あとりえ透明2「ハニートースト」




 ゴールデンウィークのある朝だった。
「お客様、来られますっ。お一人様、多分初めての方で女性ですっ」
 携帯型のインカムで声が届く。皿を磨いていた私と一花さんはため息をついた。
「相変わらず便利ですね。せつなさんの人間カウベル。二階にいても外からの足音が聞こえるなんて」
「イヤホンつけてあれだからねー。さて、お出迎え行ってくるわ」
 
 
 
「お帰りなさいませ、お嬢様」
 深々と頭を下げる一花さんにクスクスと女性の笑い声が被さった。三十歳くらいの茶色いストレートヘアにカジュアルスーツの女性だった。せつなさんが女性だとわかったのは、ハイヒールだったからだろう。一花さんは頭を上げて目を丸くする。
「……由理?」
「久しぶりね、一花メイドさん。春なのに寒いわ。温かいコーヒー……いや、ラテアートが見たいわ。それと……そうね、ベリー系のタルトはある?」
「やだぁ!何年ぶり!?」
「メイドさんでしょ、かしこまりました。は?」
「かしこまり……ぶふっ。ダメ!笑っちゃってできない!」
 一花さんがバンバンと女性の肩を叩く。
「今、他にお客さんいないからくつろいでよ」
「ちょっとー経営大丈夫なの?」
「開店直後だからよ。割と流行ってるのよ。お昼はちょっと追いつかないくらい。一人高校生だから実質二人で回してるしね」
「あー、じゃぁ宣伝とかしない方がいいか」
「宣伝?」
 由理、と呼ばれた女性は二階に案内され、一花さんと話し込み始めた。私は慌てて、タルトの準備にとりかかる。せつなさんはカフェオレの準備をし始めた。
 ラテアートは一花さんの専売特許だ。何も描かないただのカフェオレとタルトにアイスクリームを添えたお皿をトレイに乗せて、せつなさんに任せた。
 厨房から出ると二階の会話も聞こえる。
 いや、盗み聞きをしようというわけではないのだ。いつお客様がいらしてもいいように待機しているのだ。
「ライターの仕事まだ続いてたんだ。会社辞めたって言ってたけどフリーってこと?」
「うん。でね、フリーだけど期間契約の仕事もあるの。それで雑誌のカフェ紹介のコーナーがあるから任せようかな、ってちょっと思ったんだけど」
「へぇ、面白そうじゃない。なんて雑誌?」
「えっと……あそこは……あー脳が老化してる。ちょっと待って端末見るから」
 電子音がいくらか音を立てる。
「あんたは宣伝持ちかけた雑誌の題も覚えてないの?」
「雑誌自体は専門外だもん。私は文章書くだけ。雑誌の対象者さえ覚えてればオッケーなんですー」
「えーと、えーと、成瀬編集長ー!あ、ほら、これ……」
「なる……せ……?」
 一花さんの声が聞こえた。
「あっ、パパの雑誌だっ!これ、売れてるんですか!?わー、パパの仕事のお知り合いさん初めて会ったですっ!」
 私はそれ見たさに思わず二階へ駆け上がる。
「和泉ちゃん、見てみてー!これ私のパパの雑誌っ!」
 せつなさんは嬉しそうに端末を見せびらかす。
「すごいでしょ!昔はねー売れないライターだったんだけど、イギリスで現地の様子伝える電子雑誌始めたら流行ってねっ!今は日本にある欧風スポット紹介してるのっ!」
 巻末に載っている顔写真入りの編集後記を見せてきた。スマートでオシャレな服を着て嫌味のない笑顔を浮かべている。
「あなた、成瀬さんっていうの?」
 由理さんがせつなさんに聞いてきた。
「はいっ、成瀬せつなですっ!」
「親戚に成瀬凛っていない?」
「いますっ。お父さんのお兄さんの子供だから……従姉妹ですっ!」
「わぁ!私の妹、愛理っていうんだけどね。高校時代凛ちゃんと同じ部活だったの!漫研!」
「えー、凛お姉さん漫画家してますよー」
「知ってるわよ。ペンネーム愛理から聞いたもの。売れっ子じゃない!」
「うわぁ、今度会わせたい……っと、お客様二名様ご来店いたします」
 言うとスカートを少しだけたくし上げ、せつなさんは階段を降りていった。
 
 
 
「お疲れ様でしたー」
 20時半過ぎ、片付けを終わらせ私は裏口から頭を下げて出た。一花さんも「駅まで行こう」と連れ立つ。
 土曜の鍵係はせつなさんだ。専門学校もないし、帰りが遅くなっても父親が迎えに来てくれるらしい。
「いいご身分ですよね。せつなさん」
「そう?」
 駅までの道は住宅街で街灯が少ない。暗い道を二人で並んで歩いた。
「耳がいいのなんて生まれ持った能力じゃないですか。それをひけらかして。この前二人の時言ってましたよ。一花さんの声は高くて耳に響きすぎるって」
「そうかー、不快な思いさせちゃったんだねー。これからはちょっと低めに話すよ。でもね、和泉ちゃん」
 ワンテンポ置いて、言われたとおり低い声で私を見た。
「人の悪口は本人に伝える人が一番嫌われるんだよ」
 私は目を見開く。一花さんは伸びをして、笑った。
「まぁ、私は気にしないけどね。でも、覚えておいた方がいいよ」
「わ……私……そんなつもりじゃ……えっと……あ……ごめんな……さ……」
 堪らずUターンして、走りだした。一花さんの静止も無視する。
 
 
 
 辿り着いたのは店だった。
 裏口からまだ灯りが漏れている。せつなさんはまだいるのだろうか。恐る恐る電子キーを開いた。ドアはあっさりと開く。
「えっ!?ちょっ……!誰!?……泥棒…!?」
「和泉です。澤和泉。せつなさん?」
「せ、和泉さん!?ちょっと!ちょっと待って!さ、三分!いや、二分!」
 妙に香ばしい甘ったるい香りがする。
「ハチミツ?」
 私は厨房を覗きこむ。
 そこにはパンを一斤まるごと頬張る美少女の姿があった。
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「………………食べる?」
「…………ちょっとだけ」
 
 
「あーあ、週一の鍵当番の時だけの秘密の楽しみだったのにー。ホームベーカリーで一斤まるごとハニートーストー!!!」
 せつなさんは厨房の簡易スツールと調理台で手足をバタバタさせる。
「一花さんなら言えば作らせてもらえたと思うけど……」
「恥ずかしいじゃない!!どんだけ食いしん坊キャラなのよ、私!」
「じゃあ、家で作れば?お金持ちなんでしょ?」
 パンを一摘みハチミツに漬けて食べる。これだけだと美味しいが、とても一斤食べる気にはならない。
「パパが甘いものは太るって食べさせてくれないのっ。いない時に作っても匂いとかでバレるでしょっ!」
「まぁ、健康には悪いかな。私のお母さんとかも怒りそう……」
「和泉ちゃんのお母さんってどんな人?」
 遠慮なく聞いてくる。この辺のノリは欧米式なのだろうか。いや、欧米ならプライバシーには踏み込むまい。
「病院勤務」
 無難な答えを選ぶ。
「お医者さん?看護師さん?」
「一応……医者……」
「すごーいっ!女医さんっっ!!カッコイイ!!!何で教えてくれなかったのっ!?」
「聞かれなかったし。別にすごくないよ。全然家に帰ってこないし帰ってきても寝てるだけ!」
「お父さんは?」
「サラリーマン兼主夫……みたいな」
「いいじゃん、家事のできるお父さんっ!」
「……どうせ家に帰っても勉強しろとしか言わないし。料理も私のほうが上手いわよ。私を医大に入れたいみたい。私は美大に行きたいからこうしてバイトしてお金貯めてるの」
「へー美大志望なんだ。あ、二階に飾ってる小さな絵も和泉ちゃんのだったり?」
「あれはもっとすごい人。私も殆ど知らないけど、この店の初代店長さんで、昔は有名な画家さんだったんだって」
「ふーん、そんなすごい絵には見えなかったなー。私はやっぱり絵心ないのかなー」
 事情は知っている。あの絵の主は今は全盲になって、手探りと勘だけで描いている絵だからだ。でもそれはこの店の一番の秘密で軽々しく明かすのはいけない気がした。
「せつなさんのお母さんは?」
「あ、ウチお母さんいないよっ」
「え?」
 サラリとすごいことを言われた。
「いないって……離婚?」
「離婚じゃなくてね。うーん、なんていうんだろう。いや、死別じゃないしなぁ。扱い的には離婚になるのか?要するに産まれてすぐに私捨てられたんだよね、母親に。それでお父さんに預けられたと。母親には会ったことないんだ。産まれた瞬間除いて」
 頭をかいて照れ笑いして、ハニートーストにかぶりつきながら言う。
 いや、あらゆる行動が言葉と一致していないだろ。
「会いたいとか……思わないの……?」
「思わないなぁ。だって赤ん坊産み捨てるんだよ。ロクな人じゃないの決定だよ」
 この人は、どうして、ここまで、強かに……。
「ごめんなさい……」
「は?」
「一花さんにせつなさんの悪口言いました。せつなさんが一花さんの事悪く言ってたのも伝えました。聞いちゃいけないこと聞きました。無神経でした。私本当に無神経でした。ごめんなさい!」
「へ?どこが?」
 立ち上がって深く頭を下げる私にせつなさんは目を丸くする。
「それより私は自分の親の悪口言う方が無神経だと思うなっ。不満があるなら直接言わなきゃっ!」
 言って笑う。ああ、情けないなぁ。情けないなぁ。言い返す勇気も直接言う勇気もない私は情けないなぁ。
「どうやったら、せつなさんみたいになれるのかなぁ」
「週に一度、ハニトー食べたら!」
 せつなさんは笑って親指を立てた。
 
 
 私 ちょっと 頑張りすぎてたみたい かな 
 
 
 

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