天球儀 其の零 ep.3 五月「牡牛座の横恋慕」




「暴力事件?」
 五月に入っても十二宮室には二人きりだった。
「はい〜。2年生の女生徒が〜男に殴られて骨折したって〜。他校の高校生っぽかったって〜言ってますけど〜はっきりは分からないって〜」
「カツアゲでしょ〜」
「それが〜お金は1円も取られなかったって〜一応、ケーサツに届けたそうです〜」
 未歩梨がノートをめくりながら伝える。
「……何それ?」
「大変ですね〜でも〜それより〜この書類片づけるのが大変ですね〜」
「まったくだわ」
 山のように積みあがった書類に玲奈はぐったりと机に突っ伏した。
 
 
 
「ミナトクン。なんスか?用って?」
 暁子を人の少ない始業前の喫茶室に呼び出したのはミナトだった。
「常盤からメールがあって、姫とあんたら千条姉妹以外にはみんな知らせたみたいなんですけどね」
 言って、携帯の画面を見せる。
「多分、みんなはアンタに知らせたら姉にバレると思って、アンタにも言わないんだと…。千条姉は姫にひっついてますから」
 淡々とミナトは続ける。
「だからこれをアンタに教えるのはミナトの自己判断です。姫や姉に知らせるかどうかはアンタに任せます。知らせたところでどうにもならんとは思いますがね」
 話し終わると携帯を畳んでポケットにしまった。暁子は手足をバタバタさせる。
「うー困ったー。これはすごく困ったことになったなー。ミナトクンがケンカ得意だったりすると嬉しいんだけどなー。カホちゃんと同じ空手道場に通ってたりするようなご都合主義はないかなー?」
 チラチラとミナトの表情を窺いながら暁子はわざとらしく並べ立てる。
 ミナトは少し黙った後で口を開いた。
「報酬は?」
「あー、そー来るかー。下校時のミポリンを護衛してくれたあとー毎日スタバおごってーそれで道場に遅刻しても中務さんに怒られないようにカホちゃんに頼み込んであげるくらいのことしかできないスねー。ダメスねーアタシー」
「引き受けます!」
 今度は即答だった。
「話が分かる人で助かるスよー」
「じゃあ、とりあえずさっきのサイト送りますね」
 ミナトが再び携帯を開いてメールを打つ。すぐに暁子の携帯が音を立てた。そこに書かれたURLを開く。掲示板だった。スクロールすると最後の行には『マジで振り込まれた。証拠写真うp→』という文字と銀行通帳の写真が載せられていた。
 
 
 
「まったく、早く話したいことがあったのに、こんな日に限って早朝バイトが長引くとか…」
 学校の最寄り駅だったが人通りはほとんどなかった。
『°Cute ぼっち乙www』
 登校中の久都凛子のスマホが人工音声で喋る。それに向かって怒鳴りかけた。
「人をどっかの廃れかけのアイドルグループみたいに言わないでくださりません!?あとぼっちとかも仰らないでください!もし襲われてたらどうすればいいか!わたくし、ケンカなんてできませんわよ!」
「へー、お嬢さん、ケンカできないんだ?ラッキー」
 後ろから品のない男の声が聞こえてきた。
「なっ…」
『あーあ、自爆www』
「なんだよ、電話してたのかよ」
 男はスマホを凛子から取り上げる。
「常盤…!」
 凛子が慌てて奪い返そうと手を伸ばすが先か、黒塗りの車の扉が開く音がした。
「てめーら、やめろよ」
 女性の声が聞こえる。
 振り向く間もなく、男は髪の長い女性に背中を蹴り飛ばされた。
「え…?」
 倒れた男の顔を何度も踏み潰すと女性は満足げに息をついた。
「ったく、物騒な世の中だな」
「あ…ありがとうございます」
 女性はハッと我に返り、凛子に向かって大きく頭を下げる。
「え…あ…いえ…このことは内密にお願いできますか?」
「は…はぁ…あなた1年生…?」
 呆然としながら凛子は尋ねる。
「お、おほほ。いえいえ…」
「桂子お嬢様、遅刻なさいますよ」
「こら!井上!名前がバレたら…あ、そ、それじゃぁ私はこれで。お気をつけて…」
 運転手を叱りつけると一礼して矢井田桂子は車の後部座席に戻った。
 
 
 
「ミポリーン!」
 二人で仕事をしていた十二宮室に二人の影が飛び込んできた。
「なに〜キョーコちゃん、珍しくハイテンション〜、あ、ミナトクンも一緒だ〜」
「そろそろ帰る頃かなと思って」
「帰れないよ〜。12人で処理はずの書類を〜2人でやってるんだよ〜。文化祭も近いし〜」
「こういう時の蛇遣座は?」
 ミナトが辺りを見回した。
「それがいないんだよね〜。会議室ももぬけの空〜」
「仕方ない。手伝うスか」
 暁子は席に着く。
「俺はごめんです。帰るって言うから迎えに来たんですから」
「あ、今日から新しいスコーンが発売だったよーな気がするス」
「…………」
 ミナトの足が止まる。玲奈と未歩梨はキョトンと見合わせる。
「は?スコーン?」
「なんのこと〜?キョーコちゃん〜?」
「…今日だけですよ」
 ミナトはグッと歯を食いしばり席に着くと書類を取った。
 
 
「ミポリンはさ、なんで十二宮の仕事するんスか?」
 書類をめくりながら暁子は不思議そうに尋ねる。
「レナちゃんの親友だから〜」
「ったく、分かんないス」
 ため息をつくと同時に扉が大きな音を立てて開く。息を切らせた少女が飛び込んできた。
「わ、亘会長…!」
「えっと…誰…」
「…蛇遣座の?……えっと?…」
「今、館林君がいなくなって蛇遣座で探し回ってたんですが…そこで…館林君が…」
「…あちゃー、そっちに行ったスか」
 慌てた様子の蛇遣座の少女が言うより先に暁子が頭を抱え込む。
「大丈夫だよ。俺が看てきた」
 後ろから大柄な男が姿を現した。
「高坂くん?」
 未歩梨が首をかしげると、高坂累は皮肉気にニヤリと笑った。
「会長の面目丸つぶれだな」
「な…何のことよ…!」
 玲奈が立ち上がる。
 
 
 
 葵と譲は妹二人と帰路に着いていた。
「何なのよ、兄さん。いつもは私のこと邪魔者扱いのくせにー」
 鬱陶しそうに永戸滋は譲から距離を置く。
「いいじゃんか!滋ちゃん!なぁ!」
「葵くんは下心見え見えだからウザい」
 肩におかれた葵の手を振り払う。
「ウザ…い…」
「あーあ、死なないでよー、葵ー」
 肩を落とす葵の頭を譲は撫でた。椿は兄の様子を気にしつつ滋に話しかける。
「滋もそう言わずに。ほら、暴力事件があったでしょう?お兄様も譲さんも心配してくださってるのよ」
「あははー、椿ちゃん優しいー。妹交換したいー」
 譲の言葉に椿は上品に微笑む。
「私のお兄様になると、そのうち辰哉の義兄にもならなければならなくなりますよ、譲さん」
「あーそれはー怖いー」
 肩を落としていた葵が顔を上げる。
「ちょっ…!何だよ!金城とそんな話まで出てんのか!?殺す!ちょっと今から金城殺してくる!」
「落ち着いてよー葵ー」
 暴れる葵を譲が宥めた。
 
 
 
 下校道を歩く剣斉太郎に小紫沙羅は切り出した。
「せーちゃん…あの…私…思うんだけど…」
「何?」
「いや…なんでもない…」
「何だよ?言えよ?」
「…怒らない…?」
「怒らねーって」
 斉太郎は沙羅の長い髪をなでる。
「その…十二宮…行った方が…よくないかな…このままだと中途半端だし…それに…みんなで一緒にいた方が…」
 そこまで言った時に斉太郎の目の色が変わったのに沙羅は気が付いた。
「………お前…あお…」
 沙羅は慌てて頭を何度も下げる。
「ご…ごめんなさい!…忘れて!…いいから…ごめんなさい!」
「お前は俺といればいいんだよ」
 斉太郎は沙羅の肩を優しく抱き寄せる。
「……うん…」
 静かに頷いた。
  
 
 
「キョーコちゃん〜帰るのに〜なんでミナトクンが着いて来るの〜?っていうか〜館林君のお見舞い行かないでいいの〜?もひとつ、っていうか〜レナちゃんは一人にしていいの〜?最後にもひとつ、っていうか〜なんでスタバ寄るの〜?」
「あはは、いいからいいから」
 未歩梨の質問攻めを暁子は笑って交わして駅前のスタバの自動ドアをくぐる。
 来店を知らせるベルが鳴った。
「いらっしゃいませ。店内で…って」
 店のユニフォームで笑顔で出迎えたのは久都凛子だった。
「久都さん〜?」
「え…あ…あなたたち…どうして」
 凛子はあからさまにうろたえた表情を見せるが暁子は動じず前に出る。
「お客スよ。えっとねーベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ、三つ」
「嫌がらせですか?」
「違うよ。ミナトクンがスタバ好きなだけ。送ってもらってるの。久都さん、バイトお疲れ」
「ど、どこまで知ってるんですの〜」
 慌てた様子を隠せない凛子に暁子は落ち着き払った表情しか見せない。
「いろいろ知ってるよ。それよりベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノ、早く」
「は、はいはい!」
 スタバで一番長いメニューとして有名なドリンクをスラスラと頼み、満足げに暁子は代金をカウンターに置く。
「あとーお姫サンはね」
 未歩梨とミナトの方に向き直った。
「ん〜?」
 口の端だけで笑う。
「一人にしてあげた方がいいと思うスよ」
 未歩梨に携帯の画面を差し出した。
「これが楷明狩りス」
 
 
 
「………おかしい…何か……絶対に…おかしい…」
 蛇遣座の会議室から戻る間、玲奈は考え込んでいた。不意に通りすがりの生徒の声が耳に入る。
「おい、聞いたか?1年4組…」
「ああ、女子が乱闘騒ぎ起こしたってのだろ」
 玲奈は顔を上げる。
「乱闘……?暴力…事件…?」
 走り出す玲奈。階段を降りようとしたときに手を引っ張られた。
「な…!」
「行くな」
「あんた…」
 それは市川一だった。
「今回は違う。行く必要はない」
「違うって何が…!」
「単なる生徒間のいざこざだ。楷明狩りじゃない」
 険しい表情だった。玲奈は目を見開く。
「楷明…狩り…?」
「イチ!余計なことしてんじゃねぇ!」
 声の主は高坂累だった。
「…すんません」
 手を放す一。再び駆け出す玲奈だった。
 
 
 
 騒ぎの元は一年の教室だった。
 教室の前は人だかりができていて中を見ることはできない。野次馬のざわめきで声もまばらにしか聞こえない。
「なか…かさ…どういう…だ…ばあいに…っては…」
「…ま…せ…」
 震えるような謝る声が聞こえる。
「まゆりは悪くない!」
 野次馬の声を遮る叫び声が上がった。子供ような高い少女の声。
「ナルが苛められてたの!まゆりはそれに怒ってくれただけだよ!全部悪いのはこいつらだもん!」
「なっ…!酒本!あんた!」
 女生徒の声が響く。
「じゃあ、家に言うから!お父さんに言うから!苛めた奴の名前も、見て見ぬ振りした先生も!まゆりだけが助けてくれたんだって言うから!」
「そ、それは…」
 あからさまにうろたえる教師の声。
「だってホントだもん!まゆりは全然悪くない!退学にさせるならこいつらだよ!」
(本当にタダのケンカか…)
 玲奈は息をついた。
 それならば、館林の様子を見に行こう。できるなら詳しい話を聞こう。彼なら教えてくれるかもしれない。
 
 
 
「はい〜楷明狩りなら知ってました〜」
「え?」
 フラペチーノを飲みながら笑う未歩梨の答えに暁子とミナトは目を丸くする。
「実は噂なら〜春休みが始まる前から〜出てたんですよ〜。えへへ〜芽芽くんに情報戦で勝っちゃった〜」
「なんで…?」
「Twitterやってて、楷明の十二宮に入るんなら楷明のこと知らなきゃなぁと思って調べたんですよ。そしたらヒットしました」
「ひょっとして、春休みずっと姫についてたのって…」
「そ〜です〜。ついでに白制服着てたのも〜レナちゃんのカモフラージュです〜えっへん〜」
 自慢げに胸を張る未歩梨に暁子は立ち上がって声を上げた。
「バカ!なんでそんな大事なこと言わないんスか!?」
「言ったら〜キョーコちゃんも〜白制服で十二宮に来ようとするでしょ〜。アタシは〜カホちゃんにちょこっとカラテ習ったことあるから〜少しはなんとかなるかな〜って」
 事も無げに未歩梨は笑う。
「カホ…小野さんか?」
 スコーンを黙々と食べていたミナトがようやく口を開いた。
「あ、ミポリン、小野さんの実の妹スよ。親が離婚して苗字違うけど」
 ミナトが椅子ごと数歩後ずさる。
「小野さんの…?」
「はい〜。でも中学入学以来、会ってなくて〜先月久々に再会しました〜」
 えへへ、と未歩梨は笑う。
「中学入学…?」
「お母さんが再婚した時に〜楷明に行くのが嫌で〜実のお父さんの家に家出したんです〜。今のお父さんは資産家で〜キョーコちゃんと同じ楷明に〜アタシを入れたがってたんですね〜。でもアタシは〜公立の小学校の友達と別れるのが嫌で〜今思えば反抗期ですね〜。でも香歩子お姉ちゃんに〜怒られちゃいました〜。ゼータク言うなって〜」
 未歩梨の頭に暁子が手を置いた。
「ママさんが心配してたもんね。あ、今は仲良しスよ。ミポリンのこと世界で二番目に大好きス」
「二番目?」
 ミナトが尋ねる。
「一番好きなのはね」
 
 
 
 玲奈は学校からほど近い館林の総合病院の扉をくぐった。受付で尋ねるとすぐに館林の病室に案内してくれた。
 頭を打っているのでしばらく横になっていなければならないらしいが今日中に退院できるらしい。
「会長」
 館林はうっすらと瞳を開けた。
「起きてたの?」
 ベッドの横で本を読んでいた玲奈は顔を上げる。
「お見舞い来てくれたんですか?ありがとうございます」
 混濁する意識で大体の事情を整理する。
「別に…それ、階段から落ちたとか?」
「いや、道を歩いていたら後ろからやられました」
 横になったまま苦笑する。
「やられた…?」
「今…一人ですか?お話があるんですけど」
「何?」
「今すぐ…会長を…十二宮を辞めてください」
 朦朧とした頭で、しかしはっきりと口にした。
「え?ちょっと…どういうこと…?」
「このままじゃ、会長が…いえ、亘先輩が………」
 館林は思い立って枕元の携帯電話に手を伸ばした。横になったまま器用に操作する。
「殺されます」
「殺される……バカ言わないでよ…誰によ?」
 差し出された画面は掲示板だった。
 そこに書かれた内容に玲奈は目を疑う。
 
 
 【募集】楷明狩りのお知らせ
 私立楷明大付属高校の関係者を病院送りにしたら金振り込む。
 倒れたところの写メを上のメアドまで送ってくれ。
 一般生徒・教員・職員は一人1000円
 生徒会生徒12人は1人当たり10万出す。
 生徒会役員の写メは下の画像参照。
 
 そしてその下には12人の顔写真が並んでいた。
 
 
「実際に一般生徒を襲ってお金が振り込まれた人もいるらしいです。俺も1000円になるんでしょうね」
「誰が…誰が何のためにこんなことしてるのよ!?」
 館林は一瞬悩んだが口を開いた。
「去年の蛇遣座の会長が、伊賀先輩の仕返しにです。書いてる人は特定できてます」
「蛇遣座の会長……?」
 少し間をおいて、館林は呟くように言う。
「蟹座…市川一先輩です…」
 
 
 
「ずっと絶賛片思い中だけどイチクンスよ」  
 
 
 

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