜と砂城がほとんど同時に駆け込んでくる。

「西夜!手ぇ貸して!」

 言われるまでもなく琉真の腕を安の横から掴んだ。

 琉真はその手を振り払おうとする。

「やめて!僕なんか死んだ方がいいんだから!」

「よくない!」

 安は叫んだ。

「少なくともここにいる皆は琉真が死んだら悲しむ!俺がケガするより、よっぽど悲しむ!俺に謝りたいんなら、こんな方法じゃなくてちゃんと面と向かって謝って!謝って、もっと生きて…何年も何十年も生きて…爺さんになってからまた謝って!じゃなきゃ俺は琉真を許さない…許せない!」

「安…さん…」

 琉真は目を細めて微笑んだ。

「でも…僕は自分で自分が許せない」

 安と西夜の一瞬の隙を見逃さなかった。

 自分の体を支える手を静かに振り払った。

「琉真!」

 西夜の声。スローモーションで落ちて行く琉真の体。

「安クン、叫んで!」

 砂城の声が響く。

 何のことかは分からないが、考えてる余裕はない。安は声をあげた。











『止まれ』











 その瞬間だった。

 自分を包む空気が凍るのを感じた。見ると琉真は空中で浮いたまま『止まって』いる。

 琉真だけでない。下を通る車も人も止まっていた。振り返ると西夜達も蝋人形のようにその動きを止めている。

「な…!」

 考えている暇はない。

 エレベーターも止まっている。いや、電気が止まっているのだろうか。どっちでもいい。

 とにかく階段を使って下まで駆け下りた。その際すれ違った人、すべてが凍りついていた。一階の扉を抜け、琉真の真下までたどりついた。

「えっと…」

 『叫んで』砂城の言葉が反芻される。

『……動け』ちょっと自信なさげに声を上げると、突然町の雑踏が蘇った。

 車の走り抜ける音に驚く間もなく、琉真は安の両手の中に落ちて来た。

「安さん……?」

 腕の中で琉真は不思議そうに呟く。

「よかった…」

 琉真を強く強く抱きしめた。

「死んじゃ駄目だ……死ぬのは…寂しい…寂しいよ……」

 屋上で西夜と砂城が何か叫んでいたが聞こえなかった。















「さて」

 病室へと運んだら琉真はすぐに眠りについた。休憩室の椅子に四人は着く。

「何から話そうか」

 西夜は息をついた。

「あの…」

 しばしの沈黙を破ったのは安だった。

「俺の能力ってまさか……」

 西夜と砂城は顔を見合わせる。

 少しためらった後、砂城が口を開いた。

「とっさとは言え、迂闊だったわ。もっと隠し通せると思ってたんだけど」

 長い髪をかきあげ、息をつく。

 西夜が続けた。

「安の能力…な…多分もう察しはついとると思うけど」

 安はゴクリと生唾を呑む。

「『言霊使い』と呼ばれる…自分が言った言葉を実現させる能力」

「それは無条件で?」

「うん、安が本気で思って言ったことなら何でも叶う」

「それって……すごく危険なんじゃ…」

「そう、せやから本人の自覚が必要やのに、万夫さんはそれを隠しとった。理由はウチにも分からへん」

 言ってかぶりを振った。

「じゃぁ…」

 安は立ち上がって琉真の病室へ歩き出した。

「安?」

 病室の扉を開け、眠る琉真の金の髪を撫でる。

 ゆっくりと口を開く。

『琉真、もう自分で死のうとなんてしないで。逃げないで。現実と向き合って』

 静かに唱えた。

『生きて』

 そして、追って来た西夜に向かって言う。

「これでもう大丈夫だよね?」

「う…うん」

「西夜が俺の能力が必要だって言ったのは、この力で能力を消すため?」

「…いや、それは安の能力ではできない」

「そうなんだ…」

「西夜……安…さん…」

 か細い声でゆっくりと頭を上げた。

「琉真、目が覚めた?」

「なんだか…頭がすごくスッキリしてます…」

「うん…うん、もう大丈夫やからな」

 西夜は琉真を強く抱きしめる。

「大丈夫…やからな」















 それから一週間程経っただろうか。春休み中盤にさしかかった、いい陽気の日。

「こんにちは、安さん」

 庭の掃除をしていた安は後ろから肩を叩かれた。

「り、琉真!」

 華奢な体には大きすぎるボストンバッグを持って現れたのは金髪碧眼の美少年だった。

「何でここに!病院は!」

「退院が決まってな、ウチが呼んだったんや」

 西夜が家から出てくる。

「呼んだって…まさか」

 琉真はきれいに笑って深々と頭を下げた。

「これからこちらでお世話になることになりました。改めて、よろしくお願いします」

「はい、よろしく」

「よ…よろしく…。琉真の家族はイギリスにいるの?」

「はい」

 笑顔を絶やさず、琉真は言った。

「母はいません。父はイギリスの拘置所に」

「え?」

「あづみ、という僕が姉のように慕っていた女性を殺したんです。なので今僕には身寄りがありません」

 笑って言うが安は青ざめた。

「琉真さんが着かれたんですか。お部屋に案内しますね」

 境内から鏡子が顔を出した。

 『逃げないで。現実と向き合って』

「なぁ西夜」

 鏡子に手を引かれて家に向かう琉真の背を見ながら安は呟いた。

「俺ってひょっとしてすごく残酷なことしたのかな…」

「それは…琉真がこれから生きて確かめることや」

「俺、この能力使わない…できる限り」

「うん、その方がええと思う」















 桜の蕾が開きかけていた。

 静かに静かに春が訪れようとしていた。















「じゃぁ、明日は九時からなー!解散」

 体育館に響き渡る泉原智樹の声。

「都音ーこれから皆でファミレス行くんだけど、お前は?」

「すみません、これからちょっと用があるんで…」

「そうか、じゃあなー」

 少年は汗を拭きながら、頭を下げた。















「お待たせしました」

 透き通る白い肌に横だけ伸ばした茶色の髪と奇妙なほど整った顔だち。着替えて少年は校門の前で立つ少女に声をかけた。

「いえ、それほど待っておりませんわ」

 少しクセのある焦茶の髪に、大きな瞳。上品にコロコロと笑った。

「僕のところに来られたと言うことは、その能力僕らに役立てて下さるということでしょうか?」

「ええ、もちろん。何とぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、えっと…」

「あづみです。筑波(つくば)あづみでございます」

 ロングスカートの端が風に揺れる。

「琉真=アークライトはわたくしが殺しますわ」















 桜の蕾が開きかけていた。

 静かに静かに何かが始まろうとしていた。



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