あとりえ透明2「クリームソーダ」




「それで結局一緒に暮らしてるの?」
「うん、とりあえず引っ越しじゃなくて居候的な感じで。でもずっと喧嘩してる」
「やっぱり気が合わないんだ?」
「じゃなくて、お母さんが料理したり掃除したりしたがって、怪我しかけてお父さんが怒る感じ」
「何それー?ていうか笑さんって今までご飯とかどうしてたの?」
「基本的には松島さんが面倒見てたらしいわ。掃除とか洗濯とかも。用事のあるときや最近はお弁当の宅配サービス使ってたらしいけど。本当は介助サービスとか使うべきなんだろうけどお母さんがそれ嫌がって」
「ああ、朋さんが最近シフト減らしてるの、それでかぁ」
「うん、お父さんから頼まれて、家にしょっ中様子見に来てる。あ、でもこれはお母さんが目見えなくなった時からなんだけど、代わりに多少お礼ってことでお金もらってたみたい。だから松島さん店が流行らない時も辞めてた時も生活はやって行けたのね」
「なるほどー」
「あれ?」
「ん?」
「一花さんの足音……今日は大学の研究会か何かで休むって言ってたよね?」
「うん。なんか非常勤の方の仕事だって……」
「あ、でも誰か連れてるなぁ。二人いる。多分女の人」
「相変わらずエスパーレベルだよね。その耳」
 お昼すぎのお客さんがいない一時に二人で言っていると、せつなさんが言ったとおりにドアが開いた。
「おはようございます、一花さん。今日はどうされたんです?お休みじゃ……」
 一花さんは黒のパンツスーツ姿だった。いつもはかけていない眼鏡もして、昔の朋さんによく似てる。
「この子、届けに来たの。塾を追い出されたってカテキョー頼まれたんだけど、ちょっと預かって。私これから学会行かなきゃいけないから」
 ドアから顔をのぞかせたのは、中学生の女の子だった。
 黒髪をポニーテールにして大きなリボンが目立つ。私の学校の中等部の制服を着ているが大人びていて、せつなさんより年上と言われても通るように思う。
 一花さんは千円札を置いて、その子を放り出すように店の中において、鞄を渡す。
「ジュースとケーキでも食べさせて、よかったらちょっと勉強見てやって。忙しかったら放っておいてもいいから」
「はあ……」
 ウチは託児所じゃないのだが。
「一応言っておくと、その子、朋さんの姪御さんだから丁重に扱ってね」
 その一言に私達二人の背筋が伸びる。
「はい!かしこまりました!」
「確かにお預かりしました!」
 朋さんの姪とあらば、ぞんざいに扱う訳にはいかない。
 私達の返事に頷くと、一花さんは慌ただしく走って行った。
「はじめまして、中条千春です」
 少女は折り目正しく頭を下げる。
「中条……?」
 あれ?どこかで聞いたことがあるような気がする。中等部と高等部は学校の敷地が離れていて基本的に顔を合わせないので、学校で会ったという線は薄い。まぁ、朋さんの親戚なら何かで名前を聞いたことくらいあってもおかしくないか。
「とりあえず、二階でゆっくりしてて。今お客さんいないから。ケーキとジュースは何がいい?」
「えっと、何でもいいですけど……あ、できれば甘い系のがいいです」
 年の割に口調もハキハキして大人びている。
「じゃあ、ベイクドショコラに……アイスがあったわね。クリームソーダでいいかな?」
「お願いします。何かお手伝いしますか?」
「お金もらってるんだからお客様でいいわよ。せつなさん、お席に案内お願いします」
「はい、こちらへどうぞ」
「私、メイドカフェって初めてです。もっとチャラチャラしたのを想像してました」
 二階に上がりながら中条千春ちゃんは楽しそうにそう言っていた。
 

 

 
 ケーキとジュースをトレイに載せ、二階に上がる。
「和泉ちゃん助けてっ!中卒には無理っ!」
 席で向かい合って参考書を見ていたせつなさんが珍しく私に泣きついてくる。
 トレイを席に置き、本を渡された。私はギョッとする。
「微積……?」
 千春ちゃんは何が不思議なのだろう、という顔でこちらへ大きな目を向けてくる。
 国立理数3年の私が数カ月前に習ったばかりの問題がそこに並んでいた。
「中条さん……」
「千春でいいですよ」
「じゃあ、千春ちゃん……あなた中学何年生?」
「中1です」
「はぁ?」
 思っていたよりさらに幼かった。半年前まで小学生だったのか?それで微積をやっているのか?
「学校で習ったんじゃ……ないわよね……?」
「自習です。えっと……やっぱりダメでしょうか?私数学だけ得意で他の教科全然だから、お父さんには国語や英語をやれって言われてるんですが……」
 少女は困ったような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、英語をやりましょうか。ちゃんとしないと朋さんに怒られちゃうからね。中1の今だと……現在進行形辺り?」
「えーっと……」
 気まずそうにノートを差し出した。
「…………」
 せつなさんが不思議そうに覗きこんで、倒れこんだ。
「ちょっとさっきの数学のノート見せてもらえる?」
 少女は分かっていたという風に渋々ルーズリーフを差し出す。私は神妙な顔でそれを見比べた。
 どう考えても同じ人間が書いたとは思えない。
 とにかく英語のノートの字が読めないのだ。数学は活字で書いたように綺麗に整っているのに。
「ひょっとして……アルファベットあんまり書けない?」
「そ、そんなことないです。abcとxyzとQEDは筆記体も書けます」
「それ、数学じゃない!」
 千春ちゃんはあからさまに目をそらす。
「えっと……じゃあ、国語も?」
「漢字が小学3年生位から覚えられなくなって、あ、でも『証明』とか『代替』は書け……」
「数学だ!」
 私が間髪入れずに突っ込む。
 一花さんは塾を追い出されたとか言っていたか。追い出されたというか見放されたのだろう。一花さんも文系だから手を焼きあぐねたのだろう。
 厄介なものを持ち込まれた、と思った時だった。せつなさんが私の肩を叩く。
「お客様、7…いや8人の団体さんです」
「千春ちゃん、ごめん。ケーキ食べてて」
 私は立ち上がり、二人で階下に降りる。
「いらっしゃいませ、ご主人さま」
 いらしたのは顔馴染みのお客様だった。大学生のサークルでよく来てくださる人たち。知ったもので先導しなくても二階へ上がってくれる。
 せつなさんは厨房に入った。席に通し、わいわいと注文を選び出したので、ひとまず手伝おうと階段を降りようとするとインカムで声が聞こえた。
『お客様、あと3名様。大丈夫?女性の3人組だからさっきの方とは相席なしで』
「分かったわ。厨房で下準備お願い」
 椅子の位置を整えるために再び客席に戻り、テーブルクロスを引き直す。せつなさんが人数把握してくれるのはこういう時本当に助かる。足音からの靴の種類で男女も十中八九言い当てる。
 階下のドアの前でスカートを整えると同時にドアが開いた。
「いらっしゃいませ、お嬢様方」
 3人組は知らない顔だった。
「初めてのお客様ですよね。お二階へご案内します」
 新しいお客様はわいわいとはしゃぎながら二階へ上る。
『和泉ちゃん、お客様またいらしたので、私接客入ります』
 インカムからせつなさんが慌てて言う。
 今日は何なのだ?
「一花さんが学会の前にセミナーがあるって言ってました。多分その帰りのお客様です」
 私の心を読んだように言って立ち上がったのは千春ちゃんだった。ノートやペンケースを鞄にしまい、身軽に階段を駆け下りる。
「せつなさん。エプロン貸してください。あとメニューの写真ありますか?」
 髪をピンでまとめ、厨房に入った。
 とんでもない。
 素人にメニューを任せられるか。
 しかし、せつなさんの答えは意外なものだった。予備のインカムを手渡したのだ。
「分からないことがあったらすぐに聞いて。指示は出すから」
 それだけ言うと三組目のお客様を1階のテーブルに迎える。
『150mlの水とカップ用に200ml。煮沸蒸発率を18%と考えて、413ml。14人で5.782リットル……大丈夫。ヒーター5個口だから足りる』
 スイッチを入れっぱなしにしているのだろう。インカムから独り言が聞こえる。
「アフタヌーンティーセット5つ、タルト3つ、クレームブリュレ2つ、ケーキ4つ、手伝うわ」
「和泉さんはオーダーお願いします。せつなさんは紅茶を。料理なら写真があれば作れます。だいたい知ってますから」
 なんで?
 私の知る限り、彼女はこの店に来たことがない。一花さんもそんな雰囲気だった。
 なのに、なぜこんなに詳しいのだ?
 メニューを知っている?
 せつなさんが紅茶担当だということも?
『サンドイッチ1/8×2。2段目はクリームチーズとプチケーキ。プチケーキはオーブンに1つ、冷蔵庫に2つ。チョコソースは120gを9等分だから13.33g。クレームブリュレのバーナーは22秒……』
 朋さんか一花さんから聞いたのか?写真で見ただけでわかるのか?どこで覚えたのだ。そんなレシピを。
 みるみるうちにオーダーが仕上がっていく。
 せつなさんの紅茶とほぼ同時に、料理が出来上がった。
 完璧だ。
 私とせつなさんがゆっくりとそれを運んだ。
 途中でせつなさんが入り口に走る。
 またお客様だ。
「追加オーダー、コーヒーとモンブランとイチゴタルトのセットできますか?」
「はい、コーヒーはネルドリップですよね?」
 千春ちゃんが答えた。
 

 

 
 夕日が傾く頃、修羅場は収まり、私とせつなさんは後片付けをした。
 エプロンを外した千春ちゃんは部屋の端にカバーを付けておいていた自分の飲み物を見て、心の底から落ち込んだ顔を見せた。
「クリームソーダ……溶けちゃった……」
 

 

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