ワニくんの話

きくちゆうきさんの「100日後に死ぬワニ」が終わった。

「ワニって何?」と言う人はちょっと検索してみてきてほしい…といつもなら言うところだけど、今から見たら何でこれがそんなにウケたのかが分からないと思うので、この「100日後に死ぬワニ」の何がそんなにすごかったのかを順序立てて書いて自分用のまとめにしたいと思う。

めちゃくちゃ容赦なく最終回のネタバレします。

あと、あくまで個人の感想と妄想です。

「終わらない恐怖症」読者の取り込み

まずSNSマンガというものの性質について話をしたい。

Twitterでもインスタでもそうなのだが、基本的に出だしがキャッチーなもの、もしくは1回である程度オチがついているものがウケやすい。

できれば何の話なのか題名を見ただけで分かるとすごくいい。

これでいくつか過去にバズったマンガが頭の中をよぎった方もいるのではないだろうか?

で、1話がバズって続きが描かれて本になったマンガ…というのもいくつか心当たりがあるのではないだろうか?

もっと言うと、そのマンガは本当なら4ページ程度でオチがついてたのに、2巻、3巻と続刊中なのではないだろうか?

そこで質問です。

4ページでオチがつくマンガが3巻(1巻150Pとして450P)刊行されたとして、作者も一発ギャグのつもりだった話が面白さを維持できるでしょうか?

web雑誌連載とかは別です。

あれは紙の雑誌のほうが似た方針なので。

基本無理だ。

でもジャンプの看板マンガとかならともかく、零細出版社の雑誌で細々とやっている作品よりは「あ、これなんかネットで見たことある」補正で売れるので、出版社は続けたがる。

要するに昔のジャンプのように終わりたくても終わらせてもらえない状態だ。

一発ギャグを服装だけ変えて延々やらされると、買う方も描く方も擦り減ってしまうのだ。

で、擦り減りきって使い物にならなくなったら連載が終わる。

作者にも読者にも作品に対するいいイメージが残らない。

ここからは私の想像だが、きくちさんは…まぁあわよくば書籍化くらいは思ってたかもしれないが、終わったらデザフェス(きくちさんはデザフェス常連出展者なので)で内輪向けの同人誌を出すつもりだったのではないだろうか。

日付的にも、今から印刷所に送れば4/11のデザフェスには何なら早割が使えるスケジュールなので。

で「Twitterのワニくん見ましたよ~感動しました」と言う人に手売りしようと考えてたのではないかと思っている。

そこで「この話はきっちり100日で完結します」と1話の冒頭で宣言した。

これはもちろん「100日後に死ぬ」という残酷かつ不謹慎なキャッチーさもあったが「100日以上は読者を擦り減らしません」というある種の安心感を与えてくれる。

余談だが、私はワンピースをローが出てきた辺りまではそれこそ謎の義務感でメンタルを擦り減らしながら買っていたのだがその辺りで「誰に頼まれたわけでもないのに、金払いながら何やってんだろ私、もういいや」と全部古本屋に売ってしまった。

正直後悔は全く無い。

だって私の周りには「ワンピ?ああ、ナミの故郷の話は泣いた~」とか「チョッパーの過去いいよね~」とか「アラバスタのラスト最高~」までで、かなりディープな人で「エースの死に様には号泣した」というレベルなのだ。

ローを知ってる時点で非常にレアなのだ。

確かにラストどう終わるのかとか、ワンピースは結局何なのかとかは気になるけど、まぁなんかネタバレとか流れてくるだろうし、何なら最終巻だけ出たら買おうかな、くらいのつもりだ。

少し話は逸れてしまったが「漫画は人気が出たら50巻100巻は当たり前」ということになったら読者の懐にも時間にも限界がある。

「頑張って完結まで追っかける」より「しょっちゅうアマゾンチェックするの疲れる…もうやめよう…」が勝ってしまう。

そんな人には「○話(○巻)で絶対完結します」というのは「全米が泣いた!」とか「〇〇賞受賞!」よりよっぽど魅力的なキャッチコピーなのだ。

「100日」のちょうど良さ

私がワニくんを初めて見たのは実は1話だった。

誰のリツイートだったか忘れてしまったのだが、流れてきて「へー面白い発想だなー」と興味を持った。

ただその時「100日なんてまだまだ先じゃん」とも思った。

振り返れば全然そんなことないのだけど、多分同じことを思った人は多かったのではないだろうか。

案の定、20日目くらいから「もうワニ飽きてきたんだけどwww」みたいな意見がちらほら出てきた。

ただこれが10日だと、そもそもワニくんの人物像(人ではないとか言わないで)や交友関係も描けない。

それだと死んだ時に読者側も思い入れる間もない。

「なんかよく知らないワニが死んだ」で終わってしまう。

もうちょっと打算的なことをいうと、運が悪いとバズる前に終わってしまう可能性がある。

でも1年とかだと完全に飽きられる。

「え?まだワニやってたの?てかどんなだっけ?」とかになる。

高い年齢層はまだしも、若い層には一年は非常に長い。

そういう意味で「100日」というのは非常に絶妙な塩梅だった。

ターゲティングの上手さ

SNSには様々な人がいる。

日本人なのに日本語読解が致命的に下手な人から、古典研究者までいる。

誤解を恐れずに言うなら「100日後に死ぬワニ」のストーリーは小学生でも分かる。

もっと言うなら話の筋だけなら絵本的な対象年齢だったりする。

要はあらすじを追うだけなら↑で言う読解が致命的に下手な人でもできるようになっている。

表情や一コマのセリフを深読みしたりする人もいたが、最終回を迎えてみるとほとんどが「作者の人そこまで考えてないと思うよ」だった。

あえて言うなら、3日目のひよこが最終回に繋がっていることくらいだが、それも知ってればより楽しめるが、知らなくても楽しめる、というレベルの話だ。

最終回の桜を梶井基次郎などに擬える人もいたが、それを知らなくても「桜舞う中でワニくんが死んでるのなんかきれいな分逆に切ないねー」で話が通じる。

深読みするのは読者の自由だが、作者はターゲティングを極限まで下げて「何を言ってるんか意味が分からん」という人を極力減らした。

もちろん好き嫌いはどんな作品でもあるが、そもそも初見で「何のことかちんぷんかんぷん」という人がいない作品というのは、それだけで間口がすごく広くなる。

作者のメンタルの強さ

これが一番だと思うのだが、きくちさんは多分最初から最後までほとんどきっちり100話の構想を決めていたと思う。

季節ネタはあったがM1の日や正月を何話で迎えるかなどは予め調べれば分かるし、桜が咲く頃などはむしろ大きくズレる方が珍しい。

しかし思いの外バズって、死に方予想考察や101日後を勝手に考えた自作マンガ、死ぬワニは彼女なのではないか、タイムリープして101日目は1日目に戻って永遠に終わらない説など突拍子もない意見が行き交った。

自白すると、私も3日目くらいの時に的外れな考察をしてTwitterで友人と議論を交わしたことがある。

それはあまりに見当違いであとから見れば顔を覆うほど恥ずかしいようなものである(覚えてる人は忘れて)

それでもきくちさんは最初に考えていたであろうテーマを変えなかった。

詳しくは彼の来歴などを調べれば今ならすぐに出てくると思うが、結局言いたかったのはただ一つ「どんなにいい人でも、友人や恋人に愛されていても、ある日突然呆気なく死ぬかもしれない」ということだろう。

そして誰もが多分一度は思い浮かべたと思う最終回を圧倒的なセンスで描ききった。

ここで大事なのは、どんなに出だしや途中が面白い作品でも、最後に「こんな話じゃないだろ!」と読者に思わせるどんでん返しは読者にインパクトを残すのではないということだ。

必死で応援してきたキャラクターや物語に最後の最後に裏切られたら、読者は無意識に「あんな話は最初からなかった」と思う。

恐らく書籍化やメディア化は割と早い段階から出ていただろう。

イラストレーターにとっては非常に嬉しい話だ。

だが、そのためには予定調和でも予想通りでもある程度妥当な結末を迎えなければならない。

そうでなければ「あんな話は最初からなかった」にされてしまうからだ。

なので、絶えず読者から送られる突拍子もないトンデモ結末予想や、「これ伏線ですよね」という明後日なドヤ顔指摘や、さらには「ずっと続けてほしい」という心のこもったファンメールさえ、あえて無視して100日間ほぼ無言を貫いた。

どれほどのメンタルの強さだろうと私には想像もつかない。

雑誌連載なら、そういった手紙は連載中は見せないように編集部に頼めるし、SNSはやらない方針を貫けるが、SNSで個人連載をやる以上それはできない。

通知をオフにするくらいはできるかもしれないが、来るメールなどを全て無視していたとしたら、そもそも書籍化などの依頼メールも見られなかっただろうから。

天才的な計算力と驚異的な運の強さ

最後はこれに尽きる。

正直、計算なのか偶然なのか分からない。

ただワニくんを始めた時は年末だった。

年末は職種にもよるだろうが、大体が慌ただしくストレスが溜まりがちで気候的には体調を崩しやすい。

実際私もワニくんを初めて見た時、普段あまりやらない経理仕事をまとめてやっていて疲れ果てていた。

そんな時にユーモラスなワニがテレビを見て笑ってるだけのマンガが突然現れて、何の前触れもなく「100日後に死にます」と言われたら、一周回ってピリピリした心が和らぎ興味を持ってしまう。

あと、年末年始は休みの人が多く、1年で1番Twitterの閲覧数が上がる時期だ。

そして、これは本当に計算か偶然か全く分からないのだが、最終回が三連休初日の夜。

つまり多くの人がある程度夜更しを許される日だった。

さらに言うと、何故か分からないがいつも19時ぴったりに更新されるのが20分遅れた。

この20分が盛り上がりを増幅させた。

この20分間で「死んだからもうマンガはないという結末なのか」から「ひょっとして作者が死んだんじゃないか?」まで話が広がった。

これまで何度か特に意味はなく投稿時間がズレることはあった。

これは間違いないと思うのだが、きくちさんは予約投稿ツールを使って投稿していた。

そうでなければ毎日1分もズレずに投稿するのは無理だろう。

私も予約投稿を使っているのだが、ごくたまにこの投稿は失敗することがある。

単純にプログラミング的な欠陥なのだろうが、予約の日付も時間もあっているはずなのに投稿されていないということがある。

最終回以外の時間のズレはこのためでないかと思っている。

ただ最終回は本当にわからない。

奇跡的な確率で最終回にバグが起こったのか、本当に狙ってやったのか。

ともかく19時から19時20分までの間はTwitterがお通夜モードだった。

読者が勝手に真似て作った偽物の最終回が流されたり、作者が過去のツイートをすべて削除してるなどという噂まで流れて軽くパニック状態だった。

だからこそ、ワニくんが死んだ悲しい終わりのはずなのに、あの晴れ渡る青空と桜吹雪の桃色が爽やかで美しい最終話のサムネイルを見た瞬間、20分真っ暗だった分「死んだ」とか「悲しい」より「最終回はちゃんとあった。よかった」や「きれい」が勝った。

私はまどマギの放送当時、ほむらちゃんの過去が明かされた直後に東日本大震災があり、2ヶ月放送休止になってその2ヶ月間に最終回予想や別世界線の二次創作が大量に創作されたのを思い出した。

もちろんまどマギは紛うことなき名作だが、あの2ヶ月が名作を3割増くらいにしたと思っている。

もう一つ、これは不謹慎だが完全に運が味方した。

今、日本どころか世界中が1ヶ月ほど前には予想もしなかった鬱屈とした空気に包まれている。

理由は言わずもがな、コロナショックだ。

仕事や家庭に直接影響が出ている人もいるし、そうでなくても毎日テレビやネットで喧しく無意味であろう論争が続いている。

コロナ鬱という言葉まで出てきている。

街を歩く人までどこか殺気だっているように思える。

それこそ全く知らない人にいきなり通りすがりに刺されて死んで「なんかむしゃくしゃしてた」とか言われても、仕方ないよなこんな時勢だもん、とさえ言われそうな空気だ。

極力、自宅にいるようにしたいし、そうしろと周囲もがなり立てる。

自宅にいるとテレビもネットも嫌なニュースを流す。

そんな中で99日目まで(ひょっとしたら100日目の直前まで)いつも友達や恋人と笑って遊んだり仕事をしたりしているワニくんが、必ず1日1回見られるというのはどれほど嬉しいことだっただろう。

勿論きくちさんの努力や天賦の才もあるだろうが、全てがワニくんに味方した100日だった。

最後に

「100日後に死ぬワニ」は10年近くあの手この手で試行錯誤されていた「SNSマンガ」というジャンルが最後に行き着いた集大成なのではないだろうか、と思っている。

100日を一緒に追いかけて、見知らぬ人と議論を交わして、変に深読みして勘ぐり、最後には同じように見知らぬ人と悲しさと美しさを共有して振り返る動画を見ながら一斉に「すごかったね」と言い合う。

これは雑誌や書籍では絶対に不可能だろう。

恐らくマンガだけでなく、SNSを使った作品でここまでできるのは、これが最高峰で最後になるかもしれない。

間違いなくこれから二番煎じ、三番煎じがどんどん出てくるだろう。

でも才能も努力も運までもが味方した「100日後に死ぬワニ」に勝てるものが出てくる気がしない。

願わくば、違う才能を持った人が全く別の視点からSNSを上手く使った作品を作ってほしいが、恐らくその前にSNSというツールが何か別のものに取って代わられるのではないだろうか。

個人的な話をするが、私はマンガやアニメに詳しい人ぶっているが、手塚治虫の作品をリアルタイムで見たことがない。

私が7歳の時に亡くなったので、偉大さをまともに理解したのは父が買った全集を読んでからだった。

漫画の神様と一緒に生きることはできなかった。

ヤマトもファーストガンダムもほとんど分からない。

エヴァは世代だったが、ちょうど高校受験の時期だったこともあり、話題に乗り遅れてちゃんと見たのは最終回後の再放送だった。

深夜アニメもバイトに忙しくて、初期のものはほとんど分からなかったりする。

涼宮ハルヒは初見で「意味不明だ」と切ってしまい後で死ぬほど後悔した。

女児アニメは詳しい、と言いたいが、おジャ魔女どれみを見始めたのは♯からで、後で無印を見た。

つまり新しい文化が完成されるのをリアルタイムで見たことがあまりなかったのだ。

人に1話からリアタイしていた自慢ができるアニメはセーラームーンとまどマギくらいだ。

そういう意味で「100日後に死ぬワニ」で「SNSマンガ」の完成を1話から追いかけられたのがたまらなく嬉しい。

一つだけ、聞き届けてもらえるなら「帰ってきた100日後に死ぬワニ」とか「100日後に死ぬワニ・パート2」とかは絶対に出さないでもらいたい。

追記

なんかワニくんのバックに電通がいたとかいう噂が流れてプチ炎上になっている。

電通がいい会社かどうかはともかくとして、正直マンガのアイデア手伝いやバックアップを会社がするのは、むしろイラストレーターやマンガ家にとってはいいことのはずなのに。

電通って言うと電通補正が悪い方にかかってしまうが、みんな大好き鬼滅とかもジャンプ編集部があって、それほど売れない間も原稿料を出して、もっと言うと集英社マネーでアニメ化されたからこそ、あれだけヒットした。

多分アレpixivやTwitterマンガでやってたらワニ先生(今気づいたがこっちもワニだ)今頃餓死してるか、真っ当な職に転職してる。

なので、イラストやマンガに企業のバックアップがついて、干渉は受けるかもしれないが、ある程度経済的にも精神的にも安心して描けるというのは、無名の作家には泣くほどありがたい。

メディアミックスのタイミング発表が悪かったとか言われていて、それは5000%そうだと思うし、むしろせっかくの三連休なんだから、三連休二日目に丸一日読者に思う存分ワニの考察や振り返りをしてもらって、19時前に誰かが「あ、今日はもうワニくんないんだよね…」と言ったところに、作者のメッセージと「一緒に書籍化・映画化etc…をしていただくことになりました」とかを投下するのが一番効果があったと思う。

弔事って大事!

ということを言いたいんじゃなくて、今回のワニくんの最大の勝因でもあり、唯一にして致命的な敗北点は作者が自分を出さなかったことだろう。

90日目あたりからテレビとかのインタビューを受けていたが、その告知などもリツイートすら一切しなかった。

もしかしたらサブ垢とか愚痴垢があって、そこでうだうだ言っていたのかもしれないが、すくなくとも「きくちゆうき」さんのアカウントでは99日間淡々と1日1本4コマがアップされ続けた。

もともと作者を知っていた人はともかく、ワニくんで知った人は作者がどんな人か全くわからない。

アイコンからして多分男性だろうが、穏やかなのか、喧嘩腰なのか、愚痴っぽいのか、プラス思考なのか、どんなファッションが好きなのか、好みのタイプはどんな人だろうか、そもそも奥さんや子供はいるのだろうか、好きな食べ物すらも分からない。

なので

「ワニくん死んだ」→「コラボ企業でーす!これからもいろいろやりまーす!」

じゃなくて

「ワニくん死んだ」→「きくちゆうきでーす!(100日間やった感想とか、この際『疲れました。二度とこんなことやりません』とかでもいいからを挟んで)いろいろコラボすることになりました。書籍化・映画化もします。詳細はこちら→」

としてほしかった。

ワニくんを通してコラボ企業を見たいんじゃない。

ワニくんを通してきくちゆうきさんがどんな人なのかを、ひと目でいいから見てみたいし知りたいのだ。

私は勝手にフォローしてる一見ジャンルも掲載誌の会社も違う人気マンガ家さん同士がTwitterで「@〇〇さーん、今度ラーメン食べに行きません?」「いいですねー、☓☓先生も誘ってもいいですかー」「☓☓です。コレステロールヤバくてラーメン禁止令が出ましたーww」とかいう会話が見られると、泣きたくなるほど嬉しい。

ちょっと前まで、紙を通して絵や話を見ることしかできなかったマンガ家さんが、確かに今この瞬間に生きていて、友人と遊んでいて、ラーメンを食べたがっている、というのがたまらなく嬉しい。

SNSって企業が並んでいらっしゃい!いらっしゃい!って絶えず呼び込みをしてる商店街じゃなくて、企業やプロジェクトの中にいる「人」と(たとえ一方通行で終わったとしても)コミニュケーションを取って、それでその「人」が気に入って、もしその人が物を売っている人だったらそれを買う、もしくは「あの人これ好きそう!」って思ったら教えてみたりするところ、そういう井戸端会議みたいなところじゃなかったのか?

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