天球儀 ep.9 十一月「蛇遣座の日常」




 蛇遣座会長・高坂南の朝は早い。
 夜明け前に起きて、髪を丁寧に梳き、眼鏡を拭き、かける。紺色の制服に着替え、姿見の前でしわや乱れがないことを確かめる。鞄の中は前日の夜に確かめた。忘れ物はない。一番乗りで十二宮室に入り掃除や準備ができるよう、電車に飛び乗る。
  ガチャリ
 十二宮室に鍵はかかっていなかった。
(今日も…ダメだった)
 開けるとその向こうには窓を拭くまゆりの姿があった。
「あ、おはよう。高坂さん。今日も早いわね」
 がっくりと肩を落とす。そう、未だかつて一番乗りになれたことはない。いつも会長に先を越される。
「会長はもっとゆっくりしてくださっていいんですってば!ていうか、なんで始発で来た私より早いんですか?」
 乾拭きした後の雑巾を洗いながらまゆりは困ったように笑う。
「だって家から早朝ランニングしないと落ち着かなくて」





 この喰えない会長に勝てる日は来るのだろうか。





 蛇遣座は基本的に十二宮室にいない。始業前や放課後は十二宮室の隣の会議室を借りている。窓際で南は大きなあくびをした。
「寝不足ですか?高坂さん」
 三好なずなが笑顔で尋ねる。つい先日までほんの短い間だったが十二宮にいた彼女も蛇遣座に戻って来ていた。
「何で今年の会長ってあんなに気が利くの?」
「いいことじゃないですか。あんなに気が利いて頭も良くて有能な会長で」
 なずなはキョトンと目を丸くした。
「でも去年の蛇遣座の会長はね、毎朝絶対に館林先輩より早く来て十二宮の人たちが仕事しやすいように掃除や準備してたのよ」
「去年の蛇遣座会長……」
「妹尾先輩。今の文化部長の」
「それは妹尾先輩が真面目すぎて館林先輩にサボりグセがあったからだと思いますよ。高坂さんは高坂さんで自分なりに頑張ればいいと思いますけど。何も無理に去年の真似しなくても」
「真似じゃなくて模範としてるの!」
 そう、そもそも優秀すぎるのだ 今年の十二宮は。
 去年の十二宮は、有能だが性格がズボラな会長を、しっかり者の副会長と蛇遣座が支えて成り立っていた。
 ところが今年の会長はどうだ。眉目秀麗。才色兼備。おまけにしっかり者でスポーツ万能。何故かケンカまで強いと来た。あえて言うなら家柄が普通なところだがそんなこと職務には関係ない。もともとそういう約束で入ってきた特待生なのだから。
 見習いたいことは確かだが、双子座の自分が見習うべきなのは彼女ではない。
 酒本ナルさんだ。





 十二宮書記双子座・酒本ナルさん。
 …正直あまり見習いたくない。元気がよくて明るいのはいいのだ。だが十二宮の証であるロングスカートの白制服を「可愛いから」とか言う理由だけでミニスカートに改造してしまうミーハーな性格。ピンクの大きなリボンを揺らして会長に四六時中まとわりついている。しかも何故か酒本組の跡取り娘。婿養子になるはずの須磨拓海とはしょっ中、十二宮室でケンカを繰り広げている。
 そしてその間にある牡牛座が





 十二宮副会長牡牛座・香我美真人さん。
 …第一印象は弱い人。去年の蛇遣座副会長で、仕事はとても優秀で書類の書き方などは会長よりもよくできるくらい。優秀だが慎重すぎて遅いのはこの際無視するとして…。ただ…やっぱり弱いのだ。押しが。性格でも恋愛でも。会長のことが好きなのは明らかなのに、というか会長も知っているはずなのに一切進展が見られない。ちなみに彼一人、会長のことを「会長」でも「まゆりさん」でもなく「中務さん」と呼び続けてる。呼びづらくはないのだろうか。







「高坂さん、ちょっといいですか?」
 会議室のドアが開いたと思ったら、入ってきたのは妹尾亮良だった。





 文化部長蟹座・妹尾亮良さん。
 私の一番尊敬する人で憧れの人。憧れといっても、もちろん恋愛感情じゃない。どちらかと言うと蛇遣座会長として「こんな人にならなくちゃ」という強迫観念。性格も物腰もいたって穏やか。どこかの薬じゃないけれど、半分が優しさでできているような人だ。でもおっとりとしているようで、どんなこともそつなくまとめ、どんな人とも仲良くなれる。あの辻さんが唯一なついているのもよく分かる。





 行事実行委員長水瓶座・辻夏希さん。
 理事長の娘で若手アーティストとしても有名な人。本人はかなりの変わり者。多分今の十二宮で一番の。マイペースで時折奇行に走ることで学内でも有名だったが、文化祭以降その回数はめっきり減った。これも妹尾さんのおかげ。敬遠されがちだが蛇遣座での間の評判は悪くない。なんでも自分ひとりで解決してしまう他のメンバーと違い、遠慮なく蛇遣座を頼ってくれるからだ。指示も的確で分かりやすい。頭の回転の速さはそのあたりからも見て取れる。







「妹尾先輩。何か用ですか?」
「いや、会長が高坂さんの様子見てくるようにって」
「会長が?」
「なんか毎朝、用もないのに朝早く来てるから無理してるんじゃないかって。えっと伝言で…『私が朝早いのは趣味みたいなものだから、気にせず普通に登校して』って」
 南は顔が紅潮していくのが分かった。
「な、なにも妹尾先輩がそんな伝言…!」
「でも会長に直接言われたら嫌味っぽいでしょ」
 言って、南の頭を叩いた。
「マイペース、マイペースね。高坂さん」
 口には出していないけど、南が亮良の真似をしようとしているのがバレている。
「だ、大丈夫です。私そんな…」
 目が潤んでくる。
「ま、今年の十二宮は曲者ぞろいで合わせるのも大変だと思うけど、ゆっくりやってよ」
「く、曲者だなんて。去年の妹尾先輩に比べたら私なんて全然」
「頑張り屋だねぇ。高坂さんは」
「あーあ、何泣かせとるん?妹尾君」
「な、泣かせてなんか…観月さん!」





 運動部長獅子座・観月祐歌さん。
 女子から絶大な人気を誇る元ソフトボール部部長。今は肩を壊してソフト部を引退。大阪から来た特待生で、風の噂では大学では楷明で体育教師を目指すらしい。最初はカッコいい人だと思っていたが、部活をやめて肩の荷が下りたのか、最近は何だか可愛くさえ思えるようになってきた。女生徒からの人気は相変わらず…いや、むしろ故障という同情票で人気が増しているようにさえ見える。十二宮ではムードメーカー。酒本さんと仲がいいらしい。そして、酒本さんと仲がいい人がもう一人…。いや、本人の前でそう言うと怒られるだろうか。





 風紀委員長乙女座・矢井田桂子さん。
 華道の家元の一人娘でいつも一人でツンとしている。上品な顔して意外と口が悪いことを知っている人はあまりいない。けれど怒っているのかと思えばそうでもないらしい。観月さんとは対極の意味でカッコいい人。成績も優秀で高嶺の花として憧れている女子も男子も少なくない。
 そして、高嶺の花と言えばもう一人。





「なに渋滞してるのよ?私も蛇遣座に用があるんだけど」





 美化委員長天秤座・永戸滋さん。
 モデルをしている彼女とその周囲に関しては、先日一悶着あった。永戸さんの幼馴染みで親友の保健委員長魚座・取石椿さんと図書司書蠍座・金城辰弥さん。この三人の三角関係に端を発した騒動。三人とも校内では知らない者のいない美男美女なのだが、取石さんが金城さんの子供を妊娠したことから端を発した。騒動が治まった今もその事実を知っている者は十二宮と自分となずなしかいない。自分となずなもふとした拍子に十二宮の話を聞かなければ知る由もなかった。今は復学した取石さんと和解した永戸さん、そして金城さんでそれなりに上手くやっているようだ。三人が…特に取石さんがこの先どうなるかは分からない。けれどあの三人が和気あいあいと話している姿を見るとホッとする。これでよかったのだと。やはり十二宮は十二宮であってほしい。





「どうしたんだ?人だかって」
 鞄を肩から提げた赤毛長髪の少年が通りすがりに声をかけた。
「加藤クン、もう帰り?」
「ああ、バイト」





 会長に次ぐ十二宮の特待生。体育委員長射手座・加藤稔さん。
 ノリは軽いし真っ赤な長髪で素行はよくないはずなのに、それでも十二宮に選ばれた成績と才能は侮れない。開けっぴろげに見えて結構謎な人。





 開けっぴろげに見えて謎な人はもう一人。
 十二宮会計山羊座・伊賀リョウスケさん。いつも隅っこでニコニコしているだけだから忘れられがちだけど、妙に十二宮メンバーの身辺事情に詳しい謎な人。





 これが今の十二宮。私の…いや、私たちの見習うべき生徒会。よっぽどのことがない限り、私は来年この十二宮に入る。





「高坂さん。帰りちょっと寄り道していきません?」
 仕事が終わり、帰り支度をする南になずなは声をかけた
「寄り道?」
「ケーキバイキングの割引券があるんです」
「ケーキかぁ、太るからねぇ」
 言って笑う。





  この時の私たちはまだ知らなかった。
  これから起こる嵐のような出来事を。





「たまにはいいか、行きましょう」
 なずなの背中を叩いた。





  そう、よっぽどのことがない限り。



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