あとりえ透明3「POP」




「おめでとうございます、朋さん」
 雲ひとつない青空。
 教会から出てくると一斉にフラワーシャワーが浴びせられた。
 高校の時の同級生からあとりえ透明のお客様まで、知った顔が一同に並ぶ。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます。松島さ…あ、もう違うんですよね」
 憧れ続けた純白のドレスに、ヴェールにパステルカラーの花びらが降り積もる。
「ありがとう」
 こうして晴れの日を迎えられたのも彼のおかげだ。選びに選び抜いたまさに理想の彼。
 そうして、頭ひとつ高い彼の顔を見上げ

 

「ジリリリリリリリ」

 
 目が覚めた。
(夢か……そりゃそうよね)
 私、松島朋は47歳。職業は恥ずかしながらフリーター。絶賛婚活中である。
 今日はコンビニへのバイト。女子高生のアルバイターにお局ババァとか言われているのは知っている。知っているが食べていくにはやっていくしかない。
 あとりえ透明はもうないのだから。
  

 
 そう
 あとりえ透明はもうない。
 あの店は売りに出してすぐに買い手がついた。
 今は普通の喫茶店になったはずだ。
 笑さんは時々会いに行くが、成瀬さんとせつなちゃんと幸せそうにしている。
 中条さんとは事情があり会えなくなった。千春ちゃんにもいろいろあったが、母親である姉曰く今は普通に楽しくやっているようだ。しかし、なにか忙しそうな感が拭えない。
 和泉ちゃんは高校を卒業して無事に美大に入ったきり会っていない。こちらも課題で忙しいらしい。
   

  

  
 ピロピロピロ
「いらっしゃいませー」
 小さなコンビニの入口前、客の顔も見ず、条件反射で軽く頭を下げて荷物を解き続ける。
「えっと……朋ちゃん……かなー?」
 声と一緒にカツカツと杖で探る音がする。
 驚いて振り返るとそこにはせつなちゃんに支えられた笑さんがいた。私は慌てて立ち上がる。
「ご無沙汰してます。松島さん」
 せつなちゃんが頭を下げる。ずいぶん大人っぽくなった。年からしてもう高校を卒業したはずだ。おしゃれな服に似合わない大きなリュックを背負っている。
「今日、バイト何時に終わるー?ちょっとお話したいかなー、と思って」
「話?あ…うん…あと1時間…いや、50分くらいで……片付けもあるから17時30分に、駅前の喫茶店でどう?」
「それよりもっといい場所があるかなー」
「いい場所」
 笑さんは相変わらずの意味ありげな笑顔を浮かべた。この人は本当にいつまで経っても老けない。
「元あとりえ透明」
 私は目を丸くした。
「でも……あそこは今お店に……」
「潰れたんだってー。それでー今テナント募集になってるからー見学したいって不動産屋さんに鍵借りたんだー」
「お待ちしています」
 せつなちゃんがそっと頭を下げた。笑さんとは正反対のどこか深刻そうな色を顔に浮かべながら。
   

  

  
「松島さん、今日17時上がり?」
 私よりも更に年上の店長が声をかけてくる。
「はい」
「じゃあさ、明日までにPOP描いてきてくれない?新商品の春のパンのやつ。これ、よろしく」
 有無を言わせず私に商品リストを渡す。タブレットで表示するので家で描いてこいということだ。
 いつものことだ。
 高校で美術部だったということはこういうところで無駄な仕事を生むだけだ。
 仕方なく店外秘であるはずのその書類を鞄に入れると着替えを始めた。
 ああ、いやだなぁ。
 いつまでこんな生活が続くのだろう。
   

  
   

 元あとりえ透明まで電動自転車で15分。久々にこの店の前に立った。確かに中は引き払われ『テナント募集』という張り紙がしてある。
 ドアに手を掛けるとすぐに開いた。カウベルの音はしない。
「えっと……お邪魔します……」
「あ、朋ちゃんー。二階二階ー!」
「お母さん、危ない!」
 二階から乗り出す笑さんをせつなちゃんが抑える。私は慌てて二階に上がった。
   

  

  
「絵を?」
 笑さんはせつなちゃんがウチのコンビニで買ってきたペットボトルの紅茶を差し出され、口をつける。
「うん、描こうかなーと。それで、あとりえ透明をまた始めたいな―って思ってー」
 いつも通りの口調で、いつも通りに首を傾げる。
「あとりえ……透明……」
 思い出が怒流のように頭に流れこむ。
 あの時、本当に楽しかった。
 やりがいもあった。
 あの輝いてた日を。
 でも……。
「絵って……どうやるのよ……?」
「どうって―?描くだけだよー」
「描けないでしょ!見えないんだから!自分が何を描いてるのかもわからないのよ!」
「うーん、多分大丈夫―」
「じゃあ、これ描いてよ!」
 私は紙の束とタブレットを叩きつける。
「ウチのコンビニのPOP!描いてみてよ!」
 笑さんはそれを触って指でなぞると、しばらく考え込んだ後に口を開いた。
「せつなちゃん」
 そう、あの呟くような声。
「F8の荒目画用紙と非水彩の色鉛筆12色」
 せつなちゃんが手早くリュックから紙と木箱入りの色鉛筆を取り出した。座った笑さんの前に並べて両手を取ると、左手を紙の縁に、右手を木箱の端に置く。そして、右手に鉄筆を握らせた。
「いや、デジタルじゃないと……」
「あとでスキャンすればいいよ―。で、パンのPOPでいいの?」
「何で分かるの?」
「インクのある場所とない場所で凹凸があるからー、インクジェットで印刷した紙はだいたい分かるのー。とりあえずどれ描けばいいのかなー。POPって大学でちょっと勉強はしたけど実践で描いたことはないんだー」
「えっと『コロッケパン120円』……あとは美味しいよ、とかオススメとか……」
「了解ー」
 紙を取ると鉄筆で慎重に紙をなぞりだした。ぱっと見は何も見えないが、鉄筆の跡が残る。一揃え描くと、せつなちゃんに見返った。せつなちゃんはコクリと頷く。
「うん、合ってる。大丈夫」
「じゃあ、9番」
 笑さんの言葉にせつなちゃんは箱の左から9番目の色鉛筆を取り出す。黄緑だ。
 指で鉄筆の跡をなぞりながら、色鉛筆をそれに這わせていく。
「7番」
 次は橙色を差し出すせつなちゃん。
 それをただ繰り返して、どのくらい経っただろう。
「できたー!」
 そこに描かれたのは可愛らしい字と美味しそうなコロッケパンだった。目が見える私なんかよりよっぽど上手な……。きっとこれを店長に見せたら私が描いたものでないとひと目で分かるだろう。
「なんで……」
「なんでって何がー?」
 なんで……私の先を行くのか。才能も家族も手に入れて尚、平気で見せつける。
 ああ、くやしいなぁ。
「あとりえ透明、やりたいんだ?」
「うんー、まあねー」
「何で私なの?他にもいっぱい手伝ってくれる人いるでしょ?」
「だって、あとりえ透明は朋ちゃんのものだから」
 嘘のない笑顔。
 だって、彼女は
 笑さんなんだから。
「松島さん」
 せつなが一歩前に出る。
「母をどうかよろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げた。
「せつなちゃんは…どうするの?」
「お手伝いします。お役に立てるか分かりませんが」
 その時、髪がパサリと落ちて耳にノイズキャンセリングイヤホンをつけていないことに気づく。
「私は、成瀬の娘ですから」
   

  

  
 その夜、私はコンビニに退職願を書いた。
 笑さんの描いたPOPのデータを同封して。
 まだ、始めるには遅くないよね。



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